病院に勤めていると精神科の患者さん達とすれ違ったり、精神科の患者さんで内科外来に診察に来る人を診る機会がたくさんあります。
精神科の患者さん達、本当にいろいろな患者さんがいますが一般的に言うところの凡庸な常識人のスケールで計ってしまうと「おかしい」人は沢山居ます。しかし、いつもこの「おかしい」という事について考えさせられることが多いのです。
実は私の周りでも実例として居ましたし、他の友人達の話でもよく聞くのですが、いわゆる「賢い」といわれる人達の親族には統合失調症とかパーソナリティーの異常な人というのが結構な確率で居るのです。
こう言った話をしたり書いたりすると「差別反対」の御旗を持った方々や「言葉狩り」大好きな人達が刺激を受けて大喜びで何か言い出すのかもしれませんが、ここで言いたいのはその手の話ではありませんので悪しからず。
話を元に戻しますが、私自身は神経系の生物学はやっていないので良く理解はしていないのですが、神経系に存在する種々のレセプターの発現量の違いなどはその頭脳や能力の質を大きく規定している要素の中の一つだと思っています。
しかし、こういったものも余りに発現量や機能が過剰であれば己のコントロール可能なレベルを超えて過剰に働いたりしてしまうでしょうし、一種類の突出した能力が行き過ぎて絶妙なレベルで何かの目的に向かって働くための協調的機能が崩れたり、、、なんていうことも普通にあることでしょう。
そういったものと関係があるのかどうかは別として、世界的なメダルの受賞者が種々の精神疾患を発症したり、それが投薬によって治療されて再び驚異的な業績を残したり等という例も枚挙に暇がないですし、何事もある程度のコントロールというのは大切なのでしょう。(無論、そういった「おかしさ」とは縁なく天才的活動の後一生を終える人達もまた無数にいますが。)
猛烈に優秀な頭脳を持っているけれども、解の発見能力以外ではまるでダメ人間なんていう場合でも、その解決能力が「異常」なレベルであれば、周囲の人間はその能力を畏怖の目で見つめ人類の進歩のために使わざるを得ないでしょう。勿論、家族はその異常な性癖やおかしな言動のために迷惑を被ったりすることもままあるのでしょうが、そういった人達の頭脳のアンバランスさは時に遺伝子が創りだす種々の組み合わせの結果の一つに過ぎないと考えます。
でも、そういった能力の前には周りの人たちっていうのはある程度の我慢もしてあげなければならんのかなって考えたりもするんですけどね。
翻って己を見返してみると、キャラは充分オカシイなんて良くいわれる私ですが、能力というものに関してはもう全く何をとってもタダの大凡人。
人類への頭脳貢献という世界においては私のような人間が千人居たところで、物事が右から左に伝わるだけでしか無く、数学や物理のような天才達の能力が人類の知見をズンズンと拡げる世界においては何の進歩も産み出しません。残念ですが。orz
狂う素地が欠片も無い様な凡人であることに悄然としてしまう私ですが、そういったものの見方からすると、精神科に来ている患者さんというのは実は神様が人類に進歩をもたらす為に遣わした人々の一群を観ているのかもしれないな、、、なんてふと考えてしまう最近の私でした。
結局、どんな人間も「要らない」人間なんていうのはこの世にはおらんと思うんですわ。正直。
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