2013年4月15日月曜日

学校では習わないこと

生きていく上で実際に発生する「解決に窮するイベント」なんて言うのは、実際には小中高そして大学を通じても授業などでは解決法等ヒントさえも見たこともないようなことばかり。
そんなアタリマエの事を再確認させられるような出来事が自分の周りでも最近いろいろと起きています。まあ、ある人にとってはそれが仕事のことであったり、ある人にとっては勉強のことだったり、また他の人にとっては家庭の事だったり、人間関係、お金等、事例を挙げだしたらそれこそ生きている人の数だけでは到底足りない程の数にすぐなってしまいますが。(うちの嫁さんも昔は俺から「悩みのないのが悩みだな」等という冗談を言われていましたが、子供の成長、家庭の変化によっていろいろと物事を考える人になりました。w)
そして、その悩みの解決方法というのはどれも一筋縄ではいかないことばかりである事がほとんどです。結局、回答は自分であれこれ深く考えて自分なりの回答を見つけたり、似たような経験を持つ人に正直に話して相談に乗ってもらったりという結構手間暇のかかる行為を経て、ベストとは言わずとも「その条件内で、自分なりに」納得行くレベルの回答を応用していくことの繰り返し。
全てが終わってみたあとでは、「なるほど、こういう手も打つことは出来たかも」「ああ、やっぱりこっちの方が効果的だったかな」等と学ぶこともあります。しかし、それは後出しジャンケンでグーが良かった、いやチョキを出すべきだったと言うのと同じ事であって、詮無きこと。
大事なのは「自分なりに納得して手を打った」という事実だと思います。そうであれば、上手く行かなくても「人事は尽くした」と言うことですから、結果も納得して受け入れ、次に似たようなことがあった時にそれを自分なりに既習事項としてヒネリを加えて次回の応用に回すか、その経験をしたことのない若い世代に、自分の成功なり失敗談として対応策の一助として助言に回せばいいと思います。(無論、問われればですが、、、。)
結局、学校でも教わらない、グーグルにも答えが載っていないことが現実の世界の細かい日常を規定しているわけで、その現実世界を上手く回していくのは弛む事無き継続的思考と他の人の意見や経験を自分の頭で判断しながら受け入れ続ける学習行為、そして最後には相手に対する誠意だと最近つくづく思います。仲間は自分から利用すること無く、相談されれば仲間に積極的に利用されるような「立場と、知恵と、経験」を持っていたいものだなと強く思う最近のオジサン&父親なのでした。
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