2019年10月9日水曜日

ノーベル化学賞!

吉野彰先生に決定したとのこと。タイトルは「リチウムイオン二次電池の開発」。

9年ぶりの化学賞ですが、発明の内容自体が既に異常なレベルで人類に貢献している点では御本人も「何時くるか?」というレベルの自覚はお有りだったと思うのです。

今回の受賞はアメリカの他の2氏との共同受賞ですが、他のお二人もその業績や仕事ぶりは「鬼」レベルの方々のようで、そういった方々の少しずつの発想や、理論に基づいて試してみた様々の工夫の積み重ねが人類に与えた福音の規模に関しては、そもそもこの文章をしたためているマシン自体に先生方の発明がとっくに載せられておりますし・・・。

京大卒で2年間の考古学研究会での考古学研究没頭の時期を経てその後は卒後に旭化成への就職。4つの研究テーマのうち3つは最終的に失敗で、4つ目の研究テーマだったものが今回の受賞の遠因になった研究の取っ掛かりだったとか。

名城大学の先生として講座を受け持って居られるようですが、この名城大学は5年前の物理学賞の赤﨑先生(元名古屋大)も抱えているのです。確か受賞前からですよね?目の付け所が良いですね〜!w

しかも、名城大学が抱えているのはこのお二人だけではありません
あの元NECのカーボン・ナノチューブの飯島先生もおられます!この方も確実にノーベル賞を受賞されるでしょうから、名城所属の先生でノーベル賞を受賞することになる方々は多分間違いなく3人になるはず。

朝のニュースでLIVEでお見かけした吉野先生の様子は実に気さくで洒脱、奥様もこれまたひょうひょうとした感じの一つも偉ぶったところの無い若々しい方でした。

まだまだ受賞のネタになるようなリサーチは日本に沢山残っておりますが、何時まで続くのか?賄賂をもらっても最後の最後まで粘って泰然とし、激烈に糾弾されて総辞職する糞のような役立たず経営者達が居座る多くの企業は数多あっても、リサーチャーはまだ少しはいけそうです。

研究にカネを使わない世界は必ず先細りの運命ですが、日本は果たしてどうなるのか。賄賂で一億円もらってシャーシャーとしている糞共もいれば、ノーベル賞の賞金として1億もらってそれを3分割される偉大な研究者も居る。

玉石混交とはこの事ですな。


2019年10月8日火曜日

げに恐ろしきはサゲマンかな・・・

一人の優秀な先生が或る女にハマりました。

実に有能で仕事は私の10倍早く済ませる人物で、何でも一人でこなす能力があります。
私のような怠け者が「さて、準備でも始めるかな」と思っているような段階で、いきなりやって来て「やっておきました〜」と飄々と終えて去っていくような速度感があります。

勿論、それだけ仕事ができすぎるのでいろいろと仕事の責任を抱え込んであれもこれも一人でやってしまうきらいがある事も有るには有るのですが、それらもやってしまうのは間違いない事実。ただし、その分は物理的に病院に個人の時間を取られる人生を送っています。

この有能な先生なのですが、臨床実務、基礎・臨床研究等には文句ない能力を発揮される一方、どうも女性に関してはからっきし免疫が無かったようでそれが今回、この先生の運命を大きく変えようとしています。

周りから見たら100%この先生がこの女狐/毒女にマインド・コントロールされている状態なのですが、ご本人はそれに気づかず・・・。だからこそ、それを”マインド・コントロール”と呼ぶべきなのでしょう。

周囲の人達も、看護師のみならずすべての先生がその事に気づきつつも誰も気付いていないふりを続けざるを得ません。男女関係の綾に関しては誰も首に鈴をつけきらないのですが、この毒女のマインド・コントロールでこの先生があちこちで暴走しているため、みな本当に当惑しているのですが、あちこちの病棟からその件に関して私の耳に入ってくる度に私は本当に暗い気持ちになります。

この有能な先生の力と名声を奪っていく女狐の事を皆で白眼視しているのですが、それに騙されてしまう先生自身にも初さが有ったということなんでしょうね、結論から言ってしまえば。

女は男の運命を大きく変えることも有るという、よく聞く話を”ネガティブ”な見たくない形で見させられています。
いわゆるサゲマンですね。


2019年10月7日月曜日

ホテルナゴヤキャッスル50周年記念

実は一昨日の10月5日はいつもご招待でお世話になっているホテルナゴヤキャッスルの50周年開業記念日でした。

それに合わせて催されたのが「50th Anniversary Party」でした。
11階で催されたパーティーは本当に50年前のこの日10月5日にこのホテルが開業したのです。車を地下の駐車場に駐めて11階に上がっていくとそこはジャズの演奏されるレストランCROWNに展開された和洋中のすべてが揃った特別の会場でした。しかも、テーブルは奥の方まで満杯。(チケットはアッと言う間に売り切れたそうです。)

この日の料理は本当に凝った物尽しでしたし、ワインもお酒もたくさん揃っていたのですが、残念ながら車で来た私は酒類は飲めません。orz

途中で、現総支配人によるホテルの歴史とこれからやってくる未来の話が語られました。
それによると、まだ現時点ではリノベーションを行うのかそれとも完全に建て替えを行うのか決まっていないとのこと。そもそもWestinとの契約を更新せず独立自尊と言う感じで前に進んでいくことを決めたわけですし、名古屋城を素晴らしい借景としながら名古屋の財界のトップを歓待する居城としての矜持を維持したいのであればその舵取りを決めるのは大変に難しいことでしょう。

また、歴代総料理長の3代にわたる思い出話や苦労話などを伺う機会もありました。これだけのレストランとバンケットを切り盛りするのはやはり並大抵の能力ではない。やっぱり料理人も何かのトップになる人っていうのは違いますね。

地球博でもシェフを勤められた初代の有名料理長。
街ですれ違ったらただの物腰柔らかい優しいおじさんですが、この世界では物凄い実力者です。
これらがずらりと並べられていました。
歌とジャズと料理と景色を楽しむ素敵な50周年記念パーティーを終えた我々は、お土産を持って”我々を招待してくださった方”の家にお礼に向かいました。嫁、息子、娘とともにこの方に謝辞。

この方とも夜の立ち話をさせていただきましたが、”雰囲気”にお金を払う事のできる贅沢に関しては全く同意せざるを得ませんでした。(我々は御招待を受けた側でしたが・・・。)

歳とったらこういう愉しみを持てる人になりたいもんだと感じてしまった我々夫婦でした。(帰りの車の中で久々にこういう事で夫婦の意見が合いました。w)


2019年10月6日日曜日

年老いた両親の変化

今回、叔母の葬儀に参加することで親戚と会うだけでなく親の日常も観察することが出来ました。

短時間ではありましたが、家の中での両親の行動や発言、冷蔵庫の中などを見たりしつつ、数部屋の家の中の飾り物のアレンジの変化の観察、タンスの中の衣服の収納の様子などを観察することで一体両親はまだ二人暮らしを続けても大丈夫なのか否かを考えることが出来ました。

がっくり来たのは数年前から次第に認知能力が低下してきている81歳の母親の日常の習慣です。”年寄りアルアル”を地で行くような行動で、トイレットペーパーの芯を20本ほど自分の部屋に溜め込んでいるのを見ました。また、冷蔵庫の下から二段目の棚にはほぼ全て梅干しだけが詰まっていましたし、冷蔵庫の中にはキャベツが3玉ほど保存されている状態。

これ以外にも、親父によると肉を勝ってきてはまだ食べてもいないのにまた次の肉を買ってきて更にまた買ってくるという感じでもう完全にボケボケ。しかも、嫁さんが行ったときの観察によると玉ねぎの皮まで溜めていたことがあるとの事。

親父が母親に金をもたせて近所のスーパーに買物に活かせると一時間半ほど帰ってこないとの事で、その間に親父はコッソリいろいろ片付けを続けているとのことでしたが、そのようなアクションが無い限りは我が実家は既に汚屋敷になっていたことでしょう。orz

家の中にはやたらと家具やプラスチックケースが積み重なっており、一体老夫婦二人の生活で何がこんなに物が必要で物に埋め尽くされなければならないのか?屋根裏も調べてみましたが、本当にボロ布のような布団まで溜め込んでありました。

本当に親父様々というところですが、親父も呆けるような事があったら・・・。ということがなるべく起こらないことを心の底から祈るばかりです。

老いて人生の終末を迎える人々の中には本当にモノを捨てられない一群の人々がいる事を病院での事例では了解していましたが、いざ我が母親にそれが起きてみると本当にガックリです。きっとこの人達は、物を捨てるイコール自分の人生の欠片を捨て去るというような気持ちになるのでしょうね。

まあ、これから起きるであろういろいろな出来事に備えておかないといけません。その一端として、一回は嫁さんを助手として田舎の家に連れて行って、両親が生きているうちに赤帽を呼んで家の大掃除をしないといけないなと強く決意したのでした。


2019年10月5日土曜日

叔母にサヨウナラ

朝は7時過ぎに眠たい眼をこすりながらのスタートでした。

8時過ぎまでには準備を終えて家族葬の会場へ到着すると、親族が再度集合していました。
昨夜は見なかった新たな懐かしい顔も・・・。

皆が棺に花や花束を入れ、叔母の最後の顔をみてお別れの挨拶。妹たちの中には鼻をすすり最後の別れを呟いている人達が多かったのですが、私は84歳という叔母の年齢と、病院で皆に愛された叔母、そして看護師をしている三人の甥っ子たちに囲まれかつ最後の清拭まで彼女達にしてもらった最後の穏やかな死に私自身も大変な満足を覚えたのでした。

火葬場に皆で向かったのですが、火葬のスイッチを入れた後は待ち時間に精進料理を食べて暫くしたところで私自身は再び名古屋に向かわなければなりませんでしたので、そのまま叔父に送ってもらい同乗した父とともに飛行場へ向かいました。

またの再会を約し、すぐに車を降りて別れの挨拶をすると私自身は飛行場の中で名古屋向けの(病院やいつもお世話になっている知人向けの)お土産を大量に購入してさっさとボーディングを済ませてしまいました。

何だか最近は田舎に帰るといっても親族の葬式ばかりですが、これも両親の兄弟親族が皆高齢化し80歳前後に固まっている次期なので当たり前といえば当たり前の状況。
これからも残念ではありますが、こうやってさようならを言うために集うことがまだこれから十年前後にわたって続いていくことでしょう。

しかし、それもこれも(可能であれば)順番にお別れを言うための大切な儀式。

私にとってみれば物理的にこの世からは消えてしまった人々も、私の脳裏の中には声も姿もまるでそこにおわしますかのように残っている限りはまさに生きているのと同じこと。
私が死んでも、私の声と姿と話した内容を覚えてくれている人々がいる限り私も人の脳内で化学反応の結晶として生きていられるのかもしれません。(^^)