今日は入院しているお爺さんのお話を少し長めに伺う機会がありました。
お年は90代なのですが、頭もハッキリした方で淡々と昔語りをしてくれましたので、日常業務終了間際の病室で少し椅子に座ってお話を伺わせて頂いたのですが、戦争の話になった時は重いものとなりまひた。
お爺さん御自身は旅が大好きで、若い頃からあちらこちらに行かれているとのことなのですが、どうしても、どうしても、どうしても行けないところがあると言われます。
それは沖縄。
御自身は二度転戦され、地獄のニューギニア戦線とその後の内地を経験されたとのことなのですが、沖縄戦の悲惨な最後の様子を後の時代に様々なメディアで見聞したことによって、沖縄という土地の地面を自ら踏めなくなってしまったというのです。
ぽつりぽつりと一言一言の言葉を選んで「噛みしめるように」語るというのはまさにこういう様子ではないかというような語り口で、私には一言も返す言葉があるはずもなく、ただお話に聞き入るのみ。
実体験として人が人を殺し合う経験をされた方の語る戦争はサヨクの語る仮想世界とは違う圧倒的なリアリティ。「戦争というのは飯を食えないってことなんです。」
御本人曰く、地獄のニューギニア戦線から「幸いにして還ってきた」と簡単に語られましたが、その一言がどれほどの幸運の上に成り立ったものであったかは当時の戦記を読めば「有りえないほどのもの」であったことは改めて語るまでもないでしょう。
お爺さんの話を聴き終わった後、「戦争の実体験の無い世代の消失」は大いなる損失であると共に、そういった世代が消失するほど平和が長く続いていること自体を感謝しなければと改めて感じたのでした。
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