お金を使って幸せになるというと何かを買うの?とか、その買うものに関して何かのコツやお勧めでもあるのかな?という事を聞いているのかと思うことでしょう。
少なくとも私の場合はそうでしたが、ネットを巡る中で私が目にしたのはバフェットの宣誓。
彼はメリンダ&ゲイツ財団に彼の財産の99%を寄付することことに関して「時の人」として数年前に有名になりましたが、彼の説くところの最も深くかつ簡単に「己」が幸せを得る方法は「他人」を幸せにすることである、というものです。しかも彼の場合は御存知フィランソロピストとして。
通常、こういった世界でも指折りの金持ちが金に関して言うことを読んでもオイオイと言う一言で済むのかもしれませんが、よくよく日常の出来事を思い返してみても、己への行為の場合にかぎらず人というのは人に対して何かをしてあげる、しかも見返りを求めずに利他を施すという行為に何らかの大きな喜びを感じているのではないかと思うことが多いのではないかなと考えます。
災害の度に立ち上がる善意の人々のボランティアと寄付。皆それぞれに忙しいし、お金も余計にあるわけでも無い人々でも「ここぞ」という時には自らの時間や金銭を損得感情から切り離して行動するという事実。これを、義とか惻隠の情という言葉でまとめることも出来るのでしょうが、形や言葉や背景となる思想は異なっても人が何か誰か他の人のために役に立ちたいという気持ちに偽りはないと思うのです。
実際、日常では御飯をおごる、お小遣いをあげる、誕生祝いのケーキを買う、誰かのために料理を作ってあげるといった日常的かつ小さなものから、どでかく寄付をする、人生の中の一年から数年を教育や開発援助のために捧げるちったものまで実に様々な利他の形式がありますが、それは何れも最終的には自分が「深い」満足を得るための最も確かな自分への贈り物になっているのではないかなと私は考えるのです。
それがお金であってはいけないなどというのはお金の力と使い方を知らない人間の世迷い言で、それが正しくかつ組織的に有効に使われた時の波及効果のデカさは個人の小さな動き云々ではとてもとても比較にならないような力を持つと思います。バフェットに至ってはこれが個人で6000億円!ゲイツ財団に至っては数兆円!ともいわれていますから、そのパワーたるや凄まじいの一言です。間違いなく国家レベルの予算で継続的に取り組むのですから効かないはずがありません。
この場合のポイントは用途が賢人たちによって限定的に目的を持って使われるということ。
誰が何に使うかもわからない某アグネス何とかが宣伝しているという如何わしい組織などではありませんから。w
日本でも寄付に対する税制を変えればこういったドデカイ寄付をし、かつそれに目的・ターゲットという紐をつけた寄付をする人が下は百円千円のレベルから億のレベルまでワンサカと出てくると考えているんですけどね。
戦時体制のままの日本式納税制度。もういい加減に止めてしまえと真剣に思うのです。
フィランソロフィーに関心のある方はここなども読まれると良いかと思います。
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