2012年5月4日金曜日

集団自殺

死ぬと判っていて何故?という行動を取り続ける動物にレミングという動物がいると小さい頃から聞かされたり読んだりしてきました。実はそれが「ウソ」であると、明確に説明されたページがwikiにあり、長年の思い込みが解けて今日は少し新しい自分になった気分です。世の中の99%の人には全く関係のないことだとは思いますが。(笑)一部、ゲームなどでは、レミングスとして大変有名でした。
しかし、こうなると、集団で熱狂的に死んだり殺したりしていこうとする動物の代表はやっぱ人間様位しかないのかな?ということになるのでしょうか。戦争、テロ、喧嘩、縄張り争い。何がなんだか訳のわからない無数の理由をつけて、(或いは理由などナシに)お互いを消し合うのが人間様ですが、それでいておこがましくも進化の頂点に居ると自らを尊称するところもまたご愛嬌です。
さて、殺し合いまではいかないのですが、社会の中の機能しない世代間互助システムに関する議論は、今、日本もアメリカも花ざかりのように思います。ここアメリカでも、団塊の世代がどんどんリタイアしていく時代に入り、そのリタイア世代を支える社会保障や年金といったお話が選挙の度に語られています。特にこの国では医療保険のことに強い関心が集中しがちですが。しかし、その手の話の熱さという意味では日本のほうがよっぽど灼熱レベルに達していると僕は思ってます。(少なくともネット内でここ数年の情報を見た印象では。)
日本の場合、高齢化の速度の過激さが尋常でないということもあり、実際、目の前にもう来た(来るであろうではなく既に起きている!)事実の深刻度は並ではありません。特に可処分所得の分配という意味においてはもう完全に破綻している日本の年金制度の存在が、40代後半の世代を境にして、世代間がなじり合うほどの大きな問題になっています。
何と言っても、この制度自体は日本がこれから右肩上がりの成長をし続けるという時代が「永遠に」続くという前提で作られた欠陥商品ですから、まずは破綻したコンテンツを厳しく見なおして再構築しなければならないのに、統計上圧倒的に金を保持している年寄り世代が大体話しのテーブルに着かないというのですからまず対話自体が始まりません。おまけに、この構造的欠陥を持った制度を改めること無く、全く機能しない次期選挙で消えていく政府が不足分を増税で埋めようというのですから、間違いなく破綻は加速されるでしょう。
元来、銀行に入金した分以上のものを引き出せるはずもないのは明らかなのに、ゴネにゴネて修辞的に反論できない「弱者という名の錦の御旗」を前面にたてて頑強に減額を拒む「自称弱者」には本当に手が付けられません。前にも書きましたけど、自民党による旧社会党等のバカ議員への懐柔政策の結果として構築されたこの「机上の社会主義政策」がここまで明白に行き詰ってしまっているのに、それをこういった理由で改善できないのは本質的な日本人の劣化なのかと最近は思うようになってきました。
横並び大好きの日教組が大切に育み温めてきた「インチキ平等思想」が日本の低所得層の多くに染み渡って行った結果、本来、発言権など微塵もないハズの人間が大きな顔をして、曰く、生活保護費の拡充と削減反対、曰く、年金減額反対等と当然の権利であるかのように「金をくれ」と叫ぶ。
本来、国に余裕があったからこそそのような連中にも金を「配布可能であった」訳で、国に余裕がなければ、そんな「施し」中心の福祉政策は理屈上そもそも、成り立ってはいけないものです。ましてや、働いている人間の手取りが、働かない人間の手取りを上回るようなことがあって良い訳がありません。それを許すのは、本来人間の持つ「感情」や「倫理観」というファクターを完全に計算から除外して構築されたソ連型社会主義の世界であって、それが一直線に破綻することは、ソビエトという今は亡き国の歴史が、厳しく悲惨な国家の破綻を経て証明したはず。
働いても働いても、隣でパチンコしたり、フラフラしたり、寝てるだけの輩が自分より金もらってるとか、殆ど、日本で書き綴られているオカルト小説の世界。(笑)当然、種々の病気、身体障害、精神障害に対する最低限の保証は国家が持つのは「文明国としての矜持」がありますからそうすべきです。しかしそれでも、そういった絶対に助けられるべき本当の弱者ではない偽物達、働けるのに働かない人間には金など本来「一切」やるべきではないでしょう。同じような苦しい状況でも、ある人達はは時間と人をやり繰りして働き、一方では失業という名のもとに自分の人生の選択と努力と運の結果を、他人や国のせいにするのはお門違いというもんでしょう。
失業だって、会社の倒産などの運等も含めて、その仕事を選んだ自分の選択。その選択の帰結までとる責任は国家にはありません。何事も自分の失敗を人の責任に帰する風潮というのは間違いだと思います。過保護な社会システムが人を駄目にする。僕は今の日本の惨状は、こういった営々とした戦後の行為の当然の帰結としての「人の人としての品質の低下」だと思っています。
個性尊重、自分探し、自由の追求、様々な理由で自分の置かれた惨めな現実に小さい頃から蓋をしてきた人間が、社会の厳しい現実に晒された時に自分にはその荒波に抗うだけの「能力も意欲も鍛錬されて来なかった事実」に目を瞑り、自分に都合の良い解釈で自分を慰め金をせびる道を探す、、、。昔の人はそういう輩を「コジキ」と呼んでいました。この言葉自体は差別でもなんでもなく、人生のある期間においてそういう状態に一時的に落ちている連中を総称する単なる単語であって、自助努力で這い上がればよいだけの話ですが、そうは問屋がおろさない。昔高校の先生で大学に入る前に自分で三年ほど乞食をしていた変わった経歴の英語の先生が居ましたが(笑)、その先生に曰く「乞食は3日すると止められん」と。先生がおっしゃっていたのは、「働かなくても食える方法を見つけると、働く意欲が消え失せる」ということでした。
やっぱり、僕もそう思いますよ。一部の上昇能力、現状打破意識のある人間を除けば、続けざまにタダで施しをくれるサービスがあれば、多くの人が働かなくなるのが自然な反応だと。生活保護の基本は持続的職業訓練と、物品や食料券やサービスの提供による現物支給であるべきだと思います。何度も言いますが、労働という対価も提供せず、人の税金で食わしてもらっている人間がぬけぬけと権利を主張するなど、盗人猛々しいとしか私には言えません。
国家が弱者を守るシステムは、厳しくスクリーニングされた本当の弱者を守るべきセーフティネットとして存在すべきであって、「自立の道を強くかつ持続的に援助する」システムであるべきでしょう。絶対に「意欲なき弱者を増やす」システムであってはいけないと考えます。
日本という国家が最終的に集団自殺を迎えたくなければ、ゴネ得のシステムは徹底的に改め、数学的に計算が成り立たないものは数値を合わせスリム化しなければ、全員が共倒れになって、最悪の「福祉どころではない」世界が到来することでしょう。そうなると、もう近代国家とは到底言えなくなるのでしょうが。 あ、ここアメリカには当然そんなリッチな弱者救済システム自体が存在しませんのでお間違い無く、、、。
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