2008年12月31日水曜日

大晦日

今年もいよいよ終わり大晦日。
日本と大きく違うのは大晦日という感覚の無さである。もう本当に年末にかけての慌ただしさというのはクリスマスまでで終わってしまって、その後はただの休みの日という感じで特に何もない感じがする。大学の方もまあ、PIは来ていたり来ていなかったりだが、学生はほぼ来ない。(感心な事に私の学生達は二人とも今日も来ていた。いつも自分で考えて最も効果的な時間帯で実験を行って下さい、と言ってあるのだが、彼らの大人としての自主性に任せてあるので強制では無い。)来年もNIHグラントの提出、授業、実験、論文提出とまた忙しい年だろうが、健康に気を配ってしっかりやっていこうと思う。まあ、出来る事をしていくしかないのだろうから。

日本の両親、家族、親戚共々元気であって欲しいなと思う。2008年の年末。

2008年12月30日火曜日

休日モード

アメリカの年末はクリスマス前の数日を除けば日本のように気忙しくはない、どちらかというと皆が家でおとなしくしているという感じだろうか。学生も冬休みは多くが実家に帰省して羽を伸ばす。私のところのマスターコースの学生も二人とも一時帰省したが今はもう戻ってきて実験をしている。しかし余り気乗りしない様子で、モチベーションが下がっている子もいる。理由は一つ明確なものがあって、約一ヶ月前にこの大学の歯学部への入学が許可された為に、今している実験から学位を得る特段の理由が無くなってしまったのだ。これは喜ばしいことだが、実験をしている私にとってはまずいことになったと思ったがその危惧していたことが起きつつある様な気がする。私のところで働いてこの大学の審査における評価を上げるというストラテジーというのはまあ、入学の可能性を格段に挙げるという意味では普通の方策ではあるのだが、それが終わったら実験も終わりということではないので、きちんと学位論文を仕上げるまで手綱を緩めないようにしなければならない。ここら辺が新米指導者の辛い所で、CO-MENTORSHIPの名のもとで学生を指導していた頃は最終的にはこのような場合の手綱を締めるのは上級の教授でよかったのだが自分がなってみると結構学生に甘いな~と思える部分があり、なかなか厳しい手綱捌きが要求されている。ただ上から押し付けてもこの手の学生たちは動くものでもないのでそこら辺は自前の香辛料を持ってきて薬味を加えたり変更したりしなければなるまい。

一年経ったら白髪が出てそうだ。(笑)

2008年12月29日月曜日

17日間はやはり長かった

ようやく私の二週間ちょっとの子守も今日で終わる。
「やっと」という言葉はこの日のためにあったのではないだろうかと思えるくらい待ち遠しかった。今回の子守で気づいたことは、子育てにはやはりバランス感覚が必要だということで、具体的には親父側からの一方的押し付けでは、長い間にわたる親子関係では子供が精神的にかなり疲れるだろうと思えたこと。片方が子供に注意をしているときにはもう一方で子供たちの精神的な避難所が必要だということです。そういう意味では片親で子育てをしているのにきちんと娘さんや息子さんを立派に成人させている父子家庭のお父さんは本当に立派だと思います。人間的に私には到底無理だと思います。もう一つ気づいたのは、母親の「女性としての」包容力と「男性としての」包容力というのは質ではなくて種類が元から違うものだなとの事実に思い至りました。幸いにして未熟な父親である私には配偶者が寄り添ってくれていますのでこの父の日と賭しての未熟さゆえの荒々しい「包容」も、母親によって補完される事によりまっとうな形をとるわけで、この点は深く感謝しなければなりません。最後に記録しておかなければならないのは掃除、洗濯までは良くても、食事という一点においてはとても嫁さんの敵ではないという事が良く判りました。そういう意味では今後は更に美味しい食事に対しては毎回もっと大きな敬意を払わなければならないなと思います。
今この時点で、あと六時間で嫁さんの飛行機がテキサス経由で日本から到着するわけですが、ラボで安心して仕事ができるのも「嫁さんが健康で傍にいてくれるから」ということを再認識させられた今回のイベントでした。

子供たちはトランクいっぱいのお土産が待ち遠しくて仕方ないみたいです。無理もないか。

2008年12月28日日曜日

子育て

親になって一回きりしか出来ない事が有る。それは一人一人の子育て。
何人育てようとそれぞれの子供達がそれぞれ異なったキャラクターを持っているため、どの子を育てる時にも同じように育てるわけにはいかないし、同じようには育たない。つまり、どんな子を育てても、その子に対する子育ては成功しても失敗しても一回きりなのだ。今日は久しぶりに次女を厳しく叱った。何度言っても本当に使ったものや食べたものを片付けないので、カウントダウン方式で今度したらこう、今度したらこうというように猶予を毎回与えながら次第に厳しくしていったのだが今日は最後の叱責を受けてアウト。楽しい事ばかりでその片付けをしない人間はどうなるかという事をしっかりと教えた。(無論、暴力などは一切無しですが。)叱っているこちらの方が辛いのだが、子供にそんな事は伝わるまいと思うし、そんな事は実際に子育てをするまでは解らないと思う。しっかりと社会の中で自立する人間になって貰いたい為の行為では有っても本当に気の遠くなる様な繰り返しの日々だ。親としての自分が完璧とはほど遠いというのは論を俟つまでもない事では有るけれども、それでも自分が出来る精一杯の事をしてあげる事しか出来ないのだ。人の一生なんて短い。自分でも、今叱っている子供と同じ年だった時の事をマザマザと覚えている位なのだから。この子が親として自分の子供を育てるのもそう遠い先の事ではないのだ。子育ての責任はその子の子、そしてその先へと続いていく。親として子供を育てるというのは自分自身の日常との格闘とはまた別の長い長い格闘なのだと思う次第です。

2008年12月27日土曜日

日本からの入国審査

嫁さんが日本から明後日帰国してくる事になり、入国審査に関して少々心配している事が有るとの事で携帯に電話が有った。何が心配なのかと思ったら、指紋採取や顔写撮影の事ではなくて、新しく今度導入される事に決まったESTAに関する心配事であった。取り敢えず今の所は任意入力による試験期間なので問題は無い事を確認出来たが、今後はまず「間違いなく」多くの人が問題を起こして入国審査のゲートや飛行場の登場受付でリターンする事になりそうだ。そうなるのはもしかするとツアーコンダクターべったりの人達ではなくて、意外と旅慣れた人達が引っかかるのかもしれないな、等と想像してしまう。まあ、一度とってしまえば二年は有効だという様な記載が有るのでとってしまって二年後にうっかり忘れで問題を起こす人が居る様な気がするのだが、、、。私たちの場合は永住権を持っているので必要は無いのだが、観光目的の人達や商用で来た人達でこの二年間というインターバルを忘れてしまったら、アウトという事になりかねない。一体全体本当に不便な世の中になったなったものだ。テロ以前は検査は有ってもキーホルダーとして十得ナイフを付けていたりしても何の問題も無かったが、今ではそのようなものは問題外であろう。宗教は人に心の平安をもたらすのだろうが、個人的には宗教は大嫌いだ。宗教のおかげで一体全体どれほど世界の人が死んだのかカウントする事も出来ないだろう。宗教を信じる人に対しては私は構わないという態度をいつも取る、ただし、「人にその教義を押し付けない」という前提のもとで。この教祖を信じられない人は不幸だとか、あなたはこの神様を信じないから不幸が来るのだとかハッキリ言って「糞喰らえ」である。人は黙って居ても幸、不幸は順繰りと訪れるし、何をしようと遅かれ早かれやがて死ぬ、しかも「必ず」死ぬ。
私のこのようなものに対する共通する考えは「イズム」や「ドグマ」に対する嫌悪だ。怪しい奴程自分の考えを大声で唱導しようとする。真理は黙っていても真理であり、烏滸がましくも人に押し付けたり、人から押し付けられるもの等では決して無いと思う。共産主義、平等主義、アナキズム、無抵抗主義、そして無数の宗教。いずれも真実は常に両極端ではなく、その中庸というべき部分に有ると私は考えています。

入国審査の話だったのに、、、。