2010年3月4日木曜日

生きてこそ・生還二周年記念

以前、ちょろっとだけ書いたかも知れないのですが、実は二年前の閏年の日に私大きな手術を受けました。何の手術かというと心臓の手術。病名は僧帽弁腱索断裂に伴う閉鎖不全症。特に急性左心不全症状を伴って症状が急激に悪化したのでした。
医学部の学生時代から実習中に心エコーで実験台になった時から偶然自分が僧帽弁逸脱症である事は知っていたのですが、通常経過観察で問題ないのでそのままにしていました。(ほぼ二十年)
その前後に下肢の浮腫とかが出てきていたのでそれが閉鎖不全の初期症状だったのだろうかと思いますが、まあ、その下肢の浮腫でその急性心不全症状が現れる二日前に病院に行ったときは何も検査結果は陽性では無かったのですが、何とその二日後の朝に強度の呼吸困難で「死にそう」な感じになってしまいました。ほとんど救急車を呼ぶレベルだったのですが、まあ何とかそこは凌いで循環器内科に電話し午前十時に予約を入れて聴診一発、物凄い心雑音が聴取されました。先生直後に「アララ」と言う感じで、直ぐに心エコーをするともう僧帽弁の一つがプラプラの状態でポンプの役割をなしていなくて一心房二心室状態。逆流が酷くて直ぐに心臓外科の先生のところへ紹介。心外の先生のところへ行ってオペお願いしますというと、何時が良い?というのでASAP(できるだけ早く)というとじゃあ五日後でどう?と言うではないですか。
私としては「おおやった」と言う感じで、ウキウキです。(笑)
まあ自分の一生でまさか開胸開心術をするなんて想像もしていませんでしたが、取り敢えず何事も経験経験と言うことで乗りかかった船に即乗りしました。経食道心エコーと心臓カテーテル検査を終えた後はもう俎の鯉状態です。

そしていよいよ2月29日閏年の日が来ました。

その日は朝の五時に病院に来るように言われていましたので、四時過ぎには身支度を終え家を出ました。日本との大きな違いはこんな風に大きなオペでも家から直接手術を受けに来ると言うことです。ちょっと日本の常識では考えられないことですけどそれが普通なので仕方ないです。私はあっけらかんとしてオペ場に臨みましたが、ドアのところで別れた嫁さんは涙、涙。
先ずは体を洗わせられて剃毛し、そのままガウンを来てベッドへ寝ます。もしかしたら万一で、これが俺のこの世の見納めのテレビかななどと思いつつ、天気予報を眺めていましたが、看護婦さんがラインを取って話しかけてくれたのも束の間、あっという間に前投与の麻酔でコテりと寝てしまい気づいたらもうオペは終わっていました。次に目が覚めたのはその日の夕方でしたが、もうモルヒネがバッチシ決まっていて、直ぐまた深い眠りに落ちた私でした。その後のリハビリがまた長かったのですが、またそれはいつか機会のある時にでも書きましょう。

病気になってわかったこと、、、

それは健康って本当に有り難いということ
ただ息が普通にできる、普通に歩けると言うことの素晴らしさを心と体と脳みそで実感した貴重な体験でした。

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