子供の頃は親の言うことに憤りを感じ、反発をする時期が当然のようにある。私もそうだったし、私の娘たちも両親の言うこと、特に私からの(子供にとっての)理不尽な発言に、時々うんざりした顔をしている(ようです)。(笑)
しかしだからといって、それに対する子供の側からの素晴らしい解決策が多くの場合あるわけでもなく、殆どは他の親から見ても「ご尤も」ということになるのですが。子供の楽なところは反発をするけれど、ではその問題を解決する現実的な対処法はどこにあるのか、と尋ねられた時に答えがないことが普通で、それを考える過程自体が大人になるということだと思います。(ちなみに我が家では子供たちに勉強のことで何かいうことは先ず無いです。殆どの場合は挨拶の声が小さい時に雷を落とれることが、彼女たちの怒られる主因です。)
これは子供だからまだいいのですが、、、小さな頃から上辺だけの屁理屈で「反対」することに慣らされ、その後どうするべきかを考えなかった子供が大人になるとどうなるかというと、今のK何とかという日本国総理大臣みたいなことになるんじゃないでしょうかね。
前にも何回か書きましたが、リーダーになるということは、グループが取りうる最良の可能性を考えて「その後」のグループの運命についても大局観を持って指針を示し続けることだと思います。それをそっくり子育てに置き換えると、まさに子供の成人に至る過程への全責任を親である自分が全て背負うことで成り立つわけで、言い逃れができるものでもないですし、、、。子どもが犯した過ちは結局、育て方の失敗以外の何者でもないと思います。この点だけは誰が何と言おうとも事実であって、親の信じる指針を示し続け、それになるべく沿わせることがることが生育途上の子供に対する親の責任ではないかと思うのです。
無論それは親によって色々なレベルの差があるわけで、私にできることも実に限られています。が、それでも社会に有為の人物を育てるというのが人の親としての義務だと思うからこそ、子どもが嫌がることでも正しいと思えば怒鳴ってでも押し付ける場面をもつことが大切だと思っています。特に小さいうちは、、、社会の行動規範の中で正しいこと、してはいけないことを理屈でなく強制的に覚えさせないと、その生活する共同体における「良い、悪い」というような行動指針は絶対に子供は覚えてくれないと信じてます。我が家では普段は対話で済ませますが、一線を超えた行動が発生したときには子供たちにはツライ叱責が待っています。おかげ様で悪いことにも染まらず、親から見てもフェアな考えを持った子に育ってくれたなと思うのですが、まだまだ法律上の成人まであと数年。教えることはのこてます。(こちらが教えられることも増えてきました。(笑))
少し話は逸れてしまいますが、しばらく前にアジアンマーケットに行ったときに、隣のミニバンからベトナム人らしい三歳くらいの子がかけ出してきて駐車場で遊びはじめました。お兄ちゃんお姉ちゃんが居たにもかかわらず、その子が外に出ていたので、隣の車に乗っていた私はたまらず飛び出して「この子車に轢かれるよ!」といってミニバンに戻しに行ったところ、たまたまお父さんがミニバンに戻ってきたところだったので状況をを説明したところ、その子供たちは頭を「パコーーーーーーーーーーーン」と見事に叩かれガンガン怒られていました。驚いたことに車内にはもう一人、お婆ちゃんが座っていてこの人も放ったらかしで、外にはい出てきた孫には気づいていなかたようでしたが。まあ、あの親御さんの子ならあの子たちは心配せずともマトモに育つでしょう。