2017年2月10日金曜日

四半世紀ぶりの医学部同窓会

というわけで同窓会は到着した日の夜7時からでした。

長崎駅のすぐ隣のホテル・ニュー長崎というところでしたが、ここは以前陛下がお泊りになったこともあるホテルで、長崎では比較的格式の高いい近代的なホテルと言ってよろしいかと思われます。参加費は二次会の飲み代込み(知りませんでしたが、集合写真代も込みで)1万5千円でした。

案内に沿って地下一階に降りていくと居ました居ました、今は主婦になられて名字の変わった同級生の方々が。あんまり変わっていないというのが正直な感想で、皆さん良い感じで落ち着きが出ていましたね。

コートを案内係に預けて中へ入るとそこには数十人の旧同級生が既に到着しておりました。取り敢えず受付で名札カードは渡されたのですが、必要なかったですね。ほぼすべての人間の顔と名前がすぐに一致しましたが、中には頭頂部の”相当”抜けてしまっている方々も。w

ただ、皆未だ50代そこそこなので、老けると言うにはまだ早い歳かな?そういった意味ではみな恰幅は良くなったけど脂が乗ってるなっていうのがよく分かる風体でした。(高脂血症っぽい感じでもありましたが。w)

すれ違う人間すれ違う人間から肩を叩かれ握手をされて、一気に25年の月日は消え去り学生時代の馬鹿野郎同士の関係に。出てきている人間たちも、そうでない人間たちも殆んどが誰それはどこでどうやっているというのが判っていてネットワークはFB以外でもきっちり生きて繋がっているって感じですね。

ただ25年前と違うのは、集った人間たちの医学的な実力。殆どの人間たちは円熟の域に達していて、どこそこのX科の部長、病院長、主任、教授、専門医達。長崎であればどこで倒れても間違いなく最高の治療を同級生達から受けられるなって強く実感しました。

勿論、マダマダ忙しすぎてこの同窓会に出てこれない連中もいるわけで、その人生の充実ぶりが逆に推測できようというもの。中には癌で惜しくも早世した同級生もいましたが、それもこれも含めて50歳前後というのは人生の中での立ち位置はそんなものなのなのでしょう。

早い時間に全員で集合写真を撮っておいたのが帰り際にはもう渡されて、二次会のアイリッシュパブへ移動しました。そこでも涙の出るほどいろいろな話が出て各ブースで大爆笑がおきていたのですが、これは幸せな時間でした。そのまま気の合う連中と三次会に移動して中華料理屋へ。12時過ぎてるのに脂っこいもの食べてビールを飲みながらまたバカ話の連続で腹の皮がよじれそうでした。w

そのあとは同じ方向へ帰る三人とタクシーの中でも話し続け最初に私が降りましたが、良い時間を過ごせましたね。

こんな楽しい同窓会をセットアップしてくれた幹事の皆さんに本当に心からの感謝です。

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2017年2月9日木曜日

大学の同窓会のため長崎へ

実は明日長崎で大学の同窓会があります。

病院で仕事を終えたあとで名古屋に向かいますので飛行機などは実に都合の悪い時間帯でしか飛んでくれませんので却下。ではレールはと言うと速度の割にはお値段のほうが納得いかんということでこれもちょっと選択肢の第一には入りません。値段からするとよほど飛行機のほうが合理的ですから。というわけで、わたしにとって最も都合が良かったのはバスとなりました。

バスのチケットはネットで二週間ほど前に予約を入れておきました。5日以内にコンビニに行っていつもの発券機にクレジットカードを通せばあっという間にバスのチケットが発行されますので簡単です。21世紀の便利さに感謝感謝。(まあ、スマホ発券というもっと便利な方法も使えるのですが。)

出発は夜の7時40分、到着は朝の7時10分なのでほぼ半日のバス旅行ですね。丁度アメリカ便に乗ったようなもんです。

名古屋を出発したあとはあっという間に神戸、広島とずんずん進んでいきます。途中ウトウトしながらのバス行程でしたので特に窮屈でもありません。ネットを見ると人によっては全く眠れす地獄の強行軍等とも書かれてはいましたが私にはなんということもないもの。これぐらいで音を上げる輩がおるとは。w

ところがところが!

出発前にちょっとだけ心配していたことが現実として襲いかかって参りました。
それは中国・九州地方に降り始めていた大雪。関門海峡を抜けて北九州に入ったところで突然バスがスローダウン。どうした?とおもってスマホで位置を確認してみると既に高速上ではなく太宰府近辺の一般道を走っています。

あいや〜、これはもしかして九州自動車道とか閉鎖?と思ってネットを調べてみると案の定閉鎖。w

この状態が二時間半ほど続いたでしょうか、車の群れがにっちもさっちも如何状態で路上に群れております。そんなこんなで結構な時間が経ったあとアナウンスメントが・・・。
「誠に申し訳ございませんが、当バスはこのまま博多駅へ向かいましてそこが終点となります。チケットは全額払い戻しとなります。誠に申し訳ございません。」という衝撃の内容でした。バス会社の方々は全力を尽くして走ってくださっているのは判っていたのですが、この結末は予想しておりませんでした。

とりあえず博多駅へ付いたあとは荷物を下ろす時に申し訳なさそうに平謝りに謝っている会社の方に逆に「いや、大変なのはバス会社の方ですよ。踏んだり蹴ったりですよね。お疲れ様でした。」と語った次第。ちらっと数えてみたところでは20人弱乗っていましたので、高速代、ガソリン代なども考慮すると軽く30万は足が出たはず。

この後はJR博多駅でかもめに乗り換えてスムースに長崎に着きましたが予定よりも五時間遅れの昼の12時過ぎでした。ちょうどランタンフェスティバルが最終日を迎えているようで綺麗な飾り付けが目立ちました。

嫁さんの実家に到着してシャワーを浴びてひといきついたのですが、不思議と疲れはなかったですね。

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2017年2月8日水曜日

アメリカの大学受験生の親として・・・

今回の次女の大学受験をもって取り敢えず私の方は子供の受験というものからは開放されます。

しかし、周りの様子を見ていると同じ受験生でもシステムの違い、時期の違いが余りにも違いすぎるため何だか受験生を持つ親という自覚が殆ど私自身の中に育っていないのが明白ですね。

同じ受験生の親の話を何人かから聞いたころによると、家の中全体がやっぱりピリピリしているし、ちょっとしたことでも自分の子供と言い争いになったりすることが頻発しているんだそうです。私は邪魔はしないまでも何で己の育てた子供に己の家で遠慮をすることが有るか?などと思ってしまう口なのですが世間一般では子供の受験時には全面協力体制を家族で敷くのが普通のようで・・・。

アメリカの家に居たところで、時々やってくるSATのテスト(一年以上前の学年から受験できる)の願書を出すたびに何度か娘から「お父さん、今度SATまた受けるんでXXドル要るからね〜」って言われて「あ、そう」と言うだけ。実際に何日にテストがあるのかもハッキリ言って全く知りません。w 

そろそろかなと思っていると全然違ったり、なんてことない日々だと思っていると実は今日とか。そういうわけで私はアメリカにおいては子供の受験というのを全く意識しないままで大学に送り出しております。要するに心配しているのは授業料のみ・・・。なんちゅうか、いい加減なものです。

あと日本だと一校受験するのに平均して3万5千円かかると聞いて二度ビックリ。おまけに共通テストも一科目ごとに6千円?ずつ積み上がっていくとか聞いて「なんじゃそれ?」状態です。
そんなもん出せんような貧しい家庭は幾らでもあろうに、たかが大学受験程度でそれほどカネがかかるっていうのはアメリカの受験?を経験したものからするとかなり異常な高額に感じます。

通常、各大学の審査の申請料は50ドルから75ドルというのが相場ですから、一行が300ドル超えとかいうのは何だかね・・・。まあ、何れにしても私の親は末端の貧乏国家公務員でしたので、親父からは呪文のごとく「国立だけやからな〜w」と言われておりましたので、私立その他の大学の当時の受験料を気にすることもありませんでしたが、当時から同級生で東京の私大に何校も泊りがけで受験に行く友達を見ていて「金あるな〜」って感じてたことがあります。

何はともあれアメリカの大学受験は日本とは全く別物ですな。

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2017年2月7日火曜日

90代でも元気ピンピン

最近は明治生まれの方の死亡診断書を書くことも無くなりました。

1912年をもって明治の終了ですので、今年誕生日を迎える明治最後の45年生まれの方は105歳となります。
私の病院でも90代の方はそれこそ掃いて捨てるほどおられますが(それ自体も凄いことですが!)やはり100歳前後を境にして老衰その他で亡くなられる方が多いですね。

その死に前後して多いのは食思不振で摂食不能になるとか、誤嚥性肺炎等の嚥下機能障害によるもの、または単に巡回中にお亡くなりになられているのが見つかるなどの大往生も含まれますが、こういった歳まで長生きされてきた方はどちらかと言うと食事が食べられないことに関連してお亡くなりになられるという”印象”が強いですね。

勿論、最終的には肺炎や癌、腎不全などでも診断が付いた上で死亡診断書を発行することが多いのですが、心臓の拍動が止まったことをもって心不全・呼吸不全として亡くなったことにはしないことになっています。
当然、器質的障害の経過としての心不全や呼吸不全は当然あるわけで、それらの病態に関しては書き込むこともあるわけですが、ここら辺りの事は医師以外の方はまず日常生活で問題になるようなことはありませんので、何を言っているのかあんまりわからないと思います。

ともあれ、そのあたりのいわゆる”K点超え”のレベルの方になってくる方々の中には本当にぼろぼろになって自分が生きているのかということも理解できて無さそうな方が居るのも間違いないのですが、やはり”ホンマに90代???”というような若々しい人が”少なからず”居られることも強烈な事実。

「なんか病気にならんですか先生!?」と大声でカラカラと笑いながらハヨ死にたいと続ける人まで居る始末。ここまでくると、私も返す言葉などあるわけもなく、人生の大先輩とともに笑うのみです。

もちろん長生きをされてきたからには事故に遭わなかった、事故にあっても生き延びた、戦争中は爆弾から逃れて走り回った等と言うような話をされる方も多く、まずは運が良くかつ遺伝的な背景にも恵まれておるわけです。

長寿の家系というのはどうも本当にあるようで、90代の人に100超えの姉が居たり、80後半の弟が居たりというようなことも比較的ザラ。こういった人たちは国士無双ですな。結構好きなもん食べてやりたい放題という人も居て・・・。

寿命というものはクジを引くようなものなんでしょうかね。

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2017年2月6日月曜日

アメリカの大学で奨学金を貰うために

先日来より行っておりますスカラーシップ獲得のためのCollege Boardの入力も大詰めを迎えて参りました。

アメリカに住んでいるからこそいろいろと分かる事情というものもあるわけですが、(特に我が家は長女の時にこういったことに関しては通過儀礼を行っておりますので)日本からアメリカの大学に進学しようとするときなどはハッキリ言って”猛烈に”面倒くさそうですね。

その面倒くさそうな理由は単純に二国間の税制や準備書類の書式の違いに起因するものがほとんどの部分を占めます。アメリカにおいては納税は通常、庶民が一年間の自分と自分の家族のお金の流れをすべての収入、寄付や損失など多岐にわたって一つ一つ思い出したり、必要書類を引っ張り出したりしながら時間をかけて準備するものです。勿論、我が家のように二国間にわたって面倒くさい税制上のいろいろな取り決めを乗り越えなければならない場合は税理士さんを介して行うほうが間違いなく安全ですが、通常は一人でシコシコと準備して一年の経済的な締めくくりとするものです。

その意味で、日本人のように天引き天引きで自分の給与明細の中身も取られている税金の意味も理解させないようになっている税制というものは未だに戦時体制そのままで庶民に”国や自治体が自分たちの給与からどうやって税金を吸い上げているのか”感じさせることのない禄でも無いシステムだと思います。まあ、そんなことはここで書いても誰も読まんので関係ないのですが・・・。

例の如くCollege BoardのHPにアクセスしてPWを入れてログインし、びっくりするほど細かい家庭の懐事情を書き込まなければなりません。給料、その他の収入などは当然のこと、資産の保有状況に関しても。過去の購入価格の現在の価値などまでコミで調べて書き込む必要もある上に、銀行口座の現在の残高、家庭にある車のメンテナンスに一年で使った額や医者・歯医者での保険でカバーされなかった分の出費、etc,.etc,.です。

要するに洗いざらい吐け!ということなんですわ。それを見た上であなたの子供さんに(出すとしたら)出すスカラーシップの総量を決めるというお話なんです。

とは言え、日本の名ばかりのインチキ学生ローンと違って、アメリカの大学の場合スカラーシップと名が付けば通常はその与えられたお金は学資として使い、かつ返還しなくてよいのが常識ですので、この作業何としてでも終わらせなければなりません。

ハ~疲れる。しかし次女の進学のために最後までやり通さねば恨まれる。w
いやまて、よく考えれば一番困るのはスポンサーたる俺自身だな。orz

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