2017年7月16日日曜日

お爺ちゃん銀行

世の中には「お爺ちゃん銀行」なるものが有るようです。

少なくとも私の嫁さんの実家ではその言葉は単語として普通に認識されておりますが、その由来はいつでも何か困ったことが有るとどこからともなく現れてサッと金銭を支払ってくれるお爺ちゃんが居た事から始まったようです。

私の親戚はそんな者ものを一切期待できるような爺さん婆さんはおらず、常に私の親の方からパチンコ代の為の小遣いを時々渡していたレベルですので全くの真逆ですね。w(私が未だ大学生の頃に亡くなった親父の側の婆様に至ってはまともに教育も受けていないような明治のド田舎の人間で、カタカナを読み書きするくらいが精一杯で、教養などというものにはまるっきり無縁の”趣味はパチンコ!”の人でした。母方の祖父母はその反対だったようですが。)

さて、今回の長崎帰りで子供達を含めて彼らの祖父母がお小遣い、お祝いを含めて諸々に使ってくれたお金の総額を今日夜の便で息子とともに長崎から帰ってきた嫁さんと類推したのですが、お祝い関係だけで30万、飛行機のチケット代で十数万、その他もろもろのお祝い会の開催、食事代などで確実に20万程度はいっているようで、一体全体今回の”私以外”の久々の帰国後訪問に幾ら使ったのかと背筋が寒くなるようなレベルの出費をしてくれたようで本当に頭が上がりません。

実は、こういった親から子へ、爺さんから子や孫へという出費は嫁さんの実家では何と言うか”一族の風習”の様になっているところがあるのは結婚当初から気づいていたのですが、何ともこの風習に関しては私は口出しも手出しも出来ない世界でした。しかし、私自身もそういった行為を何十回と見るうちに”子孫のために美田は残さず”としながらも、生きているうちに使える金はきれいに使っていくという(無論、セーブしておかなければならない金はセーブ!)方法論にかなり影響を受けてきました。

私自身は身を飾ろうとか贅沢をしようという感覚は全く無いので金は使うところがないのですが、今の子育ての最終フェーズではなかなか経済的に余裕を持てるわけでもなく、なかなか義父のように振る舞うこともかなわない状況で、本当にそういった行為ができるようなるのかは甚だ心もとないのですが、頑張らねばと思う今日このごろです。w

私は使った分だけ自分の人生の戻ってくるという考えを結構信奉しておりますので・・・。(奢られるより奢る人になりたいものです。)

人気ブログランキングへ

魚を食べに知多半島へ

今日は仕事を終えて昼過ぎから知多半島の魚太郎へと向かいました。

娘が日本にいる間に日本の美味しい魚料理をもっと食べさせてあげたいという想いがありますので、この行動は必須のものの一つと思っていました。

この魚太郎という所はまあ、展示即売をする横でセリを終えた市場から直接魚介類を運び込んで浜の脇で焼き魚のバーベキューが出来るようになっておりますし、マグロの解体ショーを見せてくれて、そのまま解体した身を刺し身として捌いて売ったりしてもいます。

今回はそういった魚介類を売りつつ、それを使ってその横で直接作られている多種多様な海鮮丼を食べました。大アサリや帆立は勿論のこと、その後でアイスクリームも食べて腹いっぱい。娘も満足してくれたようです。
腹が満タンになった後はゆっくりと市場の中をまわって刺し身やその他のものを渉猟しました。結局ハマチとマグロの中トロを買いましたね。(私も食べたかったので、「これが美味いよ!」と娘を誘導した感じ?w)

時間は4時を過ぎていたので工場が閉まるんじゃないかと少し心配していたのですが、帰りしなはいつものようにえびせんべいの里に寄ってお中元で送る為の巨大えびせんを買い込んで知多半島を後に。

帰りの車の中では娘はすっかり疲れてしまったようで、家に到着するまで本当にぐっすりとよく眠っておりました。
今度は長崎から帰ってきた嫁さん達も一緒に連れていきたいものです。

人気ブログランキングへ

2017年7月14日金曜日

しばしのサヨナラ

今朝は結局娘達の顔を直接見ること無く仕事に出ました。

朝起きた時に扉越しに「じゃあまた会おう!」と言って寝ぼけ声の長女と短い会話を交わしたのみ。
私の暫しの別れの挨拶はいつもこんな感じで手短かつ素っ気ないものです。やたらとベタベタするのは主義に合わないというか、何となく照れくさいというか。日本の男ってこんなもんじゃないでしょうか。

これとは反対なのが嫁さんで、何故か長女も母ちゃんと別れる時は何時も涙、涙。w
次女は全くその反対で、私と同じような感じの”淡々と”式のお別れです。まあ、これもこれから人として成長していく過程で大人としての”情”というものに触れる機会が多くなってくると多分彼女の内面もこのような”別れ”に対して敏感になることも多くなるんじゃないかとは思うんですけどね。

何れにしても私が仕事に出たあと、寝過ごしたりすることなくバスに乗って移動し東京のホテルにまで到達したのは時々刻々とラインで入ってきておりましたので、家族全員がその動きをお互いにリアルタイムで共有出来ていました。何とも便利な時代になったもんです。

東京のホテルに付いた後は多分疲れてそのまま大したこともせず寝てしまったんだと思いますが、とりあえずは彼らの滞在もこれで終了。なんとも長い三週間の日本滞在記を彼らの心のなかに綴ってくれたはずです。

東京と名古屋と長崎。今後も色々とバリエーションを着けながら日本に帰国する度にいろいろな所をまわっていくことでしょう。

娘の彼氏は日本でITの仕事を探す可能性もあるなんて言うことを言っておりましたが・・・?

人気ブログランキングへ

2017年7月13日木曜日

みんなで寿司をペロリ

今日は結局皆でお寿司を食べに行きました。

皆と言ってもウイルス性腸炎でダウンしている長男とそれを介護している嫁さんは残念ながらまだまだ長崎で格闘中です。しかし、息子も次第に食欲は戻ってきているようでそれが唯一の救いですが・・・。状況はともあれ、取り敢えずこの貴重な時間を長崎の両親と過ごしてもらえればと考える私です。

さて、我々が行ったのは先日人数が多い上に予約をしていなかったために食べることのできなかった藤が丘の山葵(WASABI)でした。ここは藤が丘名物の”モヒカンの大将”が取り仕切っておりまして、手頃な価格で美味しい寿司と刺身を食べさせてくます。予約を6時半に設定し、四人でカウンターで次々に注文していきました。

子供達を連れてくると寿司と刺し身といろいろな酒のアテに「美味い美味い」を連発しながら競うように食べてくれましたので、連れて行った私もその甲斐があったというものです。

長崎でも山海の珍味を食べてきたと思われますが、名古屋にも美味いものが有るということをシッカリと彼らの舌の上に記憶させておかなければなりません。(少々出費は痛いのですが、ここは義父に倣ってこの手のことにはシッカリと金を使わせてもらいます。)

二時間以上かけてたらふく食べて楽しい会話を楽しんでもらった後は別腹ということで他に何か食べるかと言ったのですが・・・そこは日本人と違って二次会、三次会と廻る慣習は無し。近くにあるタピオカドリンクのお店でそれぞれの好みのものを手に取らせて道すがらそれらを飲みながらのゆっくり帰宅でした。

彼らの滞在も実質あと一日。夜中はゴソゴソと荷物をまとめながらいろいろしていたようですが、12時頃にはすっかり静かになって眠ってしまっていたみたいです。

人気ブログランキングへ

2017年7月12日水曜日

長崎でえらい目に遭った子供達

実は長崎の実家に帰った家族がsufferしておりました。

何にやられたかというと強い熱発を伴う下痢と嘔吐。多分名古屋で食べて罹ったのか長崎で罹ったのか、わかりませんがタイムテーブル的には名古屋が濃厚なんですが、何れにしても私が当直で不在の時に食べた何かが当たったのだろうと思います。一番”らしい”のはひつまぶしではないかと思えるのですが・・・。俺が不在の時にそんな贅沢なものを食べるから!ということか?

長崎での医師の診断はウイルス性の腸炎だということで、血液検査やエコーまでしてもらったらしいのですが長女と長男が熱発とひどい下痢に苦しんだようです。長女が先ず発症、熱が出て下痢に苦しんで今はもう熱は治まっていますが下痢は収まらず。また、長男も同じような調子ですが息子の場合は熱も下痢もより酷いようで、吐く回数も下痢も酷く熱も40度近くまで何度も上下しているようです。

送ってきた長男の様子を写した写真でもすっかり元気が無くなっている様子がありありと判り、見ている親父としては可能であれば飛んでいって輸液をしてあげたいくらい。仕事があるのでちょっと出来ませんがやっぱりきつそうにしている息子を見ると親としてはしのびない・・・。

折角実家に帰っての二泊三日なのにこれでは何のために帰ったのかわかりませんな・・・。

一刻も早く二人が治ることを祈る名古屋の親父でした。

人気ブログランキングへ