2012年10月5日金曜日

原作と映画・アントキノイノチ

映画を観た後、「何か解せんな~」と思いました。
さだまさし原作の「アントキノイノチ」というのを偶々観る機会があったんですが、映画を観終わっても演技とか何とか言うもの以上に、ストーリーの中で一部頭の中で繋がらない事、過剰すぎる展開、煮え切らない細部の詰め等などが不満として残りました。
偶然ではあったんですが、嫁さんが日本語学校の友人からこの「アントキノイノチ」の原作本を借りてきていたので、その本をパーッと読んでみました。疑問になっていたあたり、なんとなく腑に落ちないなと思っていたあたりを一読したことで全ては氷解。なるほどこれはこういうことで、あそこはああなってとよく筋立てが見えるようになりました。細部端折り過ぎ、おまけに物凄く本質的に大切なところで結末なんかを変更しすぎ!原作の良さが完全にブチ壊されてしまってました。
原作読んだら、もうそれこそ「コレコレ!」と言う感じの展開と結末で、映画監督が許した脚本改変は大失敗だなと思いました。さだまさしもこの映画で満足したのでしょうか、、、。(ネタバレは嫌なので内容は一切書きませんが。)
今回はたまたま「アントキノイノチ」に関してこういった原作と映画の間での齟齬を来した例にぶつかりましたが、実際色々と原作本、映画を比べると殆んどの例で原作本に勝つような映画化作品というのは出てこないのではないかなと思います。(アクション自体が観る目的となっている活劇的なもの以外は。)
007なんかは中学の時に、英語の先生が「映画はまあ愉しめていいけど、原作は死ぬほど退屈~」等と言っていたのが未だに印象的ですし、インディージョーンズやターミネーターの原作というのものがあっても、それが映画を上回るとは少し想像し難いところもありますよね。あれはアクションを愉しむ映画ですから。
しかし、人の心の襞の機微を描くような作品は、自分の感覚的な評価ではこの逆の場合が殆どで、原作を超えるような映画を作る事はなかなか無くて、有るとそれはもう名作と呼ばれるようなものになっている気がします。
こういった作品は、本当に監督の力量と役者さんの能力、才能に負うところが大きいように思います。具体例で何かを挙げろと言われてもちょっと適切な例というのが直ぐには挙がらないんですが、例えば「東京物語」なんかはそういったものに当たるのかも知れません。
同じ題材を扱っていても、先に映画を観たか、それとも先に原作を読んだかでその作品に対する想い入れも沢山入り込んできますから、こういう事って一概に決められませんね。ほんと難しいです。予算をかけずとも素晴らしい映画が出てくることの多い「アメリカ発以外」の映画に、今後とも期待大です。w
人気ブログランキングへ

2012年10月4日木曜日

教育の機会均等は(今の時点では)理想論

ボルチモアに行った娘から電話があった。
貧困地区にある学校で、週二回、各三時間半ずつ中学生の放課後授業のアシスタントティーチャーを始めたとのこと。宿題や課題解決の補助がメインらしいのですが、電話越しに娘の口から出えくる言葉を聞いていると、教育の機会均等は現場で教育を行う者にとって理想論でしか無いということを強く感じました。
例えば、ある中学生の男の子は、兄弟がたくさん居る中で、上の兄貴二人は若くして既に刑務所にぶち込まれており3ストライクで出てくる目処はなく、母親も彼らの将来に関しては全く夢も希望も抱いて居ないという。そんな環境で育てられる子供達が果たしてより高い教育機会を与えてくれる上級の学校へと容易に進学することが出来るでしょうか。答えは明らかにノー。
娘も教え始めてすぐに気づいたことは年齢に比して明らかに勉強が進んでいないということだったそうです。周囲に目標となるロールモデルもビジョンもなく、将来の夢が何も描けず、親からも何も教えられず、学校の先生でさえ彼らには何も期待しないと言う厳しすぎる現実。もし、そこ(底)から這い上がって将来を嘱望されるような人間が出てくるとしたらそれだけで「破天荒」と言われるレベルの稀な資質を持った凄い人間だと言えるでしょう。
対極にあるのは資産家の子息たちだけではなく、普通にまっとうな親から育てられ、特に何の苦労も心配もせずに育ってきた子供たちでさえその対極の一つと言えそうです。この感じ、ほとんど21世紀に生き残る花形満と矢吹ジョーの世界のような気がします。もしくは左門豊作か?
娘曰く、誕生日を迎えた男の子にケーキを皆で作る作業をしてお祝いをした所、戸惑うくらい激しく感謝されたそうです。よっぽど嬉しかったんでしょうか。今までそんな事されたこともなかったのでしょうかね、、、。
今、このような子供たちに教育機会の均等を目指して精力的に活動しているのがTeach for America (TFA)と言う当時プリンストンの学生ウェンディ・コップが書いた卒業論文が元になって始まった組織です。何と言っても驚くのはハーバードの卒業生の約20%がアプライするというこの組織、既にアメリカでは2007年にトップ10のエリート就職人気先ランクに、文系の就職先としては2010年にはアップルやグーグルを抑えて堂々のトップに入っているみたいです、、、。
二年間の経験を経て巣立っていくTFAのメンバーは20年の歴史を経て、きちんと実行力を伴ったエリートと見做されているようです。この点をウィキで読んでみると、
TFAプログラムの出身者が運営する各種学校は2007年9月時点で282にも上る他、学部学生の最初の就職希望先(転職が当たり前であるアメリカでは「キャリアをスタートさせるに相応しいと考える場」と表現される)として、2006年の43位から2007年には並み居る大企業を押しのけて10位に躍進している。こうした人気の背景には、ジェネレーションYと呼ばれる1980年代以降生まれの世代の、共同体意識としたたかな心性を併せ持つ若者たちが就職年齢に達した状況があるとも指摘されている。またデロイトアンドトウシュ(大手会計事務所)やグーグル、ゼネラルエレクトリックはティーチ・フォー・アメリカと提携し、採用内定学生が就業前の2年間TFAプログラムに参加することを認めている。JPモルガンもやはり採用内定学生のTFAプログラム参加を認め、更にこうした学生への契約金支払いをTFAプログラム参加前に行い、加えてTFAプログラム参加中の採用内定学生の為のサマーキャンプを実施するなどの対応を採っている。これら大企業がTFAプログラムに参加する人材を優遇する背景には、TFAプログラム参加者が創造性やリーダーシップにおいて優れているとの評価が確立しているという状況がある(前出ビジネスウィーク誌記事)なおティーチ・フォー・アメリカはファストカンパニー・ドットコムが毎年選出している「45の社会的起業家たち」に複数回選出されており、2008年版ではティーチ・フォー・アメリカの他、ティーチ・フォー・アメリカからスピンアウトしたザ・ニューティーチャー・プロジェクト、ナレッジ・イズ・パワー・プロジェクトも選出されている。
と書いてるのです。
今度、ホプキンスにウェンディ・コップ来るとのことで、娘はその話を聞いてからアプライしてみるかも?と言ってました。どうなるのでしょう。
勿論、私の選択は彼女の選択を支援することしかありません。既に18になって自分達の手もとを離れていった娘に金のない親がしてやれることと言えば、心からの応援と当てにならない助言くらいでしょうか。
ボルチモアでの今の仕事に関しても、子供達を上に引っ張り上げる方法論に関して電話で話し合いました。何か色々と自分なりに思うところがあるようでした。
人気ブログランキングへ

2012年10月3日水曜日

悲しい講演会

今日は本当はミトコンドリアの研究者の招待レクチャーに参加したかったのに、自分には興味もない口腔内細菌のレクチャーに出席せざるを得なかった。orz
インスティチュートに訪れる多くのレクチャラーの接遇の一つということで秘書に直々に指示されての出席と昼食会でしたが、俺は正直言ってミトコンドリアと人の疾患や遺伝の話のほうが100倍聞きたいレクチャーでした。案の定、そのレクチャーに出席した同僚の話では「近年稀に見る興奮した話」だったとのことで、自分の残念さに加速がつきました。はーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。(溜息)
口腔内細菌のオッサンは今までに13ミリオンのグラントをとって来たとの話でしたが、ミトコンドリアの研究者の方は、基礎科学の話としてはてんこ盛りの疑問で面白そうな話満載なのに、政府は役に立ちそうな応用編が無いからということで、なかなか金を出してくれんと呻いていたそうです。
分野ごとの研究に落ちる助成金の額と、研究の質は全く無関係であることは研究している「ナカにいる人間」から見ればあまりにもアタリマエのことなんですが、こういう事って勝てば官軍みたいなところがありまして、お金がプロジェクトを動かせばそれで勝ち、という基準で動く人も沢山居ますから、、、。
同じ事は論文にも言えまして、インパクトファクターという数字の高いどこの論文に出すか、ということが一般的に評価されがちですが、実際にはどこに出そうとどれだけ引用されたかということのほうが千倍その論文の真の価値を語ってくれます。ですから、イワユルCNSと言う三大雑誌に掲載されていても全然引用されない論文も滅茶苦茶あれば、実にマイナーな雑誌なのに、10年で数百回から千回以上も引用されるような怪物のような論文もあるのです。
ホンモノは誰?というのは業界の内側にいると自然と判ってくるのですが、そこには政治の渦も禍々しく存在していることは確かです。そんなこんなでブ~たれつつも、ひたすら論文とグラント書きに勤しまなければならない我々弱小研究者なのでした。w
人気ブログランキングへ

2012年10月2日火曜日

駐車場でいつも朝に思うこと

朝、大学のマルチレイヤーの駐車場に車を停める時にいつも思うこと。
何で「多くの女性は車をうまく停めることが出来ないのか」ということです。勿論、比率の問題で、男性の中にもいわゆる駐車の下手な人物も居ますが、その比率は女性に比べれば圧倒的に少ないように思います。
偏見、と言われる方もいるかもしれませんがこれだけは目の前の事実という感じでちょっと譲れません。w 実際にどんな感じかというと、、、
  • 枠の中にきちんと停められず線をまたいで停める為に一台で二台分の場所を殺してしまう。
  • 駐車場の壁に近づけて留めることが出来無い為に、その車の後部だけが妙に全体の中で突出してしまって、大変他の車両に迷惑。
  • 出入口のカードリーダーのところでカードを持たずにアクセスし、そこで初めてカバンを開けてカードを出す。オマケにカード・リーダーの近くに車を寄せて停められないのでスキャンできず、わざわざそこからドアを開けてカードリーダーへと歩いて行く。時にこれが朝と夕方に駐車場内外でミニ渋滞をつくりだす。
まあ、こういうことは書きだすと切り無く続くのでもう止め。しかしどうして何時もこういう感じになってしまうんだろうと不思議に思います。特に枠の中にきちんと停め切れずに二台分を埋めてしまう女性が運転する車両の多い事。車を降りた時に何故、自分の車両の相対的位置関係を確認できないのでしょうか。私には想像力の欠如としか思えないんですが、女性だからと言って想像力が男性より低いなんてことは絶対無いんで、そこの差はどこから出てくるのか、未だに自分にとっては大きな謎です。
以前、日本のどっかの大学の研究者が書いた報告書に書いてあったんですが、女性は男性に比べて、車両に乗った時、ハンドルやブレーキ、アクセル等といった一定の道具を使った間接的操作系の中では距離感や大きさを自分の感覚系の延長として捉える、と言う行為がかなり苦手なのだというコンテンツでした。
これが脳の持つ性差というものなのでしょうか?女性は言語、男性は空間把握能力や数的感覚に優れるという傾向があるというのをよく見ますが、神経科学の研究者でもないのでこういう事は全くわかりません、、、。w
人気ブログランキングへ

2012年10月1日月曜日

梅ちゃん先生・終了

遂に終了したNHK朝の連ドラ・「梅ちゃん先生」。
台湾のストリーム経由で毎日愉しみにして観ていましたが、下村元教授のNHKのど自慢出場で全てを締めくくられました。正直言って梅ちゃん先生役の堀北真希は大根だと思ってますが、周りを固める役者さん達のレベルが並ではなかったのが平均視聴率20%以上という良い成績を残せた理由だろうと強く思います。
鶴太郎の演じる安岡の親父はまあ、寅さんのコピーだなとも思ったりするんですが(それでもメチャウマ)、下村教授役の高橋克実なんかはもう、どこから連れてきたんですかというくらいのハマリ役だったと思いますし、演技自体も要求されたものをそのまんま見事に演じきっていたと思いました。総集編か追加編か知りませんが、なんか追加の放送もあるということで別の番外編ならば更に嬉しいんですが、、、。
そこで考えるのは、こうやって当たった後の連ドラの次をやる人達は一言「大変だろうな~」と言うこと。偉大な親父の跡を継ぐ凡才息子のスポーツ一家の話ではありませんが、こういうのはホント大変でしょうね。取り分けその次の連ドラの主人公の人達が新人だったりそれに近いような立ち位置の人達だと。まあ、次に来るのが何かは個人的には知りませんし、調べてもいませんが、頑張ってほしいものです。
  人気ブログランキングへ