2020年3月31日火曜日

コロナ対策・二国間の政府の質の違いが酷すぎる

日本の政府、非常事態宣言を出すの出さないので未だにウダウダ言っています。

坊っちゃん宰相と経歴詐称都知事の間で会談を持ったとか言っておりますが、一体何を話したのでしょう?結局外に話すことは何も無く、告知も何もない状態で「漠然とした」一般論を紙パネルに書いてそれをテレビの前に晒して終わりという出来の悪さ。

本当にこんなのが行政のトップなんですから、この先日本も東京も緊急事態が発生した時の(そして今まさにその分岐点に居るわけですが・・・)対応の目も当てられないようなツギハギだらけのこれからの狼狽ぶりが予想されるだけに今から脱力です。
結局の所、尻拭いをさせられるのはいつも国民。先の大戦でもそのツケは全て国民にまわされました。

K-1のイベントに6,500人もの人間が集まりリスクを犯したときもお咎めなし。タイで同じ間違いを犯してコロナの大拡散を起こしてタイ国民から吊し上げを食らった直前のムエタイの前例を完全に無視した愚か者共は実際のところ逮捕し、強烈な罰則を叩きつけるべき案件だったと思うのですが。インチキ興行師共の強行に政府が」何も出来ない国というのは国民をバカにしているとしか思えません。忖度しなければならない何らかの理由を持つ国会議員でも居たのでしょうか?

常に個人の責任を追求するくせに何の対策も出せない日本のクズ政府と対照的なのがドイツ。

  • 仕事の無くなった生活困窮者に返済不要の5000ユーロ支給
  • 9月まで家賃滞納を理由に居住者を追い出すことの禁止。(家主への援助と当然セット!)
  • 集会の禁止
  • 配達、テイクアウト以外の飲食店の閉鎖
  • 美容やマッサージ店の閉鎖
  • 上記違反者に対する罰則・罰金
  • 病院がベッドを準備しただけで入院していようがいまいが一床毎に560ユーロの保証。
  • 更に人工呼吸器を備えたベッドは準備代として50000ユーロ(650万円!)

ゲルマンの戦闘準備時の緻密さはナチスの時代と全く変わらぬ国民性ですね。金と表裏一体になったこのような素早く大規模な対策を知った後では、どこぞの国の坊っちゃん宰相の間抜けぶりが際立つばかりで恥ずかしい限りです。orz

自分で自分を守るしか無い国。それが日本です。


2020年3月30日月曜日

ケンちゃんサヨウナラ (ノД`)

国民的スターの一人が亡くなりました。

私にとってはドリフターズというのは「八時だヨ!全員集合」に登場する面白くて仕方のないおじさん達でした。小学生の頃の私はドリフ達の走り回る画面を見ながら息が出来ないくらい笑い転げていたのでした。毎週土曜日になるとこの番組が終わるまでは、親から「起きてて良い」と言われてたためこの番組までは心置きなく起きていたのでした。
(そのあと暫く時間をおいてトヨタが提供する「知られざる世界」というのを時々観ることを許されていましたが・・・。)

子供にとって腹の皮がよじれるとは、まさにこの番組を観て起きた現象でした。最初の頃は私にとって滅茶苦茶に面白かったのはカトちゃん。「ちょっとだけよ~!」などを手始めとして、小学校ではドリフを見ていなければ学校では話に付いていけないというような状況になるほどでした。

しかし、73年に志村が初めて出始めてからは番組の中でのそれぞれの立ち位置が次第に変わっていったのを子供心に感じました。東村山音頭が大当たりしたころは、間違いなくカトちゃんはドリフの中で2番になっていて、完全に志村の引き立て役。勿論カトちゃんだって十分に面白いし、二人だけで出てくるコントなんかでもカトちゃんの面白さは芸術の域だと今でも思うのですが、ドリフという括りをつけるとどうしても志村がトップになっていくのを見つめる数年間でした。

やがて85年に全員集合が終わった後も、ケンちゃんはお笑いの世界の中ではずっと面倒見の良いトップであり、以降、現れては消えていった無数の芸人たちとは無関係にずっと存在感のあるボスとして君臨してきたと思います。

たけしが居て、ウッチャンナンチャンが居て、ダウンタウンがいる中で完全に独立した別の大きな柱として日本の「正統派」のコントを守り続けた人だったと思います。
私が彼のコントを正統派というのは「時代と年齢を超えて誰にでも理解できる」という理由からです。

今度の新型コロナ・ウイルスが「まさか」私のお笑いのヒーローに襲いかかり命まで奪うとは・・・。私の心の衝撃は、昼に病院で仕事をしていた時にそのニュースをLINEで知って、周りの看護師さんに囁いた時に全員が「嘘でしょ!」と言った一言と全く重なりました。

警告を無視して酒を飲みに出かけ、警告を無視して友達とカラオケに行き、警告を無視して花見を続ける人達に彼の死が少しでもインパクトを与えることを願うのです。

このままでは昨日のイタリア・スペインは明日の日本になる可能性が大です。


2020年3月29日日曜日

人の車はかえって運転できない時代になってきた

本当にいろんな車に普通に各種の安全装置が付くのが当たり前の時代になってきました。

最初は30年くらい前だったでしょうか?サイドインパクトビームがドアの内張りの中に張られること自体が安全の宣伝になるような牧歌的な時代がありました。
同じようにABSが次第に高級車から普通の車でも当たり前になってきました。そのあとは暫くエアバッグの数を競うような頃もありましたね。それでも結局の所、ボディー自体が潰れては意味がないということでホンダやトヨタなどがそれぞれそのボディーのフレーム構造に名前をつけて数年間元気に宣伝したような?

結構そういう技術の流れがあった後、いよいよカメラやセンサーを使って周囲の情報を逐次処理しながら安全を競う時代が来たのですが、最初は追随時の車間距離維持や警告を出して自動ブレーキを踏むもの。そのうち車線の維持や後退時の警告とその自動ブレーキ。その次のステップでは交差点を曲がる時の警告や自動ブレーキ、更にはステアリングを自動で切ってくれて危険回避をしてくれる車も結構高級車を中心に出てきています。

その上でかなりのレベルで自動で車線を認識して、自動で速度を調整して自動でステアリングを切ってくれる車もかなりの数が出てきました。これらは本当に相当のレベルまで進んできたとはいうものの、いわゆる人が「完全」と呼べるような自動運転にはまだまだ届いていません。まだまだ!

勿論、十年前であれば各社の実験用周回路などで、まさに「実験」段階だったものが今では普通に各社から売り物として出ているわけですから凄いものです。
結局、人間が想像できるものというのは遅かれ早かれいつかは形になるんだな~というのがこのようなものにおいてもよく示されるわけです。

しかし、ここで問題が・・・。

仕事で他人の車に乗ったときなどにはたとえ安全システムがいろいろ搭載されていても、その安全システムのカバーする範囲と質がそれぞれ全く違うために、自分の車では「いつのまにか」ここは安心して任せられる!というようになってしまっているシステムが他人の車では「そうじゃない」もしくは「そもそも付いていない!」なんていう事はザラにあるわけです。

ですから、昭和・平成初期の車だったら全ての安全の責任は運転者自身であったものが、いつの間にか車のシステムに助けてもらっているという状態が増えてきているために、知らないうちに運転の癖というものがモディファイされてしまっていて却って人の車に乗ったときには安心できなくて緊張する時があるのです。

将来、技術が更に一桁上がればどの車を運転しようと相当に安全でベンツだろうが軽だろうがかなり同一の安全を約束されるのでしょうが、今はマダマダですね。

十年後にこの文章を読んで「時代とともに大きく進化した自動運転」という日が来ることを愉しみにしています。


2020年3月28日土曜日

明日の飯代に困る人達のこと

これだけ経済的な活動の停滞が長引くと公務員等の降ろうが照ろうが給料は貰えるような仕事以外は本当に干上がってしまいます。

ブラック・マンデーやリーマン・ショックの時でさえも、自分達が上り詰めさせた人工的な景気循環の一つの断面としてのリセッションであって、誰とは言わないけれどもゼロサムゲームの結果として実はクラッシュが起きる時までに儲けていたどころか、大儲けをした人達も沢山いたわけです。勿論、クラッシュを利用して天文学的な大儲けをした人達も表面上は隠れているだけで、実際には沢山おります。

しかし、今回の強制的な景気後退はもともとそれほど沸いていたわけでもない景気にとてつもない冷や水を浴びせることになってしまいました。
私自身は商売人ではありませんので、商売のための運転資金や給料などの人件費を心配しなければならない立場にはないのですが、それが他人事であるはずの私でさえ、今回のコロナ騒動で確実に減ったであろう日銭商売をするような人達は息をしているんだろうかと心配になってしまいます。

食品業のなかで外食産業が被る被害のデカさは想像するだに恐ろしいものではないでしょうか。まさにdeep impactと呼ぶべき絶滅を誘導するような大異変だと思えるのです。
少しぐらい不景気になってもある程度、人は外出して食べたりしますし服を買いに出かけたりとか散策して何かをついでに買ったりなんてすると思いますが、そういう時とは表情の異なる「出歩くこと」「人と顔を合わせること」「人の居るところに行くこと」自体を憚る、もしくは禁止されるような特殊な状況ではそもそも外食産業はまさに禁忌の全てが詰まっているいるようなものです。

こんな時にこそ緊急で大規模かつ迅速な経済対策を行って強烈な繋ぎ融資やどでかいキャッシュのばらまきをやればいいと思うんですけど、現政権で現場の深刻さを理解できるようなセンサーを持っているようなツラはどこにもなさそうです。右も左も坊っちゃん嬢ちゃんばっかりで、明日のメシ代のことを心配したことの無いような連中がズラリと雁首揃えてます。

町工場、食堂、小さなショップその他諸々の「小さいけれどそれがあることで街が出来上がっている」様々な職種の人達の仕事が明日なくなるかもしれないという時にのんびりしているようでは国民に幸せが約束されることもなく、政府の信用は更に今の低水準から落下することは明白です。明日の選挙では勝てませんが、そのあたり自覚はないんでしょうね。

苦労人の菅官房長官あたりがそろそろ怒りの鉄拳を坊っちゃん宰相に喰らわせて欲しいところですが・・・。あの鉄壁の守りを見せるオジサンでは腹のなかと180°違うことでもきっと政府を守る発言をするでしょうから、安倍の坊っちゃんに進言はするでしょうが表立っては期待はできそうにもありません。

今回の確実なリセッションで家族の崩壊や自殺者の増多が発生しないことを増えないことを心から祈るしかありません。


2020年3月27日金曜日

私の勤める病院でのコロナ防御

今度のコロナ騒動で我々医療職は本当に戦々恐々です。

「もし」というか、実際のところ「いつ」病院の中にコロナが侵入してくるのかという状況を大変恐れています。近所にある幾つかの公立病院も既に内部感染でニュースになりましたが、私的には病院のような熱発者が当然のように集まって来る施設に「何時来るのか?」というだけの問題で、それがその大型公立病院だっただけという状況だと思います。

ただ、問題なのは内部感染を起こして、気づかぬうちに医療従事者自身がクラスターの起点になりかねないという事態。この点も実に微妙なところで、熱発無しでの感染者というのは今回のコロナ感染では幾らでも確認されていますから、正直なところこういう見えざる敵からの防御は「言うは易し行うは難し」をまさに地で行くような状況です。

エボラやマールブルグなどであれば、我々構える側の恐怖感も一桁違ったものになるし、仰々しい衣服での治療もやりやすくなるのでしょうが、実際に発症するまでかなりの時間なにもない状況でウロウロする人が多いような疾患ではそうもいかず、正直本当に難しいのです。

我々の病院でも実質的な面会謝絶状態を延長して患者さんにも家族さん側にも大変つらい我慢を強いる状況が続いています。早く流行が収束しないかなという気持ちは患者さん以上に強いつもりですが、コレばかりはなかなか我々の側では「希望」の域を出ないものです。その間はひたすら防御。仕方ありません。

マスクの着用としつこいばかりの手指消毒、職員自身への可能な限りの外出制限依頼、更には少しでも倦怠感等の疾病可能性がある職員は最低限まずは数日の自宅待機依頼など。

いつもは開放としている病棟でさえ準閉鎖状態として人の出入りを強く制限している状況。愛知県、名古屋市内での感染の拡大や発生の様子をじっと見据えながら「いつ」この状況を解除できるのかと院内でも討論を繰り返す日々です。

実のところ4月に入ったら早い時点で通常入院の形式に戻そうか・・・等という話も出ていたのですが、ここに来て東京での「感染者数拡大の可能性」が出始めたという話。orz

そう簡単には終わらせてもらえなさそうです。