2021年9月5日日曜日

豊橋・道の駅

豊橋の道の駅に行ってまいりました。

嫁さんがつけっぱなしにしてそのまま風呂に入っていた時に画面に登場したのは道の駅「豊橋」の案内。いろいろなものが広い市場の中に所狭しと並べられ、近所の農家の人々が持ち寄った種々の新鮮野菜や現地の名産品が沢山リーズナブルな値段で並べられていました。

私自身はこの「道の駅」というシステムに関してよく知りません。そもそも私達家族がアメリカに行く頃には本格的に道の駅が整備され始めて5年ほど経った頃で、その頃は大学院で朝から晩まで実験漬けの日々で家族サービスもあまりしていない頃。何にもサービスできないまま、日本の楽しみも知らないままにアメリカに渡っていった我々にとって道の駅というものの成長と充実ぶりは浦島太郎的なものでして、一般道にこんな感じで素敵な常設ステーションが出来て人が集い、地域の産業振興に貢献しているのは素晴らしいことだと心から思うのでした。

さて、この番組なんだったかは忘れたのですが、とりあえずは私の脳裏に強い印象を残すという意味では大成功です。今回も当直明けに家族三人で11時頃に出発。一時間半まではかからない旅程でしたが、豊橋の方へは何らかの目的を持って近づいたのは人生で初めてでした。

お隣の蒲郡へは竹島水族館や竹島へ行く目的を持って行ったことがあったのですが、それ以外はこちら方面へ近づいたこともありません。
市内までのアプローチは高速経由で猛烈に簡便で素晴らしいのですが、そこからがイケないのが豊橋だと思い知りました。市内の目抜き通りは未だ良いのですが、そこから少しでも外れると区画整理などとは全く無縁の昔の道をそのまま舗装しました風の道がだーっと延びていて、片道一車線しか無いせいで右折車、左折車がある度に車の進行が止まってしまいます。

道脇には銀行、焼肉屋、パチンコ屋などがずらりと並ぶ感じで名古屋界隈で言えば瀬戸そっくりです。とにかくこの郊外の渋滞を抜けたところにテレビで見たまんまの道の駅「豊橋」がありました。駐車場はほぼ満杯。

中に入ると沢山の野菜がてんこ盛り、更には地域の自慢の特産品や名物も所狭しと並べられていました。標準的な野菜の値段を知らない私は、嫁さんに「どう?安い?」と聞くと「安いものは安い。普通の値段のもある。」と言う返事。

それでも、いつもお世話になっている方などへのお土産などを考えて居るうちについつい買い込んでしまいました。

長居は無用です。お昼をここで済ませて帰ることにしました。食事のコーナーは市場とは別館で隣りにありました。
みんなが家族ごとに距離をとって居るのはコロナ時代の特徴ですね。
注文したのは豊橋カレーうどん!
名物のちくわがでかすぎて食べづらかったのですが、
地元の名産「うずら」が美味かったので合格。
名物のチャオのスパゲッティ・セットやピレーネを買い込みました。
上のボンとらやのピレーネ、エリアや人によって本当にいろいろな名前があるようなんですが、とりあえず寺屋のピレーネは上のものでした。東海テレビで特集されていますのでここを見てみてください。面白いですよ。

家に帰る前にお世話になっている方のお家へそれらを持っていき手渡し。その後は家に帰っても腹がくちてしまって、とても夕食を食べる余裕もなく思わず2時間ほど寝てしまいました。

美味いものを買う・食べる為に本当は県外を訪ねたいところですが、今の時期はそれは止めているのが残念です。

2021年9月4日土曜日

本当のお金持ち

物凄い資産家というのをアメリカでは身近に感じる機会がたくさんありました。

しかし、そういう人達の生活は遠くから見るだけで、実際に私のような貧乏人が「交わる機会」というものは全くありませんでしたが、娘達が幼い頃にそう行った人々の娘さんの誕生会に呼ばれた時にその一端というものをほんの一瞬だけ垣間見たことはありますが。やっぱりエグいですね。

それはそれは羨ましくも何とも無いほど遠~い世界に住んでいる人達でしたが、そういう人達であっても恐らく幸せとは言えないような状況にあることはいろいろと耳に入ってくる周りのお話で何となく「人生を楽しむのは金だけでは難しいもんですな~」と思った記憶があります。

日本で言うところの富裕層は持っている資産が1億以上の種々の資産を持っている人達なのでしょうが、アメリカではそんなのは数の中にも入れてもらえないというのは間違いない事で、彼らの持っている資産はそれこそ飛び抜けていて、いわゆる富裕層というところまでワープしている状況。

まさに持っている「総てのモノを数え上げられるうちは金持ちとは言わない」というポール・ゲッティのようなファミリーが腐るほど居るわけです。金が金を産み、いくら使ってるかもいくら持ってるかも全く意識しなくて良い状況と言うべきで、何れにしてもアメリカらしい極端さを持っているところが良いですね。

それからすると、税制や産業構造等の違いも含めあらゆるものが精々ファミリーの総資産が100億程度というのが一つの壁なんじゃないでしょうかね?でも、その多くは育てた株式未公開の会社という感じで「頑張ってここまで来ました!」という人達。やっぱりアメリカと比べると桁が一つ足りませんそしてその数も。一兆円を超える人達は日本には5人いませんが、アメリカでは1000億以上から数えるとそれこそ・・・と言う話。

大金持ちがたくさん生まれてその人達が金を落としたい社会福祉に「前澤友作的に」集中的にばらまいて貰うというのもなかなか魅力的なのですが、金持ちの多くは「いづるを制す」からこそ金持ちになったような人間が多くて、なかなか稲森さんや本田宗一郎のように生きてるうちにバンバン自分の資産を削って社会貢献なんて言うようには出来ないようです。

金はあっても哲学が無いとやっぱり周りには良い影響は及ぼさないようで、難しいもんですね。老後2000万問題とかいうのが我々庶民にとっては本当に心配のネタな訳ですけど、深刻な病気になればそんなお金などアッという間に消し飛ぶわけでして、安心する時間など無いのが我々の日常。

それでも、「金より健康の価値のほうが絶対上位」というのが私の中では変わらぬ信条です。あとはチャップリンのように日々の暮らしを支えるそれとなく支える「ちょっとしたお金」が日常にあれば良いかな~等と思いつつそのか細い支えさえもこの歳になって「無い」事に呆れる自分です。

それにしても、使い切れない金を溜め込むだけ溜め込んで外にも出さない一族って一体何が人生の目的なんでしょうかね。まあ、俺には自分の一生ではこれまでもこれからも関係無いし、考えるだけ無駄ですな。w

「本当のお金持ち」というのは考えれば考えるほど一体何なんだろうと思う、金融資産とは無縁の私でした。娘達にも俺の貧乏は遺伝するのだろうか???

2021年9月3日金曜日

一難去ってまた一難

「勘弁してくれ!」とコロナウイルスに言いたい毎日です。

今度は私が病棟長を勤めるある病棟に新型コロナ対応病棟としてのセットアップを行わなければならない事態が発生しました。どこの病院であっても、院内に勤める医師、看護師、技師、薬剤師、事務員等大量の職種が混在する状況で、最近はその誰もがコロナ感染のリスクに晒されていますが、今回やはりワクチンを打っていなかった(打てていなかった)ヘルパーさんの一人から新型コロナが検出されました。

どういう状況だったかと言うと話はシンプルで、ヘルパーさんには弟さんが居られて前日に既にコロナ陽性と判定されていたとのこと。実はこのヘルパーさんその日はその事実を知らずに勤務していて勤務中に妙に体が疲れるのと喉が痛いとは感じていたのだそうです。この弟さんとは同居はしていないのですが、実は接点が。

このヘルパーさんと同居しているお母さんは同居はしていないけれども、自分の息子であるこのヘルパーさんの弟さんを毎朝自分の車で職場に送ってあげていたとのこと。恐らくは息子さんが職場や友人経由等の経路で感染していたのでしょう。

昨日の時点で保健所から連絡があり、濃厚接触者として指定を受けたこのお母さんは心配になってヘルパーである娘さんと一緒に勤めている当院に設置されている新型コロナの感染検査棟に朝方やって来て保健所の指示に従って検査を受けたという訳。幸いにして少なくとも今朝の時点ではお母さんは陰性だったので二週間は経過観察するという状況でこれから一週間後に再度PCRで検査と言うことで落ち着きました。(勿論、今のPCR陰性であることは非感染ということを何も担保しません!)

こういう事は致し方ありません。ところが問題はここから。何と、今朝PCR検査を受けたお母さんと同居している「前日から体調が悪い」と言う娘さんが私の病棟に今朝もやって来てたった今、仕事を開始するために朝礼に参加しているというのです・・・。

私は、お母さんが病院に検査に来た時点で既に「この娘さんのPCR検査をやりましょう。」というオファーを出すつもりだったのですが、逆に何と!その娘さんが病院に来て仕事を始めようとしているという驚愕の事実をお母さんの口から聞いた瞬間に(お母さんには素振りも見せませんでしたが)衝撃で顎が床に付きそうになりました。

その瞬間に院内PHSの短縮ボタンをヒットし、自分の病棟の師長を呼び出し直ちにその娘さんであるヘルパーさんを室外に出して検査室へ誘導するように要請して抗原検査を行ったところサンプルを滴下して数秒で陽性のバンドを検出。悪い予感がどっかり当たってしまいました。orz

すぐにルーチンワークとしての検査を全看護師に実施。有熱者である患者さんも全てに実施させて頂き全員がその時点では陰性であることを確認しましたが、これから2週間は私自身は生きた心地もしません。

体調に異変がある時に何故来る?体調に異変がある時に何故言わない?(?_?)

感染してしまう事、これは仕方ありません。しかし、首から上に脳味噌という臓器がついているならば、そういうリスクを想像することは出来ませんか?と私は言いたい。ワクチンを打っていれば、そしてセカンドショットから2週間以降でかつ半年以内程度であれば私はマスク着用での行動はある程度は許容するという考えの持ち主です。しかし、ワクチンも打たずに身体症状が出ているような人がそんなアクションを起こした事実に、理性と言うか「人間としての思考回路の不在」を強く嘆かざるを得ないのでした。怒りはありませんが呆れました。

今日はその瞬間から私の勤める病棟はコロナ陽性病棟としてのハンドリングを開始し、膨大な手間が発生することになりました。全くもって他山の石どころではありません。

危険因子はコロナだけでなく、人の行動の愚かさもデカイと改めて考えさせられました。


2021年9月2日木曜日

新型コロナの火はまさに自分の足下に・・・

どんなに手を打っても寄せては返す波のように新型コロナが近寄ってきます。

今日もある病棟のヘルパーさんが同居しているお婆さんが新型コロナ陽性となったとのことで、その方と同居していたそのヘルパーさんは保健所から濃厚接触者認定。その方が勤務していた時間帯にシンクロしていた方々を中心に全ての職種の人達にまずは抗原検査。取りあえずは全員陰性とは出ましたが、この段階では全く安心できません。

感染のソースとの濃厚接触を疑われたヘルパーさん自身には保健所からの要請でPCR検査。取りあえずはこの方がPCRで陰性だと判ると例え感染していても検出可能な抗原量はそれほど多くなかった可能性が高くなりますし、その上で再度一週間後にPCRを行っていくというアプローチを行うとともに、「その間」もその病棟に関わった人間と入院中の患者さん達は厳重なサーベイ下に置かれるとともに、入退院がフリーズされます。

勿論、退院希望者にはPCR検査を経た上で退院していただくことも可能ですが、通常2週間の経過期間を経て誰も要請とならなかった病棟からの転出者でなければお互いの病院間で患者さんたちを移送したりすることは無いのが新型コロナ後の「少なくともここ近隣」の病院界隈の医療事情です。

大きな問題はそこに留まりません。一部、ほんの数%いる未接種者が病棟に居ることで、他のワクチン接種済みの人の中でその人達が「火種」になって病棟の未接種、もしくは体力が低下している入院してきたばかりの患者さん達にとっては脅威そのものなのです。

やっぱり申し訳ないけど、医療関係者で患者さんと接する可能性のあるディビジョンに勤める人達は全員法的にそういった接種をMUSTにしていただきたい。フランス式?で、ワクチン接種しない医療人は罰金と仕事の禁止みたいなアイデアが出てくることもあるかとは思うのですが、実際には本家のフランスでも反対の声が大きいこともあってなかなか実現は難しいでしょうが!ただし、あの個人主義の国といわれるフランス国民の半数以上がワクチン接種の義務化に賛成と言いますので、これからの動向が世界から注視されることになるでしょう。

いろいろこれからも起きそうですが、もとより行っていたシミュレーションを毎回具体化させて対応するのみです!


2021年9月1日水曜日

遺産相続

何だかエグいタイトルですが、私の基本方針は「児孫のために美田を買わず」です。

当然のように私自身も親からの金銭・遺産というものも全く期待していません。(尤も私の両親には田舎の家しかありませんが!w) 基本的に人から白い目で見られるような方法でも取らない限り、日本の税法では三代でスッカラカンになるように出来ている等と言いますが、実際のところはどうなんでしょう。

Bill Gatesなんかは自分の子供達に1人あたり10億円($10M)だったかな?その程度の金銭しか残さないとか言ってましたが、まあ、それでも庶民には殆ど冗談のような金額ですけどね。「どんなに金を貯めていてもあの世には持っていけない」というのは水が高いところから低いところへ流れるという現象と同じほど確かなことで、人が識る常識の中でも数少ない確実なものの一つでしょうな~。

私の場合、両親から恐らくほぼゼロの預金通帳を引き継ぐことになるのと、今や誰も住まないであろう田舎の造成団地の築30年超えの「綺麗ではあるけれど古い家」を譲られる可能性しかありません。本音を言うとそれも全くもって要らない!と言いたいのですが、税務処理という意味では何らかの処分をしないといけないでしょうから、先行きもそう長くもない私をすっ飛ばして私の子供にそのまま譲ってもらったり、二束三文で売り払って両親達の老後の経費として使い切ってから逝ってもらいたいなと言う考えもあります。

自分で稼いだものはサラッと自分の生きている間に使い切ればいいなと思うんです。本田宗一郎式です。そもそも、子育てというのは自分の脚で立って自分の力で人生を切り拓くだけの力を持った人間を育てることが最終目標。親が敷いたレールを使うと楽だし(人によっては一見すると)先にもよく進むのでしょうが、単純にそれは私の好みではありません。w

さて、最近になって遺産相続の話が気になった理由はシンプルで、親父の誕生日に再度接して「そろそろリアルな話になってくる可能性が高いな~。」と感じたからでした。生きていても認知症だと種々の個人資産の移動に関する承認も敷居がぐんと高くなるでしょうし、銀行口座も凍結されて大変な目に遭うことになるという専らの噂。

コロナで田舎との行き来も全く無くなってしまっていますが、想い出だけを残してモノ自身はごく少数の思い出深いものを除いて綺麗サッパリ破棄してしまうという事が大事かなと考える自分です。

多くのアメリカ人のようにアレヤコレヤのがらくたを必死になって溜め込むのに忙しい状態のまま人生の最後を迎えるというのも何だかな・・・と考えてしまうのです。恐らく、人生の最後の最後には自分にとって最も大事なものは自分の残した遺伝子もしくは成し遂げた仕事のみだろうなとしか思えません。

後は生きている間に全て家族や友人、仕事仲間との間で共有された多くの時間が人生の想い出として最晩年に残ればそれで資産としては十分でしょう。そしてそれ自体もそれを覚えてくれている人々が皆いなくなったところで、私の人生に関連した全ては綺麗に土に還るのだと思っています。

遺産相続での骨肉の争いとか私には想像の枠の外の話。100億の遺産でも、それで兄弟が揉めるようなら一切権利放棄したほうがよっぽど上等で、そんな金は呉れてやれば良いのです。死んだ人間の金を巡ってみっともない争いなど男の美学に悖る話です。

私が真剣に考えるのは、自分が死んだ後の嫁さんが贅沢をしなければ生きていけるだけの小銭と我々という親がいなくなった後に残される自閉症の息子が死ぬまでの間、きちんと三度三度の御飯が死ぬまで一生屋根のついた部屋の下で暮らせるシステムを残してやることだけです。