2014年5月31日土曜日

リニモに乗って

今日は午前中に患者さん達を診察した後、上司の先生と以前から約束していた長久手地区の土地や物件等の不動産物件巡りをしてきました。

長久手の界隈を車ではなく、通勤者の目線で見ようと思うと必然的にリニモを使うことになります。
東山線終着駅の藤が丘駅には名鉄のターミナルのみならず、リニモのターミナルもここにありますので、乗り継ぎは非常に便利。
基本的にリニモの沿線沿いというのはトヨタ博物館から向こうはどうもド田舎なんですが、これから予想される長久手の人口増を伴った発展というものを考えると、ここを不動産として検討・考慮しない手はありません。

という訳でまずははなみずき通駅というところで長久手中央図書館の周りの物件を探してみたのですが、これまた空き地はあっても売り物件ではないという状態。オマケに例え土地はあっても坪50万が普通という厳しいお値段です。
きっとチョット前までは結構安かったんでしょうね〜と言う感じでここを後にしました。

次に向かったのは愛・地球博の有った広大な公園(モリコロパークというのだそうです。)の一つ前の西側の駅であるその名も公園西駅で降りて、IKEAがもうすぐやってくるらしいというクロネコヤマトの集配所みたいなのがある所のそばをウロウロしてみましたが、自他ともに認める九州出身のド田舎者の私が見ても実にド田舎でした。夜になると戦国武将が歩いていても別におかしく無さそうな感じのエリアでした。w
香流川も脇を流れていましたので、水害とか起きないのかなとチョット不安になってしまいました。
しかし確実にここ辺も地価上昇の波は来ているんではないかなと思うんですけどね。

向こうに見えるのがモリコロパークですね。家族が愛知に来たら一緒に遊びに行きたいな。
乗った初めて気付いたのですがリニモは無人!というか車掌さんは乗っていたのですが、運転席に当たる部分は誰も居らずスイスイと停まったり進んだりしてくれるとても賢い乗り物でした。
向こうに見えるのが2005年?に行われた愛・地球博のあった現モリコロパークです。
実は観覧車に乗りたかったんですが、おっさん二人で糞暑い日に観覧車の乗りに行ったら、なんか変に勘違いされるのが嫌で、言い出しきりませんでした。w
帰りがけは右手にトヨタ博物館を見ながらの帰投。留学前に名大に居た頃、ここに実家の親父を連れてきたことが有りました。確か各社の日本を代表する名車がズラリと並んでいたのを覚えております。
沿線を眺めながら思ったのは本当にここいらは大学が多いな〜ということでした。少子化のこの時代、こんな田舎にこんなに沢山の大学があって経営の方は大丈夫なんか?と、人事ながら心配してしまいました。

藤が丘についた後は、上司の先生に教えていただいた名古屋の有名喫茶店の一つ「ベラ」に連れて行っていただき、これまたベラ名物のウインナ・コーヒーと名古屋名物黒糖パンのあずきサンドを頂きました。

名古屋っていろいろ行くところがあって広いですわ、ホンマに。

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スイッチ・オン

激アツの名古屋です。

何が何だかわかりませんが、急激に暑さを感じる日中から夜半の東海地方になってきました。
まあ、もうすぐ6月が来るのですから熱いと感じる季節であっても全くおかしくはないのですがそれにしても久しぶりに戻って経験する日本の夏はやはり暑い!

思わず、帰ってきた時に家のクーラーのスイッチをターン・オンしてしまいました。設定温度は25℃。十分これでも効果有りです。

何はともあれ体感温度における湿度の力は凄いですね〜。少しでも院内で動くと白衣を着た時にその下に着ているポロシャツの中から汗が出ているのを感じますから「気持ち悪い!」こと限り無し。
アメリカに居た頃は夏は寒さに震え、冬は暑さにめげて扇風機を回すという矛盾した生活をラボの中で過ごしていたので、暑い時期に素直に暑いというのは実に久し振りの感覚なのです。これが体重減少という状況に素直に繋がってくれればオッサン的には助かるのですが、どうもその分は素直に水分補給の欲求が上まってしまって今のところほぼ効果なしです。w

暑さを利用してのダイエットなんて言うのは実際ボクサーが試合直前にウェイトを削ぎ落とすのには使いますが普通の人が普通にこれやったら脱水で逝っちゃいますから。厳重な監視下でのみ可能なプロの肉体での変化をオッサンが試すのは自殺行為ですのでこれは初めから選択肢には無し。
まあ、地道にまともに体重を減らすには食事量の調整と運動しかありません。食欲を殺す、もしくは体内の代謝量を上げる薬を使用すればいけないこともないのでしょうが、残念ながら現時点では副作用ゼロでこの手のことを達成させることの出来る安全な薬は私の常識内には未だありません。

この暑さというやつも厄介なもので、人によっては全く暑くなかったり逆にまだ寒いよ!等という場合もあるのですから、全員が同じように感じる快適な「体感温度」というのはなかなかありませんし、ほんとうに難しいものです。

昔は寒がりだったうちの嫁さんも出産後は明らかに暑がりだった私よりも暑がりになってしまい、私自身がまだ全然暑くないと言ってる時に私の顔を覗きこんで「あつ〜〜〜」なんて言ってきたりするようになってきましたので。
(更年期障害?w)

さあ久し振りの日本のこの夏、温暖化現象などと言われて久しいこの頃ですが、一体どうなることやら。

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2014年5月29日木曜日

マンション選び・忘れがちなこと

上司の先生と住む家に関して話しているとやはりいろいろと考慮すべき要素が出てきては「(´ε`;)ウーン…」と考えこむことの連続です。

いろいろと売っている市販のマンション関係の本にも一冊二冊読んだだけでは書いていないようなことの要素の一つとして住んでいる住人の事がやはり考察要素として欠かせません。何をそんなアタリマエのことを!と言われる方も多いかと思いますが、私のようなド素人からすると何もかもが「言われてみるとそうじゃの~」というような事ばかり。

例えば新築の大規模マンションが比較的安価で出されているとします。するとそこのマンションには例えば2000万円台から5000万円台までの価格のプランがあるとして、そこを買う人達はどんな人達なのかと考えるわけです。
あくまで推定ですが、若い世代の人達は当然まだまだ収入は低くて当然です。しかしそれでも今月々支払っているアパートの家賃と比べれば、この超々低金利時代においては2000万台の物件であれば下手をすると家賃よりも安い毎月の支払で返済条件のセットが組めたりします。

今度は中高校生を育てているような40代後半の世代であれば、収入も上がっているにせよ支出も同様に上がっていることと「今後の高等教育の継続」(当然大学以降)の為には実に近々に大きな支出が数年間は続くことになりますので、これまたそれほど高い買い物が出来ないわけで、やはり親の援助などがない限りは5000万の物件には普通そうそう手が出せるとは思えません。(ここに書いているのは平均的なサラリーマン庶民の感覚で書いているものですので、一億程度の物件なら即キャッシュというような資産家の方々の目線とは異なりますのであしからず。w)

こういった値段の異なる物件の比率次第でそこのマンションの中に住む世代の塊がある程度「年齢と所得」によって確定することになります。
もしこれがある程度若い子育て世代ばかりということになると、マンションは正に保育園状態になってしまいますし、その世帯が転勤などをしない限りは年数が経過すればするほど一気にその経過年数毎にマンション全体が老いていくことになるんだろうなと考えます。

この例は公団の大規模開発物件などでは実にいまシリアスな問題になってますよね。
果たしてこういった問題というのは売り買い自由なマンションの場合もかなり公団の問題をコピーしたような形で発生するのでしょうか。まあ、人気物件ならば売り買いが激しく動きの良い株と一緒で、買い手がついて住民も次々に入れ替わるメリーゴーラウンドのような感じになるのでしょうが、、、。

ああ、これ一つとっても色々と沢山考えないといけない要素の内のたった一つなのに、、、。
家選びって難しいものです。

アメリカの家みたいにデカイのを安くで買って勝手に自分たちで改装して更に値を上げて売れるようなシステムが標準になっているような地域に住んでいれば素晴らしいのですが、、、。
何と言っても日本は土地代が高すぎて、この点お話になりませぬ。

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中国の共産主義の終わり

世紀の実験があちこちで崩壊を始めたのが1980年台後半からとすると、中国はよくまああの大人口でこれだけ人民をコントロールしたものだと思う。本当に。

習近平という人間が登場して暫くは様子を眺め続けたりある種の期待を抱いてきた人間たちも、このオッサンが一党独裁という「国民支配のための道具」を絶対に捨てないことを再確認する幻滅の日々を味わわされているのではないでしょうか。
共産主義なんて人の当地方針としては「全く」機能しないなんて言うのは世界各国の悲惨な実験が数限りなく証明しているのに、まあ、まだ毛沢東思想なんて言うことを授業で教えたりするというお笑い中華民族ですからその救い難さは”度し難し”というところですが、、、。

しかしまあ、実際の人間界で起きている歴史的事実としての共産主義の唯一の目的は「既得権益層の利益の保護」ですから、国家の安定運営という空疎なお題目のもとに絶対の正義を標榜する警察権力と軍を持つ党がどんな手を使ってでも反抗を抑えこむ行為を続けるのはまあ、ジャイアント北朝鮮というところでしょうか。
中華思想という名が示す通り、世界の中心が自分という発想を元に21世紀まで生きてきた「天動説に生きる幸せな人々」は国土の広さ=自分の実力という、まあジャイアンそのものの発想ですか。w

しかし崩壊しようが、正直なところ基本的に世界の多くは誰も困らない北朝鮮と違い、人口の多さゆえにもたらされる経済的な活動のデカ故に、一度それがクラッシュしたらその余波のデカさはリーマン・ショックどころでは済まないでしょう。
既に事実上ノンバンクとその不動産投資関連の経済活動がクラッシュしているのは明白なのに、その事実が政府の分厚い厚化粧政策に糊塗されてますます表出が遅れて傷口の拡がりと深さが深刻になっているというこの数年来の動きは実に不気味です。

中国は結局このままでは中進国の呪いに体を縛り続けられたまま腐っていくのでしょうか。
アメリカに居た頃の中国人の同僚、友人、学生などは生まれた年代とそのやってきた地域背景によって実に様々な考えを持っていましたが、かなりの確率で共通していたことは政府の悪口を表立って言わないということでした。それがたとえ自由に討論できるアメリカであってでも。無論ジェスチャーでは「察してくれよ」と言う感じの苦笑いや肩すくめをして話を終わらせたがるのですが、アメリカに留学や移住をしてくるような、知的レベルも高く中国においては富裕層に属するような連中でさえこの有り様ですから。

そういう経験をすると、日本という国に生まれるというのは極めて特殊で幸せなことなんだなということを改めて強く感じたものです。

話は脱線してしまいましたが、冗談抜きで来る巨大クラッシュに備えた資産退避の行動をとっておくべきではないかと最近は真剣に考えています。このクラッシュ時現金資産を持っていることが多分「21世紀初頭における最高の投資チャンス」なのではないかと思えてなりません。

多分、アメリカの投資銀行関係者の中で異常にエグく儲ける連中がまた出てくるだろうな、、、。ま、もう種はいつでも蒔けるように仕込み済みでしょうが、、、。いや、もう蒔いてあって後は発芽を観るだけか?

それにしても大クラッシュの時に共産主義ってどうなるんだろ。正にパンドラの箱状態?
怖くて見れないけど見てみたいホラー映画のようなものか。w

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2014年5月27日火曜日

歳を経て(後天的に)障害を持つということ

多くの若い人は多分自分が障害者になる可能性ということを想像したことは無いと私は思うんですが、どうでしょう。少なくとも私自身はそうでした。というか、若いころそういう可能性(リスク)には目を向ける暇もなかったというのが半分本当かもしれませんが。

若いころの日々の生活は楽しく、苦しく、切なく、苦(にが)く、悲しく、悩んだり、怒ったり、恋したり、失恋したり、来る日々来る日々が、日々が若さゆえに許される「その歳でやっと可能になる新鮮な体験」に戸惑ったりというような毎日を過ごしているのが多くの若い人の日常じゃないかというか、当時の私自身は少なくともそうでした。

純然たるオッサンである「今の私」のように馬齢を重ねても同じような経験はやはりしておりますが、若いころの「フィルター無しで紫外線を浴びる」ように、ギラギラとした新鮮さを伴った感覚を持って身の回りで起きる日々の出来事に反応しているわけではありません。
そこにはやはり馬齢を重ねたなりに、多くの人々から学んだ体験談やおのれ自身の失敗や成功の経験を通じて七転び八起き状態で学んで堅めてきた結晶のような「自分なりの知恵」というフィルターを通じて、昔の自分よりもいろいろな出来事により柔軟に対処、かつ冷静に見つめる事ができるようになっていると確実に感じます。(質の悪いかなり曇ったフィルターでは有りますが、、、。)

だからといって、もともと自分が持っている愚かさの底上げが出来ているとは未だに「到底」思えませんし、、、そこは先人が理想とした四十にして惑わずなどという、私にとって「絶対無理〜!」という高すぎる目標ではなくて、せめて日々何かを変えて昨日よりちょっとだけ進歩した自分に、という気持ち先行で心持ち頑張る日々を送っているのでした。(肉体的には日々退化ですが、、、。orz)

さて、冒頭で書いた「障害をもつ」ということですが、自分自身が肉体的な障害、精神的な障害を持つ可能性というものが次第に眼の前に「可能性」として広がってくるのが不惑を超えた当たりからでしょうか。
朝起きた時、何となく前日の疲れが取れにくいとか、前は息が上がらなかったはずの階段で、上がりきったあと息が切れたりとかいう小さな変化が起き始める歳です。いわゆる典型的オッサン化ですね。w
不惑からあと、まだ私の場合は次の十年の区切りをつけるまでには至ってはいませんが、前にも書いたように大きな病も経験しましたし、人生なんてなにか一つチョッとしたことが起きるだけで法的に認定してもらえるだけの障害者になる可能性があるということがリアルな世界として実感できるようになりました。

ましてや、医師をしていると周りでは日常的に肥満や加齢による高血圧、糖尿病、脳血管性の疾患、更にそれらが二次的、三次的に壊していく玉突きのような障害の形成が起きるのを見ており、元気な人でもアッという間に障害区分認定を受ける状態にまで悪化する可能性はいくらでもあると言う事実を日々突きつけられます。
(若い人の場合は大きな突発的な事故や重大な疾病の場合にそうなることが有りますが、そういった場合、多くの中年以降の人が普通に通って行く老化の一過程での障害獲得とはまたいろいろな意味で異なったレベルの対応を取らざるを得ません。特に患者さん本人の心のケアや御家族への対応という意味で。)

しかし、若い時にはなかなかそういう「誰にでも起きる厳然たる可能性」は見えないし、見たくないであろうし、またそんなことをくよくよ考えても詮無きかな等と言えないこともありません。
でもやはり私が若い人たちに心の片隅には留めておいて貰いたいことは「障害」というのはどのような形のものであれ「明日は我が身」の出来事なのだということを。
そうすれば、障害を持っている人を見ても心の底から優しく出来るようになれるんではないかなと。それが出来ないという場合があるとすれば、それはやはり「想像力の貧困」に起因するものなのでしょうか。(だからそれが出来ないのは悪いなどというのではなく、それを考えるチャンスがなかったのだろうと考えるのが最もありきたりな事実だと思います。)
後天的障害でさえそうです。ましてや先天的障害を持つ人々には尚の事、優しく出来ないものかと思うんですが、やっぱりこういったことに目を向けさせるというのは小さな頃からの日常生活を通した親の教育による体験学習的な積み重ねなんでしょうか。

社会の中で障害を隠したりするのではなく、それを持っていてもあたかも空気のように周りの皆が普通に気負うこと無くハンディキャップのある人を助けてあげられるようなgentlemanshipを示す社会がほんとうに到来した時、その国家はほんとうの意味で成熟したのだといえる気がします。経済力やインフラの問題では無いと思います。

難しい問題ですが、人として目を背けてはいけない(いられない)問題であることには違いありません。
何度でも言いますが、これは「誰にでも起き得る明日は我が身の物語」ですから。最近強くそれを考えさせられるような患者さんとの交流が有り、アホなりにこういった駄文を書いてみることにしました。

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2014年5月26日月曜日

日本で髪を切ること

アメリカに一時帰国してから日本へ戻ってきてはや一ヶ月と少し。

アメリカでは全く問題なかったことが再び鎌首をもたげてきました。それは伸びてくる自分の髪をどう処理するかという問題です。
アメリカにいた頃はそれなりに髪が伸びてきたら耳の周りが鬱陶しくなってきますから、日本から持ってきていたNationalのスキカル(パナソニックブランドになる前のものです!)で定期的に嫁さんに髪を刈ってもらっておりました。

このスキカル本当に重宝しておりまして、この十五年の間にたった一回バッテリーが死んだことで新品の物を一台追加したのみで、メカニカルな部分に関しては油差しをたまにする以外のメンテ無しでほぼ月イチのペースで息子と私の髪を刈り続けて働いてくれること軽く十年です。(最初のものは日本から持ってきてほぼ十年。そして今のものもバッテリーが死んだあとも有線で元気に刈り続けてくれて十年経過しております。)

やっぱ日本製はアメリカブランドの(メイドインチャイナなんでしょうが)バリカンとは桁違いに切れ味がイイですね。
何と言ってもサクサクっとバリカンを動かすときにアメリカ製のもののように「痛え〜!」という必要が無い。w
本当にここんところは大事なことで、アメリカ製のものを使っていると髪を切るときに忍耐力の勝負、もしくはその鋭い痛みが何時来るかというちょっとしたスリルとの戦いになってしまい、「髪をどう綺麗に仕上げるか」という本質とは全く関係ないところで神経を消耗してしまうのでした。

パターンはいつも一緒で、息子は6ミリ。私は12ミリでシンプルにブイーンと刈り上げてもらうだけ。場所はたまに気が向いた時に外のテラスでやる以外はほぼ浴槽の中に裸で座り込んでの作業となります。w
そしてそのまま刈り落とした髪はまとめてゴミ箱へ捨て、シャワーと洗髪に入り、さっぱり洗いあげていい気持ち〜という流れ。

これが途切れてしまったから床屋へ行って2500円も払うのですから何だかな〜と言う感じです。刈ってくれる人さえいれば問題無いというだけの話なのですが、、、。
病院の若手に頼んでアマゾンで注文したバリカンで刈ってもらおうかな。w
(パナのバリカン2000円台から有りますから!)

いや結構マジで。

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2014年5月25日日曜日

嫁さんの休日の行動

昨日はグーグルハングアウトで嫁さん側からコールが入った。

今晩はなんかsomething new?と思いつつ反応すると、いきなり眼の前にはグラスベークの色違いのカップが2つデーンと置かれていました。
お、近所のスリフトかアンティークショップで手に入れたかなと思って話をよく聞いてみると息子を引き連れてチョットドキドキしながら遠出をしてアチラコチラのショップやスリフトをジックリと回ったようです。
何れも私がアメリカにいた頃に一緒に休日に巡った店々だったようですが、結構遠くの店まで行っていたので驚きました。

まあ、この手の遠出など息子にとっては面白くも可笑しくもないのでしょうが、そこは乗り物好きの息子ですから純粋に「移動」ということに興味を示してくれるということと、途中で立ち寄るマックのチキン・ナゲットが食べられるのがやはり大きな魅力なのでしょう。

実際に、朝もはよから他の二人の娘達も嫁さんに誘われたらしいのですが、「にべもなく」断られた様です。まあ、高校生や大学生の女の子でそんな古いカップやトレイの収集癖があったら変ですわな。w
基本的に女の子というのは男の子と違って「モノを蒐集する」ということに関しては比較的淡白だと思われていますが、ものがものだけにそのあたりは男子女子の法則が当てはまらないのかもしれませんね。(まあ、うちのは純粋に三人子持ちのオバサンですから法則の当てはまりやすい女の子ではありませんが。w)

それにしても掘り出し物を安くでゲット出来た時の嫁さんの嬉しそうな顔!!(お前って奴はよ~、、、と、歯の裏まで出かけるのをこらえてる私です。)

俺もこんなにシンプルな思考回路を持って生まれたかったです。orz
(まあ、そんなシンプルな嫁さんを見ているおかげで色々と癒やされるのですが、、、。)

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2014年5月24日土曜日

藤が丘で若い同僚達と、、、

今日は病院のケースワーカーの若い同僚達と飲みに出かけました。

若者達に誘われるままに藤が丘駅の界隈を路線に沿って南下していくと焼き鳥屋が見えました。
中に入ると良い感じの小汚い焼き鳥屋さんがやっておりまして、案の定の良い感じの手書きメニューに色々と美味しそうな焼き鳥とお酒が諸々書かれて出てきましたが、こういう所こそアメリカにいる間には望んでも手に入らなかったものですから内心「ヤホ~」と言う感じ。

まずは生ジョッキで乾杯、その後キャベツと焼き鳥を啄みながら仕事の話、私生活の話などに花が咲きました。食べるのに忙しいということもなく、話すのに忙しいということもなく丁度バランスの良い感じで三人の大人がゆるゆると愉しい時を過ごしました。

面白かったのは一番若いケースワーカーのお兄さんの見せてくれたいろいろな昔の撮り溜め写真一覧。
腹の底から笑わせてもらいましたが、昔の我々の時と違ってスマホで撮りためた写真も歴代自分持ちの機種を乗り越えてデータを最新機種にストックしていっている人達も多いようです。
彼も酔っ払ってきて敷居が下がったためか、自分の写真をチラチラ見せてくれ、それを彼の横に座っている同僚女性と眺めながら大笑いでした。

二次会は富山で採れた魚と酒を出してくれるお店へ向かい、そこでは美味しいお魚に切り替えての四方山話。
いい感じでの会話はずっと続いたのですが、11時も過ぎそうになってきたので次回のミーティングを約しての散会となりました。
彼も家に戻るという意味では病院の方へ帰っていくのは同じでしたので、いつも私が歩いて帰っていることに合わせてもらってその道すがらもいろいろと話しながら家路についたのでした。

別れた後は橋の上でスカイプを使ってアメリカの嫁さんに電話。
年甲斐もなく嫁さんと話したくなった一夜でした。

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2014年5月23日金曜日

クチコミ掲示板と信頼性

不動産購入の検討の一環としてネット上で対象物件に関するしつこいほどの検索をかけ続けています。

もちろん口コミサイトはその中の対象の中の一つであることには変わりありません。
この口コミサイト、近年では殆どどのようなマンション物件でも当然のように存在していて、システマティックにその全体像を描き出そうとしています。

無論、有象無象の情報の中には明らかに嘘と思われるものや評判を落とそうとするもの、また一般的な知識としてどのようなマンションを選ぶべきかと言う知恵を授けてくれるもの、物件自体ではなくその物件の周辺環境を詳しく書き込んでいるもの(ポジネガ関係なく)、将来のリセールバリューに関する推測、住民の質や世帯平均収入などに関する推測、、、。

本当にまあ良くそんなことまで知ってるな、良くそんなことが書けるなというような訳の分からない謎情報まで含めると、その情報量は莫大なものになります。
まあ、それをどう生かしていくかというのは取捨選択をするこちら側に一任されていますが、こういった物件に関して私が持つ「常識の質」を試されている感じです。

それに合わせて上司の方から借りた本を読むことで上げてきたわけですが、その勉強の成果がどれほど生きますやら。

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2014年5月22日木曜日

嫁さん頑張ってるみたいだ

数週間前、グーグルハングアウトを使ってのネット越しの会話で嫁さんと揉めたことがありました。

それはアメリカで加入している医療保険に関するいろいろな手続に関してのこと。
通常はこの手のことは全部私がやっていたのですが、アメリカから日本へ自分の身が移るとアメリカ時間に合わせたエラく変な時間に保険会社の人間と渡り合わないといけません。
おまけに、これは大変に手間暇のかかることですので、結構夜中のXX時なんていう時間までフラフラになって起きていなければならないのが二重、三重に辛い。

これを数日間にわたって何度も繰り返してくうちにダダ疲れの状態になってしまって、この不満を嫁さんに投げつけてしまいました、、、。あちらの会社と交渉をしたことのある方なら御存知かとは思いますが、日本のように丁寧なことなどまずありません。特に質の低い担当者にあたった時は真剣な戦闘モード。

これが積もって嫁さんに怒りの丸投げモード。(#・∀・)
何でもかんでも日本からコントロールというのは事実上ほぼ無理でした。まあ、俺が悪いんですけどね、、、。orz 

ということで、この保険会社とのちょっとした支払いに関する交渉を嫁さんにおまかせということにして暫く放っておいたら、立派にやってくれましたよ〜!最後はあちらの会社らしく日本語通訳を引っ張りだしてくれて(笑)、それで嫁さんの間に通訳を入れてくれての細かい交渉事をしてくれたらしいです。

やれば出来るの〜!またこれで嫁さんがアメリカで一つ大人になりました。メデタシメデタシ!w

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2014年5月21日水曜日

当直の日に隣では

病院では救急外来も入ってきますが内科外来と精神科外来ではその受け入れの様子はかなり違います。

私は精神科の緊急外来担当ではないので、緊急搬送されてくる精神科の患者さん達に接することはないのですが、時々パトカーと救急車が緊急外来受付に乗り付けてきていて、家族の方々が慌ただしく入院受付の手続きなどをしている横を通り過ぎることが有ります。
精神科のドクターと警察官がその入院に対する処遇などに関してどのような話をしなければならないかということに関しては朧げながらしか知りませんので、無責任なことをここに書くつもりはありませんが、内科の緊急外来の「一刻一秒」を争って、消え行く命のともしびを再び燃え上がらせるという感じとは違う別の感覚の緊張感を漂わせている感じです。

今年4月1日の精神保険福祉法の改正で色々と今までの精神科外来、入院ともにシステムが変わったようですが、精神科の先生方の日頃のお話を聞いていると、人権に抵触せずに患者さんの危機を保護するという手順を踏まなければならないという極めてセンシティブな問題に大変気を配らなければならないのだなという事だけは伝わってきます。

実際、改正された法律と今までの法律との「実務上の手順の差」というものをどうすべきかという点に関して物凄く気を配っている様です。特にまだまだ精神科の中では若手の経験の浅い先生などが、上司の経験豊かな先生方にいろいろな角度から質問をぶつけられているのを医局でも耳にします。

大きな法の改正があると、どのような組織や世界でも不明瞭な点に関する大きな混乱が起きたりしますが、病院の先生方は実にスムースにハンドルされているようです。
私自身は心の科学は21世紀の最新の、かつ最も難しい最先端領域の科学であろうと思っているのですが、精神世界の領域において何を持って正常とすべきかという点も含めて私には本当にこの方面の知識が欠けているな〜と考えてしまいます。

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2014年5月20日火曜日

十三年ぶりの再会

今日はある人との「本当に久しぶりの再会」を喜んだ日になりました。

ある人とはNIHにいた頃、日本からやってきた先生でした。
今は医科大で教授をされておりますが、本当に研究志向の先生でどんなところにいても研究を考えている人でした。
NIHに居た時も私を色々と指導して下さり、日本に帰っても私の上司となってくださった先生とこの教授の間で連絡をとっていただき、最終的に今回の再会となりました。

実際に藤が丘の駅前で待ち合わせること暫し、左手から本当に本当に懐かしい顔の人物が登場しました。
十三年振りの再会でしたが、一瞬にしてお互いがタイムスリップ。旧交を温めるべく近くのビルにある海鮮料理の店へ入ってビールと刺し身、そして諸々の付き出しを食べながらの楽しい会話となりました。
なんとも不思議な感じでしたが、こういうのは実に自然と時間が巻き戻るんだなということを実感した瞬間でした。

裏表無く、何の打算などももちろんそこには無く、お互い何者でもなかった頃からの裸の付き合い。本当に良いもんだと思いました。

二軒目にハシゴしてそこでは美味しいウイスキーを飲みながらの二人だけの会話。(ここでお酒を余り飲まれない私の上司の先生は患者さんの事で病院へと戻って行かれました。)
ここで大学の院生から先生に電話が入ってきて実験結果に関するコンサル。w 夜中でもガンガン実験をする若い世代が今でも普通に残っているというのが何だか嬉しいですね〜。私も先生のラボを直接この目で見せていただくべく、タクシーに相乗りしてこの院生の実験中のラブへお邪魔させていただきました。(夜中に戻ってくる教授と見ず知らずの謎のサイエンスおじさん。さぞかし迷惑でビビったことでしょう。明日手術が入っているというのにごめんね。w)

この院生と暫く実験の手順と検討すべき変更点を討論したあと、彼の車に教授とそのまま乗せていただき病院のそばで下ろしていただきました。何だか数時間の再会でしたが愉しかったな〜。

また機会が有ったらゆっくりと飲みたいものです。今度は食事中心で若い先生も入れてもう少し間をもたせますか?

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2014年5月19日月曜日

患者さん達からよく学ぶ

病院で医師として勤務していると本当にいろいろなお話を患者さん達から聞くことになります。(ちなみに私は患者様という呼び方は日本語として”変”だと思うので使っていません。)

日々の診察や問診の中でも、患者さんと個室で対話したりする状況で、時にはこちらが思ってもいなかったような面白い話、驚くべき話が飛び出してくることが、、、。
また、私から見てもかなり年配の患者さん達の中でいつも印象的なのは、未だに先の大戦での経験がいろいろな形で自分の精神形成の歴史の一部として残っている人がたくさんいるということでしょうか。

話を一つ一つ出来るだけ時間をとって聞いていけばいくほど、患者さんの口からは「本音」が漏れてくる確率があがってきます。治療する側とされる側という日常的には余り経験しない立場が錯綜する病室のなかだからでしょうか、命を救う、そして中には救うことが出来ない患者さん達との遣り取りのなかでは、絞り出してくるような患者さん達の正直な過去の経験談や考えが出てくることが本当によくあります。

そんな時、多くの場合にはお爺ちゃんお婆ちゃんはチョットだけ声を落として他の人に聞こえないように話しかけてきたり、周りに人がいないのを確認してから私の方を向いて話してきたりと、ある程度周りに「今から話す事」を聞かれないように話す素振りを見せますね。当然といえば当然なのでしょうが。

年老いたその人の今の姿からは想像も出来ないような波瀾万丈のものもあれば、苦労話、出鱈目に過ごしてきた人生の仰天するような話なども多いですし、男や女の生々しい事、昔関係した仕事に絡んできた色々な話せなかった事、、、。
今では人生もほぼ終盤というような時期に来てもう隠すこともあるまい、しかし話す相手は誰でも良いというわけでもないというような話をボスッと落としてきます。

聞いていて他愛もない話もあれば、マジですか!というような話もあるし、まあ、これは流石に嘘でしょうというようなものもたまには有ります。しかし、全体的にこういった話は面白く興味深いものが多いのも事実。
私の最後のトークです、と言う感じでお話をされる方も多くて、私自身も襟を正してへ患者さんの口許へ自分の耳を近づけていくことも度々です。

突然死ならそういった事を語る機会も無いと考えると、こうやって話しながら人生の締めをすることの出来る方々というのはある意味では人生への良い別れ方をしていると考えることも出来るのかな等と独り思ったりもするのでした。

何時かは私もこういったことを誰かに話す日が来るのでしょうか、、、。
せめて嫁さんには傍にいてもらいたいなと思ってしまう寂しがり屋のオジちゃんでした。w

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2014年5月18日日曜日

名古屋周辺散策

今日は名古屋、特に東山線沿線の気になる街を散策してみました。

まずは覚王山。
地下鉄の駅の一名称だということは知っていたし、地下鉄で通過する度に覚王山という名前は見ているのですが、そこがどんなとこだかは全く知らず。まずは地下鉄を降りて駅の上に上がっていくとそこが大きな交差点に面していることが解りました。

どっちに向かっていけば全くわからないので駅名になっている覚王山の更に元となっている日泰寺に向けて歩き始めました。地下鉄から日泰寺に向かって歩く道すがらには陶磁器の教室やお店、喫茶店などちょこちょこっとおしゃれな店がありましたが基本的には閑静なエリアで、寺関係の石材店その他もそれなりに散らばっています。
可愛いキティちゃんやトーマスも!
やたらと女子高生らしき姿のお嬢さん方も目立ったのですが、多分この周りには学校があるのだろうなと思いつつの前進です。まずは日泰寺の脇をそのままマンション建設中のところまで入っていきましたが、生憎まだまだ建設中で入ることも出来ませんでした。
途中に有ったレトロな給水塔
しかし、この辺りは本当に落ち着いたエリアで、間違いなく昔からこの辺りに済んでそうな人達の閑静という言葉がピッタリ来るようなエリアに鎮座する結構立派な洋風和風の家々が軒を並べていました。
途中にあった鉈薬師を示す路上のマーク
まあ、買い取ったら結構なお値段が付きそうなところでとても私のような人間が手を出せそうな所には見えませんでしたね。w
そのまま日泰寺の方に再び戻ってきて中に入って行きました。
中は思っていたものと違って大変広く、五重塔や本堂その他も合わせていろいろな建物がありました。
御手水で手を綺麗に洗って本堂へ向かって行きました。
広々として良い所です。
子供たちが遊ぶには最高のところでしょうが、玉砂利とかがないのがちょい残念か。
まあ、神社じゃないのでいいのかな?
これが日泰寺の「泰」の部分と関係のあるタイの国王様?説明をよく読んでませんが。w
ほんとうに気持ち良いところでしたが、長居もできず次は星ヶ丘へ。
ここは星が丘テラス等という名前で何だか若い人たちにも人気があるとかいう噂のエリア。全くそれがどんなものなのかは見たことありませんが、ウェブで見る限りでは子育て世代前後の女性が好きそうなエリアです。
しかし、私が地下鉄を降りて見たのは三越としょぼくて古い感じのバス停。

取り敢えず近所の不動産屋へ入り込んで、土地やマンションなどの物件案内をしていただきました。
特にそれ以上の行動も取らずそのまま藤が丘の方へ戻っていきました。

今日わかったことはやはり現地に行って、しかも歩いて雰囲気を掴まないと街の様子は見えてこないという単純な事実でした。そんなの当たり前でしょうと言われればそれまでなんですが、実感として言葉の意味を何度も焼き付けて理解することの大切さはサイエンスの過程でも何度も経験したことなので、今日の小旅行はまあ合格点かなと思いました。

また時間が有ったら名古屋の他のエリアも散策しようと思います。

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2014年5月17日土曜日

長女の二十歳の誕生日

二十年。

長いようでアッという間の二十年が経ちました。
今日はアメリカの大学の夏休みが始まって、アメリカの家に帰ってきている娘とグーグルハングアウトで話す機会がありました。嫁さんとハングアウトしていた時にパソコンの前を長女が通ったので、ここぞとばかりいろいろな話を結構長い間にわたって話しました。

長女誕生の日、私は大学院生としてDNAを入れた大腸菌の大量培養をしていました。周りの先輩方は「お前、こんなとこで実験なんかしとっていいんか?」と言われつつも心を落ち着かせるために実験をしていたのでした。
すると、義母から電話があり「生まれそうだから病院に来てください!」と電話が入って全てをぶん投げて大慌てで婦人科へ。この病院は大学の先生方、特に小児科の先輩方に評判の良い信頼できる産婦人科として厳選した病院でした。

駆け込んで待つこと暫し!
泣き声が聞こえてくるではありませんか!ワクワクドキドキしながら分娩室に入って行くと息んだせいで真っ赤な眼をした嫁さんと、まだ胎盤の付着物一杯の生まれたばかりの元気な我が子がいました。
生まれたばかりの小さな娘を初めて腕に抱いた時の押し寄せるような感動が本当に昨日のことのようにありありと思い出されます。我が家に生まれて来てくれて有難うと本当に本当に心から思いました。

抱いた時には指の先がジーンと痺れるような甘い感覚が私の全身を包む不思議な感覚に襲われました。(この感覚は他の子達が生まれた時にも感じたもので、最高に感動した時にはこういった通常は体験できない不思議な感覚というものに襲われるのだというのがよく解りました。)

ダメ親父なりに嫁さんの大きな力を借りて二十年頑張りましたが、幸いなことに「オヤ(ジ)は無くても子は育つ」を地で行って立派に育ってくれました。
残念ながら、二十歳の誕生日というような「大事なとき」にお互いが地球の反対側に居て、身近でお祝いしてあげられません。とにかく健康で幸せであってくれさえすれば親としてはもうそれで十分。あとの諸々はオマケです。最近はサプライズでも良いから孫を連れて来たら二周目の子育てとして一周目の反省点を取り入れながら命の限り育ててやると「嫁さんには」言ってます。

これからも幸せで真っ直ぐな人生を歩んで欲しいなと心から願います。
それ以外には何の望みもないです。全然偉くならなくても良い、失敗すれば何度でも立ち直れば良い、生きていくのに足りる普通の経済状態のもとで自分を愛して尊敬してくれる配偶者とともにまた新しい家庭を築いてくれればと思うオヤジ歴二十年目に突入した私でした。

娘よ、これからも幸せになる努力を続け、その幸せを他の人にも分け与えられる人になってください。
これからお前の生きていく時代が戦争の無い飢餓のない自然が美しいままの時代であることを願っています。

おとうさんより。

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お金で幸せになる

お金を使って幸せになるというと何かを買うの?とか、その買うものに関して何かのコツやお勧めでもあるのかな?という事を聞いているのかと思うことでしょう。

少なくとも私の場合はそうでしたが、ネットを巡る中で私が目にしたのはバフェットの宣誓
彼はメリンダ&ゲイツ財団に彼の財産の99%を寄付することことに関して「時の人」として数年前に有名になりましたが、彼の説くところの最も深くかつ簡単に「己」が幸せを得る方法は「他人」を幸せにすることである、というものです。しかも彼の場合は御存知フィランソロピストとして。

通常、こういった世界でも指折りの金持ちが金に関して言うことを読んでもオイオイと言う一言で済むのかもしれませんが、よくよく日常の出来事を思い返してみても、己への行為の場合にかぎらず人というのは人に対して何かをしてあげる、しかも見返りを求めずに利他を施すという行為に何らかの大きな喜びを感じているのではないかと思うことが多いのではないかなと考えます。

災害の度に立ち上がる善意の人々のボランティアと寄付。皆それぞれに忙しいし、お金も余計にあるわけでも無い人々でも「ここぞ」という時には自らの時間や金銭を損得感情から切り離して行動するという事実。これを、義とか惻隠の情という言葉でまとめることも出来るのでしょうが、形や言葉や背景となる思想は異なっても人が何か誰か他の人のために役に立ちたいという気持ちに偽りはないと思うのです。

実際、日常では御飯をおごる、お小遣いをあげる、誕生祝いのケーキを買う、誰かのために料理を作ってあげるといった日常的かつ小さなものから、どでかく寄付をする、人生の中の一年から数年を教育や開発援助のために捧げるちったものまで実に様々な利他の形式がありますが、それは何れも最終的には自分が「深い」満足を得るための最も確かな自分への贈り物になっているのではないかなと私は考えるのです。

それがお金であってはいけないなどというのはお金の力と使い方を知らない人間の世迷い言で、それが正しくかつ組織的に有効に使われた時の波及効果のデカさは個人の小さな動き云々ではとてもとても比較にならないような力を持つと思います。バフェットに至ってはこれが個人で6000億円!ゲイツ財団に至っては数兆円!ともいわれていますから、そのパワーたるや凄まじいの一言です。間違いなく国家レベルの予算で継続的に取り組むのですから効かないはずがありません。

この場合のポイントは用途が賢人たちによって限定的に目的を持って使われるということ。
誰が何に使うかもわからない某アグネス何とかが宣伝しているという如何わしい組織などではありませんから。w

日本でも寄付に対する税制を変えればこういったドデカイ寄付をし、かつそれに目的・ターゲットという紐をつけた寄付をする人が下は百円千円のレベルから億のレベルまでワンサカと出てくると考えているんですけどね。
戦時体制のままの日本式納税制度。もういい加減に止めてしまえと真剣に思うのです。

フィランソロフィーに関心のある方はここなども読まれると良いかと思います。

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2014年5月16日金曜日

iPhoneの不調

iPhoneがうまく働いてくれません。

何が困っているか説明してしまうと実に単純なことなんですが、着信時に音が鳴らないのです。orz
もちろん、バイブレーションの設定や着信時に無音というような設定にはしていなくてソフトバンクの受付にも持って行ってこの「困った症状」を再現し、設定に問題がないかどうかも調べてもらったのですが、結果はクロ。

しかもこの困った症状は少々複雑で、一回目の着信は音が鳴らず二回目の着信では音がなるというものでして、これが実に実生活では困る元になるのでした。
というのも、仕事上、病院からかかってくる電話というのは基本的に緊急を要する連絡、患者さんの次の処方や処置に関する重要な連絡が多く、主治医としての私からの指示がないと次のステップに進めなかったり看護師さん達が対応に困ってしまうような事になってしまうからです。

ソフトバンクのお姉さんによると、こういう事というのは個体によってたまにあるとのことで、これに対応するのは通常アップルなのだそうです。
この症状、電話を契約したソフトバンクで当然のように交換してくれるものと思っていただけに私としては?と言う感じで、電話の契約をしてそれを渡すまではするけれど交換をするのはアップルという意味不明の対応。ここらあたりの柔軟性のなさがアメリカの場合とは違います。

まあ、仕方ないので今度「栄」のアップルストアに持っていきますが、それにしても何だかな〜、、、というのが正直なところです。なんか持って行かなくてもいいような解決策ないもんですかね。

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2014年5月15日木曜日

合鍵が合わね〜 orz

前々回、名古屋駅に行った時に東急ハンズを発見した。

名古屋は大きな街なので、良く考えりゃ東急ハンズくらいあるのは当然なのだろうが、田舎者にはそれが理解できません。w
取り敢えず高島屋の中でメンズコーナーを歩いていてどんなブランドのスーツが置いてあるんだろうくらいの軽い気持ちでフロアを回っていたらその端っこに「ツールコーナー」が有りました。頭の中は???状態で、何でここにこんなもんがと思ってキョロキョロしてみると、上の方に「東急ハンズ」と表示されていましたので、なるほどここは既に東急ハンズのエリアに入ったのだなと確認。

しかも東急ハンズは下から上まで各階全ていろいろと違うものを売っていますので、巨大な事は間違いありません。
その中を歩いていると合鍵コーナーというのが有りましたので、受付の兄さんに「合鍵作るの幾らです?」と伺った所、「一つ500円です。」とのことでしたので、じゃあ二個つくろうと思って即座に依頼。家に持って帰ってそのまま壁にかけておきました。

前回シスコの御夫妻をお迎えした際に駅でこの鍵用のキーホルダーを購入したので早速これにつけて家を出ようとした所、、、。
鍵がまわらね〜!
という事実に気づきました。

こういうことは初めてではありません。実はアメリカでも同じことがあって、家の鍵を作るのに3件くらい巡って初めてやっとそれに合う合鍵が出来たことが有りました。

何でこんなことが起きるのかと思って錠前屋さんのHPを調べてみると、ホームセンターで作るような合鍵は精度が低く、何と0.2mmもの削り精度の誤差がある!と書かれていました。0.2mmというとごく小さなもののように思えますが、きっと鍵というあのサイズの小さなものの世界では巨大な誤差なのだと思います。
この前読んだ日産GT-Rではあの巨大なボディーでも、治具の精度は中央値±0.5ミリとか書いてあったような?と言う世界ですから、鍵の0.2mmというのはデカすぎだと思います。w

今度、チャンスが有ったら領収書と一緒に鍵を返品しに行ってまいります、、、。はー。
こりゃ合鍵じゃなくて「合わねー鍵」じゃねーか。

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2014年5月13日火曜日

真夏日

今日は本当に暑い一日でした。

看護師さん達の話を又聞きしたところによれば真夏日。病院の中も当然のようにクーリングされてはいるのですが階段を登り降りするとジンワリと白衣の下のポロシャツに汗が出るのを感じます。
病院の中ではラボが最もクーラーが効いているので、実験室に入って行くと体がスーッと気持ち良い空気に包み込まれます。

しかし実験を終えて患者さんの所へ駆け上がっていくとやはり汗が。まあ、これが真夏日というものでしょう。
5月の半ばだというのにもうこの状況。もしかしたら日本に帰ってきて一年目の私には「厳しい真夏日の連続攻撃」が待っているのかもしれません。

患者さん達は多くの場合病室から出ず、お年寄りであれば尚の事ベッド上に寝ていることが多いわけですから「寒い空気」を病室に吹付け続けるのは健康の維持という意味でも良くありません。結局、勤務する側が汗をかこうが患者さんに最適化された状態を維持するしか選択肢はありませんので、この状況に慣れていかなければなりますまい。orz

オッサンに暑さは大敵!暑さの中で出てきた汗がオッサン臭、加齢臭を出さないとも限りません。この点に関しては嫁さんに厳しく申し渡されておりますので、オフロに入ったら「耳の後ろ」をきちんと洗い、体全体も当然ゴシゴシ洗います。w
後は服を洗う洗剤の選択なんですが、最近は石鹸も含めていろいろとこのオッサン臭、加齢臭対策を謳う製品が沢山出てききています。(一人で店に行くのでこういうコーナーを見るチャンスも有り。)

オッサンの虚しいアンチ・エイジングは(嫁さんの命令で)チョットだけ続くのでした。w

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シスコからのお客様!

今日は仕事を午前中に切り上げて上司の方に引き継ぎを依頼しました。

目的は唯一つ。アメリカで色々とお世話になった、そしてこれからもいろいろとお世話になるサンフランシスコ在住の御夫妻が日本旅行の移動の一環としてわざわざ私の居る名古屋に寄って下さるということを既にひと月前からご連絡いただいていたので、ここは一つマイタウンで御夫妻に美味しいものを食べていただこうというアイデアを持っておりました。

病棟の看護師さん数名に「お客様に名古屋をアピールするお土産と言えば何?」と聞いてリサーチして回りました。
多くの人から色々アイデアが出たのですが、名物とは言っても美味くないものはこちらの方でオミットしいくつか絞り込んだ上で名古屋駅の現場へいっておみやげ探索。
最終的には「なごやん」と「うなぎパイ」を包んでもらいました。何故名古屋なのに静岡名物うなぎパイ?と思われる方もおられるでしょうが、そこは「美味い」ということを第一の選択基準として選ばせてもらいました。静岡は、アメリカの距離的にはほぼ名古屋圏ということで。w

さて、御夫妻の到着は3時17分の新幹線で北海道・青森からの東京経由での新幹線での到着です。
一応高島屋前の金時計を目標として待ち合わせ場所としてはおりましたが、御夫妻の負担を減らすためには取り敢えず新幹線を降りた出口から直ぐにお迎えするのがベスト。
私が昔院生として名古屋にいた頃には皆の待ち合わせ場所だったナナちゃん。
今では誰もそこを待ち合わせ場所に使っていないようで、、、。ちょっと寂しかったです。(・_;)
出口が幾つかあっても、ここは男として一箇所の出口に賭けてジックリ待っていた所、向こうの方から体の大きな御主人とその影に隠れるように出てきた奥様の懐かしい笑顔が!!
小さな賭けに勝ちました。あまりに久しぶりだったので思わず嬉しさの余りお互いにハグ。その瞬間は場所に関係なくアメリカです!やっぱりハグは(・∀・)イイ!!です。

そのままポリスステーションの脇にあるロッカールームに荷物を預け早速の行動開始です。
数日前からスマホの方に幾つか名古屋名物の美味しい有名店の情報を入れておきましたので、その中でどのようなものが食べたいかを伺った所、ヒツマブシがトップになりましたので、名鉄本館の11階にあるまる屋本店に案内させていただきました。

事前のいろいろな話ではここでは列を作って待たないといけないというふうに聞いていたので心配していましたが、平日の4時ということも有り偶然にも空き席がありましたので、スムースに入ってそのままヒツマブシを頂きました。
これは食べ終わった後で気づいたものです。話が弾んで写真撮るのを忘れていました。
話は弾んで次から次へといろいろな話がポップ・アップしてきたのですが、最後の最後に私のミスで座る場所の選択を間違ってしまい御夫妻に注文票を取られてしまい、私が支払うことを許してもらえませんでした。orz
名古屋は私の街、しかもお客様だというのにお金を使わせてしまって慙愧の念に絶えません。まあ、この復讐?は次回のカリフォルニア訪問で!

この後、喫茶店に入りもう少し時間をかけて追加でお話をしたのですが、名古屋は喫茶店で有名なところにもかかわらず、意外と完全禁煙の喫茶店が見当たらず、奥様のほうが私がノンスモーカーであることを気遣って下さり、なかなか見つかりませんでした。結局Vie de Franceの喫煙席へ。
ここでも話は盛り上がりましたが、やっぱり親しい顔といつもは遠く離れていても「再会」で一気に昨日の事のように戻れるのがイイですね。

このあとお互いに別れを惜しみつつも御夫妻は今夜の宿泊場所である大阪へと移って行かれました。
お互いに元気でこれからも何度でもお互いの国で会いたいものです。
別れ際には御夫妻から青森のイカの塩辛とアメリカはTrader Joeのピスタチオをお土産に頂くという心遣いまでいただき、私の方はひたすら恐縮至極の様でした。

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