2008年11月30日日曜日

ニュースとは

日本に居ないと解らない素肌感覚、日本から外に居るからこそきっと理解できる日本の良さや欠点、ニュースの真相など有ると思う。我が家では日本から入ってくる社会事象に関するニュースの99%はネット経由というのがもうここ十年ほどの定番となっている。もともと新聞のような売文を購入して読むという事が自分にとっては昔から精神的に「憚り事」で有ったため、無料でかつ英語と日本語で膨大な情報が真偽ない交ぜにしてタダで入手できるネットというのは私にとっては非常に好都合な情報ソースだった。(少なくとも十数年にわたって新聞には金を使った事はないし、待合室などに置いてあってもほぼ手に取る事はない。)
アメリカのテレビもケーブルを繋いでいないので見る事はほぼ無いし、日本のテレビも親戚が送ってくれる録画された子供向けのテレビ番組と一部のうちの家内向け番組以外はほぼ目にする機会もないが、日常生活の中でそれで困る事は何も無い。以前、家内としては、日本の「しょうもない」連ドラなどが視聴できないのはコマリモノのようだったが、なぜか中国や韓国のネットから日本の番組が大量に視聴できるサイトを発見してからは特に困っても居ないようだ。(ここらの番組の著作権はどうなっているのか全く不明。これだけの種類と数の各国の番組をこれだけ遅延無く供給できるサーバと言うのはバンド幅もさる事ながら、かなり強力なサーバーが鬼のように並んでいないと出来ない事なのではないかとド素人ながら想像してしまうのですがどんなもんなんでしょう。そのためには相当の資金も必要だと思うのですが。)以前はDSLのみだったが、このあたりでも数年前からは光回線が標準になってきているのでバンド幅も問題なさそうで、他人事ながら慶賀の至りである(嫌味です)。最近は、この嫁さんの愚行に触発された娘達が日本のアニメにやたら詳しくなっている。まあ、日本のアニメやマンガはアメリカでも、日常的に一大カルチャーを形成しているのであえて視聴を止める意味もありませんが。
さて話が逸れましたが、表題のニュースの件。
毎日、毎日いろいろなソースからいろいろな「ニュース」と呼ばれるものが飛び込んでくるわけですが、その中には見ていて聞いていて、これは無いでしょう?と声を上げたくなるようなものが少なからずある。「社会の木鐸」云々等という、ニュースの発信者、本人達が唱導する世迷言はさておいて、報道の上ではインチキ情報や、自分達の解釈を入れ色付けをした「論評」がニュースとして罷り通っているのが現実だと思います。ではこれらを規制・抑制するのは一体何なのかというと、一つは放送倫理規定と呼ばれるもの、その次は国が与える放送免許、そして最後には実際の読者、視聴者だと思います。はじめに書いた倫理規定、各国ではどうなっているのか探してみると、、、実際にメディアリテラシー研究所というところがまとめ上げているこのページが日本と海外の報道上の倫理を一覧して比較できるという点で素晴らしいサイトだと思います。

FCTメディアリテラシー研究所----メディア倫理・MEDIA ETHICS

ここを読む限りでは本当にこれらがまともに実行されればあんな事件やこんな事件が起こる筈も無かろうにとは思えるのですが。日本のテレビや新聞の質の低さはまあ、性質の悪いお笑い番組として見なければ済む事ですが、実際にはそれらに容易に影響されてしまい、テレビで繰り返し言っている事が正論だというように思い込んでしまう人たちが一杯居る訳で、そういう意味では日本の初等教育は著しく「リテラシー」という意味では人を教育していないと思う。これを少し私の住む世界の事に敷衍してみると、ある事柄に関してそれを嘘だと見抜く力というのは社会的事件だけでなく、サイエンスの世界でも非常に重要だと思う。論文のデータに矛盾する部分があったり、そこまでは行かなくとも「腑に落ちない」ような記述があるときにはどんなにグラフが綺麗でも、組織が美しくステインされていても、何か重大な欠陥がその後ろにある可能性が無いとは言い切れないのだ。実際にNIHに居た時などはそういうデータの取得に関する裏の「捏造疑惑」というのを真偽は不明にしても始終聞かされたものだ。例えば、自分達の仮説に遭う実験結果を得るためにそのデータに見合う細胞を何百種類もスクリーニングしたりするというのはまだ可愛いほうで(普遍性の著しく劣る異常に特殊な例であっても、その細胞を使う限りはデータには再現性があるはずだから)、ヨードを暗室に持ち込んでフィルムに miraculousなバンドを作り出す事から「XXXXXXマジック」と呼ばれているものまで枚挙に暇が無い。

--ちょっと長くなりすぎたので続きは翌日に、、、。

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