2017年10月9日月曜日

眠らせてもらえない

連休の間はなかなか大変な当直でした。

夕方の早い段階から、夜中、そして深夜、早朝それぞれの時間帯にコールが有ると言う感じでなかなか寝る時間がありませんでした。寝てもトータル一時間か二時間。
50超えのオッサンにはなかなかきついものがあります。w

まずはてんかんの患者さん、次は腹水の大量貯留からの息苦しさ、その次は血中酸素濃度の急激な低下と血圧の下降、更には嘔吐と下痢に高血圧を伴った夜勤のヘルパーさんからの緊急支援、最後は大量の喀痰排出を伴う肺炎患者さんの登場など。まあ、バラエティーにとんだ案件がズラリでした。

30代の頃や40代の前半くらいまでは文字通り”しゃかりき”になって仕事をしていましたし、疲れるとか何とか言う前にまず体が動いて先に走るという感じでしたので、走りながら考えるということが普通の生活では文字通り”体力”が大変モノを言う時代でしたが、それでも体が動いてくれたのでそれを”普通”と思って働いてきました。

ところがやはり五十の声を聞き始める頃くらいから無理を重ねるとその”次の無理”が重ねられなくなるという現実に突き当たってしまうことに否応なく気が付かされました。
実際、眠気を感じながらも体は動き続けるのですが、パフォーマンス・効率と言う意味ではどう考えても落ちているという事実を認めざるを得ないほど生あくびが出てくることが増えました。

ヤッパリ代謝の速度が落ちているんでしょうね〜。
自分の中には”頑張るゾ!”という声が聞こえておりますので、「よしよし、やるべ〜やるべ〜」とは感じつつも、完全には自分の体が追いついて行っていない事実を理解できております。しかも、年々歳々その”追いついていないギャップの量”が膨らんでいっているんでしょね。orz

これが加齢と言うものの本性か?w

2017年10月8日日曜日

アカンと思ったら負け!

人ってどこまで正気を保つことが出来るんでしょうかね。

正気を保つことが出来なくなった=気がふ(狂)れた、なんてことになるシーンを映画や小説では昔から繰り返し繰り返し演じられたり描かれたりしています。
最近も肉体的にも精神的にも”極限”の状況下で年単位で捕虜にされていた人間達の脱走の話をある映画で見ましたが、人間の心理の内側を描くことで各個人の異常な状況に対する耐性の差がよく描かれた物語でした。

抑えつけられても閉じ込められても、滅入ることはあっても決して狂わない人間もあれば、アッと言う間に自暴自棄になってその後はもう一直線に廃人化していく人間もいると言う設定でしたが、実際の生活をしていく中では例えば最も人間にそのような状況を与える”非日常の異常事態”というのはどんな状況か。

例えば戦争や炭坑崩落での閉じ込め、アポロ13の置かれたような宇宙空間での絶体絶命の状況等だと思うんですが、それでもその差を産み出すのは希望を失う人間とそれを保ち続ける人間の差だと感じます。

”必死に生き残る”というのは言うは易しの典型で、己にそのような事態が起きた時に生きるためのガソリンを持っているか否か、そしてそのガソリンを使う目的が或るか否かが自分に正気を保つ理由を与えてくれるんだと信じています。
私の場合は一人では生きていくことの出来ない息子がそれに当たるでしょうか。

最後の最後まで希望を捨てない。

虫ケラと言われようが、どんな状況に置かれようが、それでも希望は捨てないというのは人生というストレスそのものに対する一つの大事な答えではないでしょうか。みっともなくても、惨めでも、ヤッパリ生きていくことで誰かの役に立つ事ができる限りは生きていく意味はいくらでもあるって最近は考えるようになりました。

人から生きる意味を与えられるのではなく、自分の頭でその意味を考えることでまた違う明日がやってくると思えるのは唯一人間だけが成し得ることだと考えます。

別に高尚な目的でなくとも、例えば高齢の患者さん達を見ていても、笑って日々を過ごせる人と哀しみに身を包(くる)んでいる人達の差は、生きてさえいれば何かおもろい事が有る、美味いものが食べられるということを想像できる人物か否かという単純な差であるような気もします。

殆どの人にとって、人生単純平坦、順風満帆とは程遠いものでしょうけど、それを前向きに受け止めて打てる手は”出来る限り”打っていかないかんと改めて考える自分でした。逃げるのは”アリ”だけど、それはあくまでも次の前進のための一時的な休憩でありたいものです。

今日は残りの人生の最初の日(Today is the first day of the rest of your life)とはアメリカの薬物中毒者の救護施設の設立者であるディードリッヒと言う人の言葉らしいのですが、ダメ男の自分にも、毎日の小さな前進・改良を喜べる人生を贈って終りを迎えたいものです。

運は「諦めなかった奴」を勝者にするのだと。

お金の遣い方

アマゾンで「殿、利息でござる」という映画をみました。

正直な事実を一言で表すならオジサンは泣きました。2016年春公開の日本映画ですが、私にとってはみる価値のある映画でした。映画は沢山ありますし、わたし自身は映画を週に二、三本観るのが普通ですので、多くの”これは面白そう”という映画も実際には途中で「時間の無駄」ということで視聴を打ち切ったり、最後までは観るものの「ああ、時間がもったいなかった」と思うものから「思ってたのとはぜんぜん違う」と言うものまで多種多様。

いわゆる記憶の中に刻まれるような良品はなかなか出てきません。

勿論、ジャンルによって求めるものは違いますし個人の嗜好も全然違うものですから、ある人にとってはまるで響かないものでも、別の人にとっては珠玉の作品と言う評価に変わる可能性もあるわけで、評価軸をどこにおくかでこの手の芸術作品はどう評価されるか全く変わってしまうわけです。

毎度この手の話を書く際には、いわゆる”ネタバレ”になりますので多くのことは書きませんが、あらすじを更にまとめると、18世紀の仙台藩における物資輸送役の使役をさせられていた吉岡宿の人々が知恵を使ってその苦労から己と子々孫々を自由にするためのある手段に打って出る・・・と言うものです。

この物語の中で中心となる命題は「お金を如何に活かすか」ということと「お金を使う人間の側の心意気」ということではないかと私は”現代国語”的には思うのですが、この劇中に出てくる実在した人々のことを考えた時、私は人というものの性善説というのを映画を通して再び信じる事ができましたね。

金と智恵は常に使いようで悪にも善にもそのベクトルを容易に変えることを”今一度”考えさせてくれる良い小品でした。
チャンスが有ればアマゾンかDVD一度ご覧ななるのも有りかと思います。

2017年10月6日金曜日

グリーンカードの延長どうなっとる?

政権が変わるとこんなもんなのか?

有り得ないです。しかし、今起きていることはまさにトランプ政権の影響でしょう。
去年の!”12月末に手続き終了したグリーンカードの単なる更新手続きの書類が未だ送ってきません。我々日本に一旦帰ってきている人間はそう問題ありませんが、一番困るのは日本人としてワシントンDCで働いている長女の立場。

既に10ヶ月近く経っているのにうんともすんとも言ってきません。税金の取り立てだけは光速度と同じレベルでシッカリやるくせに、オノレの仕事はこの速さ。結局はgovernmentと言うものはどこの国でもこんなもんですな。w

まあ、政府の役人にしても、あのダメ男をトップに抱いているのですから、多分いろんな意味で彼等自身も大迷惑を被っているのでしょうが、ノーとは言えない立場ですので、我々が幾ら言ったところでこればかりは仕方ないでしょうな。
今日もティラーソンが大統領のことを或る会議の場で”moron”(低能、能無し)と言ったとか言わなかったとか・・・。

国務長官が本人の前で本当の事を言ったのか?w(本人に英語が通じたか否かは不明。)

とりあえず、長女はパスポートを持っていって更に一時的な延長をしてもらえるように手続きするそうです。まあ、パスポートにはそれ用のスタンプが押してありますので12月までは何もしなくてもとりあえずはいけるはずですが。

しかし、私思うんですけどとりあえずアメリカンになってしまうというのも有りかな?って思います。多分、アメリカでアメリカ人として生きて行くでしょうからそれで良いんじゃないのと言う気がするんですけどね。

これから一体全体どれくらい時間がかかるのか・・・とりあえず成り行きを見守りましょう。

2017年10月5日木曜日

今日は真剣なメールをいただきましたのでブログはお休みです。

私のブログを読んでいるある方からシリアスなメールを受け取りましたので、今日はそのお返事に割く時間を作らなければなりません。

申し訳ございませんが、今日はこれだけ書いて終わりです。mOm