一つは図書館でのボランティア。もう一つはリッチモンドの近くにある比較的恵まれない地区にある小学校のアートクラスのアシスタント。もう一つはリッチモンドにある様々な理由で親が居なかったり、虐待をうけている貧困家庭の児童たちのアシスト。最後の一つは日本語学校の幼稚園生達のボランティアだ。
実際はカレッジへのキャリア・デベロップメントとはいっても、娘の例に限らず、高校生たちはあるレベル以上の目標を持っている子達は、誰もが何らかのボランティアで自分達を常に忙しく保っている。それがアメリカの普通なのだから議論の余地はない。勉強は真面目にして当たり前、スポーツの実績がなければ学業で、それもなければ音楽や芸術で、それがなければ課外活動における実績で、という様に自分達の存在意義というものをどうやって進学するカレッジに提示できるかということを自然に考えざるを得なくなっている仕組みだ。要するに勉強がそこそこできるだけでは「駄目」ということ。無論、学校できちんとある程度の良い成績はとり、出席に瑕疵がなく、学校での活動内容にネガティブなことがない等ということも最低限の事項として要求された上での話。しかも、常日頃からhonor role studentのcertificateとか、national honor students associateのメンバー資格、mathやscience等でのアワードを集めておく事も大きなプラス要素の一つなのです。
そう考えると、どちらかと言えば成績一発で殆ど全てを決定する日本の大学入学試験というのが必ずしも、ストレスフルというわけではないなと私は思います。特に私のように日頃は「超」がつく怠け者である人間は、高校時代にコンスタントに全科目で平均以上の成績を出して、更にそこから何らかのプラスの活動をしてなどというのは最も苦手とするところですから、逆にアメリカ的システムだったら結構苦しんでいただろうと推測されます。
要は郷に入っては郷に従え、その地で要求される条件をこなしていくのが常に必要な事ということでしょう。これだけのことをしても希望のカレッジに入れる保障などどこにもないというのもまたスリリングでいいですね~!(<<まるで他人事。(笑))
0 件のコメント:
コメントを投稿