2025年5月13日火曜日

信賞必罰は使い方次第

世界中の如何なる組織の中でも毎日成功と失敗が繰り返されています。

病院の中においても全ての職種の全てのレベルでありとあらゆる成功と失敗が流れ続ける日々。オペ、注射、診断など普通は当たり前の様に,、そしてほぼ全ての手技は成功裏のうちに終わり、誰にも評価されずに当たり前の様にその日は終わっていくだけです。しかしそれでこそ病院の日常であるべき姿。

しかし、失敗は失敗で偶然も含めて当然の様に本人達には予期せぬ形でやって来ます。ところが、時間軸を後から丁寧に巻き戻してみると様々な準備段階を経て最終的にその失敗・事故が発生している事が理解できます。予期は「していないだけ」で、別の人の眼で見るとそのアクシデントは当然の如く「ある確率」で発生するはずのインシデントとの積み重ねいう形で準備されたと考えるのが普通。

それでも、そういう事態を失敗から学び、可能な限り次には発生しないように抑え込み続け、万一発生したらそう対処するかを考える事こそが日々大切な事になる訳です。

そういう日常を送る中で成果を上げた人物には報酬を与え、過ちを犯した人物には相応の罰を与えるという考え方がありますが、これは組織の秩序を維持し、公平さを保つために重要だと思う事が多いのですが、それが必ずしも最良の方法かというとそれは大いなる疑問で、そこにはある程度の緩みを持たせておかないと過度なプレッシャーや人間の相互不信を生む可能性も高まりますからね。

更には過度にネガティブナ面ばかりに目を光らせて失敗ばかりを拾い上げることで、組織に所属する人間が罰を恐れすぎて創造性やチャレンジ精神を失うような環境では、逆に組織の発展を長きに亘って妨げる可能性も出て来るのが難しいところ。

一方で成功者には適切な報酬と公正な評価を与える事で、モチベーションが高まり生産性が向上するのもまた事実だと考えます。ただ、成功時の報酬付与は良いとしても、今の時代若い人がミスをした場合に我々の時代の様に単純に厳しく罰するのではなく、そこから何を学べるかを本人に学ぶ機会を与えることでより持続可能な成長が促されるかもしれません。そこは本当に匙加減や方法論が難しい所。  

特に今の時代は失敗に対する取り扱いは下手をしなくてもパワハラとされがち。失敗し続ける人間、反省しない人間が攻守逆転で組織を訴える事もごく普通ですから要注意ですね。^^

最近、院内でそういう事を深く考えさせられるインシデントが発生し、ちょっと考え込むこと頻りでこんな文章を書いてみました。

0 件のコメント: