2008年11月30日日曜日

ニュースとは

日本に居ないと解らない素肌感覚、日本から外に居るからこそきっと理解できる日本の良さや欠点、ニュースの真相など有ると思う。我が家では日本から入ってくる社会事象に関するニュースの99%はネット経由というのがもうここ十年ほどの定番となっている。もともと新聞のような売文を購入して読むという事が自分にとっては昔から精神的に「憚り事」で有ったため、無料でかつ英語と日本語で膨大な情報が真偽ない交ぜにしてタダで入手できるネットというのは私にとっては非常に好都合な情報ソースだった。(少なくとも十数年にわたって新聞には金を使った事はないし、待合室などに置いてあってもほぼ手に取る事はない。)
アメリカのテレビもケーブルを繋いでいないので見る事はほぼ無いし、日本のテレビも親戚が送ってくれる録画された子供向けのテレビ番組と一部のうちの家内向け番組以外はほぼ目にする機会もないが、日常生活の中でそれで困る事は何も無い。以前、家内としては、日本の「しょうもない」連ドラなどが視聴できないのはコマリモノのようだったが、なぜか中国や韓国のネットから日本の番組が大量に視聴できるサイトを発見してからは特に困っても居ないようだ。(ここらの番組の著作権はどうなっているのか全く不明。これだけの種類と数の各国の番組をこれだけ遅延無く供給できるサーバと言うのはバンド幅もさる事ながら、かなり強力なサーバーが鬼のように並んでいないと出来ない事なのではないかとド素人ながら想像してしまうのですがどんなもんなんでしょう。そのためには相当の資金も必要だと思うのですが。)以前はDSLのみだったが、このあたりでも数年前からは光回線が標準になってきているのでバンド幅も問題なさそうで、他人事ながら慶賀の至りである(嫌味です)。最近は、この嫁さんの愚行に触発された娘達が日本のアニメにやたら詳しくなっている。まあ、日本のアニメやマンガはアメリカでも、日常的に一大カルチャーを形成しているのであえて視聴を止める意味もありませんが。
さて話が逸れましたが、表題のニュースの件。
毎日、毎日いろいろなソースからいろいろな「ニュース」と呼ばれるものが飛び込んでくるわけですが、その中には見ていて聞いていて、これは無いでしょう?と声を上げたくなるようなものが少なからずある。「社会の木鐸」云々等という、ニュースの発信者、本人達が唱導する世迷言はさておいて、報道の上ではインチキ情報や、自分達の解釈を入れ色付けをした「論評」がニュースとして罷り通っているのが現実だと思います。ではこれらを規制・抑制するのは一体何なのかというと、一つは放送倫理規定と呼ばれるもの、その次は国が与える放送免許、そして最後には実際の読者、視聴者だと思います。はじめに書いた倫理規定、各国ではどうなっているのか探してみると、、、実際にメディアリテラシー研究所というところがまとめ上げているこのページが日本と海外の報道上の倫理を一覧して比較できるという点で素晴らしいサイトだと思います。

FCTメディアリテラシー研究所----メディア倫理・MEDIA ETHICS

ここを読む限りでは本当にこれらがまともに実行されればあんな事件やこんな事件が起こる筈も無かろうにとは思えるのですが。日本のテレビや新聞の質の低さはまあ、性質の悪いお笑い番組として見なければ済む事ですが、実際にはそれらに容易に影響されてしまい、テレビで繰り返し言っている事が正論だというように思い込んでしまう人たちが一杯居る訳で、そういう意味では日本の初等教育は著しく「リテラシー」という意味では人を教育していないと思う。これを少し私の住む世界の事に敷衍してみると、ある事柄に関してそれを嘘だと見抜く力というのは社会的事件だけでなく、サイエンスの世界でも非常に重要だと思う。論文のデータに矛盾する部分があったり、そこまでは行かなくとも「腑に落ちない」ような記述があるときにはどんなにグラフが綺麗でも、組織が美しくステインされていても、何か重大な欠陥がその後ろにある可能性が無いとは言い切れないのだ。実際にNIHに居た時などはそういうデータの取得に関する裏の「捏造疑惑」というのを真偽は不明にしても始終聞かされたものだ。例えば、自分達の仮説に遭う実験結果を得るためにそのデータに見合う細胞を何百種類もスクリーニングしたりするというのはまだ可愛いほうで(普遍性の著しく劣る異常に特殊な例であっても、その細胞を使う限りはデータには再現性があるはずだから)、ヨードを暗室に持ち込んでフィルムに miraculousなバンドを作り出す事から「XXXXXXマジック」と呼ばれているものまで枚挙に暇が無い。

--ちょっと長くなりすぎたので続きは翌日に、、、。

2008年11月29日土曜日

サンクスギビング

昨日はサンクスギビングデー(感謝祭)だった。
アメリカに来るまではこの日を勤労感謝の日と勘違いしていたのは秘密です。大体この日は一体何の日なのか歴史に疎い私は全く検討もつかず、ウィキペディアを知ってその全容を知ったのでした。興味のある方は以下、リンク先をご参考ください。感謝祭
結局のところ、アメリカインディアン達にピルグリムが助けてもらって、食事に招くことでその感謝を表した日ということのようですが、実際にはアメリカインディアンへの大虐殺の火蓋が切って落とされるファンファーレだったともいえるのではないかといつも皮肉な眼で見つめております。(笑)
アメリカでは、感謝祭というのは親戚、家族が一同で再会する一年でもっとも大きな休日と言って良いと思います。官公庁は当然として、アジア系のレストランを除く多くの店がお休みです。また、この翌日はブラックフライデーと言って、朝の五時くらいから目玉製品をはじめ多くの品が激安で売られます。しかし、何だかカタログを眺める限りでは粗悪品が多そうな気が、、、。(実際には面倒くさくて並んだ事はないが、多いところは長い列が出来るらしい。)しかし結局この休日は、クリスマスと同じで、コマーシャリズムの単なるターゲットでしかないのだ。
それはさておいて、学生達の月曜日の学部でのプレゼンテーションがあるため今日もラフな服とはいえ休日出勤。土曜日に向けた実験に備えて細胞の調整と他の学生のTHESISの仕上げに邁進しているところです。休日にも拘らず学生のほうからもメールでキチンと連絡を入れてきた。素晴らしい~!
長女はバージニアビーチに日曜まで友達の家族と旅行中。お金に余裕がある家族にあちこち誘ってもらえるのは有り難いのだが、その格差を家族に向けてネガティブフィードバックされぬ事を祈る。(笑)
そうそう、書き忘れましたが折角幾つかのアメリカ人のご家庭から親切な食事の招待を受けていたにも拘らず、我が家はほぼ全員が風邪でダウン。私と息子は何とか治って来ており問題無かったのだが、家内がもう「ドヨーン」という感じで、珍しく一日横になっていた。とても外出は無理と判断し、かなり早い段階で丁重なお断りの電話を差し上げた。しかしイベントになると何か誰かしらの具合が悪くなる我が家です。
{/hiyoko_thunder/}
ちなみに感謝祭の夕食はうどんと白いご飯でした。(なんじゃこりゃ)

追記:後でウェブを見ていたらこんな記事が、、、。ここまでして安いものを買いたいかな。近所のWALには良く行くけど、確か去年、大掛かりな不法就労でこの店はあげられたばかりではなかったのか。ここでは人の命も商品と同じように安い。WALMARTに押し掛けた客で店員圧死

在米十年目

家内が先日、寝入りばなにしみじみと言った。「私達も、もうすぐしたらアメリカに来てから十周年記念日を迎えるね。早いね~。」
J-1ビザの更新とH-1ビザの延長、そして正式にこちらの大学で職を得てからのグリーンカードの申請と取得。確かに改めて言われてみれば十年というのは、区切りとしては充分に長い立派な家族の歴史の一部だと感じる。
次女に至ってはこちらで産まれているので、彼女の場合はその人生の全て。彼女曰く自分は「アメリカン」との事だが、どうもそれを切り出すのは日本語で可笑しな表現をした時に家族に笑われた時だけに「方便」として使っているだけのようだ。
こちらに来た当初はまず電話で英語を使うという事に戸惑った。最初の三ヶ月ほどは、何を話すのかその内容を頭の中でまとめてそれに対応する文章をイメージしてから嫌々ながら受話器をあげるという感じだった。それもいつの間にか今では文句の電話もガンガンかけるし、どんな細かい交渉も電話とメールで解決するというように変ってしまった。一番大きいのはやはり英語を日常的に使わざるを得ないという状況に自分が置かれている為だと思う。電話の設置で有利な条件を引き出す交渉に手こずったのも今では遠い昔の笑い話となってしまった。
初めて国際免許証を書き換えて免許を取得したときの事、家族で行った初めてのショッピング、次女の出産、初めての家の購入(日本でも持ち家ではなかった。)等々、人生の中での初めて尽くしが本当に多い十年だった。
研究のほうでは、意気込んで始めた気の長いダブルノックアウトマウスの実験(ライブラリーのスクリーニングから、KOベクターの作成、キメラとその子孫の交配、ヘテロ作成から系統純化とそれぞれのノックアウト、ダブルノックアウトの作成と行った挙句にダブルノックアウトのみがEMBRYONIC LETHALという解析の難しい結果を迎えてしまったのもその暫く後の二年間のころで、同時に進めていた小さな数報の共著論文が無かったらもう凹んで帰国し、医者に戻っていたのかもしれない。
ちなみにこの研究は今でも連綿と引き継がれて7年後の今になって「やっと」論文として終結しそうだ。クワバラクバラ。

2008年11月28日金曜日

旧厚生省次官殺傷事件

ちょっと嫁さんの英語の話は横に置いといて、、、。気になった事件の事を書いてみた。

旧厚生省次官殺傷の件、殺された方々には本当に気の毒としか言いようが無い。殺した方の論理が滅茶苦茶で、ブログ、メディアなど数十件のいろいろなソースを巡回して読む限りでは、犯人の男は精神を病んでいるとしか感じなかった。ここに至るまでは個人的なさまざまな失敗の繰り返し、それに伴う挫折感等、相当鬱屈したものが蓄積し続けた結果がこのような歪んだ形での殺人に繋がったの「かも」知れないが、普通の人間であれば、「復讐=殺人」というこの論理回路の形成は先ず起きないわけで、やはり病的と判断せざるを得ないと思う。
生きていく上では日常的に無性に腹が立つこと(特に短気な私のような人間には)、穴があったら十年間くらい入って居たくなる様な恥ずかしい失敗、自分の愚かさに呆れ返ってしまう瞬間等がゴロゴロしている訳で、それをいちいち外罰的なものとしてルサンチマンを抱え込んでいる(もしくは抱え込む事が可能な)異常な性格の持ち主だったからこのような事件は起こり得るのかもしれない。
実際の話、普通の人はどうなのだろう。私の例え話で恐縮だが、私の場合は怒りが持続しないし持続させるだけのシステムがもともと脳内に無さそうで、大体殆どの怒りはその大元を冷静に逆行していみるとほぼ十割が自分の行為に起因していると思われる。その段階になって「あーあの時怒りに任せてそれを表現しなくて良かった、ホッ。」という事の繰り返しである。それを繰り返した結果をきっと「経験」と呼べるのであって、そこが歳をとることのメリットの一つなのかもしれない。(しかしここに至るまでに、若いころに充分すぎるほどの代価を払いすぎたのですが、、、。)
それでも、失敗というのはそれを克服しようという努力の連続で次の段階へと昇華される物なのではなかったか。
たとえ最終的に上手くいかなくて結果が駄目でもそれを人のせいにしたりするというのはやはりおかしいわけで、この人のクレーマーとしての様々なエピソードを見る限りでは、単なるゆすりたかりの常習者がそのエゴと被害者意識を膨らませ続けた結果このような事件を起こしたのではないか。子供時代に犬を殺されたなどというのはどう考えても人を殺すような理由にはならないわけで、犯罪者が自分の行為に特段の意味づけを与えようとしする無意味な言動に過ぎないと思う。失敗の殆どは自分自身に責任があり、それを補償するのも自分以外にないという事を大多数の普通の大人は文句をたれながらも知っているし、我慢しているのだと思います。
池田小の殺害事件を起こした宅間、秋葉原の加藤、最近のアメリカであればBTKなど、普通の人間からは想像する事も出来ないモンスターがこの世にはごく一定の割合で存在しているのかと思うと、一番怖いのはやはり怪異や奇談等ではなく、脳を持って自由に思考し動く事の出来る生きている人間そのものだと痛感します。
この手の化け物は人を巻き添えにせずひっそりと消えて無くなってほしいものだ。
こういう時にこのような記述をするのも憚られますが、気の毒なのは被害者の方々のみならず、この化け物をある程度の歳まで育てた加害者の父親も、ある意味では残りの短い一生を破壊された被害者の一人だと考えられないだろうか。オゾマシイ犯罪者を産んだ両親の片割れとしてどんな気持ちになるか、想像するのもつらい。もしこの方がまともな人であれば、自分の育て方の失敗を無限に責めるのが想像に難くないし、しかも、そうしたところで亡くなられた方々の命と受けた心の傷は双方とももう帰っては来ないのである。自分の育てた子供がある程度の年齢に達した後、精神に異常を来たして精神病院に入退院を繰り返す、場合によっては育てた子の歪んだ怒りが、異常な形で犯罪を生み出してしまうということが無いとは誰にも断定できない。たとえば今年生まれたばかりの百万人の子供たちの中からこのような犯罪を犯してしまうような子供が一人も出ないとは誰にも言えないのではないかと思う。その子供の育て方に関係なく、精神に異常を来たす人間が出てくるのは残念ながらむしろ自然であり、そうなった場合にどうやってその人を社会が受け入れるのかという実際の摺り合わせ、折り合いの付け方の成熟度こそが実際の国家の要諦なのだと思うのだが、、、こんなことが簡単に解決がつくようであれば警察も病院も刑務所も要りません、、、本当に難しいです。
自分の家族を守るのが精一杯の私には、犯罪被害に遭われた方のことを思うとやりきれない気持ちになります。同じような理不尽な目にあって家族が殺されたり傷つけられるようなことがあったら、私は自分を自分で支えられる勇気、気力が自分にあるとは到底思えないのです。
人の育て方を間違えると社会全体にとって大変な帰結をもたらす可能性があると改めて感じます。

2008年11月27日木曜日

英語と日本語の話-続き

-前回の続きです-
我が家の長女が6歳になった時点でこちらの保育所(nursery)に預ける事になりました。我が家にとっての初めての親以外による教育の開始、それに加えて彼女は滞米一年とはいえ外部では英語にさらされる機会はその時点まで、ほぼ皆無でした。(概念や思考の発達のために、私達は我々にとっての完全な母国語である日本語のみを意識的に使いました。)
友達と外で遊ぶといっても、その時住んでいた団地は日本人研究者の多いコミュニティーだったので、我々は何の苦労も無く、日本語を話す彼女と同世代の幼い友達を獲得できたのです。ですから本当の話、その時点まで「ハロー」の意味も知らなかったのです。しかし我々は全くその事を問題と思っていませんでしたし、今でも後悔していません。
娘に何が起こったのか。娘は毎日保育園に行くと声も出さずポロリと涙を流して建物に入っていきました。私はこれも通過儀礼と思っていたのですが家内にはかなり「可愛そうだ」と思った時期も有ったようです。しかし意識的に彼女の変化を待ちました。娘の事を信じていましたから。
我々は親としてある事に気づいていました。娘は朝送り出すときにはいつも泣いているのに、帰り際にはいつも友達とニコニコしながら遊んでいるのを知っていたのです。ですから多分問題は時間が解決してくれると考えていました。そこの先生はスーザンという年配の優しく、かつ、しつけに厳しいご婦人でしたが、その方曰く「Don't worry!」。同じような子供達を多く見てきた経験多いこの先生を親として全面的に信じる事にしました。そして変化は暫くして現れてきました。送り込むときにも泣かなくなってきたのです。
一体まともな人間であれば、全く言葉が通じない環境に曝されると言う事態に対して普通であれば極度の緊張を強いられるのが普通だと思います。ましてや初めて会う友達ばかり、そういう意味では二重の緊張を強いられていたのは想像に難くありません。その子が今となっては私が聞き取るのが困難なほどのスピードで友人と電話でバカ話をしているのを見、学校の宿題で私には到底書けない自然な英語の文章で課題をこなしていくのを見るにつけ(現在、14歳で高校一年生です)、我々の選択は間違っていなかったと強く思います。
あれは一種の賭けでしたが、実はこの賭けにはある体験が前置きとしてあったのです。それはある研究者御夫妻の家庭に育つ小さな娘さんの話です。この子は親の方針で「アメリカに住んでいるから」という理由で家庭内でも英語を使って育てられていました。無論両親ともネイティブのEnglish speakerではありません。
あるときエレベーターの前でこの親子とすれ違う機会があったのですが、娘が英語で駄々をこねているのに親が悲惨な英語を使って子供の非を諭そうとしているのを見たのです。しかし全く通じている気配も無く迫力も無い。おまけに親がその後途方に暮れた顔をしているので悲壮感はいや増して見えました。既に知っていたのですが、その子はほぼ「何も」日本語を話す事が出来ませんでした。きっと親の変な英語とテレビからの英語とでその時点まで育ったのだと思います。その人たちは帰国予定のある研究者だったので、何のためにそのようなことを「しでかして」いたのか改めて聞くことも出来ませんでしたので、今となっては永遠の謎です。
私達は最初から最後まで誤った仮説に基づいた誤った実験の犠牲にされた可愛そうな犠牲者を見ていたのかもしれません。あの子が日本語を日本で獲得し正常な日常生活を日本で送り、親と普通のコミュニケーションを行っていることを強く願ってやみません。
どのような形であれ、外国で言葉の問題を避けて子供を育てる事は難しいですね。

-次回は「家内の」英語の事を書きましょう(笑)うちの嫁さんこれ読んだら怒るかな-

2008年11月26日水曜日

英語と日本語の話

日本に居た頃から仕事柄英語を使う事が多い為、ひどくは英会話では不便を感じなかったが、それは教科書的な発音の人が偶々周囲に多かった為で、こちらの人間が現場で使う様々な「訛り」をある程度まで不自由なく聞き取れるようになるにはやはりこの歳では私の場合数年かかった。
今でも物凄い田舎に行くと、それが先ず英語である事を耳で確認する作業を強いられる事がある。(笑)
これは個人の癖だか何だか解らないのだが、こちらで言う所の「marble rolling」という、舌の上で玉を転がすような口籠った感じの発音が私には苦手だ。
あと個人的には、余り教育のレベルが高くない人が「ごく自然に」使う英語も日本の教科書的なものとはかなり違っていると感ずる事が多い。要するにこちらがノンネーティブである事を考慮して話をするするつもり(もしくは語彙かも)が毛頭無い人たちとの会話は又こちらも語彙を変えて話す必要があるのだ。文法自体も完全に日本の英語の先生がその聞き書きを採点したら赤点を付けるような代物であることもある。
私には悔しいのだが、子供達にはそれが大して苦にならないのは明白で、日本のテレビなどで使われている日常的和製英語と同程度のレベルでは理解しているようだ。
我が家では私の方針で、家に英語をネイティブとする人が来ている時以外は「必ず」日本語を強制的に使用させている。二ヶ国語を自在に操れるスキルというのはどんな形であれ子供たちの将来にポジティブに働くと考えており、これに関しては問答無用である。学校の授業で一日中英語、本を英語で読み宿題も英語、家に帰ってきてテレビも英語、そして帰ってきた後友達とまた英語で遊ぶとなっては家の中で強制的に日本語を使わせるしか方法は有り得ないのだ。
大きな問題は漢字なのだが、幸いにして長女は同年齢の日本の子供達の一年遅れくらいで読み書きできている、これもインターネットと任天堂DSのおかげかもしれない。(笑)問題は次女。こっちはいけない。日本語学校に全く通わせた事がなく、日本に夏休みに帰国させていたときに通った二ヶ月間の幼稚園のみが彼女の日本語で正式に受けた教育なのでそれも仕方ないかとは思うが、、、。すぐにでもある程度の漢字の書き取り練習をさせねばなるまい。(これは自戒を兼ねた書き込みです。)
姉と二人っきりの時とかついつい英語でゴニョゴニョとコミュニケートしているようで、私が「何か日本語でない言葉が話されてませんか~?」とわざと大声で呟くと、シーンとなり、クスクスと笑い声が漏れてくる。やはり彼女達にとって日本語を維持させるにはそうさせるように強制する「意思」の存在が必要なようです。
アメリカという場所柄、そして大学という仕事柄、いろいろな国の人に自分の子供達に母国語もしくは親の母国語を教育していく話を、お互いの経験を交えて交わす機会があるのですが、概ね漢字圏の人間では日本人がもっとも有利なようです。アルファベットが限定されている他の多くの人々(韓国人もハングル使用なのでほぼ同じ状況)と異なり、中国人の親は本当に子供達が漢字の学習をするのを嫌がるといって嘆いていることが私の周囲では本当に多いのです。全ての表現を何千種類もある漢字を学習して表現しなければいけないというのが「英語の日常学習との両立」という意味で本当に大きな負担のようです。その点、日本語はひらがなとカタカナで取り敢えずイントロはO.K.というような逃げ道がありますので、その点は敷居の低さという点で有利?なのかもしれません。

-この話、次回に続きます-

2008年11月25日火曜日

何事にも訓練が大事だなと再び実感した

先日もマスターコースの学生達のラボにおける指導の話をしたが、この週末は学生達がバイオケミストリーの定期発表会でプレゼンを行う原稿の下書きを訂正していた。一言で言うと、、、医学用語で言う所の「眼前暗黒感」に襲われてしまった。(笑)
やっぱり、英語が出来るだけでは科学の文章などというのは到底出来ないという事を再確認させられた。
科学英語と言えば、以前、飛行機の中で偶然隣り合わせになった英文学を教えているポートランド在住のアメリカ人女性と話し込んだ事があった。その折、彼女が話の中で興味にかられて、私に今持っている科学論文のいくつかを読ませて欲しいと言うので数報見せた所、「確かに現代英語である事は解るけど、、、。言葉の使い廻しから単語の意味まで、全然私たち英文学者の住む世界のものと違う」と言って、それ以上はもう触ろうとはしなかった。
当然と言えば当然で、所謂、この世界で使用する業界用語「Jargon」(我々の場合は医学生物学の専門用語)が解ると言われれば、それは同業者である事を意味するのである。同じ細胞生物学でも、少し対象とする分野(分子)が違えばもう話に霧がかかってくるなどというのは極めて日常の事で、その分子に関する前振り無しでは他人の講演の内容をはっきりとは理解できない場合も多いのである。
さて、脱線したので話を前に戻すと、、、。
まず学生達の記述の仕方が完全に散文調。おまけに使っている単語が科学の用語ではなく、SF小説の中で使うような「今、新たに考えました!」というようなシロモノ。更には英語の文章が拙い、文法に間違いが散見される、、、。「君たちアメリカの有名大学出身でしょう!!誇りを持って格調ある文章を書き給え~~。」と言ってやりたかったのだが。
本文、たったの400単語で良かったのに、実際には一人目の女子学生がほぼ半分、二人目の男子学生のものに至ってはほぼ原型を保ったのは数単語(笑)という悲惨さ。週明けには少しだけ小言を言うべきか、それともキッパリとかつにこやかに「かなりいけてたけど、少し手を入れた。」といって褒め殺そうかな。
経験から言うと、十分普通に苦労すれば、こんな彼らにも大量に科学の文章を読ませて発表と討論を繰り返せば、THESISを書かせる一年後にはかなり立派なモノが書けるのである。(なって欲しいという願望込み!)

悩めるオヤジです。

2008年11月24日月曜日

GMも終わりかな、、、

日本人としてアメリカに住んでいると、どうしてもこの時節、道行く日本車とアメ車の比率を数えてしまう。(昔から半分癖のように数えていたのですが。)
元々メリーランドにいた為、ワシントンDCも眼と鼻の先でどうしても金持ちが多い地域に近かった事もあり(むろん私は「断るまでもない事だが」その反対(笑))、高級ドイツ車、スウェーデンの車、そして高級?な日本車、および大量の普通の日本車と韓国車を毎日見ていた。
バージニア南部に四年前に引っ越して来たときには、はっきり言って今日見るようにはひどく日本車も多くはなかったと記憶している。比率で言えばまあ3-4割かなと言う位だったのだが、最近では眼に見えてその比率が上昇している。下手をすると信号待ちで自分の四方が皆「日本車」及びその他の国の車、というような事が全く普通になって来たのである。家内と時々冗談で、「六本木みたいな所はこれよりよっぽど日本車が少なかったりして。」などと冗談を言ったりするのである。
もう一つ最近顕著になって来た事は、この地域に多かったトラック、例えばフォードのFシリーズとか、シェビー(シボレー)のシルバラードとかが、業務用のステッカーを貼ってあるものを除くと極端に減って来たと思う。
この辺りでも、一瞬だが一ガロン(3.8リットル)4ドルを超えるガソリンが売られた事もあり、間違いなく燃費の悪い車は見向きもされなくなっているのである。幸いにして、直近のガソリン価格は最安値の所で再び1.68というような所も出て来たが、この値段が将来に亘っていつまでも続かないであろう事は誰の眼にも明らかで、アメリカ人自身があちこちのブログで自国の燃費の悪い車を散々に貶している。
特に50代から下の世代は、リンカーンとかマーキュリー等のイメージ的にオールドアメリカンの車にはよっぽどの事がない限り見向きもしないのである。家内のように車の車種等、教えても永遠に覚えようとしない人でさえ、最近道を走るミニバンやトラックの減少と、平均的な車のサイズの小型化には気づいているようだ。
もしかして、我々は、世界を牛耳って来た三大自動車メーカーの最後の瞬間をその国にいて見つめているのだろうか、、、。

2008年11月23日日曜日

マスターコースの学生達への指導

この九月から大学でマスターコースの学生を指導している。
今年初めてそのような形でPIとして責任ある指導を開始したため、いろいろと思わぬところで自分なりに立ち止まっては自分の指導方法に誤りが無いか再考する機会が多い。
今までは、社長兼社員として自分の仕事を管理して小規模ながらも、自分のセクションチーフとたまに討論しながら仮説に基づいて実験を進めていってはそれを修正、論文とグラントを書いて一段落という普通の研究者の生活だった。
このセクションチーフから「今年からはお前も研究志望の学生を指導したまえ。」との御宣託を授かったので、逃げ切れないと思いUVA(University of Virginia)の女子学生をCV(履歴書)を良く吟味した後受け入れた。ここへもう一人滑り込みでUNC(University of North Carolina)の学生も受け入れざるを得ない事態が発生。
チーフに対して「初年度から、私のように小規模予算の研究者が二人の人間を受け入れて育てていくのはいろいろな意味で負担が大きいと思うので云々」と言い訳をしたのだがそこはこれといってそれ以上の弁解も思いつかず、土俵際に苦も無く押し切られてしまう。例えアメリカでも、いつもお世話になっている人への義理事には弱い。(笑)
学生達も今のところはそれなりに頑張って働いていてくれるが、こんなに初心者の指導に時間をとられるとは、、、。予想をしていたとはいえ、グラントの締め切りが近いときなどは真に厳しいです。
まあ、これも昔から連綿と同じように教授達が繰り返し行ってきた事なのだろうと推測すると、私も人類の知の連続性の保持の一助にそのほんの端っこのほうでも担がせていただこうかと今日も頑張るのでした。