2018年7月7日土曜日

次女がジジババと一緒に田舎へ出発

とんでもない大災害です。

信じたくないような数字がニュースの画面に次々に出てくるし、切迫した冠水の状況や被災現場、山崩れの状態が映像とともにテレビとネットで次々に出てきているのをみると、これはただの雨風ではなくて国家レベルで対応すべき激甚災害であるべきだと思います。

河川の氾濫で黄土色に染まったエリアで立ち尽くす人々。取り残された病院で命の危機にさらされている人々。そこに救助に向かう全国のレスキューチームや自衛隊の方々の奮闘を見るにつけ”大変なことになっている”と感ずるばかりです。

嫁さんとも話していたんですが、自然が突然豹変して見せる脅威の前では本当に人間の力は小さく非力ですね。いつもはあれほど穏やかに気持ち良い風と光を分け与えてくれる自然の裏と表の顔の差に我々はただただ戸惑うばかりです。
その二面性も含めて、それこそが自然そのものなのでしょうが、恐ろしい面はなるべく見せて欲しくないものです。

現時点での行方不明の方々が単に連絡が取れないだけで、後々無事に見つかる方々が増えることを心より祈ってます。

そんななか、今日は一週間滞在していた両親が田舎に戻ることになりました。五時過ぎの便だったのですが、少し早めに出て、めんたいパークで明太子のどでかいサイズのものを買って帰らせることにしました。

テレビなどでどんなところなのかは大体わかっていたのですが、行ってみて試食してすぐにいくつか買い込んで両親にもたせ、ささっと飛行場に移動。
明太尽くし! 
綺麗なお姉さんも含めて多くの女性が黙々と働いておりました。
これだけの量の明太子となるとなかなか壮観です。
サイズごとに手際よく分けてましたが、デカイのはデカイですね〜!
うちの実家の母ちゃん腰を抜かして驚いておりました。
明太マヨでしたっけ?美味しそうでした。
この後はお決まりのように、両親は飛行場で他人から頼まれた名古屋土産を買い込んでいましたた。あとは次女が私の両親とともにその飛行機にのるためにチェックポイントを通り抜けたところでさようなら。次回はまたクリスマスシーズンにでも!?ってな感じのお別れでしたね。

戻る道すがらに嫁さんのリクエストでラーメンを食べに寄り道をしました。
それにしても、両親も元気で名古屋にやってこれるのは後何回なんでしょう・・・。
母親も右膝を大分痛がってて、脚引きずってましたし、近々車椅子使用とかになるんでしょうか。

墓に布団は被せられません。ちょっと親孝行のことを考えてしまう不肖の息子なのでした。

あとで電話で確認した所、やはり豪雨の影響で便の発着に乱れが出ていて、両親の帰宅便も少し遅れて出発したようでした。

2018年7月6日金曜日

オウム真理教の死刑囚・死刑執行

遂にというか、まだ済んでなかったのかというほど時間のかかった裁判でした。

平成7年に発生したこのカルト教団による凶悪なテロ事件は日本だけではなく世界を震撼させた狂気の教団による狂気の事件でした。
当時の朝のことは今でも覚えていて、喰い付くようにテレビの画像を見入っていたのを覚えています。

13人の無辜の人々を苦痛の中で殺し、6000人以上の人々の人生を永遠に変えてしまったこのクソ教団のテロ実行者達が一日で7人吊るされました。一覧を見てみると、いすれも名前と顔が一致するほど顔の知れている人間達でした。
こいつらはこれだけでなく、可愛らしい赤ちゃんと坂本弁護士夫妻のみならず、河野さんの奥さんも殺すという極悪人共。考えられる限りの悪逆を尽くす麻原の欲望成就マシンとして働いていたわけですから死から免れるわけがありません。

宗教というものに対してはもともと常に一定以上の距離を取り続けていた私ですが、カルトに至っては”なんでこんなクソ教祖のクソ説教にみんな騙されるんか?”という疑問しか湧いてきませんでした。

その後、洗脳の解けた人たちが書きあらわした様々な内部事情を語る詳細な記録では、薬や修行という名の追い込みで人々を思考ができないような状況に持っていき最後は完全に意のままに言うことを信じ込ませると言うまでにコントロールするということでしたが、そもそもマトモな人間があんなイカガワシイ宗教モドキ(宗教でさえないように思えます)に騙されるのかと言いたいんですが・・・。中には立派な医者もいましたしね。

”疑う”という人としての基本的な能力の発揮を許さないような団体がそもそもマトモな訳ありません。

こんな事があったあとでさえ未だにこのクソ教団の変質しただけのアレフや光の輪などという変質クソカルト教団がポロポロと分裂増殖しているとか。こういう人達の頭の中ってどうなってるんでしょうかね。

事件が起きて四半世紀、亡くなられた方、被害に遭われた方々に思いを寄せるとともに、インチキ宗教家達の悲惨な今後の人生を心から願うのでした。

2018年7月5日木曜日

久しぶりに眠れた!

奇跡的というか、一週間ぶりに五時間以上眠れました。

働き方改革法案等とは無縁の生活を送っている私達医師ですが、実際は皆さんが思っている以上に献身的に働いているつもりなのですが、なかなか納得してもらえませんかね。

慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者さんの呼吸状態が思わしくなく、ありとあらゆる手を使ってはみるものの、もう残っている肺自体がほとんど無い状態の上に、間質性肺炎も酷い状況。呼吸をすること自体が生きている行為の全てになっている状況で、本当に診ていて辛いです。

煙草を吸う人の多くがその害悪を知らぬままに漫然と喫煙を続けているわけですが、病院の職員の中にまだまだたくさんいる喫煙者(加熱式タバコ類も含む)達にその末期の状態がどれほどきつく大変なのかを説いたところで全く耳を貸さない人間がたくさんいるのですから世話ありません。

中にはそういった患者さんを日々世話しているのに拘らず、やっぱり吸う人間も居るのですから私には正直「頭おかしい」のか「現実を見る目が曇っているのか」それとも「将来に対する想像力の欠如」なのか・・・という味方しかできないんですね。

21世紀の今も「自分のことだから放っといて」なんて言う奴も居そうですが、人生の最後では多くの場合そういった患者さんは多額の税金を消費しながら最後の数年を過ごすことになるわけですから、学習効果のなさはほとんど非喫煙者に対する積極的なオフェンスにしか思えないんですけどね、こればっかりは聞く耳持たぬ人には言葉も通じず効果は無いようで。

話はちょっと脱線してしまいましたが、現在の高齢者の若い頃というのは大人になったらタバコは自然と吸うものと言うのがごく普通の時代でしたし、医者でもプカプカ公衆の面前で吸ってる時代でしたからね、この患者さん達には罪もありません。

それでも、今の若い人達にはしつこく言いたい。嫌われても関係なしに言いたい。

「喫煙は健康に良い事なんて何にもないよ!」

2018年7月4日水曜日

Independence dayも遠くなりにけり

アメリカを離れて四年半。

アメリカの独立記念日というのも全く他所の遠い国の別の出来事となってしまいました。
日常の生活の中心が本当に医療行為が中心となってしまったため、アメリカの事で考える事といえばアメリカに住む娘達のこと位です。

やっぱり自然とそうなりますよね?w

なんと言ってもこの時期のアメリカというのはAMERICA THE GREAT!と言う感じで、アメリカ中が国旗で埋まってアチラコチラで花火が上がるイベントが開催されるというのが定番でした。

日本では建国記念日はどっちかというとただの休みですし、一部の人達以外は特に国旗を家の前には飾らない時代になりましたしね。私が小さい頃はまだまだ家の前に小旗をおいたり、紙に印刷された国旗(その多くは新聞の広告の中に挟まれたりしていました)付きの飾りを貼り付けたりする家庭は沢山ありました。

アメリカなどと違って、どの日が建国の起源なのかがわかりませんが、wikiによれば
建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。2月11日は、日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付である。
となっておりますので、いわゆる神武天皇の神話がその元になっているということですね。

アメリカのみんなが明日はワイワイウキウキ。一方日本に帰ってきてこんなに時間が経った私はもう日本の日常生活でヒーヒー言ってるだけの忙しいオジサンであります。

アメリカは遠くになりにけりですかね・・・。

2018年7月3日火曜日

外国人の患者さん

あるアジアの国から来られた患者さんが亡くなりました。

娘のいる日本に遊びに来ているときに、未治療の心房細動から脳梗塞を起こしそのまま重度の意識障害と右の上下半身の麻痺を持った状態で入院されてきた方でしたが、同時に若い頃から一日60本ほどのタバコを吸い続けてきたヘビースモーカーだったことも有り、両側の肺野はほぼ全面的に肺気腫・COPDの状態でした。

困ったことに奥さんがご主人の状況のシリアスさを全く理解してくれておらず、看護サイドに無断でジュースや食べ物を食べさせようとしたりして誤嚥の状況を作り出しては酷い肺炎を作ることを繰り返させてしまう困った方でした。

看護師の中から日本語と中国語のネイティブな人を連れてきて、いろいと対応していたのですが、その助けが得られないときはgoogleの翻訳システムを使って会話を行い、一々内容の理解度を確認しながらの慎重な対話でした。

アメリカのように通訳サービスがデフォルトで使えるような国ではないのでなかなか大変ですが、それでも今は病院内には英(自分自身)、中、韓、タガログ、スペイン語、ポルトガル語、ベトナム語等の話者は居ますので、その場合の通訳には事欠きません。

それでもやはり外国で病気になるというのは大変不便で不安なことです。
幸いなことに前民主党政権下で外国人が容易に生保に組み入れられて助けられる仕組みができましたので、この方々にはほとんど金銭的負担はかかりませんが・・・。こういうことに対する保険は通常自己責任であるべきなのですが。

内心では「なんだか俺達の税金がこういう風に使われる意味ワカンナイ」という気持ちも残っております。(無論、患者さんの治療にはバックグラウンドにかかわらず全力を尽くしますが、国外では医療保険に入ってから出るべきは当然ではないかという考えはまだまだ一部の国の人達には常識ではないようです。)

さて、亡くなられた患者さんの部屋には20人ほど!の日本国内に住む親族の方々が集まり、その国の風習にのっとった死に装束を持参されておりましたが、国が違えば死への準備がこれほどまでに違うのかと驚かされることばかりでした。

意を尽くした説明と治療、お亡くなりにはなりましたが、最後には親族一同の方々から感謝をされて御遺体のお見送りをさせていただきました。

それでも、、、微妙なことが伝えられないもどかしさは医療者、患者側も強く、医療行為における言葉の壁はやはり厚いです。近未来にはもっとハイレベルなAIトランスレーターが登場することを祈るばかりです。