2026年8月11日火曜日

共感力

この人どんな人なんだろうと思っているような人がいつも身近にいます。

要するに物理的に近くにいる人物であっても、日常的な交わりの無い人なんて言うのが逆に殆どなわけで、寧ろ何の興味もわかずに何年も仕事だけはしている…と言う人が同じ空気を吸う仕事場には居る訳です。

それらの人々に関する情報はどうしてもポジティブな話、ネガティブな話が交錯して聞こえてくる訳ですけど、正直そういった話なんてほとんどは他愛もない笑い話やどう考えてもそれガセでしょうというような与太話と思われる類の話で埋め尽くされるわけで、やっぱりどんなに話の弾数が多く入ってこようと眉一つ動かす必要のない様な、まずは記憶に残らないような話が殆どなわけです。

それでも、ごく稀に強い具体性をもって日時やイベントの発生場所付きで「ある人物」のイメージを突き崩すような強烈な話が、親しくしている人物のみならず複数の筋から入ってくるとどうしても「えー、ホントそれ…」となる事もあるのです。

今回の話は実にそれに類する話(詳細は変えてありますが筋は概ねそのような事が起きたとご理解ください)で、実はある方の御兄弟がXX未遂というのを起こしてしまって、その兄にあたる人物が別の県の警察に呼ばれて車を飛ばして駆け付けたらしいのですが、そこでその人物がほぼ死にかけた弟に放った言葉は「やくざでも斯くや?」というレベルの発言だったとか。

しかもその発言がその地から帰ってきた本人から私の親しい知人数名に語られたとのことで信ぴょう性も高く、まさに人の口に戸は立てられない状態という感じで病院内に拡まってしまっていたのでした。

何時もはニコニコして愛想を振りまいている人が、そんなどぎつい言葉を使って弟を責めるのかという感じですが、私自身は実はこの人物の日頃の笑顔の裏に潜む強い違和感というのを日頃から感じていたので付き合いは浅く浅くしていた次第。こういう「違和感」というのは言葉にはできないんですけど、とても大事だと思ってます。

年単位で時間が経過したときにメッキが剥がれ落ちて自分の感じていた違和感が実はその地金の異様さを感じとっていた、なんて事を何度も経験したことがあったので人の六感なんてのは結構どころか非常に大切なのかもと改めて考えたのでした。

今回の話では実はその人に関する違和感は「共感力の欠如」というもので、この共感力というのは「育たない」ものの一つではないかと最近、密かに考えているんですね。勉強したり経験したりして理解できる事柄もあるからこそ、人は歳を経ていく過程で若い頃にはわからなかったことを文字通りいろいろと「体感・体験」し内面を磨く糧とするわけですが、この「共感力」というのは種を蒔いてもコンクリートの上に種を蒔く感じで、滅多な事では根付かず、花も咲かないと思っています。

これの成熟している人は小さなころから教えなくても持っているものだと思いますし、多感な時期を経ていろいろと考える中でその花を大きく咲かせるのでしょうが、大人になって改めて共感力を育てようにも上に書いたように「育つ」ようなものでは無いんではないかと最近とみに疑っています。

豊かな感情を育てるのって育つ側にもやはり大きな素質・素因があって、それに経験という肥料と水が加えられることで初めて大輪の花を咲かせるという過程を踏むものだろうと。

人の痛みの解る人でありたいなと思うのでした。



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