今回、田舎の両親がやってきて特に気づいたのは日頃使う言葉の断絶。
私がこれを書けばどこ出身の人間かは直ぐに判ると思うのですが、いや~本当にもう両親、特に母ちゃんの方から出てくる言葉の「時代感」「地方感」は本当にタイムマシンを使って時代を遡ったような感覚に襲われました。
以下に忘れてしまわないように書き付けておきたいと思います。()内は現代標準語的翻訳。
「ちりし(ティッシュ)、よだきい(面倒くさい)、てにゃわん(手に負えない、大変)、もぞなぎ(気の毒)、じゅばん(襦袢、肌着特に上の)、はんだい(飯台、テーブルのこと)、くらす(仲間に入れる)、だりーが(疲れた~)」
まあ、一目見てお解りのように私の出身地相当な田舎です。w 嫁さんが違うエリアの出身だった上に、私自身も出身地とは違う所に有る大学に進学してしまったため、アッという間にまずは進学したエリアの方言に染まりました。(まだ若かったので、素早く順応!)
次には長年の嫁さんとの会話(嫁さんは基本大阪弁)をするうちに言葉のアイデンティティをなくしていきました。さらにはここアメリカに住んでいるうちに日本人同士で話しあうことがあると通常は標準語での会話。そうなってくいるとますます自分が生まれ育った田舎の言葉は霞の彼方へと消えていくという循環でした。
言葉っていうのはこうやって世代ごとにいろいろとモディファイを受けては順繰りと使われる言葉使われなくなる言葉が入れ替わっていくんだろうなと感じました。英語のネイティブに聞いても話は似たり寄ったりで、やっぱり世代間の格差が最も大きな要素のようで、特に話し言葉に関しては知っている「常識」の範囲が少しづつ少しづつズレていくって言ってました。
でも、方言っていうのは年取ってくるとまた戻ってくるといいう話も聞きます。それを期待して年寄りになった時は独自色を打ち出そうかな。
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