2023年6月30日金曜日

お前は馬鹿か変態か?

ちょっとビックリした事がありました。

近所のイオンモールに行った時の事でした。いつものようにオシッコやウンコを漏らさぬようにと、食事前の作業として息子の手を引いて障害者用のトイレに入ろうとした時でした。嫁さんが「空いてる?」と聞いてきたのでトイレのドアの所についているラチェットに連動した垢と緑の色がどちらなのか調べようと目を凝らしたところ赤かったので「使ってるね」と言った瞬間にドアがバーっと開いて若い男声が走り出してきました。

恐らくは高校生くらいの年齢でしょうか、どこからどう見てもいわゆる「元気なあんちゃん」でした。少しだけニヤッと笑って多目的トイレから出てきました。その周りに居たみんなが呆然としてその男が走り去っていくのを見ていたと思います。

横に居た嫁さんに「おい、アレ何なん?」と聞いたところ「ウンコとかしてたんじゃ無いのかな。知らんかもしれんけど、結構居るんよ。前もこんな感じで出てきた若くて元気な成人男子が居た。」というのです。

男子便所でクソするのが嫌でこっち使う?と思って、もしかしたら男子トイレの大便器が全部埋まってる?と思ってササッと男子便所の方に入って行ってチェックしてみたところ、3角の便器が3つとも空いていました。恐らくoccupyされていたから使えなかったという事じゃ無さそうでした。

障害者やオムツ替える為の大事な場所を何故お前が?と思ったのですが、こういうのは育ちの問題。馬鹿に何を言っても理解できないし、理解していてもそういう了解を平気で破るやつは破ります。そしてそういう輩はそういう倫理観を持った子を産み育てますので、輪廻というやつです。

ちょっと前にどこかのバカ芸能人がここで5分間で幾らの性交をしていたということでボッコボコに叩かれていましたが、まあ宜(むべ)なるかなと言うやつです。

ハンディキャッパーの駐車場に堂々と駐めるバカ、多目的トイレでセックスするバカや使用する馬鹿な兄ちゃん。この手の連中には「恥」という概念がありませんので、社会のシステムの中では最も無敵の人々です。いわゆる法的な罰則がないとそれを守らない人々の為になくても良い細々とした細則を定めた法律が次々と出来ていくわけなんですが…。

まあ、なんとかに付ける薬は今も昔もございません。


2023年6月29日木曜日

患者さんの好みの時間潰し

病院によっては病棟に本や雑誌、新聞や漫画などが置いてあります。

最近はスマホの普及も高齢者のレベルにまで普通になってきていて、お金のあるなしに関わらずスマホを持っている人は相当数おります。もちろん未だにガラケーの人もいれば、既に契約は切れていて機能は使えないけど、ワンセグの受像機として使ってるような人も極少数ですが、周期的に出現してきます。

90前後の人はさすがに持っていない人が多いのですが、80代前半では持っているのがごく普通。今の時代、形態は遂に持っていないのは乳幼児から小学低学年位までで、意識的に持たせない賢い家庭を除けば、あとは余命幾ばくもないような高齢者くらいになってしまいました。

しかし、実際には持っていても全く使わずに病棟で別の生き方をしている人が沢山居ます。リハビリに命懸けという病棟の患者さん本来の最も望ましいことに時間を使う人達や「全く何もしないでただ寝ている人」も当然のように居ます。女性同士でお喋りにネックうしている人達も沢山いるのですが、なぜか男性陣はテレビを視てボーっとしている人が多いのです。やっぱり昭和の男は一部、時間の使い方が下手な人が多いんですかね。

さて残りは読書派。小説、雑誌、新聞、そして多いのが漫画ですね。もともと本を読むのが好きなんだけど、年を取って目が悪くなってからは読むと疲れてしまうと訴える人が多くて、その原因が視力調整の追いついていない眼鏡をかけていたり、白内障だったりする事も本当に多いのですが、疲れて読めなければ仕方ありません。

それで、気軽に読める漫画や間違い探しなどにハマる人が自然と多くなります。男性に人気なのは私が時たま補充を繰り返すなどして持ってきているゴルゴ13です。鬼平犯科帳や梅安なども人気ですね。では女性はというと…何というか、高齢者の女性は未だ漫画・コミック文化にはあんまり馴染んでいないようなんです。性差がもたらすコミック文化への距離感の差という奴なんでしょうか?

しかし、これからは恐らく時間潰しはスマホ・ゲームに次第にシフトしていくものと睨んでいます。今50代前後でスマホゲームもカジュアル派からどっぷり派まで様々いると思うんですが、ゲームと本で時間を潰す患者さんがこれから10年でグイグイ増えると思うのです。

対戦型ゲームで病棟内で口論や殴り合いをするをする爺さん婆さんが増えなければ良のですが…。


2023年6月28日水曜日

家庭内介護の限界

家で障がいの発生した家族を介護するのは本当に大変です。

世の中には本当にいろいろな病があり、それに応じて介護の手間暇も段階も当に各人各様、千差万別と言える違いがありますが、家庭に家族の患者さんを置かれて介護されている方々は、ケアマネを中心として種々セットアップされる訪問看護、訪問診療、訪問リハビリ、ショートステイ、訪問歯科等を始めとして国や自治体が提供する様々なサービスを組み合わせながら患者さんをケアしていくことになります。

私自身だって何時そのようなケアを受けるような事態になるのか?というような事はどんな場合でも有り得るわけで、今日は元気な二十歳の青年が明日は事故で介護システムの中心でお世話になる可能性なんていくらでもあるわけです。

そのようなシステムが本当に良く充実している日本は素晴らしい福祉国家だと私は思うのですが、そのシステムを上手く使うだけの手間ひまを掛けないが為にしなくて良い苦労を自分から背負い込んでいる方々が一定数いるのも外の病院で訪問診療を行っていく過程で何度も目撃することになりました。

家族を愛する気持ちは非常に尊く大切ですが、それに掛かりっきりになって介護している側の人の人生を自ら擦り潰してしまう人になっては介護される側の人々も幸せな筈がありません。

先日もある御家庭で本当に小さな体躯の70代のお母さんが、体の動かなくなって認知の進んできたある疾病を持つ御主人を数年にわたって家で看護していたのですが、既に数回の救急車出動要請などを経験しつつも何故かその御主人の意見に流されて家での看護のみを粘っていました。しかし、それも今回我々が訪問した時に数種類の感染容態と脱水による身体状況の極端な悪化を経験して救急搬送されたことで遂に施設入所を決意されました。

お母さんが疲弊していくのを長い間に亘って常に看護師と心配しておりましたので「ようやく受け容れて貰えたか!」というのが我々の正直な気持ちでした。

介護している家族を嫌いにならない為にも、介護している側の御家族さんは是非「積極的に」公的な介護システムを積極的に使い込んで欲しいものだと思うのでした。その為には役所に直ぐに連絡を入れて、ケアマネージャさんを探しましょう。そして万一そのケアマネさんと反りが合わない様であれば他の方を探していただけば良いだけのことなのです。

良いマネージャさんは沢山居られますので、その点を我慢せず積極的に役所に働きかけて行って欲しいと思います。恋人や友人と同じでマッチングというものは誰にでもあるようにケアマネさんも同じです。

一人悩まず、家族内だけで悩まず、自分や他の家族との時間を作ってケアを行いつつも楽しめる時間を是非、いや「必ず」入れてください。ケアを行っている医療者側からのお願いです。ケアは宗教ではありません。自分を犠牲にして自分の時間の全てを介護のために消し去る意味など何処にもないのです。


2023年6月27日火曜日

幽霊かと思った

昨日、ダイニングテーブルでノートブックに向かって作業をしていました。

その時、何だか右側から何だか「気配」がしてきました。左側では嫁さんが何時もの如くウトウトしながらテレビを視ていましたが、その寝息が右の方から反射して聞こえてくるなどということは今まで一度もありませんでした。

最初は気の所為なのかと思って無視していたのですが、何度耳を澄ませても数秒に一回何だかよく判らない音が聞こえてきます。どうにも耳鳴りや気の所為では無さそうで、呼吸系の音。

一瞬、この前あの世へ旅立った我が家の次男のspookyが俺を慕って現れたか?等と考えましたが、それなら先ずは最も親和性の高かった次女のところへ現れる筈だわな~、それにアイツなら先ずは吠えるはずだし、と頭の中で考えているうちにまた音が聞こえてきました。

どう考えてもやっぱりコレは鼾に近い呼吸音だと思われましたが、机の下を覗いてもタンスの上を見ても、カーテンの向こう側にも何の姿もなし。可能性があるとすれば我が家の猫くらいしか有り得ません。それでも、あんな巨体の持ち主の姿でありながら、見渡す限りその可能性のあるところはちょっと無さそうだったのですが…。

「まあ、幽霊なら幽霊でいいや」と思いつつ作業は続行していましたが、やっぱり気にはなります。

10分程度そのままの状況が続きましたが、意を決してもう一度だけ耳を寄せて周りを探索してみると周囲全面を閉じたと思っていた猫のキャリアが脇の一部に小さな開口部を形成しているのを発見!そーっと覗いてみるとそこには我関せず状態の我が家のアメリカン・ショートヘアが液体でしか成し得ないような変な格好でグースカ寝ておりました。w

犬と違って猫は気配を殺す天才。一体何処にいるのか?というような事は日常茶飯事ですが、今回のようにこれだけ探しても音だけして姿は見えずというのは初めてでしたのでちょっと驚かされました。

 「ここには居ないはず」と言う思い込みのもとで探すと言う最も陥りがちなミスをやらかした自分の愚かさと、そんな愚かな飼い主の事など歯牙にもかけていない余裕綽々の猫を見て二度凹んだ私でした。


2023年6月26日月曜日

人は見かけによらない!

今日、ある患者さんがお亡くなりになりました。

御高齢の方で、もう数ヶ月前から病勢が徐々にこの方の命を蝕んでいくのが見えるような状態でした。コロナの一旦の収束後に御家族に病院に来て頂くようになり始めてからというものこのようなエンディングが近い患者さんにきちんと御家族を合わせることが出来るようになって会うことも出来ない碌でもない最後の別れと言うような事は本当に無くなりました。

実はこの患者さんの最後に息子さんがぎりぎり間に合う形で来られたのですが、私が死亡確認をした後に葬儀社のお迎えが来るまでの間、亡くなられたお母さんのお話や御自身の今までの来し方をお話してくださったのですが、今までこの方がどんな方なのかと言うことを社会福祉士等の記録で手短には理解していたのですが、そんな記録を遥かに超えて深くダイナミックな個人史がありました。

亡くなられたお母さんとの若い頃からの関係、そしてお母さん自身の若い頃のお話、更にずっと昔に亡くなられた父君のお話など、次から次へと溢れるように語る内容が出てくるのですが、その内容が「え~!」と声を上げてしまうような事ばかり。

この方自身の今の外見は本当に大人しそうで保守的、どこから見ても紳士然とされている方なのですがその若い頃の暴れぶりと人生の転機の話、そしてお母さんの苦労・苦闘に満ちた若い頃からの闘いの話を聞いて、今までベッド上で「こんにちは!ありがとう!」と大声で応えるばかりだった寝たきりのお婆さんが実はこんな豊かな山あり谷ありの人生を送ってきていたのかと胸が熱くなりました。

頭の中で「人は見かけによらない」と理解は出来ていてもやはり眼の前のその人達がその話の主人公かと思うと信じられない事があります。

人は語らないだけで、普通に見える人達が実はダイナミックな人生を生きているということなど極普通なんだという事を改めて肝に銘じた自分でした。