2025年11月10日月曜日

嫁さんのB’z好き

嫁さんが今度名古屋にやって来るB’zのライブに向けて一人で盛り上がっています。

今家では嫁さんが新しいB’zのアルバムの詩を必死で何度も聞いて耳に覚えさせていますね。

S席というのが当たって、私自身は一番いい咳だと思っていたら左にあらず! その上にはSS席。その更に上にはプラチナっちゅうのがあるとかないとか言っていましたが、何とも私の常識とは異なる世界のお話です。

それではそS席のしたがあるのか?と聞くとそれも当然あるそうで、A席というのがあるのとそのもう一段下の装置の脇みたいな、ほとんどステージを見る等という事とは異なる席なんだそうです。

それでも、今回の嫁さんの籍でありS席は13,000円との事でそれなりの値段です。嫁さん曰く、自分が高校生の頃はこういったチケットも3∸4,000であったという感じだったそうですが、いやそれ何年前の話?という事ですよ、全く。

さて、こうして抽選に抽選を掻い潜ってゲットしたチケットも今時はスマホで購入者の名前表示があるだけでなく、時間が刻々と経過していく様までスマホ表示のチケットに表示されていて、コピペでの転売は勿論出来ない上に、時間指定きちんとされるという厳格なシステムになっているようです。

一昔前には野球の観戦券でも、コンサートのチケットでもダフ屋というのが堂々とチケットを転売してその利ザヤを稼いでいたものですが、転売ヤーに対する世間の厳しい目が現代の電子技術と合体してそう言った事自体を次第に不可能たらしめる状況に追い込んでいるようです。

さて、このチケットのみならずもう一段厳しい戦いがあったようです。それは関連グッズの購入権取得合戦!最初何の事を言っとるのかオジサン良く解らなかったんですが、どうやらシャツやパーカーその他B’z関連の細々した小物を購入するための列に並ぶ権利を得るのも抽選だったようで、それに当たって嬉々としている嫁さんを見て私は「・・・」という感想しか持てませんでした。宗教法人のお布施かよ!と歯の裏まで出かけたのですが、言いませんでした。w

今度の土曜だったかな?11時には家を出ていって5時過ぎ開演のライブに備えるんだそうです。メデタシメデタシ。

私は息子と外出ですけどね。

2025年11月9日日曜日

変革は時間との闘い

世の中で「病院の外」の世界、いわゆる普通の生活をされている方々にとって、病院内の世界、医学の世界がどう変化してきているのかを見るのは大変に難しいと思います。

以前から書いていますが、このレベルの医学的診断システムと治療システムを、値段や規模も含めてこれだけ手軽に得られるのはやはり日本がダントツだと思います。しかし、これらの利便性を提供してもそれが「当たり前」だと思っている人達にとってはそのサービスが受け容れられないのは不満のネタになります。

こういうのは自分が海外に行ってその医療サービスを受ける為の金銭的負担や予約をゲットするまでの非常な不便さを理解できないと日本自身のシステムの便利さが如何に素晴らしいものかは到底理解できる訳もありません。当然ですが。

物事というのはサービスであれ実物であれ「比較」や「競争」をする事で初めて自分の立ち位置というものを理解できます。海外の富裕層が日本に向かって金を使ってでも医療サービスを受けに来ようとする人間達が大量に居るという話も全く不思議で揉んでもありません。

アメリカの医療サービスの話はここで何度もしてきたからもうあまり書く気もありませんが、例えば私の友人のスコットランド人が自分のラボで話をしてくれた話では「今はもう亡くなった親父さんが腰のしつこい痛みを訴えるのでCTを撮って貰い原因を追究するまでにすでに体中に癌が拡がっており、待っている間の長い長い時間にどんどん病気は進行していったんだ。でも、滅茶苦茶高い割増料金を払ってプライベートのレベルで診察をしてもらうと幾らでも待ち行列に割り込みすることが出来るんだよ」というような話を聞くと、日本の医療の公正性と普遍性が理解出来ようというものですが、さてこんな事を知っている人なんて殆どいませんよね。

しかも、マスゴミや弁護士は医療の粗探しとその「結論ありき」の歪曲報道に大忙しですから、こんな事実を報道しても何も金にならないと判っていれば報道なんてしないでしょうし。

改革は先の見えている一部の人達が率先して国家のレベルでどんどんしていかないともう時間的に追いつかないところまで来ています。今の日本医師会も医療人を結集させる力などとうの昔に失っておりまして、荒廃した状態にある歯科医師の世界の二の舞になるのではないかなと私は個人的に思っています。

日本の医療人も実際、物凄く金銭的に追い込まれています。恐らくクリニックのみならず大きな病院も10年経たずにあちこちで巨木が割けて倒れる雷鳴のような音を聞く事になるのでしょう。スピードをあげる事、正しい事を正しくやっていく事の必要性があるのですが、しがらみと間違った判断が続く現状ではそういう期待もむなしいのが現況です。

まあ、そう言った医療崩壊が明確に後戻りできない状況になった時点では私は既に引退しているでしょうから関係ないんですけどね。

2025年11月8日土曜日

熊の及ぼす実害の現実を見ろ

 熊退治で熊の保護を主張する連中というのは人というものはそもそも今の場所で生きていく必要など無いと考えている人達なのでしょうか。

人はそもそも動物を山に追いやり、植物を刈り取り役に立つものは家畜に、食べられるものは食用植物として品種改良を加え続けて人に役立つモノを育ててきました。その力を借りて人口を増やし、それらを使って道具を作り更に発展してきました。

そして現代。気候変動の影響なのでしょうか、極端に今年の山は熊にとって餌が無い状況に陥っているとの事で、食べ物を探して熊がガンガン下りてきている所為で人と遭遇しては襲ってきている事が始終報道されています。

そもそも、熊が続けざまに人を襲う状況で死人が連続しているのみならず、多くの人達が生活の場として今の住居が住居として成立しなくなってきている様であれば、それは現実的には二択しかありません。その選択とは熊を追い払い、狩り、退治するか、それとも人が去りその場を明け渡すか。

そう言った時、通常我々に残された選択肢は熊退治。所詮、人間なんて同じ場所で熊との共存なんて出来やしません。

歴史上数々の凶悪かつ凄惨な害を人に及ぼして来た熊を保護する事を強硬に主張し役所に保護の電話を掛けてくような連中というのはまず①ほかにする事の無い暇人で、②現実を見ようともしない人間で、③害を為す熊を自宅に送られてきても何とか対応できるような腕力と優しさのある人々なのです。w

そう言う連中との対話など所詮、現実の前では無駄な時間。一秒の対話が一秒、5分の応対が5分とも全て無駄な時間で、まさにThe waste of time。

目玉が飛び出し、脳味噌を齧られ絶命した人々の御遺体を前にしても熊を狩る事を反対という連中等は端から無視して先ずは人が安心して生きられる状況を作り上げる事こそが肝要だと思います。銃、弾薬、足代、燃料費、退治の御足労代。全て今の数倍にしてハンターに出し手然るべきでしょう。

命を懸けて熊退治しているのにそれを罰する馬鹿公安委員長。現実見ないお役人根性様々ですな。事勿れ事勿れ。きっと「責任は俺がとる」等という男らしさとは無縁の根性腐れなんでしょう。

2025年11月7日金曜日

雨が好きというのは変わってる?

NIHで研究をしていた時、何かの話の拍子で「雨が大好き」と言った時、スペインの女の子から露骨に嫌な顔をされた事があります。

バレンシア、バルセロナあたりに住んでいた女の子だったのですが、雨が降ると気分が憂鬱になって嫌な気分に一日中苛まれるという事でした。私はその話を聞いた時に内心では「君は気圧に影響を受けるタイプじゃ無いの?」と歯の裏まで出かかっていたのですが、それは言わずに飲み込みました。

私はと言えば、小さな頃から雨が降る度に婆ちゃんの家の畑に飛び出して畑の土をほじくり返し奇声をあげていたおかしなガキでしたので、雨が大好きな理由などというのは遺伝子レベルでの話なのでしょう。カエルの生まれ変わりなのかもしれません。

そもそも、雨が降った時には雨音を聞きながら廊下の板間で横になって雨音を聞いたり、軒下に住むアリジゴクの巣を眺めたりするのが大好きでしたから、その音が私には心を癒す音楽に聞こえるのでした。何かの本で、日本語話者というのは雨音をリズムとしてとらえ英語話者はノイズとして捉えるというような話を読んだ気がしますが、そう言うのは影響あるんじゃないかという気がします。知らんけど。w

だから、キャンプ時に限らずとも雨が降るというのは私にとって喜びでありこそすれ、頭痛のタネや憂鬱の元などという事は決して無いのでした。むしろ、そう感じる人の話を聞くにつけ「気の毒だな」という風に感じてしまうのです。

タイやベトナムのような雨季が長いエリアの人達にとって雨というのはどういう捉え方をされているのか知りませんが、私にとっては蒸し暑く大量の雨が降るエリアのものであってもそれは癒しの音に聞こえるようにしか思えません。

エンジンと云われる人の変な感覚。人に伝えるのはtかなり困難です…。

2025年11月6日木曜日

酒が「全く」飲めない親父の送ってくる酒

私の両親はアルコールに対する強さが全く違います。

母親の方の家系はアルコールが滅茶苦茶強く、かつ好きです。いわゆる嗜好品のレベルですね。メチャクチャ小柄なのに500mLのビールを毎日美味そうに飲む様に人ですが、これは母方の親族全体がそうで、叔父さん叔母さん関係なく酒は強くかつビール好きの皆さんでした。その半分は既にこの世を去りましたが、親族の集まった年末年始の食事会はほぼ完全に飲み会という奴で、子供達は酒が入って楽しそうに話し合う叔父さん、叔母さんの間を走り回るものでした。

叔父さんの一人はアルコールで完全に肝臓を壊しましたし、南方から帰って来た爺さんは戦後比較的早く、母親が中学生くらいの頃に高血圧による脳溢血で逝ったと言われています。その爺さんも実際酒好きで、素面の時は理系の賢い爺さんの様でしたが、酒が入ると結構周囲の人に迷惑をかけたという話を叔母さんから「伝説の様に」聞いた事があります。

では私の父親の方はと云うとほぼ誰も酒を呑まない人々。私が大学生の頃に亡くなった長男である叔父さん以外は皆酒に対してアレルギー反応を起こしてしまうような人達です。

親父はコップ半分のビールで体中に発心が出てしまう様な「酒が毒」という人ですが、その二人の間に生まれたハイブリッドである私はどちらかと云うと普通に飲めるし、弱くも無いけど底無しなどというような人でもありません。

そんな親父が何時も季節ごとにあるお酒を送ってきます。それが都農ワイン。シャルドネやマスカット・ベーリー等をセットで送ってきます。その上、知り合いが幾らでも売ってくれるという百年の孤独が送られてきます。賞をバンバン獲るような酒ですので、味に関しては間違いがありません。

親父が「珍しいらしいよ」等と暢気なコメントをLINEで送って来ては「飲むか?」等と聞いてきます。勿論それにはYESと答えて送って貰っています。^^自分では余りワイン、焼酎は買いませんのでそういう意味では有難いです。

ちょこちょこと飲みながら九州の方へ向けて酒を送ってくれた両手を合わせる今日の夜でした。