2026年1月3日土曜日

ホンマにやったんか!

やっぱり、歴史に学ばない者は愚かな過ちを繰り返しますね。

力による正義というのを21世紀でもこれほどまざまざと見せつけられるのかと驚きの連続です。ベネズエラというれっきとした主権国家に宣戦布告無しで突っ込んで行って大統領夫妻をかっさらってくるなんてとてもとても今の日本には有り得ない選択枝。

確かにアメリカに対してとんでもない量の麻薬を国家ぐるみで流し込んで碌でも無い連中が運営している国家で、国家の内部は崩壊しており殺人事件は異様なレベルで高い治安最低のトンデモ国家である事は普通に国内外に知れ渡ってはいるものの、それでも~ですよね。

現代のアメリカ政権のモンロー主義の復活という事に関してちょっと前に書き込んだ覚えがありますが、もう全くそれを隠そうとはしませんね。まあ、中国もアメリカもロシアも結局のところは自分の建前の下にやりたい放題の事をするという事が再度明確になっただけの話なんですが。

国連などというものが表面的な、道徳上の正義の維持という面では全く機能していない事がこれほど明確になってくるとみているこっちも無力感で切なくなりますね。結局、核を持った国の脅しに皆が黙るという構図。碌でも無い国家であっても、例え相手がならず者であっても、結局は頭に拳銃を突き付けられたら何も言えないという事。勇気を奮って何かを言っても引き金を引かれたら一瞬で終わるというギャング映画そのものの世界。

モンロー主義は200年前の世界の出来事ですが、またその亡霊が地球の表面を這いずり回っているのを見ると、人類はなんにも学んでないなって思うんですわ。しかも、背後に持っている拳銃に当たる武器が当時は大砲程度だったものが、今では核ミサイル。

アタマに立っている連中も漫画に出て来るような判り易い悪人面。

これからの10年、本当に核戦争が起きない、台湾進攻が起きない、NATOとロシアがぶつかり合わないというような状況が続くんでしょうか?熱狂のなかで始まった戦争が巨大な疲弊の中で双方の国民を枯らしていく事は大昔から繰り返されてきた人類の歴史ですが、テクノロジーが進んでも政治がこれでは…。

どこまで時代が進んでも、個人の欲望が国家のトップに現れる形で出現する時歯止めを付けるシステムを探し続けるしか人類の生存は約束されない気がしますが、本当に間に合うのか心配です。

2026年1月2日金曜日

最悪のコンディション

やはり旅の疲れが出たのでしょうか。

帰国後から喉が少しイガイガしていたんですが、連日の深夜までの種々の作業、それこそ夜更かしそのものの生活が続いていたことが免疫力を下げてしまったものと思われます。

熱発なんかはないんですけど、体は怠いし痰絡みの咳は出るしで「絶不調」そのものです。久しぶりの風邪症候群というやつですが、水洟と喉の痛み、くしゃみや流涙などとくれば小青竜湯の出番かなと思いこれを服用し始めました。

とりあえず、抗アレルギー剤も一粒追加して加療開始したのですが、体調がどこまで戻るかはまさしく免疫の力次第だなと思っています。

という訳でこんな状態なのに正月1日から日勤当直。とりあえず体が持つことを祈ってはいたのですが、幸い呼び出しと言えるような呼び出しもなく寝当直と言えるほどの静かな当直となりました。

薬の処方をちょっとだけ行い、注射箋を検討し書き込み。

さっさと寝るに越したことはなし。w



2026年1月1日木曜日

明けましておめでとうございます

なんと20年目のブログ書きに突入しました。

こんな糞のような記録の集積でも20年経つとその時々に何が起きていたかどんなことを考えていたのか、家の中の行事は何だったのか等が「ある程度」思い出せます。しかし、昔の記録を読んでいて思うのは「オレって進歩がねえな~」という一言に尽きます。orz

20年の間にあった種々の由なし事も終わってみれば懐かしい思い出、命が消える事なく「取り敢えず」は駄馬の如き人生を生きることが出来ています。気づけばこの前5000回記念などと書いていたのに、今回記録数のカウントを見てみたら6000を大きく超えておりました。

やはり20歳までの人間としての仕上がりがその後も基礎にある訳で、大きな可塑性は無い様な気がします。様々な体験を通してこれをこうしたらこうなる確率が高いとか、危険を回避する能力は年々歳々発達していっているような気がしますが、だからと言って敢えて回避しない様な間抜けな所は20代の頃の肉体的年齢の若い時のまま。要するに大本の所では変わらないのです。

まあ、それは兎も角、実は30日の朝にベトナムから戻って来て名古屋に着陸した後、少しだけ休んでそのまま4時過ぎにはアメリカから二週間ほど一時帰国されている旧知の先生と今年も名古屋駅で再会し旧交を温めました。

リッチモンド界隈の現状と種々の付帯したお話はなかなか興味深いものだったのですが、ここではそういう事を書くことは出来ませんので取りあえず「なるほどね」という感じの話だったことだけを記しておきたいと思います。何にせよ時間が経過する中で今のアメリカの科学は予算的にだいぶん酷い目に遭っているようだという事は確認できたこと。更にはそのような状況の中でサイエンスに向かう若い人達が「更に」減り続けているようだという事がうっすらと見えてきました。

アメリカというのは移民と科学技術のイノベーションで世界を引っ張ってきた国だと思っていたのですが、一昔前に私が持っていたようなアメリカの科学、特に医学生物学に対する幻想はかなり痛めつけられているような気がしました。

取り敢えず、今年もこれ以上は戦争が拡大しないような世界であって欲しいと思う正月でした。

2025年12月31日水曜日

ベトナム旅行を終えて・後半

昨日は南北の事を書いたんですが、今日はベトナムのダナンでの心に残った話を追加で幾つか書いておこうと思っています。

実はベトナムは今若い人達が子供を産まなくなってきているとの話。この点に関しては老若男女どの人達に聞いても、答えは同じで子供を産む数は劇的に減ってきているという話でした。そこで、どれほど下がっているのかと思って聞いてみるとやっぱり周りでは話してくれる人達の感覚通りに減っているみたいで、丁度昭和初期に生を受けた我々の親達の両親と親、そして我々の世代の子供の数の減り方に似ている所がありますね。

恐らくこの次の世代はさらに減っていくのだと思いますが、実際に数字はどうなのか調べてみると1990年代の合計特殊出生率は 3人以上、そして2020年代に入るとガクッと低下して2.0人以下に低下。直近のデータでは2023年頃には1.95前後 まで下がっていて、人口置換水準(2.1)を下回ってる状態になっているということで、これからは確実に減っていくフェーズに入っているという状況。

未だに発展途上国なのにいきなり人口ボーナスが無くなっていくのは正直厳しいと思うんですが…。これも、子供をたくさん持たず少数精鋭で行く。女性の高学歴化に伴う結婚出産の高齢化、都市化と高学歴化に伴う養育費用の高騰など、普通に先進国で起きている事がベトナムでも起きているだけなのだと思います。

なんか、追加の情報ではハノイやサイゴンでは既に1.5前後まで低下しているという情報もあって、人口の増加に関してはどの国も都市化と教育の進展に伴う人口増加の停止というジレンマに陥っていますが、一体これからどうなるのでしょう。

あと、ベトナムに行った後に絶対に書いておかなければと思ったのは運転・交通のこと。人生の中でこれほどのカオスに遭遇したのは初めてで、ほぼ「何でもあり」感が溢れ出す路上での運転でした。

皆クラクションとホーンの鳴らしあいなんですが、よく見ているとちゃんとルールがあって、近づいて行く側からの警告音出しが中心だと気づきました。右折左折というのも本当に命がけに見えるんですが、そこはそこ、まことに阿吽の呼吸で皆行き来しているんですね。でもこれじゃあ、事故必発だわなという感じ。

実際に事故で倒れている兄ちゃんも見ましたし、横断歩道を渡れなくて戸惑っている歩行者等と言うのは日常でした。

実は交通ルール違反に対する罰則は2025年の元旦から非常に厳しくなったようで、信号無視や逆走の罰金が4〜5倍に増額、飲酒運転の罰金も大幅アップ(数万円〜10万円以上相当)、免許の点数制度が導入されて、日本の様に違反による減点からの回復制度も新設され、歩行者や自転車に対する配慮義務も強化されたとのこと。

ベトナム人の都市部の平均的な月収は5万に行かない程度、地方では2万にも行かない程度の様ですので、収入に比すれば交通違反の罰金が驚くほど高い事になります。話を聞いていたら感覚的には今までの十倍との事。シャレになりません。

そもそも、下の写真の様に信号がほとんど無い所ばっかりなんですね。都市と都市を繋ぐ道路も、下道なのに20分くらい走っても全く信号が無いなんて普通。
驚くほど信号がありません。
そしてまだまだカオスはどこにでも散らばっていて、四人乗り、ノーヘル、ウインカー無しの右左折、写真のような危険物の運搬、道路は都市部で有っても普通に未舗装部は沢山あってボコボコです。そもそも到着時のブログに書いた様に恐ろしいほどのバイク中心社会。
ダナンにおいては肩身が狭いのはあくまで車の方です。
落ちたらアウトのガスボンベ?を積んで運んでいるオッサン。
マダマダあちこちがボコボコで水溜まり迄ある始末。
そして下のような改造?バイクもごく普通に走っています。
125㏄バイクにいきなりステーを付けて延長。よーく見てください、わかりますが?木材の下にワンちゃんが入ってジッとしているのを。w
いろいろな話を書いてきましたが、次にベトナムに行く時にはあのエリアがどう変わってるのか、その変化をまた見てみたいなと強く思っています。最後に下の写真を最後にしてベトナムのお話を終わりにします。
素敵な笑顔のベトナム人女性でした。

2025年12月30日火曜日

ベトナム旅行を終えて・前半

今回の旅行大変面白く、現地の人間達の生活に溶け込んで普通の生活をする事を狙った旅でした。

当初の狙い以上に個人的には素晴らしい体験を積み上げることが出来ました。観光地以外では英語を話す人はほとんどいないのは恐らく日本と同様だと推定できましたが、そんな事は今回全く関係ないレベルで問題ありませんでした。バイリンガルが傍にいるというのはどの援護の時でも便利ですね。

さて、今回いろいろな人と話して解ったことがいろいろありました。何といってもベトナムは社会主義の国なんですが、事ここに至る迄の長い長いベトナム戦争からの歴史というのは国民の中に深い轍(わだち)を残している事が良く解りました。

ベトナムでは今でも当然の様に兵役があって、人生のどこかの段階で3年の兵役を済ませる必要があるとの事です。この前まで2年半だったとか言ってましたが、少なくとも今は3年なんだとの事。国力を削ぎますよね…。

あと、南北に国が別れて闘っていた歴史は今でも拭い難く、少なくとも南の人間は基本的に北の人間には強い警戒心を持っているという事。どう考えても「良い印象」というのを聞くことはありませんでしたが、私が滞在した家ではいろいろな意見を聞きました。

基本的には若い世代になるほど「人間による」という感じ感箍拡がっている感じだったんですが、年配の人達はやはり戦争後の影響というのもあるんでしょうね「疑心暗鬼」という状況から抜けられないのだそうです。そりゃそうだろうと内心では思いました。日本の会津と長州みたいなもんなんでしょうか。しかも、公務とかに就く時なんかは親族の中で三代上まで遡って調べられて、親族に南ベトナム軍の関係者が居るとプロモーションに影響が…等と言う話も他の人から聞いたりもしました。

まあ、中には北の人間なんて信じないと言い切る人も居るという話を間接的に言う人もまだいるという話を間接的に聞きましたが、それは我々外国人には深い感情としては読めない世界ですよね。

日本にいる在日ベトナム人に話を聞くと「何故ベトナム本国で俺たち南側の人間がいろんな差別を受けているのに日本に来たからって言って北の人間を助けんといかんのか?」という発言もあって、個人的には南下複雑なもんだなと思うこと頻りでした。真実はどうなのか知りませんが、彼ら南の人間に言わせると実際には南の人間の方が経済的には成功している人達が多いとの事で、政治的には虐げられていても、そこの所は負けてないぞというよという様な気概を感じましたね。

ベトナムの人達に、そう言う意味での北と南の政治的な境目は地理上はどこ辺りと聞いたら「フエ辺りは未だ南だね」という事でした。なんか地名を言って、自分が思う境目はここらあたりかな等と言うのを聞いたんですが、具体的な名前は失念しました。

それでも、ベトナムは元気な国ですワ。