2022年9月5日月曜日

開業医は客商売?

長崎の実家に行く前から嫁さんには空咳が良く出ていました。

特定健診でも画像上は問題なく、勿論のことコロナの抗原検査でも何も出ません。降圧剤でも空咳が出たりするのが有名な降圧剤がありますが、そういうたぐいのものも使っておりませんので咳喘息かなと思っていたのですが、代表的な咳止めなどを嫁さんに処方しておりました。

長崎に行っても咳がそれなりに止まったような止まらないような~という感じでしたので、一度は呼吸器の専門医に診てもらうといいよとsuggestしていました。

今回長崎から名古屋に戻ってきて時間もできましたので、嫁さんも駅の近場から少し離れた内科に行って診察をしてもらうことになったらしいのですが、最初に行ったT内科と言うところの70過ぎの先生が昔風の偉そうな感じのセンセイで、嫁さんが行って診察してもらおうとした所エラく嫌味な感じで「うわッ」と思ったらしいのですが、院内が何らかの理由で立入禁止になっているらしく、写真も撮れないと言われ申し訳無さそうな顔をしているそこの看護師さんから「駅にもっと近いFクリニックというところがあります」と親切に教えていただいたとのこと。w

という訳でそこに行ったら対比としてエンハンスされた効果でしょうか「物凄く親切」な先生が診察してくださったと言って意気揚々とLINEを送ってきました。取り敢えずコロナも「やっぱり」陰性で、呼吸音も綺麗なのだけれど恐らくは咳喘息のようなものの可能性が高いですという事で幾つかの有名処方を貰って帰ってきていました。

今日2つの呼吸器内科をまわった嫁さんですが、先生の世代の差や大学の差などもあったのでしょうが、前者は名古屋の唯一の国立の卒業、もう一つは長久手にある私立大学。開業してしまった後は医者は客商売。偉そうにしていては今の時代お客さんは集まらないと思うんんですけど…。余計なお世話ですね。開業されている先生が飯を食べられればそれで十分なんでしょうけど、今どきSNSで変なことを呟かれてしまったら?と考えると恐ろしい時代になったものです。

まあ、開業なんて一生しようと思わない私のような人間が何をか言わんやですが。w


2022年9月4日日曜日

アスペルガーの人達

ガチガチのアスペルガー症候群(アスペ)の医者が最近入職して参りました。

今まで何人か見たことはあるんですが、私の近傍に新たにやって参りました。本人もそれなりの自覚があるようなのですが、今までアスペの職員は何人か容易に見つけ出しましたが、本格的なのは院内で数人。独特の反応と思考様式を見せてくれます。(脳のMRI検査と機能のチェックをするある大学の共同研究が院内でありました。)

彼らは基本的に人と話すのが大変苦手なようで、ナース・ステーション、医局、事務職のエリア等で彼らの会話や思考様式と馴染めない、理解できない人達との間で何時も大きな「摩擦」を引き起こしているようですが、私自身はもう関わらないように物理的に距離を置くようにしています。

事務系等では上手に電話の取り次ぎができない、患者と無用のトラブルを起こす等の事態を起こしているのですが、それがナースとなると更に悲惨で、看護師長等はアスペの彼女がその日に日勤で入る日などは一日中そのナースのフォローで疲れた顔をしていますし、時には本当にブチ切れる寸前まで行っているようです。まあ、笑い事ではなくて他の看護師も気の短い人や率直に物事を言う人は彼女にいろいろと苦言を呈しているようなのですが、彼女は「注意されたという事自体」は気に病んでも、残念ながら「注意された内容」には全く気が回りません。ですから改善は殆どないのです。

殆ど違う言語を話していると言うくらいに思っておいたほうが良くて、実際には赤いスイッチを押したつもりで、赤い光が返ってくると思っていても、あちらから返ってくる信号は黄緑だったり青だったり。w

という訳で私は関わりを最低限にして私自身のストレスを最小化するようにしています。ただ、ナース同士やその日にその看護師さんが受け持つことになった患者さんは大変です。彼女が病室を去った後にいろいろな不満、苦情がナースステーションに上がってきたり、患者さんの家族と彼女が揉めに揉めて何だか訳の解らない問題がどデカくなったあとで、彼女から「何とかしてもらえませんか…」等という謎依頼が師長やリーダーに上がってきたりしてヘトヘトになっているようです。

さて、これが医師バージョンになると患者からも直接間接に「あの先生嫌だ」とか「気持ち悪い」等という強い拒否のリクエスト?が入ってきたり、患者の家族に病状を上手く伝えられなかったり大変です。これらに増して何よりも大変なのは看護師と上手くコミュニケーションが取れないために本当にここには書けないほどのいろいろな問題が起きることです。

また、一般的にこれらのアスペの人達は医療業務に最も必要な要件であるマルチプル・タスクが最も苦手なので、医療の現場で働くことが本当は合っていないと私は感じるのですが、周りがどう感じているかは別として彼ら自身は折角ここまで来たからと言う感じで必死で齧りついているのが何とも哀れです。

恐らく周りの人達のストレスも大変なものだとは思うのですが、彼ら自身は周りの受けているストレスを一体どういう風に解釈しているんでしょうね?

進路の設計は人生の一大事。周りも苦しみ己も苦しむ職業選択は一生の大過です。彼らには彼らにあった仕事はある筈なのですが、少なくとも医療現場じゃないなと強く思うこの頃でした。


2022年9月3日土曜日

長女のアメリカ帰国準備

昨日長崎から帰ってきたばかりですが、長女は明後日にはもう東京からフィラデルフィアに戻ってNYへ出張です。

一日だけ東京で散策する時間をとっていたようですが、何にしろ本来は数日余計にあったはずの日程が義父の容態急変で9日分短くなっていますから、色々な予定をすべてキャンセルしています。しかし、今回は偶々でしたがそれで良かったと思います。本当に何かが呼び寄せて長女を長崎に向かわせたのでしょう。

名古屋に着いてからの長女は長崎から持ってきた大量のネガ・フィルムの大急ぎでのデジタル化に一所懸命で、数時間はフィルムを変え写真を変え最後には仕事を終わらせました。あまりにも大量の写真の読み込みで疲れたのでしょうか、脇に敷いていた布団の上であっという間に寝入ってしまいました。

寝入る前には何度も何度も荷物の中身のチェックをして荷物を持ちながらパッケージの重さを確認していました。最終的にスーツケース1つとバックパックを一つ、手荷物を一つ。これで明日は問題ないというところで上に書いたように寝たのでした。

今回の長女の訪日で良く判ったことは長女が私といろいろな意味で「そっくり」という事でしょうか。もともと顔の形などは似ていましたが、思考様式や意見等まで遠くに離れていてもそっくりとだと「私のいないところで」長女自身も嫁さんもそう話していたようです。

良い事なのか悪い事なのか…。あまり考えないようにしたいと思います。w

明日からは長女と再びのしばしのお別れです。


2022年9月2日金曜日

お祖父ちゃんにさようならを

耳鼻科のドクターと我々家族三人の間での病状説明会が持たれました。

話の詳細が理解できるということで、義母に請われて否応もなく出席。私の長女と義母も同席しての説明会となりました。話は淡々と現在の病状説明と今後の予想や治療方針、施設移送の可能性などのこともありましたが、保険適応の云々を気にせず最善の内科的治療を継続すること、緩和ケアは麻酔科のドクターと連携して積極的に行うこと、リハビリも継続。最後の瞬間はDNARということで心臓マッサージや気管挿管などは行わないということなども再確認しました。

若い先生ですが、大変真摯に対応してくださっておりその治療内容や義父への対応などに関して一切の不満はありません。素晴らしい対応をしていただいている義父はある意味幸せだと思います。

特に私が来た次の日から始まったモルヒネによる注射治療では精神的にも安定し始めた上に苦痛の軽減が顕著で、バイタルも大変安定的な状況で取り敢えずは何事も良い方向に動いています。

長女(私の嫁さん)による顔や手の清拭、次女による口腔内のスポンジでのクリンナップ、私自身の手で義父の爪を切るなど、それぞれが得意なことをしていきました。気持ちよくなったのかその後に義父はスヤスヤと寝入ってしまいました。
我々は最後まで、今日名古屋に帰るということをなかなか切り出せずにいたのですが、意を決して「XXX(長女)はアメリカに帰る準備をするために名古屋へ戻ります。僕も名古屋で仕事をしなければならないので戻りますね。」と、詳細は曖昧なまま事実を告げて病室を出ようとしたのですが、長女は見えないところでポロポロと涙を流してなかなか離れられませんでした。長男にも「おじいちゃんにさようならを言いなさい」と促して何事かよく理解できていない長男にも「バイバイ」と言わせました。

義父は目をパッチリと開けて(うんうん)と言う感じで頷いてくれました。

恐らく今日が生きている義父と会うことになるであろう最後の日になるかと思うとなかなか部屋を出られませんでしたが、最後は意を決して部屋を去り、ナース・ステーションに会釈をして病棟を出ました。
病院を去るときに自分の学んだ母校の病院をもう一度振り返りましたが、生きている義父には恐らくもう再びは会えないと思いながらの辞去でした。

ガソリンを満タンにしたレンタカーを大村で返し、ANAに乗って名古屋に戻ってきたのですが、機長の説明によるとあちらこちらに接近する台風の影響によるものと思われる入道雲が発生しているため、大阪上空を直に飛ぶ許可を得たため早く到着いたしましたとの機内アナウンスがありました。確かにほぼ一時間のフライトで、予定よりも10分ほど早い感じ。実際に大阪の上空を飛びながら綺麗な都市の灯を見たときには、神戸、ミナミ、そして和歌山の黒い山々等が見えていたので何時もとコースが違うなとは思っていたのですがそういう事だったのですね。

久しぶりに家に帰り着いたときにはやはり心が落ち着きました。既に長崎は我々にとって客として行く街になったのだと強く感じた久しぶりの帰郷でした。嫁さんも同意見でした。


2022年9月1日木曜日

実家の大掃除と終活

嫁さんの実家に帰ってきては大掃除をしています。

男手が足りないこともあり、大量の廃品をドサドサと捨てることが数年に一度の行事になっていますが、大きな荷物を運ぶのにはやはり年老いた義母では危ないですし、僅かな思い入れがあるといろいろなものが捨てられなくなってくるのは世の常。

という訳で、今回は使われなくなった布団や古い本等を棚等と一緒にどっちゃり捨てることにしました。お義母さんと嫁さんに横に居てもらってこれはどうするあれはどうするということに許可をもらって進めなければならないものや私達夫婦がアメリカから移動する以前に暫く住んでいた頃の名残りの品々も含めて大掃除。

最終的にはネットで探した廃品回収の業者さんに軽トラで来て頂いて、荷物満載状態のゴミを1.5万円で引き取ってもらいました。以前は赤帽の軽トラで「超」満載状態でガチガチの二杯分になるような大量の荷物も運び出しています。

私達自身もそうですが、歳をとってくると「こんなもん持ってても仕方ない」というような判断が少しずつではありますが入ってきます。更には「見栄をはってどうする」みたいなものも。嫁さんの実家の両親の持ち物にしても良い方は悪いのですが、これからも誰も使わないそして誰も見ないようなものが次々と積み重なっていましたが、今回のようにお義父さんの調子が悪くなってからまた一段の終活に向けての動きが入ることになりました。

しかし、こんな風に両親の終活を手伝っている自分たちもやがては己の番です。我々がいなくなったあとに残るものは恐らくデジタルの写真データと遺伝の結果として残された子供達三人、そして彼らの中に残る我々のライブの声や姿なのでしょうが、私としてはそれで十分ですね。

我々夫婦の間抜けな失敗談を後年家族や姉妹で思い出して笑ってくれれば何よりです。^^