2025年8月31日日曜日

地獄の犬山城

義理母は昨日のコンサートで疲れてしまった事もあり我が家で娘達とお留守番。

義理の妹は折角名古屋に来たんだからという事で、こちらに来る前から観光というものに執着があったようで、その期待に応えるために嫁さんと二人でどこにするのが観光らしいか?という感じで岐阜の金華山やその周りの温泉群、そして犬山城とその城下町などを候補として当初考えました。ドカンと伊勢神宮というのもあったのですが、行くのならもう少し早い時間から出発しないとダメだねってことで、早く起きないという前提で設計された計画は最終的に犬山城と犬山の城下町いうもの。

昼前に犬山へ向かったのですが外は既にギラギラ!

車に全員で乗り込んで犬山へまっしぐら。犬山への観光でのアプローチは久しぶりでしたが、今回は親父とでは無く義理の妹と息子と嫁さんで城へ行く事になりました。新しく出来た庇も影も何もない広い駐車場の中に車を停めて自販機でウーロン茶を買い込んでスタート。直ぐに城に登る事にしたのですが、先ずは下の神社で嫁さんと妹が希望したいろいろなお守りを購入。更に城の入り口まで行くと息子と付き添いの一人は障碍者枠で無料でした。

犬山城は普通お城の外の方に雨の日も晴れの日も長い列を作って人が沢山待っているのが普通だったのですが、今日は流石にこの激暑の日差しの中でそのような列は無し。そもそもこの糞暑い中で出て来る人間の方がおかしい訳なんですけどね!w

垂直の壁の如き木の階段を昇りながら「婆ちゃん連れてこんで良かったわ!」と何度もお互いに言い合うほど酷い勾配の階段を上り下りしながら滝の様な汗を流しての行脚となりました。それでもトップあらの眺めは素晴らしく、遠く名古屋も奇麗に見えますし、新しい星のリゾートもしっかり裏に見えていました。

その後は城の外にある売店で珍しい瓶入りのダイエットコークとアイスクリームを注文。それから神社でおみくじなどを購入。妹大吉、息子は末吉、嫁さんなんだったか忘れました。w

ここからは次の観光計画となる城下町での種々の美味しいもの体験。結局スイーツと種々の飲み物と串焼き、焼きそばなどのB級グルメをあちこちで買い込んで日陰や店の中のクーラーの下で其々の味を愉しみました。最後は暑さでヘロヘロになって家に直行。今回の観光では4人で十本では足りないほどの大量の飲料を買いました。(今後は清涼飲料水の会社の株を買うのが正解かも!)

家で待っていた義理母をピックアップして今度は近所のスパに向かいました。夏休み最後の日の夕方という事だたためかメチャクチャに子供と大学生風の若者が多くてイモ洗い状態。これはちょっと嫌だなって感じ。orz 息子と風呂の中で隙間を探しながらの入浴というトンデモ入浴でした。

結局、スパでは飯を食べるのに一時間は待ちそうだったのでサッサと諦めて長久手のモスバーガーへ行ってそれぞれが気ままに注文して一日の疲れを癒しました。帰りにスーパーでいろいろと食べ物飲み物などを買い込み一日の行事終了。そこから妹と母親を近くのホテルに落とし明日の朝までサヨウナラ。

今日は本当に疲れ果てての一日で、私はあっと言う間にベッドで眠りに落ちたのでした。

2025年8月30日土曜日

松田聖子のコンサートとな?

今日は嫁さんの実家である長崎から義理母と妹、弟がやって来ました。

目的はナント松田聖子のコンサートを見る為にセントレアの愛知県国際展示場にまで来たのです。嫁さんと飛行場に迎えに行って三人をピックアップすると元気そうでした。飛行場の中では24時間テレビのイベントでキンタローやニッチロー等が出ていましたが、何だか寒かったです。w

直ぐにセントレアの中にある丸屋でひつまぶしのお櫃を注文し、皆で丁度良い具合に分割して食べることが出来ました。このお櫃のひつまぶしとちょっとした突き出しで2万円でした。やっぱり鰻はちょい高ですね。^^

さて、外は反対に異様に暑くて、セントレアから少しでも外に出てみるとそこは「むわッ」とするレベルの災害級の暑さ。よくまあ、こんなところの滑走路が熱で波打たないなと感心してしまいます。そういった事に関する記事を読んでみると実際にあまりの高温・猛暑になるといろいろな事が起きるようです。

さて、コンサート会場のほうは4時開演なのですがグッズ売り場の方は一時半ごろから開いているという事で、私は長女だけを近くの東海市に連れて何時もの様に種々の中古グッズを見て回りました。しかも三軒!w その後は更に常滑の陶器のエリアを見て回ったのですが、実は彼女の目的は昭和レトロの店に置いてあるビックリマンシールのガチャをやる為だったとか…。orz
基本的に「悪」タイプのシールしか出て来ないのですが、それはまあ所謂「要らない系のシール」が集められている訳ですから仕方ないと言えば仕方ないのですが。

それから急いで娘を会場へと送り届けたのが4時20分。なんとか時間に間に合うように送り込みました。その後、私自身は直ぐに家に戻って一休み。更に夜になっても特に何も食べる皓t無く待っていましたが、8時過ぎに彼らが帰って来て頼んでおいた期間限定のダブチダブルマックを食べてその日の締めといたしました。

嫁さんは満面の笑みを浮かべて帰って参りました。謎の松田聖子Tシャツと謎のスイートピーの造花をもって帰ってきました。幸せな人です。^^



2025年8月29日金曜日

突然のお別れ

突然の別れとなりました。

一か月ほど前、仕事中に気分が悪いと言って私の内科外来に来られた師長さんがおられたのですが、バイタルをとったところ異様に高い血圧が測定されました。いわゆる医学的には高血圧緊急症というレベル。

注射を投与して適正血圧迄降圧しつつ画像検査を入れてみると心血管の壁に通常はみる事の無い様な異様な肥厚と変性が起こっているのみならず、腹部大動脈に解離まで見つかりました。この時点で三次救急である大学に搬送する事を決定しました。

御本人に状況を手短に説明をしたものの、イマイチ自分がそのような重篤な状態である事への認識が薄かったため御家族への説明を入れる為に電話。この時点で大学病院への診療情報提供書を仕上げて画像のCD-ROMを作成して救急車を呼びました。

受け容れて下さった大学病院の方も最終的な診断には難渋されたようですが、その後に間接的に病名を知ったところ大動脈炎とのことで、集中的なステロイドによる加療と状態安定化後の大動脈解離への血管置換術が待っている状態となりました。

ところが、この後不測の事態が血管内に発生したことまでは知っているのですが、取り敢えず一旦家庭へ戻って状態が安定化してから手術をという事で自宅で待機されている時に不測の事態が起きた様でした。私の勤務していた病棟にも息子さんと揃って一時退院の御挨拶に来られたのに…。

物凄く腰の据わった根性のある師長さんで、私とはいつもざっくばらんに馬鹿話をする仲でした。

通夜に参加させて頂きましたが、私には哀しみよりも喪失感と強い憤りの方が残りました。あんなに強そうで、蹴ろうが叩こうがビクともしないような強い姉御肌の師長が何の別れの挨拶も無しに先立っていく事などあって良いのかと。

遺された子供さんやお孫さん達の事を思うと本当に何というか言葉もありませんでした。

恐らく苦しみや痛みも無い現世からの旅立ちだったのだろうと思いたいのですが、やっぱり寂しいの一言です。あのガハハという豪快な笑いと明るい笑顔を忘れる事は私の人生が終わる日まで無いでしょう。

2025年8月28日木曜日

親父の誕生日

実は昨日は親父の誕生日でした。

ナント御年87歳!元気に歩き回っていますし、頭も「私から見て」ボケてはいません。何というか、やっぱり転倒のインシデントは月一程度起きていたのが、私が「杖使うと良いよ」と言って以来、杖を振り回しながらも幸いにして一回もこけてはいない様です。^^

高齢者というのは店頭に伴う頭部打撲や鎖骨骨折、そして何より大腿骨頸部骨折による「オペは成功したものの、歩行は不可になる」というような手術成功、治療失敗などというような事態も有り得るからです。

それでもこの年まで取り敢えずは元気で生きて、家を守ってくれていますから私としては万々歳の大助かりです。実際親父が田舎にいてくれるからこそ助かっている事は多くて、人が実家に居る事で成り立つ種々の役割を一人でゲートキーパーとして守ってくれています。

誕生メールをLINEで送って「次は喜寿、その次は卆寿を目指しましょう」と言ったところ親父から先ず返ってきた文言は「ありがてな」という謎の文言。例によって打ち間違いと思われました。w

その後「ありがとう、とににかく頑張って見るよ、おかしくなつら病院でも施設も入るよ、悪い病気になつたら誰にも迷惑かけたくないから、ところで銀行のカ⇁ド持つ帰った?分からないんだよ?」という打ち間違いだらけの何時もの文章。言いたい事は十分にわかる可愛い間違いです。^^

こうやって両親が超高齢になってくると来年の事は判らなくなってきます。それでもここまで来ると「ボケも無く元気に歩けるうちは長生きしようぜ!」になってきますね。90になった親父。見てみたくなってきました!

2025年8月27日水曜日

帰国してきた長女を迎えに

今日は仕事を終えてセントレアへと向かいました。

理由は二つ。一つ目は勿論アメリカ、プエルトリコに行っていた長女が羽田経由で帰って来るのでそれをピックアップする事。もう一つはセントレアに早めに着いてその前に空港の中にある「ふーの湯」に浸かる事でした。

バイト先の仕事を終えてゆっくりと飛行場に向かい、駐車場に到着したのが7時ちょっと過ぎ。娘の飛行機の到着迄まだ一時間以上も時間がありましたので、湯を愉しむ時間は十分にあります。駐車場に車を停めさっさと降りて飛行場の中二階にある「ふーの湯」に入りました。

入湯料は1500円で貸しタオル付です。人はそんなに多くありませんでしたが、アジア系の外人も白人も入湯していてなかなか国際色豊かなところは国際空港の銭湯らしいと思いました。

外に見える滑走路を離着陸する国内外の色々な種類の旅客機を眺めながらフルチンのままで数人の同年輩前後の人間達と横並びでジッとしていました。寒くも無く暑くも無く最高の状況での飛行機の群れを眺めることは何時来てもこの銭湯の特筆すべき特権です。^^

さて、8時過ぎるくらいにはこの銭湯を出て長女の到着する予定の8:20に向けて歩みだそうとした時に到着便の一覧表を見てみたら到着が16分遅れの表示。orz
早く着くならまだしも、遅れるのは…。まあ、しかしそれでもポケモンをしながら待っていると娘がゆっくりと荷物をカートで押しながら出て来ました。

「お疲れ」という感じで13時間半+αのロングフライトを労い帰路へ着きました。しかし長女の口から出て来るのは変わってしまったアメリカの悪口ばかり。もうグリーンカードを保持する気力も魅力も失せてしまったとの事で、トランプが万一任期を全うしてしまったらアメリカはぶっ壊れるだろうなっていう予想を話してきました。

もし途中で彼が病気で亡くなるような事があってもバンスが出てきて同じ事をやるだけっていう感じで「ヤバすぎ」って嘆いていました。

結局家に帰る前にスシローに寄って二人でパクパクと寿司を食べて次女へのお土産を追加注文して帰宅。

家では家族全員が待っていて持って帰って来た大量の本とお土産が早速配られました。私はプエルトリコの大量のTシャツや長女のアート作品群の写真。次女と長女は実に楽しそうに面白い話をしながら大笑い。何だか楽しい時間が戻ってきた感じです。

私は私で直ぐにベッドに向かい疲れてそのまま寝てしまいました。