昨日今日とネットで坂の上の雲を観ています。
いい時代になったものです。いつでも少し空いた時間に何かをしながらモニターの横で次々に一話、二話と観ています。
しかし、それにしてもこの前後の時代の日本の激動の振幅のデカさといたら空前絶後と言う言葉でしか表せないほどのものですね。司馬史観に基づく小説とはなっていますが、その記述はその中において概ね真実。
「国家の存亡」を賭けて戦うということはこういう事なのかと、胸が熱くなります。
負けたら占領され、やっと芽吹いてきた近代国家の萌芽が全て摘み取られるという真の恐怖に追い立てられての必死さが全編から震えるように伝わってきます。「自分の愛す美しい国」が無くなるという事がどういう意味を持つのか本当に皮膚感覚で理解していたのはこの時代の人達だったのではないでしょうか。
この時代に多くの事が日本人の手によって奇跡のように成し遂げられたかの様な事を言われますが、実際はそれを成し遂げることが可能となるだけの「人的資源」が十二分に揃っていたということがその成功の第一要因であったことは誰も否定出来ないでしょう。
今も昔も、この日本は人的資源こそが第一等の宝。資源が無くとも、人と教育とが正しく存在する限りこの国は前に進み続けることと思います。「正しくある限り」ですが、、、。
先日も書いたような、Oさんの様な人間がシステムの上の方で跋扈するようになってきたらその輝きにも陰りが出ようというもの。厳しく排除していくしかないでしょう。
それにしてもポーツマス条約の真実を当時の民衆が理解するのはほぼ不可能だっただろうな、、、。
本当の軍人は戦いの本当の悲惨さを最もよく知っている人達。その一発が何をもたらすかを知り戦火の火蓋さえギリギリまで切らないものです。戦争を知らないどこかの国の指導者が不正から国民の目を逸らすために仮想敵を作ってそのベクトルを曲げようとする愚かさを悔いる時が来ないことを切に祈るのでした。
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