2025年7月31日木曜日

伊東市の鉄面皮おばさん!頑張れw

突然ネットで伊東市長・田久保真紀ちゃんの会見がLIVE放映されるというので視てみたら、そんじょそこらのエンタメでは全く勝てない程の素敵なLIVE放送が待っていました。^^

いや、もう鉄面皮というか顔の皮膚の厚さが1メートルはあるな~という感想。ここまでしっかり悪役が板につくと逆に痛快で、私は完全に外野で映画を観る感じの観客。この犯罪者を市長に選んだ可哀想な伊東市の市井の皆さんにお気の毒という言葉しか頭に浮かびません。

私の心の弱さが招いたことで、ひとえに私の不徳の致すところ」と話しつつ、「『頑張ってほしい』『負けないでほしい』『やり遂げろ』という声もたくさんあった」そういう声が沢山聞こえた!とこのおばちゃんの脳内では処理されているようですが、それって「1,2,沢山
くらいの数え方なんでしょうかね?

普通は多い方の声を「沢山」と数えるんじゃないかと小学生のころ以来習ってきたもんですが、この髪が紫のおばちゃん的には聞きたい方の声が聞こえればそれで終わりみたいだったようで、数々の約束を詭弁を弄して反故にしてきたこのオバちゃんの行く末が気になります。

市役所の秘書課の皆さんも苦情の処理できっと仕事にならん事でしょう。orz

ところで、裏の方でいろいろと入れ知恵している目付きがそっくりの弁護士さんがいましたので調べてみたところ「ナルホド!」と納得した事実が判りました。それはこの方は疑惑の中心となっているアノ東洋大学の法科大学院を出た人という事。今この法科大学院は?と思ってみてみると「2004(平成16)年4月の開学以来,東洋大学法科大学院は,286名の修了生及び65名の司法試験合格者を輩出してまいりました」と書いてあるんですが、余りに実績が残せない事から2018年には暖簾を降ろしてしまいました。ですから。この人はこの65人の中のおひとりなんでしょうね。

もう一つ気になるのはあのサイコ斎藤の時と同じで、この人の家族どうなっとんじゃ?という事。まあ、老婆心ながら~の世界ですけども、御主人とか子供さんが居ったら大変だなって思います。少なくとも当選した時には画像として残されているでしょうし、周囲の人々も当選後は市長の家族と認識されていたでしょうから…。何か言われそう。

小池も、石破も、斎藤も、田久保も…居直りこそが最強だという事を証明する素晴らしい時代になりました。そろそろ、少なくとも経歴詐称等の事実の歪曲によるに関しては厳正な法改正が必要でしょうね。

そのうち市長からは除籍されるでしょうけどね。w

2025年7月30日水曜日

意識改革はなかなか勇気が要るw

今日はちょっとした人生の「小」冒険を致しました。それは、ファッション。

娘と嫁さんから還暦祝いに送られたチャイハネのサルエル・パンツというものを実際に外に出て穿いてみる事にしました。

今までこんなシェイプの服を着た事は無かったのですが、それを穿いていざ外に出るという段になると結構意識してしまうものです。今回は思いっきりソレを人前に晒して勇気を出すためにわざと人の多いイオン・モールに出向く事としました。

家を出て駐車場で車に乗って~というところまでは一人にしか知り合いとすれ違いませんでしたが、モールに入ればそこは多くの知らない人々の無数の視線が漂っている訳で、そこに自分が変わった新しい服を着て登場する訳ですからまあ、小さな挑戦なんですけどね。

と思いましたが、自分の中にある「ある言葉」を思い出しました。それは己が思って居るほど他人はお前の事など見ていないと云う鉄板の言葉。では実際どうだったか?と云うと私が上に赤字で書いた通りでした。w

という訳で、今回の挑戦は肩の力を抜いて歩いて結局は正解でした。還暦のオッサンが何を着ていこうと結局は私がどう着こなしを愉しむかが全て!であれば、なるべくスマートに着こなしたいものです。

後で家に帰って聞いたところ、次女は母親に「お父さんならどんな服でも着て外に出ていくと思っていた」との事で、さすがに還暦に貰ったちゃんちゃんこTシャツは着ていきませんでしたが、この服は新しく着て行って自分なりに新たな扉を開いたと思いました。^^

今度はもう少し別のコンビネーションで、コレに合う数種類のユッタリ系のアジアン・テイストの腹を着て宮崎の田舎に帰省しようと思いました。


2025年7月29日火曜日

眠りは大事

入院中の患者さんの眠りの問題のコントロールは医師にとって重要な問題の一つなんですが、翻ってお前はどうよ?という話になると「極めて健康的な状況」からはちょっと遠いかもしれません。

基本的に私自身の寝つきは何の問題も無くて、床に就いたら何時であろうと普通は知らない間にスッと寝るというのが普通の夜。ところが私自身はこのブログを書いたり、本を読んだり、勉強したり、ちょこっと酒を飲んだりという感じで直ぐに12時を回ってしまいます。朝起きるまでの時間が7時間を切る事がしばしばあるというのは私にとってはあまり良くない事でして、少しだけ眠気が残ってしまいます。

これが数日続くと、50前の頃と違って「疲れ」が蓄積し始めます。週末の寝貯めでそれが取れるかと云うとそうはいかないのが普通です。疲れは取れたような気がしても、頭の中の疲れが取れないというのは良くない。昔から宵っ張りの私ですが、1時過ぎに寝るのが続くのは避けたい所です。

周りの80歳前後の(入院していない)年寄りの人々の話を聞いていると、眠れない人は徹底的に眠れないようで、8時頃には床に就いても結局薬を服まなければ3時間ほど布団の上で悶々としているなんて言う話を聞きます。例え眠剤を使用しても7時に寝てその日の内に目が覚めてしまうなんて言う笑えないパターンの人も。その分眠剤をちゃんと処方してその睡眠時間が少し伸びるようにしようとしても今度は翌日に二日酔いの如く残る眠気に悩まされるという人も。

前回の名古屋訪問中の私の親父の眠りを見ていたところ、鼾が酷く睡眠時無呼吸も確実に存在する状況。ただし、本人は睡眠に関しては全く問題ないとの事で、横になったら直ぐ寝てしまうのでした。実際に横で見ていても座ればアッという間に寝る感じで親父の云う事は嘘じゃ無いなと思いました。

先回りしていろいろと済ませて早く寝ようと思うんですが、夜の12時前後っていうのは私にとって一番頭が回っていると感じられる時間でして、その時間になるといろいろしたくなっちゃうんですよね…。結局その時間に起きている事で何かを口にしてしまい…。w

もう少しだけ早く寝ます!

2025年7月28日月曜日

昭和100年

良く考えると自分が還暦になった年が昭和100年なんだと思うとなんか良いな~って思います。

何と言っても区切りが良い!いろいろな時間の計算をするのに自分の誕生念を中心にするん尾が非常に容易です。こういう仕事をしていると、他人の生年月日を見て直ちにその人の年齢が言えるというのは結構便利です。

本当は全部が西暦であればいろいろな書類の整理が非常に簡単なんですが、実際のところ日本では和暦と洋暦が混然一体となっていて書類整理の時に「勘弁してくれ」というような事が本当に沢山ありますよね。

天皇の一代と元号一つの区切りが長いのは明治以降の事であって、それまでは何か凶事が重なったりすると直ぐに元号を変えていたりしたことからコマ切れの和暦が重なっていて、それが洋歴では何年であったのかという事を容易に頭の中から自信をもって引き出せるなんて言う事はとても私のようなボンクラ人間には出来ません。^^

今のところ、昭和13年生まれの両親が共に生きておりますし、その年齢前後の患者さんが多い事から本当に計算は素早く出来て有難いです。死亡診断書や診療情報提供書を作成する時にもS13生まれの親が今誕生日を迎えて87だからこの人は幾つ!という具合でしょうか。

それにしても最近書く死亡診断書は親父より若い人達も増え始めましたね。私が研修医だった頃はまだまだ普通に明治生まれの患者さんの名前を書く事があったのですが、アメリカから帰って来てみると大正生まれの方の診断書を書く事自体が本当に稀であって、明治に至っては絶無という状況になってしまいました。

私が小学生の頃は明治生まれの爺さんが周りには普通にゾロゾロ居りましたので、今の子供達にとっては昭和40年生まれなんていうのは私が小学生の頃に草田男の「明治は遠くになりにけり」的な感覚で爺さん達を見ていたのが今度は見られる側になってきたという事なんでしょうね。

みゆきさんじゃないけど「時代はまわる」というのは本当ですね。何時までも今までの様に無鉄砲な人生を送れたらいいなと改めて思ったここ数日でした。

2025年7月27日日曜日

なんと!還暦を迎えることが出来ました^^

遂に還暦迎えました。昭和100年目です!

60年一回りという感じで人生を取り敢えず一周したことになります。一周というのは十干十二支で、10と12の最小公倍数が60。この60歳から種々のタイプの長寿のお祝い開始となるのだそうですが、次は66歳の緑寿というのになるんだそうです。まあ、親父が近づいている米寿や卆寿等には到底及びもしませんが。

さて、今日は嫁さん達と近所の藤が丘にある彼女の選んだ「やまとなでしこ」というお店で夕食会となりました。結論から言うと「味は、まあその~」という感じのお店。銀婚のお祝いで以前食べたガード下にあったおしゃれなお店PANCOYAの串料理には到底及ばない感じ。残念ながらパンチに欠けるどれもそれなりの料理でした。

とは言え腹は既にそれなりに満ちておりましたので、後はおまけとして息子と嫁さんと次女と一緒に先ずは駅の方に戻ってマックで息子の為にフレンチ・フライを一つ、そしてすぐそばにあるドトールでヨーグルト・シェイクを注文して近くのベンチで一休み。

家に帰ると今度は腹一杯の状態で手作りのチョコロールケーキが待っていました。これはアメリカにいた頃からの我が家の伝統でして、なんか大きめのお祝いがあると全部これ。判り易くていいもんです。w

ケーキにはきちんとチョコの銘板が添えられ60の文字のローソクと共に何故か8本のローソクが周りに立っていました。俺の80歳の誕生ケーキか?orz

まあ、そんな細かい事は抜きにして横では次女と嫁さんがバースデーソングを歌ってくれまして、私が火を吹き消した後でプレゼントが二つ出て参りました。一つは最近私が凝っているチャイハネのメンズ・パンツ、そして赤いちゃんちゃんこの代わりとなるめっちゃ可愛い名前入りの赤いグリコ風のTシャツでした。
思わず笑ってしまいましたが、二つとも上下直ぐに着てみて写真を撮って貰いました。なんともいい感じで、来週に予定している宮﨑に帰郷した時のボトムとして使おうと思いました。

夜は岡本太郎の本を読んでサイド人生における挑戦について思いを馳せる時間を作りいい感じで一日を終えることが出来ました。まさか自分のようないい加減な人間が還暦まで生きるとはな~。いろんな変ったことが起きる時代ですな。