2025年12月24日水曜日

ベトナム旅行・(実質)四日目

今日は日本にいる自分なら先ず絶対にしない様な経験をしました。

実は今滞在しているお宅は家がエステサロンをしているのですが、爪を切って貰い、更には爪の皮を切って貰い、最後には足の(足底部の)皮のケアをしてもらいました。店にいる妙齢の可愛い女の子が業務終了後に私に向かって手招きをするので私が自分の顔を指さして「オレ?」という感じで顔を向けると、笑顔で手招きされましたので近づいて行くと上のような行為をされまして、物珍しさでジッと見てしまいました。

その後、日本からの同行者と共にボートピープルとしてずっと以前に亡くなったお母さんの墓参りを手伝いに行きました。親戚の若いオジサンのトヨタ車に乗ってダナンの南西にある集団墓地へ。見えてきたのは下のような墓標の群れでした。

ベトナムは基本土葬ですので、日本とは全く墓の感じが違います。
更に奥へ歩いて行くとその御親族の墓の区画へ案内されて行きました。どうやら海外からの親族が送金してくれる為、お金には困っていない様子。下のような立派な区画です。
色使いから墓の作り方から考え方が全く違います。
一番左下には10年前亡くなった名前さえ付いていない(恐らく水子?)墓もありました。

実は草むしりその他を終えて帰ろうとした時に下のような光景を目にしました。私がこの場所を興味深そうに眺めていると、近くで作業をしていた墓掘り人夫がベトナム語で何か説明をしてくれて、それを横の同行者が通訳してくれたのですが、明日ここに入る人の墓が仕上がったとの事。何とも貴重な光景でした。

アメリカで云う所の6フィートは無かったような気がします。

さて、これが終わってその同行者の母方の親戚の家に招待されました。比較的近所にありましたので、親戚の叔母さんから借りたバイクに乗って!その家に行きました。ベトナムは125㏄以下のバイクは免許証無しで自転車の様に乗れて、確か15歳?の子供でも普通に電動バイクなどにまたがっているのを見ました。

さて、家に着くと仏間に上がって礼拝。ベトナムの家に着くとどこの家にもいわゆる「仏間」というものがあって、そこには先祖代々の方々の代々の写真と位牌が設置してあり、ベトナム特有の赤い竹ひごに付いた長い線香に火を着けて、正面に立って三拝し御先祖様の「古い順」に作法に従って見た事も無い異国の亡くなった方々への挨拶を行いました。

それが終わると階下へ降りてベトナム式の昼飯をガンガンと摂ります。何故だかビールもどんどん出てきてモー・ハイ・バー・ヨ!(1・2・3・乾杯!)と言いながら飲まされます。こちとら運転手なので飲む訳にはいかないのですが…。

そしてこの後は地区に住んでいる別の親戚で漁師さんをしている御夫婦の家に行きいろいろと「再び」御馳走になりました。

もうね、飲んで食って飲んで食っての歓待尽くしで当初の密かな目論見であった「ベトナムへ行って痩せる」という事が全く空振りに終わる事が100%確実になってしまいました。トホホ。orz

2025年12月23日火曜日

ベトナム旅行・(実質)三日目

今日は自分の意志で観光したい所を一か所決めました。

それはミーソン遺跡という所。ベトナムにやって来るまで全く知らなかったのですが、非常に古い遺跡で、そもそもベトナムの歴史の中では一旦は消え去っていたようなのですが、フランう統治下で再発見されたもの様です。
如何にも!のベトナムの山奥の景色です。
UNESCOにより世界遺産に管理されている所の様ですが、べトナム戦争中はB-52による大量の爆撃で相当のダメージを受けっとのこと。後に日本やインド、その他の国々の指摘、公的援助にて博物館を含めいろいろと修復が進んだようですが、実際にはまだまだ現在も掘り返し中のところがありました。
ドイツ語をしゃべる観光人が非常に多かった気がしました。
物凄くぶっ飛ばすカートに乗って凄い雨の中を進んで行くと突然現れる遺跡群。突然現れたその遺跡群は比較的コンパクトにまとまっているのですが、一体どこがどのような事に使われたのかわからないような建物たちで、一応解説はウェブやアプリなどで出来るのですが、ネットの環境が悪すぎて一苦労でした。

ワークマンの優秀なコートを着ていても、暑すぎて汗だくの内側。あきませんでしたが、ここを発って古都ホイアン(ダナンの人はホアンと呼びます)に行く途中で二か所寄り道。

先ずは炭焼きの村というあだ名の場所に運転手さんが案内してくれたのですが、そこは実際は昔日本人が瀬戸物を焼く方法を教えてくれた場所の様で、お土産物の中に沢山の日本の電話番号の入った寿司屋の湯のみがあったのには笑ってしまいました。
一時間ほどの滞在中に以下のような可愛らしい魚の焼き物の笛を1個120円で二つ買い込んでちょっとした日本へのお土産にしました。(べトナムでの初買い物!)
次に向かったのはダナンの人間には有名な郊外の春巻きのお店でした。浸けるものが滅茶苦茶辛いのですが、ロールの皮は特別製で素晴らしくエラスティックで破れることはなかなかないという優れもので、私のような人間でも巻き付けに苦労はしませんでした。

腹を満たして向かったのは古都ホアン。何と入り口には長崎から送られたというVOC(東インド会社)のマーク入り[逆さまに取り付けけられていましたが!w]の模型複製船が置いてありました。
旗が天地逆なのはこの向こう側の前のほうの旗も一緒でした。
長い日本人との歴史の中では、こんな遠くまでやって街づくりに参画していた当時の日本商人達の寄付で出来たという日本橋とその中の伝説の猿たちの彫刻を見ることが出来ました。
幾つかの説がある中の猿。二匹が向かい合っていました。
右に立っていたのはカメラマンを従えたベトナム人のモデルさん。結婚式用?
中を進んで行くと観光ガイドで有名な夜景のきれいな川が見えました。ただし、今回は昼でしたので、何というか奇麗だなというのは解りましたが、幻想的な時間ではありませんでした。ついこの前の大洪水でここらあたりは浸かってしまったようです。
数日後に再訪する予定ですが…
日本橋に行く直前にあった中華の寺の裏庭。けばけばしいのはあの国の文化かな。
取りあえず疲れ果てて帰ってきたのですが、全て込みで四人の人間が1200KVND(約7200円)で済みました。
その最終局面で見たのが以下の写真のようなバイク。ベトナムは未だまだ昭和の感覚。逞しいものです。


2025年12月22日月曜日

ベトナム旅行・(実質)二日目

今朝は比較的ゆっくり起きて行動開始しました。

朝から全くと言って良いほど解っていないベトナム語をグーグル先生の力を借りて双方向でどんどん通訳。恐ろしいほどの聞き取り能力に頭が下がります。日本語の聞き取りは私の喋りに関してはほぼ完璧。ただしベトナム語の様に抑揚等で意味が変わってしまう言葉は結構槍の死をしなければならないようです。それでも凄い聞き取り能力には変わりありませんが。

さて、今日は午後から知り合いが日本からやって来ての合流というイベントがありますが、それまでは十分に時間がありますので、フエ王朝に運転手さん付きで移動となりました。

最初は一体誰なのか判りませんでしたが、運転手さんを連れてきてくれて雨の中を家族さん達の一部と出発。物凄い雨が降ったり止んだりですが、道路事情は昭和40年代の日本そのもの。まだまだあちこちがデコボコですし、信号も正直全然未整備なレベル。しかしながら正に「阿吽の呼吸」という奴で車とバイクが抜群のタイミングで流れを縫い上げていきます。近い将来信号がきちんと整備され始めたらこうはいかないでしょう。
さて、フエ王朝は昔の「阮朝」の二重城郭都市で、「順化皇城」とも呼ばれており、200年越しの歴史があるようです。ここにやって来て種々の建築物、特に太和殿なども入りましたが、木造建築や漆喰を使った壁などは高湿・高温の中ではこれ程劣化が厳しいのかという事実を見せつけられ驚きました。
近くに寄っていくとタイルなどで美しく仕上げがされています。中はフランスの影響で様々な西洋文化とのごった煮。
奇麗な朱と黄色、城の色の調和が曇り空の下でさえ奇麗でした。
二時間ほどでここを去ると、ヤシのやバナナの木の繁る道を帰っていきましたが、実は来る途中、前日から同行してくれている在日ベトナム人のH君が余りの道のくねりに嘔吐してダウンしたので帰りは高速。

返って来る途中、もう今日は遅くなった事からホイアンに行く事は止めてダナンに直帰。家に帰り着いて一息つきました。返ってきて出てきた食べ物にちょっとギョッとする事になりましたが、それが以下の食べ物。
ヒヨコなのですが、これは何とアヒルの卵で名前はベトナム語で「トウン・ホプロウ」とか何とかいっていたのですが、まあ、良しとしましょう。
卵の中は三種類の構造に別れていて、硬くなった卵白部、未だ使われ切っていない卵黄部、そして鳥の雛が形を持っている部分の三つ。卵白部は味が無くコリコリ。卵黄は普通に美味しいのですが、雛の部分は一部は羽が出来ていて見た目はグロテスク。どうしようどうしようと思いながらもここは旅の経験と思いガブっと食べると全くなめらかで骨などを噛む感じは無く普通に美味しかったです。

だからと言って二個目を勧められても手は動きませんでしたが!w
現地の人達にとってみれば当然の如く御馳走の一種。酒を呑みながら普通にパク悪皆で食べていました。

この後、日本から一日遅れてやってきた知人の二人組と合流しましたが、今日はベトナムの色々な観光地と言える場所を巡った初日となりました。まあ、基本的に観光地巡りは計画の中では重きを占めないのが私の旅ですので、誰でも知っているようなベトナムの観光地の一つを制覇出来たのは珍しい事でした。

明日はmy Sonと書いてミ・ソンと呼ばれる古墳群とホイアンに行く予定です。

2025年12月21日日曜日

ベトナムに到着したけれど!

生まれて初めて鹿児島より南に行きました。^^

そもそも沖縄にも行ったことが無かったのですが、今回は単身ベトナムへの渡航ですからどうなる事か判りません。明日ベトナムに別便で到着する予定の知人の話では今の若い人は結構、特に観光地では英語を話す人が多いとの話でしたので、そこに期待を繋いでいます。

さて、飛行場から出国する時に大きな失敗。向こう側の知人男性に渡そうと思っていた日本のレアな酒を荷物検査直前で小さなスーツケースに入れているのに気づいて絶望。そのままスキャナーの脇に置いて来ざるを得ませんでした。orz
まあ、それは身の安全に比べればなんて言う事も無い事。取り敢えずは生まれて初めての航空会社であるVIetnam Airlinesに乗り込むことが出来ました。
微妙に日本と異なるサイン。因みに男女のトイレの色も青と赤が逆です。
時間はなかなか経たずに約6時間。中継基地であるホーチミン(サイゴン)に到着したのは良かったのですが、入国手続きが長くかかって乗り継ぎの為にどこに行けばいいのかというのをじっくり確認する時間も全く無く、トランジットのバスを必死で見つけて一緒に同行してきたベトナムの各種競技のオリンピックチームと共に移動する事になりました。
ホーチミン空港の外に出て国内線の乗り継ぎ空港にバスで向かったのですが、荷物を運んでくるお婆さんがもう入り口で立ち尽くしてバスの発車を遅らせる始末。w 自分が原因でバスが出発で居ない事がわからなくて周りのベトナム人達にやいのやいのと何かを言われて荷物を内側に押し込んで出発。出発してからも市内の交通はまさにアジアのカオス状態で、もうこんな道をどうやって走るの?という感じの我がまま運転が罷り通っていました。

取り敢えず、必死で走り続けて直前になって飛行機にダナン行きの飛行機の乗りこむことが出来ました。安心して一時間ほど飛んだ後でベトナムの知人の親族(既に俺の顔はメールで送ってある)に駐車場出口で拾ってもらったところ、大きな驚きが!

ナント、知人の弟さんである関西人のHさんがサプライズで私の事を親族と共に待っていてくれたのです。思わず「え~っ!」と驚きの声を出して絶句したところ、ビジネスの為にやって来ていたというではないですが。偶々とは言え絶妙すぎ!神に感謝です。

そのまま車に乗ってダナン市内の知人の親族宅へ!
そこは美容サロンでした。多くのお客さんがいる中で、変なおじさんが愛想笑いを浮かべながら上の写真のようなお店に入場という状況を思い浮かべていただければ結構です~。

そこから直ぐに近くのダナン名物である甲殻類屋さんへ!
左がH君
腹一杯に種々の甲殻類を腹に詰めこんで話に花を咲かせると共に、通訳が居てくれる事に居感謝した夜でした。

薄味だけど美味しいベトナムのタイガービール
なんと、知人のおじさんは大工さんでして、訪問者用に~と、私の為にわざわざ新しいベッドを作ってくださっていたのでした。心から感謝しつつ本日爆睡。時差は日本マイナス2時間です。

2025年12月20日土曜日

東横インに前泊

 今まで基本的にはそういう事はしてきませんでした。

但し、今回の旅行では10日間の日付を空かせる事、朝の便の出発が9時と早い事、泊まろうとしている東横インが宿泊者向けに10日間の連続の駐車に対して合計1000円の駐車代か請求しない事、朝も早いのに当日の朝になって万一駐車場が空いていない等と言う年末のアルアルになると目も当てられないので、それだけは絶対に避けるという目的のために前日宿泊としました。

東横インの会員としての登録を済ませた後に予約をしたことでこの女権付与が発生しますので、そこを慎重にクリア。更に物理的にアクセスしたときにいろいろとお話をしたことで少しだけ安くしてもらい一泊1万を切る価格で泊まることが出来ました。

東横インの中は実に質素で清潔、何も余計なものは無いという状態でまことに今風のホテル。エレベータでもCAさん達と擦れ違いましたが、飛行場の真ん前という事もあり多くの飛行場関係者も使っているのでしょう。

1人での使用というのは味気ないものですが、仕事を午後3時に終えた後に今年最後の歯医者の治療を終了させ直ぐに向かったのですが、家を出て来る時も「それじゃね~」と云う位の軽い感じ。特に海外に行くというものでもありませんでした。

どこにも行かず、部屋の中で淡々と過ごし9時前後には消灯。明日のベトナム出発へ向けてさっさと消灯しました。

パスポートと現金さえあれば特に何が無くとも何とかなる!というのが私にとっての旅の要諦。その通りの状況ですの出発を迎えるための通常の手続きです。