宗教法人なんて「胡散臭いだけ」という意識しかない私です。
宗教の本質は「救い」だと思ってます。(おお、今日は何だか始まりだけカッコイイぞ俺w)
救いには多分、上なる存在に救済される自分と自分の下の存在を助けることによる救済とがあるような気がするんですね。上から救われることはまあ簡単なんですけど、下への救済も実はそういった行為を行うことにより間接的に自らの魂を癒す行為だと思っています。
そういった意味では、別に「XXX教」なんていう特定の宗教名なんぞ名乗らなくても人を救ったり、魂が救われる道はたくさんあると思うんですけど、何だかそういう特定のものを作らないと安心しないし、同じ物を信じるお仲間が居ると集団として安心するのが人間の性なんでしょうね。
まあ、だからといって信心を否定するつもりはこれっポッチも私自身には無くて、むしろ古今東西の宗教の教典や教えには人類の倫理や哲学に関する全てが既に繰り返し繰り返しあらわれているとしっかり思ってます。
しか~し、私にとって何らかの宗教と名のつく団体を運営している連中で大嫌いなのは金を掻き集めることにあざとい事です。何のかんのと言いながら結局は救うはずの人間が救われるべき人間から小銭や大銭を「それらしい理屈をつけて」掻き集め、結局は教団や教祖と言われるこれまた腐臭を放つイカレポンチの栄光の為にそれを使いまくるという実に解りやすい図式が何処の世界の何処の宗教だろうと普遍的に存在しているわけで、大なり小なり金を集める行為がその中にあるような教団はお布施だろうがなんだろうが、私にとっては良くて精々慈善団体。その他大勢は殆んどが屑やゴミの集まりくらいにしか思ってません。w
本当の崇高な宗教心があるとしたらそれは豪華なドームや綺羅びやかなステンドグラスの下に在るのでは無く、その人の心の中にあるものだと思います。決して効能を謳った勾玉や壺、そして石ころはその崇高な魂を救うものではありませんし。w
さて、いつもこのブログの長さ的には前振りだけでもう終わりそうですが、今日ネットで見た記事に久しぶりに休眠宗教法人の事が書いてありました。この手の休眠宗教法人、マルサの女でも出て来ましたがホントに戦前の宗教への政治の干渉の反動で逆に腫れ物に触るようになり、宗教と直接関わりあう事を避けるようになってしまった挙句、宗教団体を強力な支持母体にした人間や政党まで出る体たらく。こうなってくると、政治から宗教を取り除いたりするのは無理になってくるのはイスラエルの例を見るまでもありません。
政治に関わってくる宗教団体なんて言うのは100%信心とは無関係の連中がやってる「現世での快楽追求の為の脱税団」ですから。(笑)こういった害獣をどうやって駆除すべきか、またこんな連中に騙されるidiotsをどうやって元の世界に戻すのか、、、悩みの底は深い気がします。
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