2012年11月8日木曜日

英語で書くこと

本日レビュー・ペーパーが最終脱稿した。時間かけすぎました。w
書けども書けどもエンドレスで作業が続く感じで、自分の知識を再整理するのは良いとしてもやはり正直疲れます。今回のレビューの仕上げに際しては最新版のエンドノートX6を購入して作業にあたったんですけど、バージョンが上がるとなんとなく作業ウインドウが使いやすくなった感じがしましたね。X5からX6への変更点はウェブ対応が更に進んだのなんだのと書いてありますが、よく読んでません。(笑)実際にはDropboxの中にエンドノートのレファレンスを保存しているので、別にトムソン・ロイターの提供するウェブベースのサービスを利用しなくてもいい状態にセットアップできてると思うんですけど、どんなもんでしょうかね。もうちょい説明書を読んで新規機能がどんなものか見てみないといけませんね。
それにしても、いつも思うのは英文で文章を仕上げるときに払う「正しく書く努力、スムースに読める文章を書く努力」を幾ら重ねていっても本当にその終わりは永遠に来ないなと思うばかりです。日本人の場合は文法的に「間違いの無い」文章を書くことの出来る人は本当にマニアレベルの人も含めて沢山いると思いますが、じゃあ、それが読んでいて「自然な文章」かというと多分違うんですよね。それは、日本人が外国人によって書かれた日本語の文章を読んだ時に感じる「違和感」と同じものだと思いますね。実際にそれがかなり熟れた文章であっても「?」という「何か違う」という感覚が残ります。
しかし、サイエンスの文章に関して云えば、日本人が日本語で書いたものであっても、結構「がっくり」するような、ロボットが重要単語を上手に繋げ合わせただけ、、、と言う感じの文章に出会うことが多いのでその傾向が単に英語の文章にも出てきているのかもなー、なんて感じることもあります。特に教科書の差を見ると、この話「理解していただける方」には素直に理解していただけると思います。簡単に言うと知識を羅列しただけで物語のない記述が多いといえば良いのでしょうか、、、。
シンプルでわかり易い文章」と「構造は単純だけど関係代名詞がやたら多かったり、導入部が英語らしい発想に沿わない文章」はやっぱり読んでいて正直「疲れます」。残念ながら私自身の英語の文章も似たり寄ったりで、いつもスコットランド人の同僚に読んでもらってレビューしてもらっているのですが、私の文章に対する彼の校正文を読むと、「ああ、やっぱこっちのほうが絶対エエわ!」というような朱を入れてきてくれますから。しかし年単位であろうと、その朱の量が「僅か」ではあっても、確実に減っていくのを眺めるのも「自分の進歩」を見ているようで愉しいですね。
最近は英文の校正をしていても英語のネイティブと検討するのは本当に文法ではなくて「熟れた言い回し」の検討、ベストフィットの単語の選択みたいなのが殆んどになって来ました。それでもサイエンスは定型的な言い回しが多いので、小説の中で使うようなバラエティーに富んだ単語を使わなくて言い事自体は助かるのですが、、、。(逆にサイエンスの論文をネイティブに見せても、「英語であることはわかるけど、中身は知らない単語で満ち満ちている」とは言われましたが。)
日本語でも英語でも文章を書くという技術は永遠に終わりのない修行なのだなということを最近特に痛感する日々です。(況や外国語である英語はね!w)
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