2013年4月22日月曜日

Made in Occupied Japan

今日は嫁さんが近所にアンティークを買いに行くのに付き合わされました。
今回は前から気になっていた「住所は近所なんだけど、どこに有るか確かめたことが無い」という所を集中的にアタック。こんな所にそんな店あったっけ?というような感じでしたが、骨董品商組合の案内パンフレットに従って行くと有りました有りました。
アメリカ特有のウナギの寝床式の巨大骨董品店が、、、。入り口は本当に日本のコンビニくらいの感じなのに一旦店に入ったらそれはそれはどっかの高校の体育館もびっくりというような感じのどーーーーーんという感じの店でした。ま、いつもの事なんですけどね。w
そこで今回はいつもの様に嫁さんの趣味であるfireking関係の食器などから見てみたわけなんですが、、、残念ながら大きな店のサイズの割りにはどっちかというとconsignment shop(委託販売店)的な品揃えで、ちょっとショボかったですね。それでもそれなりのものは見つけまして、キャンドルウィックの小皿を見つけて嫁さん喜んでました。不思議な生き物です。
私は、そんな嫁さんを横目に店の中をウロウロしてみてあるものに目が止まりました。その対象物は結構アメリカの骨董品店にはよくあるもので、日本製の小型陶器人形なんです。しかも、その多くは愛知・知多やその周辺から戦前戦後に集中的に輸出されたものらしくて、ただJAPANと書かれているものも多数あるのですが、占領下における輸出においてはMADE IN OCCUPIED JAPANというロゴを入れることが義務付けられていたようです。という訳で、その手の人形を三ドルで一個買いました。足の裏にスタンプされているMADE IN OCCUPIED JAPANを御覧ください。
これはチロル風?の少年ですかね
何というか、、、御覧になって判ると思いますが、実に素朴で原始的な製品なんですよね。ここら辺りでこの手のものは結構沢山売られていて、売る人によって値付けは様々なんですけど、一様に不思議なのは動物シリーズ以外で作られている造形というのは本当に驚くぐらいフランス人形をモチーフにしたようなよくわからん外人の男女なんですね。女性はドレス着てて、男性は何かサリエリが着てたような服といってもらえば解る方には解るのでしょうが、当時の日本人にとって海外に輸出してその海外の家々で飾りにしてもらえるモチーフと言ったらその様な「ガイジン」として真っ先にイメージされるのはそんな造形だったのでしょうか。
こんなものを作っていた頃に定着していた安かろう悪かろうの製品群を作る日本から飛び出していったソニーやトヨタ。それは当然、製品の品質や性能を最初は信じてもらえないに決まってます。私でも無理。(笑)しかし、今の中国製品を笑っている日本人が60年前のアメリカ人と同じで無いと、誰が言えるでしょうか。もともとは景徳鎮や精巧な装飾品を作ることも出来たモノづくりの先輩国たる中国。共産主義体制で一度は無残にぶち壊されたとはいえ、その秘めたポテンシャルを絶対に侮るべきではないと思います。
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