2020年1月31日金曜日

ついにブレグジット

ついにその日がやってきました。

EUROこそ使っていませんでしたが、ありとあらゆる面でEUの様々なメリットを享受していた英国がついにEUから出ていきました。今でもセンサスを実施すると英国がEUを脱退するほうが良いとする人自体の数はしないほうが良いという人よりも少数派という状況ですが、結局の所「選挙」での結果が全てですから国家自体は己の出した選挙の結果に従うほかはありません。

スコッチウイスキーの輸出もしているスコットランドは関税率の上昇に対して早くも英国からの脱出を狙っているなどというBBCニュースもありましたが、イギリスと我々が呼ぶ国は実は互いに愛憎入り交じった、歴史の様々なしがらみをもつ四カ国の連合王国ですから、その国々で今回のブレグジットに関して反応が大きく異なるのは当然といえば当然です。

一年以内にEUから貿易に関する好条件を引き出せるなどという夢想に近い条件を引き出せるなどと思って離脱したのであれば、それはボリスの大甘予想というかやはり夢想だと思います。

今まで数年にわたって離脱する・しないで国内世論を真っ二つにした上に、ヨーロッパ全体からお前らときたら・・・という感じで見られ続けていたイギリス連合王国はこれから10年後に今日の結果をどう回顧するのでしょうか、大変興味深いです。結局、経済さえ良ければ結果オーリというのが現代の最も安直な結論なんでしょうが、残された傷跡は可視、不可視のものも含めてかなりたくさんあると思います。

選挙対策の為に取り敢えずブレグジットを世に問うた挙げ句、「思いもよらぬ結果」に自ら戸惑ったキャメロンはこれから歴史にどう評価されるのか。実に興味深いです。


2020年1月30日木曜日

昔の大学病院のナース

私は日本に帰国して私立の病院勤めです。

看護師さん達は若手を中心に確実によく働きますね。年取ってる人達の中には私から見ても「歳食ってるだけで全然勉強もできてないしまるで駄目だな」と思える人も確実にチラホラおりますが、敢えてその手の人達には接触しないようにしています。

私の仕事は若かろうが、歳食っていようが、勉強をして前向きに看護に当たる患者さんに対して優しい人達を教えていくことだと思っています。
病院というところは巨大な組織であって、患者さんのケアを本筋としてそこに集まる数百人の医療職、事務職などの人達とそこで働く人を頼って生活をしている家族達の為にも存在することを忘れてはなりません。

そもそもチームプレーヤーとしての役割を果たせない人は組織では生き残っていけませんし、存在してもらっては組織にとって迷惑です。分子生物学で言うところのドミナント・ネガティブというものですね。

今独立行政法人になっている大学病院というところがどうなったのかは全く知りませんが、私が大学生だった頃の医学部附属病院というのはおそらく全国どこでもだったのでしょうが、恐ろしいほど看護師が働かないところとして悪名高いところでした。

当時はあそこの組織というのは基本的に看護師が日誌を書きに来るところでして、カルテという芳名録にその日の記事を書くことが御本人様達のメイン業務となっていたのでした。で、結局のところ注射のセットアップ、採血、血型チェックから研修医やその上のオーベンの先生方が率先して仕事をしていたのが印象的でしたが、大学病院のいわゆる国家公務員の看護師で長く勤めていた人間達の中には当然のように医師より給料が高いものまで居たと言います。w

しかも、国家公務員ですから余程の無能でも「やらかし」をしない限りは馘首にはならずという世界。そこは外から見間違えている聖職者ではなく労働者の世界でした。
それが月日も流れて独立行政法人になってからというもの、外の世界を知らないバカ猿は今ではかなりの絶滅危惧種らしいのです。要するにサービサーとして生きていけなくなったにいんげんは去らざるを得なくなったという話。どこまで本当なんでしょうかね。

まず電カル導入で、それを使えないおばさん達がサーッと辞めていったと言います。そのあと、結局、サービス産業という自覚のない人たちが次に櫛の歯が落ちる如く抜けていったという時期があったらしいのですが、その時期に私は日本には居りませんでしたので、友人たちの話を聞いて識るしか無いわけなんですが。

一番印象的だった先輩の話は、大学病院が停電になって小児科病棟の呼吸器の電源に問題があって動かなかったマシンが発生した時に、ドクターたちが大慌てで病棟を走り回って対応していたとき看護日誌をかき続けていた馬鹿に「あんた何してるんだ!」と言ったところ、「日誌を書くのが私達の仕事です!」と緊急対応中のドクターに言い放ってそのドクターが激怒。ボコッと尻を蹴りつけたと言います。今だったらかなりの問題となるんでしょうが、私がそのマシンに繋がれている子の親だったらバットで殴っていたでしょうから先生はまだ優しかったのかな?

時代は変わったんでしょうね。どこに行ってもその組織内で使える・役に立つ人間でありたいものです。


2020年1月29日水曜日

長女の語るDCの人間達

今回の長女の帰国でもう一つ聞いたことがNY好きかい?という質問でした。

まあ、あまりにベタな質問ですが、お父さんとしては数多ある聞きたいことの中の一つには相違有りません。こんな事書いてますけど、じゃあ実際何を聞きたいんだと言われたら「元気でやっとる?生活は安全?勉強は充実しとるかい?」というような、誰でも聞きそうなことくらいしか思い浮かばないんですけどね。w

長女いわく「最初はNYの生活にドキドキ、ワクワクしていたけどなんか慣れた」というものでした。まあ、そんなもんでしょう。そもそも彼女がボルチモアやDCに住んでいた頃から何度も自分や友達とNYには遊びに行っていて、どんな感じの街かとわかっていたはずですけど、観光客として遊びに行くのと実際に住んでみるのとでは大きく違うでしょうから当然の感想。取り敢えずは地に足が着いたということでしょうね。

私自身がNYのMemorial Sloan Kettering Cancer Centerに一ヶ月研究者として滞在したときには、まずNYという街に漂うニオイというものに街を感じました。次に思ったのは街を歩く人達の歩く速さに驚いたこと。少し慣れてきたと思った頃に街のデリーの美味さにハマりました。

娘の学校はSoHo界隈にありますから、私の記憶するNYがそれほど変わっているとも思えませんので、「あの雰囲気」の中で日常を過ごしているのか・・・と思うと「若い頃にあそこに居るっていうのは良いよね~」って思ってしまいます。慣れればどうって言うことはない日常なんでしょうが、ありとあらゆる展示物と興行、人種が集まる街で若い頃を過ごす意味は大きいと思います。

彼女の語るニューヨーカーに関する感想はまだまだ固定していないんですが、DCで関わった人間たちにはかなり否定的だったのが印象的でした。

娘が仕事をDCで二年間仕事をした中で典型的だったのは、彼らの関心事が相手の「仕事」「ポジション」「給料」「学歴」そしてその後に続く「ネットワーキング」ばっかりというものでした。実力もないのに学歴だけでマウンティングをしてくる嫌味な輩というのは洋の東西を問わず居るようで、話を聞いていると思わずナルホドというような話のオンパレードでしたが、実際には逆にハーバード卒でも実力を出すだけでその卒業であることを隠す人間も少ないけどいたとの事。

娘が本人に「なんで言わんかったん?」と聞くといわゆるハーバード卒というカラーで一様に色眼鏡で見られたくなかったとのこと。確かにこれは有名校ならではの一つの対処法ではありますが・・・。

娘には言ったのですが、DCという街の特殊性を考えれば、米国においてキャリアの階段を登ろうとする人間達が最も集まってくるであろう街だと思われるし、仕方ないんじゃないの?と言うと、「わかるけど住みたくはない。」との一言。あいつらしい、にべもない感想でした。

VAの田舎で、高校の同級生の殆どのキャリアの終着点がhouse wife or nurseというような所から出てきた人間である娘にとっては大都会はいろいろと今までになかったことを否が応でも考えさせる場所みたいですね。


2020年1月28日火曜日

やはり車は怖い

知り合いの方の40代の姪御さんが車に巻き込まれてお亡くなりになったそうです。

交差点で右折車に巻き込まれてお亡くなりになったとのこと。外見は美しいままで、転倒時に打った時の頭蓋内の損傷が致命傷だったとのことで、一週間後に生命維持装置を切ったということでした。

愛知県だけでなく、日本中で毎日毎日亡くなる必要の無い人達が車、バイク、自転車等との事故に巻き込まれて亡くなっています。

愛知県警も必死で事故防止に取り組んでいますがやはり車の走行台数が多いことも有り、毎年毎年全国でワーストXと言われるような不名誉なランキングに甘んじています。
各社がそれこそ血眼になって安全の追求による事故を起こさない車、例え起こしても対人、対向車、そして自車内の人員などの安全が最大限になるようなシステムを追求され続けていますが、それでも事故がなくなるレベルまで車が進歩したわけでもなく、人も毎日亡くなり続けています。

例えば家族の中で一家の中の成人が一人亡くなるだけで、その方の親、配偶者、そしてその子達に限りない悲劇と悲哀がその人生を覆ってしまうわけで、対人事故を起こした人も起こされた家族も止むことのない悲しみに一生苛まれるわけです。

たとえ生きていても、精神的ショックによるPTSDがその人を苦しめたり、肉体的に目に見える障害が残ったり、表には目立たなくとも一生痛みが残るような不可視の障害が残ったり、意識が戻らないような状況であったりすれば一瞬の事故で何十年も多くの人を巻き込み苦しめるわけです。

近年、運転者にとっては安全性が大幅に改善された自動車がたくさん現れ、それが世界の人達にとって十分にその車を選ぶ理由となる時代になりました。しかし、その安全性の進歩が歩行者にまで敷衍されたかと言うと正直まだまだ全然というレベルだと思います。

認知症を持つ人の激増にともなう事故の増加も、子供達の飛び出しに対する事故の防止能力も全然まだまだ駄目だと思います。この度亡くなられた知人の姪御さんのお話を聞くにつけ、「有ってはならない」出来事だと改めて思うとともに、己がその加害・被害何れの当事者にならぬように祈るばかりです。


2020年1月27日月曜日

年齢とリタイアメント

引退に適した年齢というのがあるのでしょうか。

政治の世界や商売の世界を見ていると化け物みたいな年齢までシャキッとした脳味噌で各種の問題に鋭い指南を行う人達が居られますが、見たところそれは例外的な一群。実際には災いをもたらしている人々のほうがよっぽど多くて、最終的には組織を潰しかねない所まで災厄を全体に広げている人達も多々であることが、あちこちのニュースや歴史的文章からわかります。

やはり、引退においてはその住む世界に特有の引退の年齢というものがあるのは周知の事実で、スポーツ選手の中でもはや20代が勝負師としての全てみたいな競技もあれば、50くらいまで(一部の人であれば)頑張れる競技もあります。

頭脳労働でも数学者などは30代までにその萌芽が見られなければ超一流にはなれないというようなのもあるようなんですが、他の学問ではそこまでの年齢制限は無い感じですよね。50代前後に花開く人も結構おられますし。ただ、そういう学問領域でも、そこに至るまでの段階で十分に積み上げてきたものがある人限定って感じですけどね。

我々医師のフォーラムでもよく話題になっているのが「先生方、お幾つまで働き続けられますか?」というものです。w

日本における医師という職業は、他の国の様に定期的にthresholdをみるテストを行って、そのレベルに達していなければ免許を使えない~というようなシステムになっておりませんので、基本、やりたければ何歳まででもやっていて良いわけです。下手をすると、勉強をしない現在70歳前後の先生が極端な話1980年代のままの知識で2020年に診療をやるということもあるでしょうし、もう十分金を稼いだからといって、50そこそこでearly retirementを決め込む人だっているでしょう。(アメリカでは思いの外、多かったです!)

しかし、実際のところその引退における実年齢は多くの企業戦士などよりかは10年は長いと思います。2020年の現代日本における大多数の組織の定年は60歳。しかし、大学でのポスト終了ならいざしらず、実際に医師としての仕事終了を潔く60で切る人などほぼ周りで見たことが有りません。

多くは結構なオジイチャンになってもそれなりにアルバイトで趣味+アルファレベルで働く人をたくさん見ています。無論、60代でもそれこそバリバリの現役以上なんて言う人は掃いて捨てるほど居るのはこの世界でも変わらないんですけどね。
聖マリアンヌには100歳超えの超有名医師日野原重明先生という方も居られましたが、それは例外ってことで・・・。

いざ自分がそういうのが気になる年令になってくると周りの人ってどうなんだろうと言うことが気になってくるもんですね。