2011年2月21日月曜日

アメリカの田舎はいつ見ても驚く

昨日は下の娘が学校のプロジェクトを友達の家で済ませるというので、彼女の家まで送っていった。
私の家もリッチモンドからは車で30分以上かかるところなのだが、その私の家から更に20分かかる田舎にあるのがその友達の家。
まあ、日本の常識では考えられないような(北海道ならありかも?)感覚で家が点在している上に、GPSの上ではどこにも住所としては存在しない場所に家があったりするので迷うこと無きにしもあらずというところだ。
その女の子の家は近所にぽつんと教会がある以外は舗装さえされていない森の中に忽然とたっており、銃がなければ絶対に自衛できないようなところにあった。下の娘に聞いたところ、そこのお父さんはハンティングをするということで納得。それなら警察は要らんでしょうというところか。(笑)
友達の娘さんが出てきたが、日本人としては大きい娘がチビに見えるほどに大きな且つスラっとしたかなりの美形の娘さんで、横に乗っていた嫁さんと「モデルになれるレベルだね」と話したくらいの子でした。
それにしてもこんなところに住んでいる人たちというのは日本のような住環境に居る人間とは孤独に対する耐性や人混みに対する感覚というものが随分と違うはずで、所謂「住む世界が違う」ということになりますよね。昔、ゴードン・カンファレンスに行ったときに見たサンタフェの周辺の砂漠の中を走る道沿いに点在する貧しいトレーラーハウスの住人を見たとき、「絶対、俺とは周囲の環境に対する感覚がマッチしないはず!」と考えたものです。
事実、アリゾナの砂漠から来た青年が私がNIHにいた頃離してくれた一言「俺は緑の木に囲まれているよりも、砂漠の中のほうが心が落ち着くんだ」と言ったのが今でも印象的で耳に残っています。
同じモノを観て別の事を考える、、、人の価値観を構成するのは単純に教科書の最大公約数的教えのようにはいかんもんですね。

2 件のコメント:

norinori さんのコメント...

small Gさま・・・

私も「なんでここに住まなきゃいけないわけ?」なアメリカ人の家に行ったことがあります。
人付き合いがあまり好きではないらしく、静かなところに住みたいのはわかるけど・・・大きな家を建てるからって、東京ドームと同じくらいの敷地は別に必要ないんじゃない?と思うのは私がド日本人だからでしょうか?
まぁそれくらい我が道を突き進むアメリカ人ってある意味「素敵」ですけどね。

small G さんのコメント...

いや本当にそうですよね。
普通の田舎の小学校の運動場が幾つも入るようなサイズの庭とかがあちこちに点在してると、「お隣り」の感覚も、銃をぶっぱなしても届かない距離ですからね、、、。
我々とは永遠に交差し得ない価値観というのを持っている人達が世界のアチラコチラにいるという当然の事実を我々は見過ごしがちです。
その一たちの価値観が我々箱庭文化の人間たちから見て「素敵」かどうかは隣に住んでいる私としては一概には言えませんが。(笑)