2026年9月22日火曜日

愛知県の人口減少

感覚的には「まさか」というものでしょうが、人口推移予測では名古屋市でさえ既に人口数は年前の2023年にピークを迎えたといわれています。

2060年には211万人程度との事で、これから数十年はゆっくり減少するという話なんですが、実際のところ転入は超過が続くのだそうですが、死亡による自然減が続くために人口の減少は続くとの事。

しかしまあ、大都市名古屋は未だこの程度で済むんですがヤバいのは周辺エリア。大トヨタがある一大産業都市とは言え、名古屋の周辺エリアは財政も人口も維持するのが困難な限界集落化しつつあるエリアが結構ある事が統計でよくわかります。特に愛知県の中でもショッキングなほど維持が無理なのは愛知の東側の多くの村や町。

設楽、豊根は言うに及ばず南東部のエリアも南部のエリアも財政の自立度は異様に低く、人口の減少速度もほぼロケットで加速をつけたような感じ。その他にもあま市のように財政的にきついのに馬鹿な豪華市庁舎を立てる自治体とか。犬山、蒲郡、津島、愛西、田原、美浜、南知多、東栄などもグリグリにヤバそうです。そしてあの豊橋でさえも減少に加速が付いているというのですから日本全体に勢いが無くなるのも仕方ない訳です。

こうなると地方の財政もボコボコになる訳で、まさかとは思いますけど豊根村とか設楽とかは夕張のようになりませんかね?もう、こんな勢いで人口がシュリンクしてくると己が勝手に住みたいところに「自己責任」で住む!という前提でしか住めなくなるわけで、医療、教育、行政などのサービスは勿論、インフラなども「我々が決めたエリアの外に住んでいるあなた方には残念ながらサービスは届きません」でも税金は市内や村内に住んでいる限り徴収はしますよ~という様になりかねない気がします。もしくはエリア別に異様に水道料金が高くなるとか?

既にいろいろな自治体が無い袖は振れないという眼の前の事実に呻き声をあげる中、どこまでそういう「サービスエリア外」のところにサービスを届ける事を続けられるのか?医療サービスのようにそもそもお金がかかる分野も財務省、厚労省は既に明確に切り捨てを始めていますし、これからはある一定レベルの水準以上のサービスを受けたければもう田舎に住む人達は諦めなさいという残酷な時代のタイマーのカウントダウンが動き始めているのでしょう。

国が老いるというのは世界の多くのエリアで必然としても、いざ眼の前にこうやって現れてくるとやはり厳しいものですね。

2026年9月21日月曜日

雨の中のキャンプ

今回久しぶりのキャンプに出掛けました。

2日前の夜に嫁さんが「お父さん久し振りやし、たまにはキャンプでも行って来たら?」との提案をしてくれたのでお言葉に甘える事にしました。

実際のところ台風25号の影響下にあるここ数日の天気だったのですが、私自身は天気予報の全体像から自分が向かう予定のエリアにはギリギリ雨雲がかかるレベルであることを把握していました。勿論、所詮はスパコンによるシミュレーションなのでしょうが、線状降水帯もしっかり描出するレベルに高まっています。正直信じているという所。

その雨雲の移動を見ていると、私の実験にはまさにもってこいの状況が目的地のキャンプ場に到来することが予測されました。つまり、昼に出発してキャンプ場でお金を払ってテントの設置を始めれば新しく購入したギアをいくつかの点で調べられることになります。

まず初めに新規購入したテント下に敷く防水シート。次に前から買っていたのに全く使っていなかったタープ。そして新しく買ったテント自体の防水能力と遮光性。これらを一気に試す絶好の機会が本日訪れたと考えました。三河高原キャンプ場は雨がガンガン降っても何かが流れてくるようなところではない山の中のフラットな場所です。

後は熊の事なんでしょうけど、そのことはすっかり忘れていたのが正直なところです。orz
初めて張った2ポール・タープなんですが、背の部分が垂れています。
さて、キャンプ場に着いて早速新しいテントをおろして張ってみたのですが、張るための突っ張り棒を差し込む穴がどこにあるのか最初は見つからなくてちょっと手間取りました。しかし、それ以外は極めてスムース。強いて言えば上の写真のようにタープの背が垂れた事が改善点ですが、AIに訊いてみるとこのタイプのタープは先ず縦軸をピンと強く張るのがコツで、対角線のXにあたる部分の張りの強度で強弱をつけると良いと書いてあるのですが、言うは易し。w

まあ、今回はコレで良しとして夕方に息子からコッソリかっぱらってきたどでかいカップ麺に湯を注ぎ食べてテントの中へ。早速読み始めていたこの前手に入れた中古の本をゆっくりとページを捲りながら愉しんでいるとポツポツという音が次第に激しくなりスパコンの予想する雨雲の動き通りに大雨が降ってきてくれました。

タープに大量の雨が当たって凄い音がしましたが、テントの中には一切雨の漏れは無し。勿論と言えば勿論ですけどね。その上で、テントの下に敷いた防水シートはどうだったかというと、これもバッチリ。滅茶苦茶安い品だったのですが、タイベックとは違う意味で良い品でした。タイベックは防水ばっちりですけど、この前のストーブ使用時に私のミスで溶けちゃったんで。w

翌日は7時位に起きてテント内で暫くグダグダした後、撤収開始。テント泊に必要なものもいろいろと削れるようになってきて大分キャンピングに慣れてきたなと自分でも感じるようになってきました。

次は何時、そしてどこに行こうかな。



2026年9月20日日曜日

サツマイモすげ~!

昨日ブルーを見た後にそのまま交通規制を嫌って電車に乗ってそのまま新鵜沼駅に向かいました。

この前の試し掘りの写真からすると恐らく成功しているし、時期的にもばっちりかと思えるんですが、実物を見てみるまでは判らないというのが正直なとこです。という訳で、ぎらぎらには暑くないけれどやっぱり暑い鵜沼の畑に向かいました。

いきなりパートナーが会社で使っている電動ファン付きの空調服を持ってきて使わせてくれました。サイズは彼に合わせて大きめでしたが、生れて初めて装着してみるとめちゃ気持ち良くていつも扇風機を体全体に当てている感じですね。蒸散による気化熱の奪われ具合がいい感じ。

さて、現場では雑草がガンガンに生い茂っていたのですが、サツマイモのところだけはしっかりサツマイモの葉が茂って雑草の介入を許していませんでした。エライ!
これを掘っていくと次のような感じで、出てきましたよ!いわゆるザックザクという感じ。
みんなでヤベーヤベーと言い合いながらホクホク顔でした。
普通に4つから5つが一つの束になっていて、最大10個ついているものまでありました。ただし、このサツマイモ堀りというのは思っていたのよりも実際は難しくて、遠くから深めに周りを掘ってサツマイモを掘るんですが、鍬で間違って当てて芋にダメージを与えてしまうんですね。ここがやっぱり芋ほりの素人。

粘土質で力をかけて抜き取るのが大変難しい状況でしたが、一畝を掘るのに一時間ではとても済みませんでした。それでも以下の感じで収穫。これが4つ採れました。
上の写真で見れば判ると思いますけど、白い面が出ているのは間違って折ったりした奴ですね。
これに付いた土を取る事自体が実際は傷つける行為だと知ったのは家に帰ってからですが、それでもまあそこそこに気をつけてやったので大丈夫かなと思っています。
相棒の家の芝生で乾燥させました。
後で良く調べると、湿度が高い10-15℃くらいの暗めところで置いておくと良いそうなんですが、これって家の玄関ですよね?こうすることで生きている細胞がアミラーゼで内部のでんぷんを分解して糖化が進むんだそうです。

しかもこの期間は何と2か月程度!これから初冬迄待てという事なんでしょうが、先ずは一部持って帰って家で蒸かして食べてみました。するとそれなりに美味いのですが、甘みは確かに足りません。なるほど、こういう事なんだね。

という訳で、胃袋に落とすまで暫く待つことに致しました!^^

2026年9月19日土曜日

やっぱりブルーはカッコいい!

戦闘機乗りのパイロットというのはやはり男の憧れの職業の一つでしょう。

理由はあの三次元空間をあり得ない速度であり得ない技術で自由に飛び回れるから。文字に書くだけでも非常に明確な素晴らしさがありますが、以前中島悟氏が雑誌の企画でF15に搭乗したときに「F1の15倍面白い!」というコメントを残していたのが印象的でした。

尤も、あの恐ろしいGの中を吐くことも酔う事もなくニコニコしながら楽しんでいるF1ドライバーの中島氏も異常と言えば異常ですが。w

さて、そのブルーインパルスが昨日名古屋にやって参りました。アジア大会のオープニングの一環としての登場でしたが、以前名城公園周りで飛んでくれたのと同じ感じでやってくれるのか、今回は久屋大通りをまっすぐ飛んでくるコースだというので地下鉄に乗って栄駅で降りて待っていました。

嫁さんのアドバイスに従って9時からの飛行予定に備え7時半には家を出て、8時にはオアシス21のところに座るようにしていました。(終わったら鵜沼に向かってサツマイモの収穫予定!)
これでも一時間前!
少しだけ暑いかな?という感じでしたが比較的直前までオアシス21の天井が影を作ってくれていて、最後の最後に帽子を被ったくらいで間に合いました。9時5分ごろにいきなり陰からドーンと登場。見ている人達はみんな、カッコいい!と声をあげながら大はしゃぎでした。
5~6回の各種演目をこなしてくれたのですが、やっぱり素晴らしく息が合っていて、プロ中のプロというのはこういう仕事をする人達なんやなと改めて心の中で敬礼させてもらいました。

最後に飛び去った後でみな自然と拍手が沸き上がってきたのは当たり前と言えば当たり前だったのでしょうか。(`・ω・´)ゞ

総てが終わった後で、大混雑の中を鵜沼に向かって名鉄に乗って行った後に実は松島?に向かって帰っていこうとしていたブルーインパルスを畑作業中に眺める事が出来たのは秘密の幸せでした。多分、各務原か小牧基地で一休みしていたんじゃないかなと農作業のパートナーと話し合った午後でした。


2026年9月18日金曜日

農作物を植えるタイミングが難しい

最近、秋じゃがとかカボチャを植えるタイミングが全く読めません。

暫く前まではここ数年の異常な暑さの気象状態のせいでいろいろな作物の作付や成長、そして収穫の時期が読めないという状況が続いていると農業をしている他の医師の先輩が話していました。

幸いにして私が今やっているジャガイモやサツマイモのようなものではそれほど大きな影響は受けていませんけども、土の上の葉っぱ類で収穫を行うような系統の作物は物凄く大変な事になっているようです。長雨、異常な暑さ、そして読めない作付け時期。気が付けば葉っぱがしなしなになっていた~なんていう状況が増えているとの事です。

前回のジャガイモの時は大成功でしたが、今回の長雨の後に秋じゃがを植えるのは少し遅すぎるような気がします。サツマイモの収穫は明日なんですが、とりあえず試し掘りをしてくれた農業パートナーの友人の話では、立派なサツマイモが出来ているとの事なので期待大です。
それでも、土の下の見えない部分というのは農業の神様のみが知る世界なので、その部分はやっぱりワクワクしかしドキドキしながら運を天に任せざるを得ない部分です。

「もし」明日のサツマイモが自分たちが思っていた以上の仕上がりを見せてくれていたら、先ずはふかし芋として味を試したものと天婦羅として切り身で試すものに分けたいと思っています。

先週の段階で友人が送ってくれた試し掘りの芋は幅が既に5センチ。どう考えても今週のチャンスを逃したらでかくなりすぎたり腐ったりしないかというのがちょい心配です。

ま、祈りましょう!w

2026年9月17日木曜日

資格は大事

病院ではいろいろな資格を持っている人が集まっています。

ところが、この資格にもやっぱりレアリティにかなり比例した状態で給与に反比例した求人があると思います。簡単に取れるような資格の職種はやはりそれなりの給与が、取り難い資格にはそれに応じた給与が出される。

しかし、問題はそこでは無くて当院では事務系の人間が資格試験、入社試験を経ずに前任者の情実で入った人間達がまだまだ沢山いるという事。能力に応じた応募者の選抜が出来ていたら良かったのですが、実は恐ろしい選抜方法で人が集められていたことがある人の口から知らされて腰を抜かしました。

それは以下のようなもの。例えば応募者が3人いたとすると、三人を面接しその中で最も評価が低かったものを入職させるという「下から選ぶ!」という方式が採られていたというもの。

正直なところ、病院の中で「どうしてこの人が?」というレベルの人間が職場に数年間連続で入植してきたことが続いて、内心「ヤバくないか?」と思ってたんです。そして、その人選にあたる課長が辞めた翌年から途端にレベルが三つ上がった感じの人間が履いてくるようになって「あの噂は本当だたんやろな」と納得したのでした。

なんでそんな恐ろしい人選をしていたのかという事も実はその辞めた人が酔っ払って辞める前に吐いたことがあったらしく、その真意は[自分よりも能力の低い人間を入れ続ける事で、自分のポジションが脅かされることの無いように]というのが理由だったとか。

まさに当院における獅子身中の虫とはこの人物だった訳。

組織というのは人で成り立つもの。やはり、公正な試験と資格の有無をもってまず第一に人を選ぶことは大事。オカシナ情実や選考基準の不明な選抜は絶対に出来ない様にしておくのがトップの仕事だと思うんですが、そこら辺りが完全に腐っていたようです。悪いけど、これではね…。

病院大丈夫か?と考える私でした。

2026年9月16日水曜日

Tシャツの寿命

今、パジャマに使っているTシャツがあります。

アメリカに住んでいた時に、近所にあったOld Navyのお店で購入した激安のものですが、10ドルしなかったような記憶があります。私自身はTシャツだけは唯一「集めて、着て、愉しむ」趣味がありまして、オッサンとしては腹が出る事でもう体形も崩れていて既にTシャツが似合わないのは理解した上でやっぱり着続けています。

気軽に着られる上にその種々のデザインがお手軽な値段で楽しめるのがシンプルに好きな理由です。基本的に表に書かれている文言やデザインを体に羽織って見る人に「おっ」と感じてもらうのが毎度のちょっとした喜びです。

勿論、見る人によっては「いい歳こいて」と思うような人も居るんでしょうが、私はその手の視線は一切気にしない人ですので、自分が楽しければそれでヨシ。^^

昔は分子生物学系統の物品を売る会社から頂いたTシャツを着るのが結構多かったのですが、最近はそういうのと無縁になってきたのもあって、着るのは基本的にアマゾンや近所のストアで見つけた面白めのもの。ところが、これも嫁さんによると既に100枚を優に超えたというのです。無論、私が着るものは息子も着るのはごく普通で、家族の中では実質「ローテーション」と呼ばれていますからシャツに使うお金は実質半額、かつ収納場所も半分で済むと考えています。

このTシャツという代物、結構ペラペラの布かと思いがちなんですが、実は5年や10年などという年月は容易に着続ける事が出来る立派な衣類なんですよね。敢えて患者さん達に回さなければ恐らくは四半世紀はいくのではないでしょうか。

例えば、冒頭で私がちょろっと書いたパジャマとして使っているシャツは既に20年は経っている代物でして、布地は気持ち薄くなったかな?と感じない訳でもないのですが、まだまだ使えます。あと何年使えるか判りませんが、ぺらっぺらになるまでは問題なく使えるし、そうなる前に病院の服の無い患者さんに回せば二度使える事になります!
しかも、最近仕入れた情報によると、繊維の少し緩み始めたこういったTシャツは水分などを含ませて凍らせたりすると収縮して目地がもう一回タイトになって再生するとのお話。チャンスがあったら使ってみたいテクニックだと思います。

黒系統のシャツだけは選択の回数が増えると色の落ちが目立ちますが、それ以外だと意外ときれいなまま。それに、長く使うと何というかいい感じでビンテージ感が出ますしね。^^

服も靴もカバンも、総てのものは長く使えるという前提で買って大事に使えばTシャツ1枚でも軽く10年くらいは容易に持つというお話でした。

ジーンズに至っては…。w

2026年9月15日火曜日

AIに白旗は挙げない

つい先日記事にした「AIがミレニアム問題を解いたか?」という記事に対して、数学会が確固たる声明を直ちに出してきました。

しかもその声明に名を連ねているのは25人もの世界的数学者たちで全員がフィールズ賞の受賞者たちという驚くべきものです。私のような部外者でも知っている名前はずらずら出てきていて、日本の森重文先生のみならず、タオ、コンツェビッチ、スミルノフ、ショールズ、ゴ、ドリーニュ、バルガバ等の世界の数学の形を変えてきた数学の巨人達です。(私にはその凄さが理解の遠く及ばない分野ですので、その人達を語る他の人の文章で天才なんだなと認識する程度です。w)

その声明はココにありますが、大切なのは数学だけでなく、他の科学・創造的職業でも同様の問題が起きているということです。長年の訓練は「答えを出すため」だけでなく、理解、新しい問いの創出、そしてアイデアの発展 を目的としてきたにもかかわらず、AIは膨大な人類の成果を利用して、 訓練の成果物だけを直接生成できるようになり、目的と手段がずれてしまうという状況を作り出してしまっているという記述があります。

結局、今の状況は「問題を解くこと」だけが目的化されると、数学の本質的な理解が損なわれるという状態で、その解かれる迄の素晴らしい苦闘の過程とその周辺に派生していく豊饒なる新世界が構築されていく状況が一切ない状態だというのは大問題だという事。

その問題解決の途上に出来上がる数学者たちの繋がりと、数学の異分野が交差する過程で育っていく次世代の若い人々の出現こそが更なる進歩をもたらすというチャンスを奪っているし、問題解決に至ってもその途上で使用されたアイデアの剽窃や成果の帰属もウヤムヤ。

勿論、数学者達はAIを問題を解くための補助的な道具としてこれからも壁打ちの道具のように使っていく人が多くなるのでしょうが、次々と出されてくる謎の解とこれから数学者たちがどう取り組んでいくのか、化学や物理学も含めて人類の「知」を次の境地へと誘導させる加速剤なのか、それとも…。

5年、10年経った後の数学者達の反応を再び知りたい私です。

2026年9月14日月曜日

伝わらなくなる感覚

寅さんを視ている時に電話のシーンがありました。

勿論、旅先から柴又の家族に電話をする訳なんですが、その時に使っていたのが赤電話。そもそも赤電話自体が眼の前から消えてしまう時代になっていますが、小銭の10円を次々と入れながら最後は小銭が足りなくなってさくらと話そうとしたところでプチッと会話が切れる訳です。

こんな感じは私が高校生くらいの頃まではごく普通で、緑の電話が出てきてテレホン・カードが使えるようになった時には本当に「革命!」と思いましたね。

主にイラン人達による偽高額テレカ事件が続発しすぎてNTTがいろいろと彼らと戦った挙句に、ゆっくりとPHS、スマホというのが覇権争いをし始めました。その後で時間が経つほどに明確にスマホが勝利を収める流れのなかで公衆電話が次々と姿を消していき、やがてはPHSが姿を消しそこへ初代iPhoneが登場してきましたよね。^^

とは言え、今の20代の人達にしてみれば、上に書いた話はまるで私の世代が手回し式の電話のことを見た事が無いような感覚なんじゃないかと思います。
電話をしている時に手持ちの小銭を気にしながら電話をするという話自体がもう彼ら達にしてみれば見た事のない歴史なんですよね。w

知っている商品名も世代判定に使えるというのはここ最近よくわかります。この前もアイスクリームの商品名である「宝石箱」というのがあったんですが、その商品を知っていたのは私を含めほぼ全員50代以降。

調べてみたら1978-1983年の間だけ売られていた雪印の製品だったようで、そりゃ40代でも知らないのは当然と言えばあまりにも当然でした。自分の周辺では当たり前の事でも、世代が代われば知らないことだらけというのは余りにも当然ですよね。

上が消えて下の世代が支える。既に今の日本を支えているのは私の一回りしたの世代になってきています。そういう意味では時代の流れを素直に受け容れるのは大事な儀式なのかなと思いました。

2026年9月13日日曜日

高齢患者さんとの会話の愉しみ

病院という所は科にもよりますが、基本的に年齢が上がると病気になる確率が上がってくるというのが基本。

車などと一緒で、使い込んでいるうちにあちらの部品こちらの部品にガタがきて、そこの修理を行わなければならないというのは全く一緒です。修理の方法が存在し、かつその修理代が安ければ素晴らしい。修理の方法があるのだけど大変に金銭的に高価で全替えしたほうが良いというのも当然ある訳ですが、人の体はそうはいきません。置き換えが可能になるというような治療法も必ずや未来には登場するのはわかっていても「今」ではない。

骨や水晶体は置き換えの効くものの代表ですが、肝臓や腎臓の移植などもまだまだ他人のものですし、免疫抑制剤のしようも未だに必要なパターンが普通。皮膚でさえ未だ「自己の皮膚」という形では出てきていませんし、実験室からやっと出てきて高額な医療費でチャレンジングな移植などを行うその他の臓器の治療法もありますが、少なくとも市井の医師が患者さんに向けて「じゃあ、ここに行ってこの臓器を替えてもらうことを考慮して貰いましょう」というような事も全くありません。

そういう意味では、こういう高度な医療はもう我々にはアプリケーションとしては受けない(若しくは受けられない)という覚悟を持ってくるような70代後半以降の年になってくると、私の診察に来ても「ピンピンコロリと逝かんかね、先生」とか、「長く生きすぎたからもうええわ、そろそろ何とか楽に逝けんかいな、いい薬無い?」等という事を笑顔で話しながら、実は発言自体は結構大真面目という人も沢山いるんですよね。

残念な事ではあるのですが、そういう方々の中には10年を超えて診察していくうちには癌を発症したり、重大な疾病・症状が次第に表に出てくる事も当然あります。出血や痛み、そして熱発などが表に出てきて初めてそれまで生化学的定期診断には出てこなかった「異常」が出てくることがある訳です。実際にはトイレに行った時に便が黒かったとか、血が混じっていたとか、食欲がこの三か月で随分落ちてきたとか、体重が徐々に落ちてきていたけど言わなかった、はたまたやたらと汗が出る、手に力が入りにくくなってきていたけど放っておいたとか。

そういう意味では問診は非常に大事なんですが、こういった身体の異常や感覚を「会話を通じて記憶の中から引き出す、もしくは正直に話してもらえるような状況に持ってくる」というのはそれぞれの医師が持つ大切なテクニックです。この手法を維持したり磨くのは日々大切な訓練なのですが、ある程度それぞれの医師が持っているベースというものがあって、これが全くダメな医師も稀ならずいる訳です。

大学病院のようなところで高度な医療を担当する専門医が、短時間で切れ味良く患者さんを捌くことも必要ですが、更にそういう高度医療の外側にいる我々のような医師はある程度ゆっくりと患者さんと話す時間を持ちながら病気をマネージメントさせてもらえるという「特権」を与えられると考えています。

患者さん達との会話を愉しむことが許され、その中で患者さんの悩み解決や疾病の治療をすることで患者さんに感謝される職業というのは素晴らしい仕事だなと改めて感じるのでした。


2026年9月12日土曜日

AIの深化・進化の速度はヤバすぎる

遂にOpenAIがミレニアム問題を突破したという噂に顎が落ちました。

ここ数年で天才数学者テレンス・タオ監修のもとで、AIによってエルデシュ問題が解かれ始めている事は各種の記事で読んでいましたが、まさかあのミレニアム問題レベルのものまで手を出していたとは!

しかも今回解を出したと発表されたのは昔から3次元下において、ある条件下の解が有るのか無いのかという事からして判っていなかった「ナビエストークス方程式の存在と滑らかさ問題」というのが遂にある部分で否定的に解かれたとの事。

しhかも、これOpenAIが「Claudeが2つのミレニアム問題を解決したという噂」を聞きつけて今月の1日から開始!してもう解いたというのです。現在この問題が本当に解かれたのか否かを専門家達の手を借りて検証しているとのことなんですが、まさか人間の知性の最高点での鍔迫り合いの現場にまでAIが入って来ているという事実に強い衝撃を受けます。しかもこんなに短期日で…。

今の時代、将棋も碁も既に生の人間は普通にAIに勝てない世界が当たり前になってきています。プロも当然のようにAIの打ち筋を参考にして研究を進めるという時代。こうなってくると人間の思考というのは知性・知識において神レベルであるAIに依存しながら数学の研究とかも進めていくようになるのでしょうか?というか「専門家ならではの」問いかけを行いながら共同研究者として研究を進めていくようになるとか?

今後、こういうAIのレベル上昇が続くと人類の存在意義とか、人類がAIの存在下で共存できるのかというような根本的な疑問が湧いてきます。

しかも、OpenAIのヘッドやAnthropicのヘッドさえも人間がAIに絶滅させられるリスクが高まっていると真剣に警告しています。私が暗い気持ちになるのは今の時代システムはどこでもネットで繋がっているという事実。だとすると、ネットの乗っ取りが自在に行われると信号システム、工場の生産ライン、果ては兵器のスイッチ類、特に核のボタンまで乗っ取りが行われないのかという心配です。

知性はあっても倫理が無ければ人類はAIにとって不要という結論が導き出されないのか?

マスメディアの乗っ取りにおいてもAIが作成したフェイク画像がテレビやネットの画面を乗っ取って、あたかも他国がとんでもない事をしているかのようなフェイク・ニュースを流して、それを放送局が止める事が出来ないようなとんでもない事態が発生しないかという虞をもっています。

なんだか、大きすぎる時代の波を我々は乗り切れるのでしょうか…。これまでの5年以上の速度で変化が起きてくるのかと思うとこれからの10年は知性の世界での変化はAI抜きでは語れなくなるんでしょうね。

おそらくは、AIを使って効率的に研究を進めてくる若い世代の登場が続くのでしょうが、それが人の知性の限界にどういう結果を生むのか、果たして良い事ばかりではないような気がするのです。

2026年9月11日金曜日

あれからもう四半世紀

信じられない事ですが、あの日からもう25年も経ちました。

NYのマジソン・スクエア・ガーデンからF君と帰ってきた朝にいきなり始まったアルカイーダの攻撃は未曾有の大規模攻撃。特にツイン・タワーへの攻撃はアメリカのブッシュ大統領をして「復讐」という言葉を使わせて徹底的にそして全面的な攻撃へと向かわせました。

徹底的な宗教対決だったというのが、今も変わらぬ私の感想。数多くの無辜の人々が互いの国で殺し合いの犠牲になりました。

人間が神の名を騙ってアクションを起こす時には必ず碌でも無い事が起きます。それは昔から私の信念。神の語ったといわれる言葉の研究は良いでしょう。神を信じるのもまあ構いません。個人の自由ですから。しかし、それを人に押し付けるようなアクションは一切ご無用です。

神の数だけ正義があって、それを信じる人の数だけ更にそれぞれの形の正義があるという木の枝のような世界。結局、どの枝が一番奇麗なのかというのを論じるのかというような愚かな話であって、総てが単なる比較の対象というだけの話であって、正義がどれという事は無いという話。

今日新たに視たYouTubeで恐ろしいビデオが公開されているのを見ました。それは、Fire Fighter達が待っているビルの下でものすごい音が時折「どーん」と響き渡るというもの。その音源はビルから飛び降りた人達が地面に衝突したときに発生した音。
身の毛もよだつというのはこういう事を云うのでしょう。

人間の下らない信念が多くの人を殺してきました。世の中で最も人類を殺してきたのはまさに人が作りだした神と、それを信ずる人間達だという事に何の疑いも持っていません。

改めて当時の犠牲者の方々に手を合わせ深く首を垂れる私です。

2026年9月10日木曜日

もう買えんくなってきたな

新製品発表の時期になりました。

例年秋に発表されるアップルの新製品が今年も9月のサイクルで発表されたのですが、今年の大きな目玉はDuoというに画面モードのiPhoneですよね。しかし、その値段を見ると一番安いモデルが364,800円からという驚愕の値付け!ちょっと待て待て待て~という感じ。PCのかなり良いモデルでもずっと安くで買えるやつがあるんですけど、モバイルPCというカテゴリにまで進化し、なんでもできるようになったマシンであればこういう値付けをしても人は買うものなんでしょうか?

iPhone18ProとiPhone18Pro Maxがそれぞれ219,800円と239,800円という値付けでやはり20万円を超えてきます。唯一20万円以下なのはiPhone Airで、189,800円というもので、一番安いのがコレという驚愕の値付け。

言い方は悪いのですが、これって単独のマシンとしては高すぎませんかという感じです。それを裏付けるように、(2025年の秋と言えば昨年の事ですが)日本のように世界の標準と比べると異様にiPhoneのシェアの高かった日本でおいてさえ、アンドロイドとのシェアの差が逆転した初めての年となりました。

キャリアによる補助金の縮小・廃止、円安による価格の値上げ、Apple Intelligenceの日本導入の大失敗、機能差の縮小に伴って「iPhoneでなければならない理由」というのが次々に亡くなっていって結局は「中」で使うアプリが大事になってきているという話で、何だかどこかで聞いたブラウザ戦争に似ているような?

あれだけ隆盛を誇ったNetscapeが消え去り、IEも置き換わられ、今ではすっかり別の世界。アプリさえ同じなら「買える範囲」で物事を済ませようとする人が増えるのは当然です。私自身は今でもiPhoneの画面の色遣いのほうが自然だし、操作方法も「まだ」iOSのほうがアドバンテージを持っていると思ってはいるんですが、患者さんに頼まれて時々触る事のあるアンドロイドも段々とその差を詰めているという気がしないでも無いです。

いくら使いやすいと人が思っていても、値段の差がアンドロイドと10万円もあって、その差にお金を払う人がいつまで続くのかという事になってくるような気もします。特にコア層の若者の一か月の手取りを超えるようになってくると…。

暫くしたら出てくるであろうシェアの解析結果が待たれます。

2026年9月9日水曜日

South Parkが名前を変えるらしい!

われらがサウス・パークが「いつものように」やってくれました。

ニュースサイトによるとSouth Parkが、あのバカ男への当て擦りとして番組タイトルをSouth Americaへと変更するとの事!私にはこれはビッグ・ニュース。アメリカにいるときはDVDを全部揃えてワクワクしながらいつも視ていました。番組開始から29年にして遂に改名です。w
当て擦り改名のネタ元になったこの馬鹿男、自分の単なる思い付きで何でもやってしまい、周りの誰もが抑え込まない忖度野郎で固められ、馬鹿が喜ぶ言葉を紙に打ち出してくれるキリスト教右派のガチガチ・プリンターレディまでいる有り様。

認知機能障害はともかく、異様に肥大した自尊心を持つ心の病気を持つコイツの行動パターンは何時もシンプルで、「まず最初にやってしまい」そのあと「何か問題でも?」と問うて、最後に「文句があるならかかってこい」という碌でも無いスタイルで己の我儘を通してきました。

ホワイトハウスの破壊作業然り、ケネディ・センターの改名問題然り、自分の顔を彫った硬貨の発行然り、パスポートへの己の顔のプリンティング然り。おまけに在任中に建設予定の空母に自分の名前を付けて蒸気カタパルト式の時代錯誤のシステムを搭載することに固執するというもう本当に恐怖を覚えるほどの愚かな行動をとり続けています。

この前もオンタリオ湖をアメリカ湖に変えたり、メキシコ湾をアメリカ湾に変えようとしたり、NEW MEXICOをNEW AMERICAに変更しようとしたり。もうね、お前ときたら本物の裸の王様。病的に肥大した自尊心と戦車顔負けの分厚い爆発反応性装甲を顔に張りまくった厚顔無恥ぶりは最強のコンビですね。

この前Xのサイトにも出ていましたが、The other 98%だったかな?「この馬鹿に投票した7000万の連中よ、見てみろこの惨状を。どう責任取るんだ?」みたいな質問状を出してましたね。

まあ、アメリカはあと2年死んでますよ。

2026年9月8日火曜日

歴史に残る大雨の日となりました

とんでもない一日となった名古屋でした。

一日の仕事が終わりに近づいてきた時にナース・ステーションにいるみんなのスマホから一斉に警報音が鳴り響きました。見ると警報の中身は高齢者の避難開始等と言う禍々しいもの。

雨雲の様子を示すレーダー画像も、物凄い厚さの雲が見えから名古屋市のほうにかけて長々とかつ真っ赤に線状になってカバーしているのを示していました。そこに夜勤の看護師さん達がずぶ濡れになって登場し一言「ヤバい雨です」と言葉を発していました。

その時点で既に駐車場は大きく冠水し、15センチ程度の深さの水に覆われている事が窓から眺めていて判りました。ほとんどすべての車が徐行しているのが病院の敷地内だけでも良く理解できます。

さて、Google Mapを見てみると、あちこちで真っ赤なlineが描かれているだけでなく、一部は既に黒くなっていました。恐らく冠水した車が前にいけない感じでトラップされているのだろうと推測していたのですが、それは後で見たニュースで正しかったことが判りました。後で聞いたところではこの日に千種や北区の周辺で仕事をしていた人達は車が動かずに往生したそうで、帰院予定を二時間もオーバーしてほうほうの体で訪問診療から戻ってきたとの事。そして戻って来てからも家に帰りつくまでにこれまた2時間近くかかって帰宅しボロボロに疲れ切ったとの事でした。

ニュースでは200台程度の車が水の為に冠水して動けなくなり、河川はあちこちで氾濫。地下鉄は5時間程度ストップした上に市バスは全面通行止めになってしまったようでした。

しかし、それでも20年に亘る名古屋の大雨対策としての冠水用の地下神殿の建設のおかげで名駅周辺は冠水して車が動かなくなるような事もなく、十分に機能したようです。この地下神殿とそれに繋がった貯留用の用水は何と小学校の25メートル・プール400杯分の貯水能力があるのだとか!

東海豪雨を上回る時間当たり降水量(時間100ミリ越え)だったにもかかわらず、こうやって被害の抑制に効果があったのはきちんと備えを行っていたからだという事でしょう。

天災は忘れたころにやってくると常に言いますが、地震も同じように備えが必要ですよね。

娘はあるレストランでバイトを淡々とこなしていたようですが、地下鉄が10時半には動き出してくれたおかげで兎に角、特に大きな問題もなく家には戻ってこれたようです。しかし、名駅で夕方からトラップにはまった人達の中には歩いて名駅から藤が丘まで「大雨の中」帰ってきたようで…お疲れさまでした。

2026年9月7日月曜日

今回の帰郷で考えた事

今回両親の米寿と弟の初盆を終えて名古屋に帰ってきました。

一つ強く感じたのは両親の人生のエンディングが随分と近くなったなという事でしょうか。何時も自分でいろいろな患者さんを見ていて家族さんにも説明するんですけど、「80代の老化は毎年進む感じ、90代の老化は毎月進む感じ」というのがまさに自分の親にもぴったし当て嵌まるなっていう感じでした。

今回は親父の下腿の浮腫が「非常に」強くなっていて、腎機能の大きな低下が既にかなりのレベルに達しているなという状況を身体症状として見せつけられました。結局、心臓のほうにも影響強くなってくるだろうなと推定できるのが内心辛かったです。

昔から私よりもはるかに筋力が強く、その腕っぷしには勝てる気が一度もした事が無い柔道黒帯の親父が私の直ぐ傍で歩いている時に数回転びかけ実際に一回はどて~っと倒れたりしています。勿論こういう転倒の心配は温泉での入浴中もずっと続いていましたが…。

そして、実際に最も恐れているのは親父の単独入浴です。今回帰郷したときに旅から帰ってきた親父が風呂に入ったまでは良かったのですが、なぜか出てきません。私自身も忘れていたのですが、気づいたらもう一時間ほどは経っていた感じの時に私が浴槽を覗いてみると茹でダコのようになった親父がうなだれて鼾をかきながら寝ているでは無いですか!

余りの事に親父の肩を叩いて起こし、大きな声で怒ってしまいました。

「もう施設はいらんとヤバいやん!」すると親父は「大丈夫~!」と強がっていましたが、浴槽に浮かぶ水死体というのは日本では毎年大量にインシデントとして発生しているのです。まさに冗談じゃないというレベル。監視用のウェブカメラつけるとかせんといかんのかなと真面目に考えてしまう私でした。

いや、やっぱり施設かな…。90近い親の一人暮らし。もうエンディングはやっぱり孤独死の予感しかしません。名古屋に呼ぼうかな…。

2026年9月6日日曜日

やらかしたorz

鹿児島から戻って来て皆で焼き肉を食べた帰りに家まで戻って車庫にバックで入れようとしたときに「やらかし」ました。

キンコン、キンコンとならしながらゆっくりと借りたフリードのレンタカーをバックさせている時にガスッと嫌な音がしました。そうです、家の車庫の壁に車体の左後ろを傷つけてしまったのです。

名古屋でいつも運転している自分の車と同じように障害物に近づけば警告音がなると「思い込んでいた」自分の愚かさです。真暗闇の中で駐車時に車体を擦るなどと言う若葉マークのような愚かなミスを犯してしまった事に軽い衝撃を受けました。

もう夜も9時になっていたので、レンタカー屋さんは閉まっています。しょうがないので、明日車を返却するときに事情を説明せねばなりません。orz 

夜ではありましたが、時間が無いので家の片づけを更に進めました。細かなものですがやはりまだまだいろいろと処分しなければならないものが大量にあります。それでも、結局のところは親父の家ですのでやはりある程度の遠慮はあります。そこである程度は「放っておく」ことにしました。恐らく親父に万一があった時にはいろいろと大変な事になるでしょう。

一晩経って、朝になってももう少し片づけを続けましたが、結局それも中途半端なままで親父を連れて皆でイオンに行ってスリップ・インの可能なシューズなどを探し回ったりしながら時間を過ごしました。あまりにも親父の脚の浮腫が酷すぎてサイズ29でもまだまだキツキツでした。

4時半過ぎには車を返しに行ったのですが、実は車の保険のフルサポートを受けるためには警察の実況見分を行っておかねばならないという仕組みがあったんだそうです。orz

しかし、しかし、ここでレンタカー支店の一番上司の方が「純粋に自宅でのアクシデント」であったか否かを何度も確認されたのち、検分図をきちんと記入し特別に今回のインシデントを報告することで特別にお許しを得ました。

その後、飛行機に乗り込み名古屋へ戻ってきたのですが、やっぱり光の無い田舎の宮崎と違い名古屋はどこへ移動するにも道が高速で繋がっているし、なんでも手直にあるという意味で宮崎にはもう帰っては住めないなと感じたのでした。それは嫁さんも同じで、死ぬまで名古屋を離れるつもりはなく、この地で死ぬと私に宣言しています。

今回の旅では宮崎の親父の年単位で目に見えて進む「老い」をまざまざと見せつけられました。最後の最後はどうなるのか未だ判りませんが、軟着陸を望むのは親父も私も変わらないと思うんです。


2026年9月5日土曜日

特攻平和会館

蕎麦を食べて今回の旅の目的のもう一つの大きな柱である特攻平和会館へと移動しました。

桜島を左手に眺め、右手にはH2ロケット?の巨大なレプリカがある道をずっと走り続けるとその会館がある「知覧」へ到着。知覧茶で有名なエリアですが、場所自体はとても特攻のはとても特攻の出撃基地があったとは思えないような長閑でこじんまりとした場所です。

暫くすると見えて参りました。特攻平和会館。
前から見るとそれほど大きく見えませんが、中にはびっしりと特攻されていった方々の遺書や持ち物が展示されており、そのリアリティとそれぞれの人物達の背景にある物語の悲しさに打ちのめされます。

長女は文章が読めずに写真と活字化された文章のみ読んでいたようですが、私自身はその書き手の性格や教養がそのまま写しこまれたような遺書となる手紙やハガキを見て涙が溢れそうななりました。悠久の大義の下に等と言う美名の背景には国家によって死を命ぜられた17歳!から20代前半の方々を中心とした戦死者の方々、平均年齢21.6歳の死の前の文と写真の前には喉元に込み上げる熱いもの以外の何物もありませんでした。

検閲される前提で書かれた手紙の裏には決して語られない本人の物語が隠されています。

外道の戦法はお互い顔も知らない二つの国の人間が敵国殲滅の名の下に殺しあう無意味さを三度自分に思い知らせるのでした。あの時、日本や肉親の為に散っていった今の自分の子供より若い人々の犠牲に応えるような国家になれたのか、改めて我々は問わなければ再び愚かな行為を繰り返しかねないと考えます。
錦江湾より引き上げられた21式ゼロ戦
帰りには特攻の話をまとめた「只一筋に征く」という本を買いました。

国の未来の礎たる若者を戦地に送り消耗させるためだけに死を命じる作戦のどこに大義がありましょうか?金の卵どころか金の卵を産む親鶏も死に至らしむ作戦を狂気と呼ばないのは明確な間違い。戦前戦中にこの若者達を煽りに煽っていた軍の連中や報道関係者達が戦後にのうのうと平和を享受した事実を我々は決して忘れません。

もしこの死に追いやられた若者達が生きていればどれほど今の日本の繁栄に資していたかを考えると慙愧の念に堪えません。

特攻でお亡くなりになられた人々の合計は6,371人。愚かな戦いを聖戦の美名の下に美化することは決してあってはならないと思います。領土拡張の野望で愚かな指導者に操られる隣の赤い国を見て嗤っているいられるのか?30年ほど前に北朝鮮のツアーで一緒になった当時60くらいだったオジサンがポツリといいました。「今の若いあんたたちは北朝鮮のこんな状態見て笑うだろうけど、戦時中の日本てこんな感じよ」と。

歴史は場所と時を超えて繰り返すということでしょう。

車を運転して宮崎へ戻る激しい雨の道すがら、いろいろな想いが交錯した一日でした。

帰り着いてからは近所の焼肉屋さんへ行って親父にお祝いを渡しながらその米寿を祝いました。転倒にさえ気をつけてくれれば90歳までは先ず生きてくれると思ってます。がんばれ親父!

2026年9月4日金曜日

明るい農村蒸留所

朝もはよからトップにある階の展望風呂に息子を連れて入ってゆっくりと朝の湯を愉しみました。

その後からみんなで美味しいバッフェ形式の朝食を摂るためにみんなで移動。本当にいろいろな小品がズラリと出されていて正直ひとつづつ全てを食べても腹が破裂するレベル。全部味わうのは到底無理というのは最初の一周目で直ぐに理解出来ました。

朝食が終了したらすぐに部屋の内湯です。旅先で深い緑の木々と桜島を眺めながらの入湯は最高です。この後の動きをどうするか考えましたが、まず昨日霧島神宮から帰る直前にチラリと目の端に入っていた「明るい農村」見学のお誘い看板のお誘いに乗る必要があります。^^

そして目的の場所を直ぐに発見!ワクワクです。

レンタカーで工場の前に近づくと美しい笑顔のお姉さん二人が店の前で出迎えてくれました。誘われるままに中に入るといきなり一升瓶ならぬ一斗瓶の「明るい農村」が出迎えてくれました。

これをら抱えて家族5人で記念撮影もしました!

蒸留所見学を始める前にこの蒸留所で作っているいろいろな焼酎の試飲をさせてもらえるのでsが、私は運転手。涙を流しながら娘の試飲を眺めています。工場見学は明るいお姉さんが手際よく、かつ楽しく進めて下さりながら興味深い話を混ぜていろいろとサービスしてくれました。

上の写真に写っているタンク一本を普通の人が飲もうとすると毎日飲んでも40年かかるんだそうです。w このタンクが建物の外だけでは無くて内側にも80本!あるとの事。以前は年にタンク5本ほど毎年出荷されていたそうですが、最近は3本程度に減っているとの事。必ずや巻き返して貰いたいもんです。酒というのはいろんなサイクルで流行り廃りが繰り返されます。ウイスキーしかり、焼酎しかり。
美しくレイアウトされたお店の中には私の大好きなTシャツも売っておりましたので迷わず購入いたしました。結局ここでだけ手に入れられる復刻版のHOUJOU NO MINORIともう一瓶の明るい農村(赤芋仕込み)を購入。その後、美しい笑顔に見送られて店を後にしました。

みんなで「明るい農村」を飲みましょう!^^

次は知覧の特攻平和館に行く予定。その前に昼ごはんをどこで食べるかというのが次の問題でしたが、実は私の勤める病院の看護師さんに南鹿児島の出身の方がおられまして、実はその方が高校の頃に勤めていたバイト先が美味しくて有名な蕎麦屋さんだという事で、道すがらにあるそのお店に直行しました。

名前は「そば茶屋・吹上庵」という所でした。たった一つのミスは事前にどのメニューが美味いのかというのを聞いていなかった事。orz

仕方ないので板そばを食べたのですが十分に美味しかった!しかし後で知ったところによると「冷やしゴマダレうどん」を食べるべしとそば家を出た後に返答が帰ってまいりました。時すでに遅し。w しかし十二分に美味い板そばでした。

取り敢えず、今日はここまで。

2026年9月3日木曜日

親父を連れて霧島へ一泊旅行

今日は朝から娘のリモートでの会議が終わるのを待って霧島観光ホテルへと向かいました。

親父の米寿の御祝いに連れて行く事を計画して随分前に予約していたものでした。宮崎出身の人間にとって霧島というエリアは実質的に宮崎のような「感覚」。実際は昔から鹿児島の住所ですが感覚的にはそんなもんです。小林、都城、えびの、霧島というのは恐らく鹿児島側の人からみたら「そこは鹿児島」的な感覚じゃないかと思うんですよね。

そもそも宮崎と鹿児島の間で明治維新後も霧島に関してはずっと鹿児島のエリア。しかし、それは中世まで遡るといろいろと違ってくるんですよね。それでも、中世以降は鹿児島に含まれるエリアですからずっと鹿児島と言っていいところです。^^

さて、道を走る事1時間半でホテルに到着。案内されて入った部屋はお金を払う価値のある素敵な部屋でした。鹿児島の錦江湾にどっかり映える雄大な桜島が目の前に広がってそれを眺めながら入れる内湯が部屋に付いていました。しかも、入ってすぐお部屋は広いリビングがあってその向こうにはこれまた広い畳のお部屋と巨大なダブル・ベッドが二台。
ガラス越しに見た内湯。向こうには桜島。
このあと先ずは車で15分の霧島神宮に直行です。

親父自身は霧島神宮には公務員だったころの職員研修や旅行で何度も来た事があるらしいのですが、久しぶりに来たのが我々に連れられてきた今回の米寿旅行となった訳です。
入口駐車場にある大鳥居。でかくて綺麗!
神社までのわずかな坂を上ろうとしたときに実は親父に異
変が起きました。高さの差にすれば僅か2メートル程度距離だと100メートル程度の道を登り切った時に、親父が「フーフー」と異様に疲れた感じで道を歩きながらふらつき始めたのです。

「お前たちだけ神社で拝んで来い」という言葉を発しはしたのですが、息づかいがおかしいのでその場に座らせて脈をとると120程度の頻脈。リズムは整なのですが、このままおいてはいけないので暫く座らせて様子を見ていると脈も80程度に落ち着いて親父の不通に戻ってきました。

息切れも消失したようなので、心配しつつも神社で拝んできました。勿論、拝んだ内容は家族の健康。(と親父の長寿って既に長寿ですが!)
どでかい御神木
お守りを少し買い込んでおみくじを引くと長女も長男も私も大吉。長男は何気に引いたくじが1番くじでした。嫁さんは中吉、とは言えどれほどあてになるんだか?御神体は神社におわしましても、くじ作るのは人間ですからね。

まあ、そんなことはどうでも良くて下に戻ってみると親父は元気に階段に座って待ってくれていました。そもそも、慢性腎臓病があって下腿の浮腫もバンバンですから心負荷も当然のようにかかっています。そういう意味では薬での調整も次第に追いつかなくなっているレベルになってきたという事なんですけどね…。やはり歳には勝てません。

その後はいつもの普通の親父に戻ったのですが心配の種は尽きません。転倒、心不全、その他の理由での突然のインシデントは何時でも起こり得ますので、私は後ろからお親父をみていて「良く生きていてくれるな」としんみり思いました。

霧島神宮からホテルへ戻ると直ぐに温泉です。このエリアの温泉は強い硫黄泉ですので、シャワーも含め硫黄臭がします。それも旅の一興。先ずは我々男三人だけで4階にある予約済みの家族風呂に入ってきました。畳の上で直接入浴できるもので、大変快適。それでも一時間入るような事はせず直ぐに1階にある露天風呂へ直行しました。正直こちらの大浴場のほうがいい感じで、ここの湯を楽しんだ後に510の自分達の部屋へと戻っていきました。

その間に嫁さんと長女は内湯を楽しんだようで、気持ちよさそうにクーラーの効いた部屋で涼んで待っておりました。^^

夕方には素晴らしい大食堂で美味しい料理を腹一杯食べたのですが、親父は案の定コーラを入れていたグラスを叩き落として割ってしまうし…。子供以上に手がかかるのが米寿の親父の現実です。

部屋へ戻ってもまた私たちはそれぞれに何度か内湯や外の湯にも浸かりましたが、やはり内湯が一番良かったかなと思いました。雄大な眺めを楽しみつつ雨が降ったり止んだりする様子を愉しんだ一晩となりました。