2024年8月3日土曜日

外国で生活を築き上げる苦労

昨日は夜からふらりと何時もの隠れ家に飲みに出ました。

お店に入るとカウンターがきれいに空いていたので、何時ものように一番奥に座ってチビチビと泡盛の古酒を飲みながら「豆腐よう」を爪楊枝で突いていたら、珍しく右後ろのテーブルに座っていた女性陣の誰かが「豆腐ようお願いします~」と注文されていました。

こんなモノを注文する女性も居るんだな~と内心で思いつつ、更に「乳製品好きの酒も好きな女性なんかな?」と一人で空想を巡らしてしまいました。勿論、決して顔を見ることはありませんでしたが。w

ここで二杯飲んで豆腐ようの次に手羽先を6本食べた後に早めに店を出て栄の方に移動してみました。余り酒を飲んだりするという目的で栄の方に移動する事は無くて、ほぼ初めてレベルで珍しかったのですが!

入ったのはエスニック料理の店。アジアン・フードあれこれという感じです。中に入ったら明るい店内でお洒落な感じ。しかし、中に入っている人達が日本語を話していません。それがタイ語やベトナム語なのは間違いないのですが、その他の言語が入っていたのか否かは不明。

名古屋は日本最大のベトナム人コミュニティがある街ですので、同じように人が人を呼ぶ感じでブラジル人やベトナム人、ネパール人、ミャンマー人などが集まってきます。

この店で大声で楽しそうにビールを呷っていた三人のベトナム人の中年男性が居たので、トイレに行った時に軽く目線で挨拶をしたところ一番年配の男性から「こっちに来て飲みませんか!」と笑顔で誘われ、これは断ってはいけないと御相伴に預かる事に致しました。

話をしてみると、ベトナムから日本にやって来て18年の苦労人で、実はこの店のオーナー!驚きました。

興味につられるがままに彼の話をいろいろと聞いていたのですが、日本で同郷の人間と結婚し、店を既に三つも持っているとの事。更にこれから二つの店を新規に広げようという話で、凄い事業家だねと感心すること頻り。

外国人としてやって来て生活を築く中での苦労、家庭を以て娘達を育てて二か国語の環境の中で親父としてどう接するかという苦労、外国人として事業資金を銀行から借りて生活をするための苦労。外国で暮らす苦労の連発は言葉の壁のみならず、発想、習慣、金銭感覚などなど全てがまさに「外国」ならではのもの。同じ経験をした私としては、エリアは違えども、その壁を全部自分の力でぶち抜いてきた彼には只々リスペクトしかありませんでした。

聞いていて涙が出るような話も沢山出て来ました。私から彼にアドバイスできたのはただ一つ、子供さん方への言葉の教育に関する個人的経験談。

他にも四方山話をする中で、いろいろな雑談をしている内に時間は三時過ぎ。オーナーのほかはもう誰も居ない感じで二人で話す状況でしたが、最初に食べたブンボーフエ以外の金を受け取ってくれませんでした…。地下鉄も当然無しですので、何時もの様に本山から歩くなんて言う事はせずに流石にタクシーを使いました。w

今度は私が誘う番ですが、何を食べに行きましょうかね。^^

2024年8月2日金曜日

魂が引き継がれるという事

癌の末期の患者さんのところに、頻繁にご家族が御見舞に来てくださっています。

有り得ない程しっかりとしたいろいろな意味で美しいご家族様で、今の時代にこんなに辞宜正しく美しい日本語を使う人達が未だ居られたか?という程の人々。そして、その患者さんであるお婆さんも苦しい息のもとでもきちんと我々医療者側に受け答えをして下さるのでした。

私としては食べる事の出来ないこのお婆さんに襲い掛かる癌による痛みを可能な限りコントロールしてあげる事だけです。

この御親族の方々は、御主人は勿論のこと、娘さんやお孫さん、そして曾孫さん達も頻繁にやって来られてベッドの脇でお婆さんに語り掛けてくださいます。曾孫さんはまだまだ保育園児と文字通り玉のような可愛い赤ん坊。

こんな家族の素晴らしい命が遺伝子という乗り物を通して受け継がれるだけでなく、その「育てられ方」が引き継がれる事が私には何よりも素晴らしい事だと思うのです。私は自分自身の事なので良く解るのですが、どんな親にどうやって育てられるのかは遺伝子以上に絶対大事だと思っています。

私はどう足掻いても粗野な自分の一面を捨てることが出来ません。野卑では無いと思うのですが、スマートに何かを伝える、実行するという事が本当に出来ないのです。親が悪いという事は言いたく無いのですが、やはり自分の親を見ていると自分のバックボーンが「上品」とか「戦いを避けて解決」等という生き方とは程遠いんですよね。w まあ、凡夫そのものです。

まあ、今更変えようとしても無理ですし人前でも愚痴は言いませんが…。(<言っている)

癌の末期であってもその周りに花の咲いたようにお婆さんの集めた素晴らしいキャラクターの人達とその遺伝子を運ぶ家族の皆さんを見ていると、例えいつの日にかは消える事になるお婆さんの命が物理的に消えても、その遺伝子と魂は消えないなと何時も頭の中で独り言ちる自分が居るのでした。

御家族さんのいらっしゃらない時に、ベッド脇でお婆さんとお話をする事が毎日続くのですが、苦しい息のもとでも掠れた声でいろいろとお話をして下さるお婆さんに逆に慰められる未熟者の俺でした。

慈母っていうのはこんな方なんだろうなと思うのです。


2024年8月1日木曜日

「戦時下の一宮」展

昨日、私の休みの日を使って家族三人で一宮市博物館に行ってきました。

先週の段階でエアポート・ウォークに行って何時ものように愛知航空ミュージアムにも息子と入ったのですが、その手前においてあるパンフレットの並べてあるところに企画展として「戦時下の一宮」というものでした。

説明によると「今年で第二次世界大戦の終結から79年の歳月が経過し、当時の生活を知る人は少なくなりました。戦争を知らない世代にとって、戦争は教科書で勉強する歴史上のできごととなっています。本展では、遠い昔のできごとと捉えられがちな戦争下の暮らしを身近に感じてもらうために、暮らしの中で使われていた生活道具や出版物などを通して、主に太平洋戦争の状況下での一宮市域の人々の暮らしに焦点を当てながら、戦時体制下の生活などについて紹介します。」というものなのですが、自分の知らない当時の様子を知りたいと思いました。

そして、妙興寺と隣り合ったこの一宮市の博物館に到着して中に入っていくと、ラッキーな事にちょうど学芸員さんの解説が始まったばかりでした。
いかにも戦時下です!
実はこの玉音放送の内容を書いた新聞の日付が8月14日!
マスゴミ各社は既に敗戦をとっくに知っていたのです。
これがアノ千人針。気持ちは分かりますが、コレで勝てれば世話無いです。
防空頭巾の実物。しかし、焼夷弾の前では紙切れ同然です。
真珠湾攻撃時のアメリカ側の新聞
空襲前に撒かれていたというビラ。
余裕のある米軍の前で未だ勝つ積りだったんでしょうか?
灯火管制何て何の役にも立たなかったという話や、終戦前にマスゴミがキッチリと終戦の情報を知っていて、さっさと新聞に載せていた事実とか私には新鮮な情報でした。

戦争なんて本当に無駄な命の遣り取りだなと改めて思いました。為政者が愚かだとこういう事で人が亡くなり、資源と時間が浪費されていくんですね。

それにしても、こんな小さな一宮市博物館ですが、今まで行われた企画展の内容や出版物を見て「この博物館、形(なり)は小さいけども知恵は相当なもんだな」と感じた次第。サイズで質を判定することは出来んなと改めて感じた次第でした。

暑い夏の昼下がりの有効な時間の使い方が出来たと思いました!

2024年7月31日水曜日

地獄の一日

まさかこんな一日になるとは思ってもみませんでした。勿論誰もそんな事にはならないと思って一日が始まるとは思わないでしょう!

朝の6:50に妙な鈍痛で目が覚めました。何じゃこの強く続く鈍痛は?という感じの痛みで、ちょっとさすって体位を変えてみるのですが全く痛みは減るどころか「この痛みの強さヤバくねっすか?」というレベルである事が10分もせずに理解出来ました。

ベッドから転がるように落ちてリビングのソファへ移動したのですが、どうにもなりません。大動脈解離やイレウスなども無いとは言えませんが、この状況と痛みの性状を考えるとどう考えても先ず鑑別診断の筆頭は尿管結石。

右腰背部の強い鈍痛ですが、木槌で強くドーン、ドーンと叩かれている感じ。既に起きている嫁さんの前で声にならない呻き声で獣のように唸りながら体を延ばしたり縮めたりする事一時間以上。それでも自分の病院が開くまでまだ一時間弱ありました。

取り敢えずEchoか腹部CTで一発で結石は判りますので、とにかく画像が欲しいところ。しかし、痛みが余りにも強くてとても自分の病院へ車で移動する気力も湧きません。トイレに立った時には少なくとも肉眼的血尿は見えませんでしたが恐らくこの感じは間違いなく尿管結石。

リビングにやって来て既に二回ほど嘔吐をしていましたが、9時も近づいてきたので近所の泌尿器科の先生の所にお世話になる事を決めました。そこにはCTもありますし。

たった200メートルほどですが、最初はタクシーで移動しようとしていましたが、それを断ってびっこを引きながらヨタヨタと病院へ。やっと病院の入り口に付いて受付までエレベーターで上がっていくと受け付けのお姉さんに小声で「尿管結石で痛くて!」と囁くと「アッ!」と小声で返してきました。w

先ずは先生に看護師さんが状態を伝えてくれて、採尿された後で直ぐに診察。やはりmicro hematuria(顕微鏡的血尿)陽性で、CT撮影でも左右に小さな3ミリ程度の石が!痛みの大本である右尿管へ落ちてきている医師もしっかり写っていました。右の腎杯にはまだ一個ありましたし、左にもその出来始めみたいなものも写っていました。

お尻にケトプロフェンを注射され少し痛みは減り、その後ソセゴンとアタラックスPを点滴されスコ寝。アタPは抗不安効果や抗アレルギーの為にも使われる古い薬で、点滴などされればフラフラになるというのは当たりまえ。

処方も予想通りでウロカルンとブチルミン錠。ウロカルンは「主成分はウラジロガシという生薬で、腎臓・尿細管にできた結石の排石を促すだけでなく溶解や発育の予防効果」もある薬、そしてブチルスコポラミンは管腔性臓器の疼痛に良く効く薬で、胃カメラ前の蠕動抑制などにも良く使われます。

後は鎮痛剤でしたが「抗生剤は自分で持っているの適当に服んでください。w」と言われて終わりでした。まだ痛みはありましたが、着た頃に比べると全く別世界。それでも家に帰ってからはスコ寝していました。本来はバンバン水分を飲んで歩き回るべきだったのでしょうが。

その後夕方に起きてきてもやはり弱く痛みは続き結局その痛みが突然取れたのは夜中の一時半にNetflixを観ていた瞬間でした。まさに石が尿管から落ちたのが判るレベル。一瞬だけ膀胱が厚くンあった感じがしましたがそれも数分。あっと言う間に何事も無かったようになりました。しかし、これこそが尿管結石。

結局今回の尿管結石がいたずらした理由は簡単で、昨日の一時間半ほどの暑い中での散歩が恐らく主因。結局自然と脱水になりつつも石まで落下してきていたのでしょう。

実は尿管結石の痛みの発生はちょうど20年前のアメリカのアパートで経験したのに続く二回目。その時は左で、キリが刺されたような痛みでしたが、30センチ右側に寝ていた嫁さんにその痛みを伝える事も出来ず二時間ほど?脂汗を掻いていたのですが、気が付いたら無痛となっていて朝はすっかり寝ていました。

今回の尿管結石とはパターンが違いましたが、その日の昼に黒いゴマ粒くらいの物体が2ミリ出たのが白い小便器で確認できて終わったのですが、こんな小さなものがあの痛みを起こすのかと驚いたものです。しかし、もう三度目は御免です…。マジで嫌。w

2024年7月30日火曜日

スギ薬局が真隣りに出来るとな?

家の隣に名古屋のマツキヨことスギ薬局が出来るというのを知ったのは一か月ほど前。

通院している歯科の奥さんから間接的に伺ったのですが、今は40台分くらいの駐車場になっている場所が来月の1日から一旦更地にされて、その後から急ピッチでスギ薬局の建設が始まるようです。

建設の予定を告げる建設会社からの通知の紙切れには大まかな進行スケジュールが書き込まれていました。最終的には9月中にはスギ薬局がオープンする事になるようですが、一体この建設は何を意味する事になるのでしょうか。

同じマンションに住むあるお金持ちの方の解説によるとこういった大型薬局の近隣開局というのはマンションにとっては資産としてプラスに働くとの事で、その理由を問うた所、その方の口からは「万一の際の薬部、その他のストック・ヤードとして働く場所となる」との話が出て来ました。

例えば南海トラフ地震が発生したら傍にそういった薬や日用品の諸々を持っている店があるという事はその傍に住む人間にとっては資産価値プラスとして働くという感じなのでしょうかね。

建築関係の会社にとっては会社の隣に建築資材屋さんが出来たような感じと言えばよいのでしょうか。わかりませんが。w

それにしても、隣にスギ薬局が出来てしまったら徒歩二分の所にあるB&D薬局は一体どんな競争を強いられるんでしょうか?競争自体の激化は近隣のコンシュマーにとっては大歓迎なんですが、御本尊のお店の方はまさに仁義なき戦いなんでしょうね。くわばらくわばら。

さあ、我々の生活がどう変わるのか?無駄遣いなどしないようにしていこうと思います。しかし、これから加齢の進む我々にとっては家を出て3秒の所にできるドラッグ・ストアっていうのは福音そのものですね。