2010年12月19日日曜日

ゲゲゲの女房

数日前からゲゲゲの女房を観始めた。
鳥取の話で始まるのだが、面白い。「てっぱん」とは違う面白さだ。
現在、45話を観ているところだが、この人の人生のことは断片的に知っているつもりだったのに、こうやってドラマとして観てみると改めて水木しげるの破天荒ぶりの一端が伝わってくる。この人、信念の人ですね。バックボーンに堅固なものがあるために何か大波が降りかかってきてもビクともしない大岩のようです。
昭和36年とか私が産まれる更に数年前なのですが、私が生まれた頃からしてもさらにもう少し日本という国が戦争というものの影を引きずっていた頃だったのだろうなと感じてしまう絵作りになっている。
この中では物は無い、金は無い、有るのは人の繋がりと、その日その日を生きるのに必死な日本人達の姿が画面の中に散りばめられている、、、が、これって当時の全く普通の人だと観ていて思いました。
自分の小さいころを思い出すと、確かに少なくとも九州の田舎の道は舗装していないところなんてどこでも全く普通だったし、車が無いのもこれまたごく普通。親はバイクに乗ってれば十分で、お母さん達はせいぜい自転車でキコキコ走り回っていたし、それでも自転車は比較的贅沢品で、基本は徒歩だったと思う。生活に必要な物を売っている店が歩いて数分の所に皆有ったからほとんどそれで事足りたし。親父のバイクの後ろにからい紐で乗ってちょっとだけ遠出するというのはだいたい親戚の家に行く時、、、なんていうのが何の不自由もなかった当時の私でした。携帯も、テレビも、PCも何もなかったけど何も困ったという覚えは無いですし、小さいころの体験がその人間の一生の基本なんでしょうね。
PCを毎日使いスマートフォンを使い、という生活でも無ければ無いで実際は何にも困らないというのが我々と娘たちの世代の違いでしょう。(多分娘たちもなってしまえばそうなんだと思いますが!)

これから未だ百話以上有るみたいですが、どんな風に話が進んでいくのか楽しみです。

4 件のコメント:

norinori さんのコメント...

small Gさま・・・

すいません、違うところに食いついてしまいました。九州ご出身なんですね?

東京生まれの東京育ちの息子ですが、アメリカから帰ってからなぜか東京が嫌だと言い出し、一浪の末今年の4月から福岡で大学生生活を始めました。3月下旬合格→家探しという信じられない展開でしたが、いまではすっかり馴染んでいるようで「(今電話して)よか?」って電話してきます。大学に入ったら絶対アメリカに留学すると言っていた息子ですが、大学から始めたアイスホッケーが楽しくて4年間は福岡に根を張るみたいです。

small G さんのコメント...

norinoriさん

仰る通りです。九州の当時の田舎といえばどこであっても書いてるような感じでした。
息子さん、何がメリカ訪問後に心境の変化をもたらしたんでしょうか、3月下旬からの家探し、その慌ただしさはかなりのものだったと想像されます。(笑)自分で考えて親元を離れて自立する!子供が早くそうなってくれることを祈ってはいるのですが。今はただnorinoriさんが羨ましい限りです。何だかブログに来れれる方々の子供さんはスポーツも好きで活動的な息子さん娘さんを持たれる方々が本当に多いですね。九州でアイスホッケーというのがまた「何気に」凄いんですが!

Sammy (English), Hayato Minamoto (Japanese) さんのコメント...

small Gさん

ものがあふれている今、どうなんでしょうね。世代の違いと言えばそれまでですが、ビデオもなし、電話はダイアル黒電話、携帯もパソコンもインターネットも無かった子ども時代。

今は携帯当たり前、インターネット当たり前、情報は多いですが、一方では若者も日本人としての心はあるみたいですよ。

small G さんのコメント...

sammyさん、

ドラマの中で二人が新婚生活を始める昭和三十年代後半から40年代にかけては急速に日本の「容れ物」の形が変わっていった時期だと思います。所得倍増計画の話以降の激変はまさに過去10年の中国と一緒だったような気がします。日本でも人間の中身はそのころまだまだ「表面的には」何も変わってなかったと思うのですが、実は中身の変化する萌芽も既にその頃には十分見え始めていた頃だったのではないかと思います。