2025年9月30日火曜日

ふるさと納税・制度変更(前)最終日

総務省の制裁でいろいろと変容を遂げ続けてきた「ふるさと納税」という制度。

地方自治体の税収獲得合戦は止まることを知らず、最初の頃はとんでもないレベルでトンデモナイ返礼品が沢山ありましたが、それも今となっては懐かしい昔話です。w

結局、獲得したい税収を得るための返礼品を創出できない自治体、そもそも創出しようにも何もない自治体はとことん本来貰えるはずの自分のところの税収が削り取られていくという事でやられ続けていた訳で、肉で有名な都城や地元に製紙会社があってトイレット・ペーパーやティッシュを送り出せる街、木工家具などの名産地、例えば金属加工で有名な燕、米どころの自治体なども結構税収を増やせたわけですが、ここ地元名古屋などはコレと云った有名な自治体由来の産品も無く、ようやくここ数年ルクレーゼか何かその手のものが有名になって巻き返したものの、それも焼け石に水。名古屋からは巨額の税収がダダ洩れ状態で、大変な目に遭っていたようです。

この「ふるさと納税」の大問題はこれだけでは無く、さとふるやふるなび等の返礼品獲得に特化した代行業者が中間マージンを手数料の名目で抜きまくっていた事。寄付額の凡そ10%が手数料だったというのですからウハウハですわな。本来は税収、それを私的利益として抜きまくる訳ですから総務省も怒る訳です。

更に、この「自分のコマース・サイト」に納税者を引き寄せる為にポイント制というものを導入して、利益から何パーセントかを「引き換えコイン」という名目の下にアマゾンのポイントその他に変換していた事。結局これを大量に変換し続ける事で我々としては税収以外に還元分として利得がある状態だった訳です。

その最終日が10/30の本日。明日からはそういう行為を総務省が許さなくなる事が判っていた為、私も最終日として計算されたふるさと納税に小可能な残額の計算残り分を叩き込みました。トイレット・ペーパー、保存食、キッチン・ペーパー等その殆どは生活で使う消耗品でしたが、23:35にサイトでオーダーした時には既にサイトがパンク状態でオーダーに二度ほど失敗しました。w

最後の終了5分前程度に全てが終わったことを確認できましたが、明日からこのふるなび等のサイトの皆さんはどうやって客寄せするんでしょうかね?他人事ながら大きな謎です。

2025年9月29日月曜日

どんどん転職していくMRさん達

医療業界というのはバブルの頃などはとんでもなく金を使っていろいろと医者に働きかけをしていたようですが、その後はバブルの崩壊と利益相反の世界の到来に伴い「あれよあれよ」という間に世間の荒波が彼らを洗い流していきました。

そもそも最初私が医者になった頃は製薬会社からやって来る薬の宣伝マン達を「プロパーさん」等と呼んでいたのですが、彼らの仕事の多くは我々に食い込むために勉強会と称して製品を説明しながらの弁当配りをしたり、ボールペンやメモ帳を持ってきたり、読みたい論文のコピーをガンガン持ってきてくれたりと必死に仕事をされておりました。そもそも当時はこれらの人間達が普通に医局に入ってきてましたもんね。今では絶対にあり得ない話なんですけど。

ところが、その後は海外の製薬会社を中心に、そのような行為が医者を囲い込んで目先の薬の選択を選ばせるような歪みをもたらしたり、見えない部分での癒着を生みだしたりする可能性がありということで、コンプライアンス違反を徹底的に排除する方向に動き出すと共に、そもそも製薬会社の懐が猛烈に厳しくなっていく事で業界と医師がそもそも癒着する「余裕」さえ無くなってきました。w

当時栄華を誇ったこのプロパーさん達も、今ではMR(Medical Representatives)さんと呼ばれて(日本語では医薬情報担当者とでも言う呼び名)いますが、その会社が持っている大きな稼ぎ頭となるような薬の特許が切れる特許の谷みたいなものが生じる度にジェネリックが登場して人員整理が始まりますので、希望退職募集という名の下にいろいろな製薬会社のMRさん達も次々と消えて別の業界に去っていきました。

元居た会社自体もスピンアウトや株式の公開買い付けその他で吸収合併され、合従連衡と売却の繰り返しでどんどん消えていってます。製薬業界は本当に21世紀の荒波の中で世界の巨大製薬会社の闘いの余波を受けて波間に消えていく事になるのでしょうか?

あの知り合いも、この知り合いも…。

驕れるひとも久しからず、ただ春の夜の夢の如し

2025年9月28日日曜日

捨てられた患者さん

内科もそうですが、精神科で長期入院状態の患者さんには実質的に家族が関与を絶ってしまったり、兄弟姉妹レベルの方々が死に絶えてしまって身寄りと連絡の取れなくなってしまった方々がたくさんいます。

上のカルテも昭和40年代から入院しているようなヒトが極稀に居られて、患者さんのIDも最近では普通に6桁の真ん中くらいなのですが、3桁という恐ろしく古株の患者さんを見ることもあります。

精神疾患に効果がある薬が少なかった時代、今のモダンな薬に比べれば碌に効きもしないで副作用ばかりが目立つような当時の多くの薬でガチガチの錐体外路症状を含む悲惨な病態が完成してしまって、社会生活が営めなくなってしまった中で他人との意思の疎通が途絶え、時間が経ち、家族も消えていき、精神科で入院を続けていた自分だけが親族の中で命あるものとして残っているというパターンも大変多いのです。

今後も少子高齢化が進む中で親族との関係が絶たれて病院や施設に置いてけぼりのような形で生を全うせざるを得ない入院患者さんや施設入所の方々達が増えていくと思われますが、アメリカに比べればそれでも入院、入所できるだけまだ幸せなのかな?

アメリカだったらお金がなければシェルター、ホームレスなどが中心でしょうし、施設に入っても中心静脈栄養で命を繋いだりすることも経鼻チューブを入れたりする事も殆どないでしょうからそういう点では日本は白旗さえ揚げれば行政がレスキューしてくれますので、天国とはこのことでしょうか。

それでも、家族親族が既に居られない中でもしくは親族等が絶縁をしてしまった身寄りの無い患者さん達が「はよ死にたい」などと呟くのをみていると、積極的に何かをするような状態でもない方々が果たしてどれほど幸せを感じることが出来ているのかを思うとき暗澹たる思いにとらわれることがあります。

うーん、やっぱりそういう孤独な状態も含めて人生の悲哀と呼んでしまって良いのでしょうかね…。複雑な心境です。

2025年9月27日土曜日

糖尿病の教育入院

今、日本人も飽食の時代の中でごく普通に糖尿病になります。

風邪に罹ったり、何らかの別の要因で肥満などとは関係なく膵臓のβ細胞が破壊されてしまってインスリンが殆ど放出されなくなってしまう事で起こる1型糖尿病とは異なり、肥満が元で起こる糖尿病の多くは2型糖尿病と考えられます。

そんな2型糖尿病であってもやはり背景にある性別、人種、遺伝(まあ広く言えばこれも結局人種的要因は含まれますが)、年齢等の要因が重なり合ってその発症に差が出ますが、いずれにしてもこの2型糖尿病で入院した人達の中で、インスリンが絶対的に枯渇してしまって種々の傾向糖尿病薬ではコントロールが追い付かなくなってしまった人達にはインスリンの自己注射を行うという治療法が追加されるのですが、自分で血糖を測定してインスリンの注射器の目盛りを血糖値に合わせて自分に注射する作業を「間違いなく」実行できるようになる為に暫く入院してその作業に間違いが無い事を何重にもチェックする為の教育入院というのを行います。勿論、食べ物や食べ方に対する教育も栄養課と一緒になって頑張って頂く事になります。

しかしながら、インスリンの注射の実習を行う中でやはり「認知能力・理解力」がその作業に追いついていない方、更には目盛りを読むだけの視力が無い方等はインスリン注射のリスクが高すぎて家での自己注射が出来ない、若しくはさせられない!という状況に陥る訳です。

まあ、それを発見するのもこの教育入院の大切な一環で、それが判明した場合は外部の施設で、そういう状態の方であっても血糖測定を行いながらインスリン注射をしてくれるような所を選ぶか、同居家族の方がそれを代行して下さるような状況の家庭に戻る事になります。

今回そのような事を学ぶために入院して来たお爺さんが居たのですが、どうしても高血糖の数値の範囲がXXの時にこの単位Xを打つ…という対応が理解できない事が判明した方がいて退院の方向性が変わってしまいました。

残念ですがこれは仕方ありません。高血糖はそう簡単には人を殺しませんが、低血糖は一時間もあれば十分に人を死に至らしめます。特に簡易測定器などで測定限界以下の状況での重症低血糖は本当に神経死を含む種々の命のリスクを持ち込む状況で、冷や汗、気分不良、手指の震え、動悸、意識障害、昏睡、痙攣等の重篤な状態が存在します。

そういう意味ではインスリンの誤投与等というのは恐ろしい状況をもたらしますので、絶対に避けたい状況。そう云う訳で今回のお爺さんは一人暮らしは無理と判定されました。

iPS、幹細胞など種々のシステムを用いて人工膵臓はいずれ出来る事は間違いありませんが、未だ「今」ではありません。こんな悩みをしなくてもある程度の範囲ではより広範に糖尿病が克服される時代もやがて来るのでしょうが、まだ少し先なんでしょうね。

多くの患者さんのみならず、医療者側としても待ち遠しい限りです。

2025年9月26日金曜日

転倒、転倒また転倒

以前も書きましたが、病院では高齢者を中心としてベッドからの転倒や、歩行中の転倒で毎日、毎晩心配が絶えません。

全国の病院で今日も誰かが転倒のインシデントに遭遇し、救急の対応を受けなければならないような状況に陥っているのです。患者さん自身も大変、患者さんの御家族も大変、医療者側も大変。そして、もし送り出す必要があるような医療施設であれば、受け入れ先の病院も救急系が中心となって沢山の人達が受け容れに向けて動き出す訳です。

勿論、それを搬送してくれる救急隊の人達もそれに関与してきますから、例えば一人が転倒して何らかの外傷が発生しただけでも本当に大勢の人間が動き始める事になります。

それを防ぐために日頃から転倒傾向の多い患者さんを放置せずに腹帯や軽く紐で拘束をする、またベッド柵で囲むようなパターン等もある訳です。また、例えばベルト付きの車いすに座っていてもそれが横に倒れたりもします。こういった拘束なんて本来はしたくもないし、可能な限り減らしたいのですが現実問題としてそれ無しで今の日本の病院の「動ける」老人達が入院している病棟を全てカバーするのは無理です。

大きなお金が下りてきて、看護にそういった「拘束完全無し」という実験的な介護への挑戦が出来るような大学病院などは良いのでしょうが、そんな理想に近い看護は市中病院の様に常に人手不足との戦いを強いられているような所ではまさに「夢のまた夢」でございます。

実際に日常の老人の転倒で良くあるのは大腿骨頸部骨折、顔面打撲、頭部打撲とそれに伴う頭蓋内の脳実質や血管損傷、更には手を床に着いた時のガレアッチ骨折、モンテジア骨折などです。これらも本当にいろいろな程度があるのですが、特に頭蓋周辺の損傷はそのまま命の帰趨に関与してきますからその深刻さは一桁上がります。

転倒という事自体は老いや障害とどうしても強く関与してきます。防ぎようも無い事も多いのですが、それでも努力は続けるしかありません。それしかありませんからね。

日々インシデントに対応されている世界中の医療関係者に今日も敬礼です。