2014年11月11日火曜日

命の値段

命には値段がついているというのを自覚していない人は多いとおもいます。

というよりも、日本という「特殊な保険制度」で理想の社会主義国家のように国民が手厚く保護されている国では、そういった外の世界の当たり前の現実というのが見えてこないのはむしろ自然かと。しかし実際、日本における困窮者に対する保護の手厚さは病院の中から見てると結構凄いなと正直思いますよ。(アメリカと比べてという単純な話ですが・・・。)

日本において生活保護を申請し、認可された人とされていない人の間の「格差」というのは歴然としています。無論、治療においては我々医師の側は「出来る範囲で」ベストを尽くすことを目指しますし、経済的なバックグラウンドがどうであろうと、その患者さんにあったベストのオプションというのを常に考え続けてそれを患者さんにオファーするわけですが。

しかし、ここに問題が。実に「アメリカとソックリ」な問題なのですが、生保でない方、また無年金者である方で家族がまだまだ経済的にその患者さんを支えている場合、家族の方御自身の口から「この治療にはいくら掛かるのか」という真剣な質問が出てくるのです。
寝たきりの方を治療していくと、例えば家族の方は「お爺ちゃんは大好きだし長生きして欲しいけど、、、」と言いつつもそれが二ヶ月、三ヶ月と続き、昔は明るく話してくれていたお爺ちゃんがいくら待っても笑顔を返してくれないし話もしてくれない、、、となると、家族の方も精神的に疲れてくるのが傍から見ていてもハッキリ判ることが多くなってくるのです。

無論例外は幾らもあって、こちらが頭がさがるほど献身的に病院に通ってこられて面倒を見ておられる方も居られます。しかも年単位で、、、。この様な例も確かに少数ではありますが、存在します、しかし、上に書いたような方で実際に医療費を払っておられる方が一ヶ月、二ヶ月と時間が経過していく中で「この治療にいくら掛かるのか」というような本当は本人も言いたくはないであろう質問が来院される方の口から一部出てくることもあるのです。

何と言ってもその「治療費の一部もしくは全部」を負担をされている方々御自身にも、生きていかなければならない「日常の生活」というものが日々待っているわけで、その経済的負担・不安の大変さを考えると、そういった発言を安易に治療者側が責めるというようなことは到底出来ません。

これから確実に増やされていく自己負担割合のことを考えると、お金と医療と言うのは本当に解決の難しい問題です。

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