このブログを読むことのある多くの方々にとって精神科の病棟内の世界というのは殆ど縁のない世界かと思われます。
しかし、この病院に来て良くわかったのは若年の方から老人まで、精神科の病棟では年齢に関係なく家族親類などから完全に縁を絶たれ捨てられた患者さんの割合が高いことです。
重度の障害のために全く話がかみ合わない患者さんが人生の初期の段階で親元から離されたり捨てられたり、親族からも捨てられたり。人生の一時期結婚した後、配偶者に捨てられたり子供から絶縁されたり・・・。それこそ悲劇としか言えないような経験をされている方が多いのです。
目に見えない病の目に見えない原因に一生を台無しにされたまま、自分の置かれた状況も理解できないまま病棟の中で一生を終えてしまうような状態にある方々も少なくありません。出すことが出来ればと私が思うようなことも時々あるのですが、既に入院が20年、30年となり外の世界に自分の身を置ける場所や知人が全くいなくて自ら「出るのが嫌だ」という人も。
自分の血を分けた子供さん達とも精神疾患が原因なのかかなりシリアスな大ゲンカや仲違いで絶縁されている人も多く、治療が奏功してもう落ち着いていると思われるような患者さんでも、戻っていく術も戻っていく場所もないということが本当に多い。残念です。
近代の精神科医療では解放と病院外での日常生活への再度の融合を頑張ってはいるものの、現実の世界の壁は思っている以上に高くなかなか上手くいかないことも多いのです。
色々なレベルのいろいろな職種の方々の努力で、そういった患者さんがなるべく普通の形で再び普通に日常を送れるようになることが出来れば素晴らしいのですが・・・。
難しいことですが、病気の治癒と並行して社会システムへの融合法の進化も必要。知恵と時間をかけるしかありません。
2020年3月5日木曜日
2020年3月4日水曜日
許せない虐待
神戸市の神出病院でまた馬鹿どものやらかしたことが原因で逮捕者が出ました。
昔から統合失調症や認知症の患者さんを虐待する介護や看護関係の馬鹿共はまさに潰しても潰しても湧き出るゴキブリのように存在します。(昔は医者も酷いのが居たらしいですが・・・。)
今回の連中は高齢の統合失調の男性患者同士を強制的にキスさせたり、ベッドを逆さまにして患者を閉じ込めたり、放水したりともう滅茶苦茶。
介護と看護の人間の双方が「面白かった」というコメントと共にその行為を告白していますが、その言葉がそのまんまこういう「輩共」の人間としてのクオリティを示してますね。
私の病院においても以前から虐待に関するレクチャーを行うようにはしていますが、今回の事件を見て間違いなくこの手の講義は最低年二回で「全員最低年に一回は参加」というシステムに変更しなければだめだと考えました。
一人の愚かで悪意に満ちた人間がいるだけで、周りにたむろす似た波長をもつ人間、誘いを断れない人間等を巻き込みながら同じレベルまで堕ちていくのです。
こういう連中には刑事罰は勿論の事、民事上の経済的厳罰とともに身も震える様な天罰を下されてほしいと強く思うのでした。
連中には想像力というものが全く欠けているのでしょう。己がいつか老いて施設や病院に入ったとき同じ事をされる側になる可能性を己自身が種として蒔いていることを。
昔から統合失調症や認知症の患者さんを虐待する介護や看護関係の馬鹿共はまさに潰しても潰しても湧き出るゴキブリのように存在します。(昔は医者も酷いのが居たらしいですが・・・。)
今回の連中は高齢の統合失調の男性患者同士を強制的にキスさせたり、ベッドを逆さまにして患者を閉じ込めたり、放水したりともう滅茶苦茶。
介護と看護の人間の双方が「面白かった」というコメントと共にその行為を告白していますが、その言葉がそのまんまこういう「輩共」の人間としてのクオリティを示してますね。
私の病院においても以前から虐待に関するレクチャーを行うようにはしていますが、今回の事件を見て間違いなくこの手の講義は最低年二回で「全員最低年に一回は参加」というシステムに変更しなければだめだと考えました。
一人の愚かで悪意に満ちた人間がいるだけで、周りにたむろす似た波長をもつ人間、誘いを断れない人間等を巻き込みながら同じレベルまで堕ちていくのです。
こういう連中には刑事罰は勿論の事、民事上の経済的厳罰とともに身も震える様な天罰を下されてほしいと強く思うのでした。
連中には想像力というものが全く欠けているのでしょう。己がいつか老いて施設や病院に入ったとき同じ事をされる側になる可能性を己自身が種として蒔いていることを。
2020年3月3日火曜日
男やもめ・老後の一人暮らし
未婚・離別・死別その他もろもろの理由から老後に一人暮らしになってしまう人たち。
在宅医療のバイトをしているとそのような名古屋の老人達の日常を垣間見ることができます。家族の中にそんな人がいるという人でもわざわざその人達に親戚として会いに来るというようなことをしない人達も沢山います。
実際の所、多くの一人暮らしの男性たちは高血圧、心疾患、腎疾患、脳卒中による麻痺、高脂血症、皮膚疾患など何らかの基礎疾患を持っている人が多く、いろいろな介護サービスを受けている人たちが大勢います。典型的なのは若いころに田舎から名古屋へ仕事を求めてやってきて、工場や店で淡々と働いて結婚や内縁の妻を持った後に別れを経験、そのまま一人暮らしを続け出鱈目な食生活などとを続けるうちに体を壊し、加齢とともにしぼむ様に今に至ってしまったという人々。
しかし、今日行ったオジサンの家で小さな変化が見られました!
そのオジサンの生活の基本は一日二食、昼と夕食。朝はまずなにも摂らずに昼に起きてきて夕方には二合の焼酎を飲んで夜には寝るという暮らし。脳梗塞後の後遺症で左片麻痺があるのですが、知的な能力は比較的保たれていて訪問看護師さんの言う事はあまり聞かないのですが、私の言う事はよく聞いてくれます。
今回で四回目の訪問だったのですが、三回目までの訪問でオジサンの基礎的疾患のデータ等を取り終えたうえでかなり親密にお話をすることができました。その上で私からオジサンに提案したのは「生活習慣と生活環境の改善」でした。
長年にわたる不摂生で種々の病に苦しんでいるわけですが、床の上には煮締めたような小さなカーペットが敷いてあり、机の上には一体いつ洗ったんだろうというようなカピカピになった茶碗類が並べてあります。そしてその小さなテーブルの下にはお決まりのように封の切られた酒類が数本。
まず私が言ったのは「このカーペット、洗濯するか捨てるかしましょう!ダニの発生源です。」というものでした。するとどうでしょう、二週間後にあたる今日四回目の診療に行ってみたところ、部屋の中がびっくりするほど奇麗になっていたのです。
ご本人に聞いたところでは、ヘルパーさんは飯を作ってくれる時間でいっぱいいっぱいで、それ以上のサービスを介護行政の割り当てポイントでするような余裕は無し。また、訪問看護師さんもそんなクリーニングをする事はまずありません。
「片づけるのに三時間以上かかったよ!」と、笑いながら教えてくれましたが私は嬉しくて嬉しくて・・・。この工場地帯に住むような夢や希望を失った老後の男は多くの場合自暴自棄を絵に描いたような生活を送ることが多いのです。
そんな中でそんな「負の流れに対抗する」ような行動を見せてくれたきっかけが私の様な男の囁いた一言であったのなら望外の喜びと言うべきでしょう。これからも、押しつけがましくない感じで時間をかけて少しづつ少しづつオジサンと一緒に生活のベクトルを良い方向に変えていけたら良いのですが。
在宅医療のバイトをしているとそのような名古屋の老人達の日常を垣間見ることができます。家族の中にそんな人がいるという人でもわざわざその人達に親戚として会いに来るというようなことをしない人達も沢山います。
実際の所、多くの一人暮らしの男性たちは高血圧、心疾患、腎疾患、脳卒中による麻痺、高脂血症、皮膚疾患など何らかの基礎疾患を持っている人が多く、いろいろな介護サービスを受けている人たちが大勢います。典型的なのは若いころに田舎から名古屋へ仕事を求めてやってきて、工場や店で淡々と働いて結婚や内縁の妻を持った後に別れを経験、そのまま一人暮らしを続け出鱈目な食生活などとを続けるうちに体を壊し、加齢とともにしぼむ様に今に至ってしまったという人々。
しかし、今日行ったオジサンの家で小さな変化が見られました!
そのオジサンの生活の基本は一日二食、昼と夕食。朝はまずなにも摂らずに昼に起きてきて夕方には二合の焼酎を飲んで夜には寝るという暮らし。脳梗塞後の後遺症で左片麻痺があるのですが、知的な能力は比較的保たれていて訪問看護師さんの言う事はあまり聞かないのですが、私の言う事はよく聞いてくれます。
今回で四回目の訪問だったのですが、三回目までの訪問でオジサンの基礎的疾患のデータ等を取り終えたうえでかなり親密にお話をすることができました。その上で私からオジサンに提案したのは「生活習慣と生活環境の改善」でした。
長年にわたる不摂生で種々の病に苦しんでいるわけですが、床の上には煮締めたような小さなカーペットが敷いてあり、机の上には一体いつ洗ったんだろうというようなカピカピになった茶碗類が並べてあります。そしてその小さなテーブルの下にはお決まりのように封の切られた酒類が数本。
まず私が言ったのは「このカーペット、洗濯するか捨てるかしましょう!ダニの発生源です。」というものでした。するとどうでしょう、二週間後にあたる今日四回目の診療に行ってみたところ、部屋の中がびっくりするほど奇麗になっていたのです。
ご本人に聞いたところでは、ヘルパーさんは飯を作ってくれる時間でいっぱいいっぱいで、それ以上のサービスを介護行政の割り当てポイントでするような余裕は無し。また、訪問看護師さんもそんなクリーニングをする事はまずありません。
「片づけるのに三時間以上かかったよ!」と、笑いながら教えてくれましたが私は嬉しくて嬉しくて・・・。この工場地帯に住むような夢や希望を失った老後の男は多くの場合自暴自棄を絵に描いたような生活を送ることが多いのです。
そんな中でそんな「負の流れに対抗する」ような行動を見せてくれたきっかけが私の様な男の囁いた一言であったのなら望外の喜びと言うべきでしょう。これからも、押しつけがましくない感じで時間をかけて少しづつ少しづつオジサンと一緒に生活のベクトルを良い方向に変えていけたら良いのですが。
2020年3月2日月曜日
宮崎・一泊二日帰りの日
今回の宮崎への帰郷には一つありました。
それは実家の部屋と屋根裏の荷物整理です。基本的に年老いてからの母親はモノを溜め込むという行為が少しずつ増えてきている状況に陥っている感じでした。
猛烈というほどではないし、汚部屋にも程遠いのですがやはりどうでもいいようなもの、例えばトイレットペーパーの芯なんかを「何かに使うかも」「もったいない」等という意味不明の理由をつけて溜め込んだりしています。
そのほかにも大きなクリアケースを何箱も買い込んできてはその中に二割程度しか詰めない感じで服を仕分けして入れていたりします。父母が使う三部屋に、いわゆる収納部の中まで合わせると大きな洋服ダンスが9つもあるというこれまた意味不明のモノの溜め込みが起きていました。
更に問題なのは屋根裏には家族全体の歴史的読書や学習の記録である本やノートがこれまた山のように詰め込んであるのでした。
こんなものを残したままで両親の片方に何かが起きたりしても何をどう整理していいのかわからないままになります。高齢になった両親がまだ判断の付くうちに「モノ」の数は減らしておかないとなりません。
というわけで、昨日の夜から親父と二人で夜中まで何時間もかけて屋根裏の段ボールを私が開梱して中身を確かめ、要らない者は一階に放り続けるといった感じで作業を行い、今朝もまた同様の作業を継続。大量の衣服や布団、そして雑誌や世界文学全集など大量の本を次々に片づけました。
それでも残った箱は最終的にまだ開梱していない分も含めて35箱プラスアルファもありました。とりあえずはこれで次に来た時の下準備という感じになったかな~と言うくらいですが、一階にある荷物などの分まで考えると一度作業をはじめたら、二人がかりでも丸三日はかかるだろうなと思いました。それも屋根裏とその一部屋だけで。
3/29にソラシド・エアの宮崎就航時に片道6500円という値段が出ていました。これを使えば安くで帰れそうですので、その値段がいつまで続くかは知りませんが、キャンペーンが終わっても今の飛行機代の半分くらいにはなりそうですね。
さて、片付けが一段落したところでシャワーを浴び実家を発ちました。レンタカーのミラーに映る両親に向けて長々と手を振っての別れでした。
飛行機に乗る前に一時間ほど再び叔母の居る病院を訪れました。
残念ながら今日も昨日のようにやはりせん妄状態で私が言っていることを理解している様子はなし。何度話しかけても何を話しかけても変わりませんでした。心を残して叔母に小さな声で別れを告げ病院を去りました。もう多分、叔母と生きて会うことはないだろうと。頭では解ってはいても心は納得できません。
レンタカーを返しましたが、たったの2Lで満タン。小型のハイブリッドであまり走っていないときのレンタカーのガソリン消費はびっくりの少量です。
飛行場につく前にローソンでサンドイッチを買って飛行場で食べ終わったあとでお土産を買いこんで飛行機に乗り込みました。帰りも同じデハビランド。
そのまま夕方の病院に戻り当直へはいりました。疲れました。
それは実家の部屋と屋根裏の荷物整理です。基本的に年老いてからの母親はモノを溜め込むという行為が少しずつ増えてきている状況に陥っている感じでした。
猛烈というほどではないし、汚部屋にも程遠いのですがやはりどうでもいいようなもの、例えばトイレットペーパーの芯なんかを「何かに使うかも」「もったいない」等という意味不明の理由をつけて溜め込んだりしています。
そのほかにも大きなクリアケースを何箱も買い込んできてはその中に二割程度しか詰めない感じで服を仕分けして入れていたりします。父母が使う三部屋に、いわゆる収納部の中まで合わせると大きな洋服ダンスが9つもあるというこれまた意味不明のモノの溜め込みが起きていました。
更に問題なのは屋根裏には家族全体の歴史的読書や学習の記録である本やノートがこれまた山のように詰め込んであるのでした。
こんなものを残したままで両親の片方に何かが起きたりしても何をどう整理していいのかわからないままになります。高齢になった両親がまだ判断の付くうちに「モノ」の数は減らしておかないとなりません。
というわけで、昨日の夜から親父と二人で夜中まで何時間もかけて屋根裏の段ボールを私が開梱して中身を確かめ、要らない者は一階に放り続けるといった感じで作業を行い、今朝もまた同様の作業を継続。大量の衣服や布団、そして雑誌や世界文学全集など大量の本を次々に片づけました。
それでも残った箱は最終的にまだ開梱していない分も含めて35箱プラスアルファもありました。とりあえずはこれで次に来た時の下準備という感じになったかな~と言うくらいですが、一階にある荷物などの分まで考えると一度作業をはじめたら、二人がかりでも丸三日はかかるだろうなと思いました。それも屋根裏とその一部屋だけで。
3/29にソラシド・エアの宮崎就航時に片道6500円という値段が出ていました。これを使えば安くで帰れそうですので、その値段がいつまで続くかは知りませんが、キャンペーンが終わっても今の飛行機代の半分くらいにはなりそうですね。
さて、片付けが一段落したところでシャワーを浴び実家を発ちました。レンタカーのミラーに映る両親に向けて長々と手を振っての別れでした。
飛行機に乗る前に一時間ほど再び叔母の居る病院を訪れました。
残念ながら今日も昨日のようにやはりせん妄状態で私が言っていることを理解している様子はなし。何度話しかけても何を話しかけても変わりませんでした。心を残して叔母に小さな声で別れを告げ病院を去りました。もう多分、叔母と生きて会うことはないだろうと。頭では解ってはいても心は納得できません。
レンタカーを返しましたが、たったの2Lで満タン。小型のハイブリッドであまり走っていないときのレンタカーのガソリン消費はびっくりの少量です。
飛行場につく前にローソンでサンドイッチを買って飛行場で食べ終わったあとでお土産を買いこんで飛行機に乗り込みました。帰りも同じデハビランド。
そのまま夕方の病院に戻り当直へはいりました。疲れました。
2020年3月1日日曜日
叔母の見舞いに宮崎へ
朝早い段階で副院長に仕事を引き継いで頂きセントレア空港へと向かいました。
二日前に書きましたが、母の妹がガン末期状態で意識レベルも低下してきたとのことでしたので、まだ少しでも認識してもらえるうちに顔を見せに行こうという事で飛行機を急遽予約しての宮崎行きとなりました。
朝気持ちよく高速から飛行場にアプローチ、まだ時間に余裕があったのでちょっとおしゃれに飛行場内の喫茶店で美味しいトーストとコーヒーをゆっくり飲んで発券に向かいました。
8:00ちょっとに発券機に9桁の発券番号と予約番号を入力したところで事件発生。(いつもの事ですがw)
何故だかわからないのですが、お客様の予約便はすでに発券できないのなんのとかいう文言とともに発券拒否されます。「もしかして・・・」と思いメールの発着時間のところを見たところ、8時15分となっておりました。orz
もうね、端っから8:45分と思い込んでいた自分にとっては「またやった・・・」との思いしかありません。そこで直ちに便を昼のものに変更してこの空き時間を有効に使うことに作戦変更。レンタカー屋に電話を入れて一便分遅くなることを伝えすぐに"いつもはなかなか行けなかった″ターミナル屋上にある飛行機の発着見学場に急行。
ビュービュー強い風の吹く中を先のほうまでずーーーーっと歩いて端っこのほうまで来た後、5便分ほどの離着陸する各社の飛行機を眺めておりました。そのあとは冷えた体を温めるためにいつもの「風の湯」に1050円払って入湯。そもそも本当は入浴してから宮崎にはいきたかったので、災い転じて福となった状況。(別に強がりではありません)
入浴してみると驚いたことに湯一面に可愛らしい風の湯のマスコット人形(フーちゃん?)が浮いておりました。ざっと推定したところ約500。(湯を上がったあと店の人に聞いたら500入れてますって言われてちょっと嬉しかったおっさんです。)人形をいじりながら朝の人のほぼ居ない湯で一時間弱のんびりでした。
その間もいつものように一人フルxンで寒空の下からだが乾くまで外の飛行機を眺めていましたが、後で急に体の具合が悪くなってしまって冷やしすぎというただのバカ男なのでした。そのあとFBに良いねをして無料のソフトドリンクをいただいて暫くポケモン狩りをした後今度こそは本当に余裕の発券。
一回のロビーでお土産を買いこんだ後、ターボプロップのデハビランドに乗り込んで宮崎まで一時間半でした。数か月ぶりの宮﨑ブーゲンビリア空港でしたが迎えのレンタカーはあっという間に来てくれて、すぐにトヨタのビッツ・ハイブリッドを運転して実家に到着。
老いた両親が笑顔で迎えてくれましたのですが、ここでもすぐに行動開始。オヤジだけを連れて叔母の入院する病院に向かったのですが、その前にその病院で看護師として勤務する二人の従妹達に同行してもらい病室へ。
最上階の6階まで上がっていったのですが、コロナ対策で各コーナーと病室にアルコール洗浄液が備え付けてあると同時に人数的な面会制限もかかっておりました。
部屋へはいると痩せ細って小さな声を上げている叔母が横になっておりました。この前、彼女の姉の葬式で会った時には元気だったのに見る影もありませんでした。耳元で何度も呼び掛けたのですが、「母ちゃん、う~ん」というような事を繰り返すばかり。私の事を認識しているのかどうかわからないほどの意識障害がありました。
一時間半ほど居る間に息子である従弟と主人である叔父さんもやってきて、皆でベッドを囲んでのいろいろな話がありましたが、やはりその間一度もハッキリとは目を開けてくれる事もなく時間だけが過ぎていきました。
両下腿と左上肢の強い浮腫、ドレーンの刺さった状態で抜かれている腹水。そして日々減っている尿量。残念ながらどれを見ても状態が悪いことがわかるようなサインしか見られませんでした。
まだ70代ですが、やっぱり70代に差し掛かったあたりから人間いろいろなことが起きますね。もともと叔母は健康診断に行ったりして病気が見つかるのが嫌だというような臆病な人でしたので、突然に大病が見つかるようなリスクの高い一群に属する人だったのですが、嫌な形で確率論が現実になってしまったのでした。
明日もまた午前中に訪れることを約束して叔父さんに御見舞を渡して帰宅の途に就いたのですが、気持ちは暗いままでした。
二日前に書きましたが、母の妹がガン末期状態で意識レベルも低下してきたとのことでしたので、まだ少しでも認識してもらえるうちに顔を見せに行こうという事で飛行機を急遽予約しての宮崎行きとなりました。
朝気持ちよく高速から飛行場にアプローチ、まだ時間に余裕があったのでちょっとおしゃれに飛行場内の喫茶店で美味しいトーストとコーヒーをゆっくり飲んで発券に向かいました。
8:00ちょっとに発券機に9桁の発券番号と予約番号を入力したところで事件発生。(いつもの事ですがw)
何故だかわからないのですが、お客様の予約便はすでに発券できないのなんのとかいう文言とともに発券拒否されます。「もしかして・・・」と思いメールの発着時間のところを見たところ、8時15分となっておりました。orz
もうね、端っから8:45分と思い込んでいた自分にとっては「またやった・・・」との思いしかありません。そこで直ちに便を昼のものに変更してこの空き時間を有効に使うことに作戦変更。レンタカー屋に電話を入れて一便分遅くなることを伝えすぐに"いつもはなかなか行けなかった″ターミナル屋上にある飛行機の発着見学場に急行。
ビュービュー強い風の吹く中を先のほうまでずーーーーっと歩いて端っこのほうまで来た後、5便分ほどの離着陸する各社の飛行機を眺めておりました。そのあとは冷えた体を温めるためにいつもの「風の湯」に1050円払って入湯。そもそも本当は入浴してから宮崎にはいきたかったので、災い転じて福となった状況。(別に強がりではありません)
入浴してみると驚いたことに湯一面に可愛らしい風の湯のマスコット人形(フーちゃん?)が浮いておりました。ざっと推定したところ約500。(湯を上がったあと店の人に聞いたら500入れてますって言われてちょっと嬉しかったおっさんです。)人形をいじりながら朝の人のほぼ居ない湯で一時間弱のんびりでした。
その間もいつものように一人フルxンで寒空の下からだが乾くまで外の飛行機を眺めていましたが、後で急に体の具合が悪くなってしまって冷やしすぎというただのバカ男なのでした。そのあとFBに良いねをして無料のソフトドリンクをいただいて暫くポケモン狩りをした後今度こそは本当に余裕の発券。
一回のロビーでお土産を買いこんだ後、ターボプロップのデハビランドに乗り込んで宮崎まで一時間半でした。数か月ぶりの宮﨑ブーゲンビリア空港でしたが迎えのレンタカーはあっという間に来てくれて、すぐにトヨタのビッツ・ハイブリッドを運転して実家に到着。
老いた両親が笑顔で迎えてくれましたのですが、ここでもすぐに行動開始。オヤジだけを連れて叔母の入院する病院に向かったのですが、その前にその病院で看護師として勤務する二人の従妹達に同行してもらい病室へ。
最上階の6階まで上がっていったのですが、コロナ対策で各コーナーと病室にアルコール洗浄液が備え付けてあると同時に人数的な面会制限もかかっておりました。
部屋へはいると痩せ細って小さな声を上げている叔母が横になっておりました。この前、彼女の姉の葬式で会った時には元気だったのに見る影もありませんでした。耳元で何度も呼び掛けたのですが、「母ちゃん、う~ん」というような事を繰り返すばかり。私の事を認識しているのかどうかわからないほどの意識障害がありました。
一時間半ほど居る間に息子である従弟と主人である叔父さんもやってきて、皆でベッドを囲んでのいろいろな話がありましたが、やはりその間一度もハッキリとは目を開けてくれる事もなく時間だけが過ぎていきました。
両下腿と左上肢の強い浮腫、ドレーンの刺さった状態で抜かれている腹水。そして日々減っている尿量。残念ながらどれを見ても状態が悪いことがわかるようなサインしか見られませんでした。
まだ70代ですが、やっぱり70代に差し掛かったあたりから人間いろいろなことが起きますね。もともと叔母は健康診断に行ったりして病気が見つかるのが嫌だというような臆病な人でしたので、突然に大病が見つかるようなリスクの高い一群に属する人だったのですが、嫌な形で確率論が現実になってしまったのでした。
明日もまた午前中に訪れることを約束して叔父さんに御見舞を渡して帰宅の途に就いたのですが、気持ちは暗いままでした。
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