2012年9月17日月曜日

実際、火遊びする余裕は中国には無いよね?

隣の国でデモが起きてますけど、何だか官製デモの臭いがプ~ンとします。
この手のことで騒ぎに一口のって暴れるDQNはどこの国にもそれなりに居るでしょうが、その他大勢はその蛮行に眉を顰めてると「私は」信じてます。また、国外ではこの行為に関してこんなコメントやニュースが流れていますから、彼らが枕投げをして内輪で盛り上がっていても所詮冷静な世界の目線はこのようなものなのです。この字の中にはあの一躍有名になった官製デモの証拠のリンクまで。(笑)
「中国国内の緊急アンケートw」とやらによれば、どうやら中の人達の多くは不買運動には大賛成のようです。それもまたよし!でしょう。 自分たちの思う所に従って非暴力的対抗手段は気が済むまでやればいいでしょう。中国に進出している企業もチャイナリスクを承知の上での行為でしょうから。(結局この国は政治的なリスク満載の発展途上国)血の出るような物理的実力行使は御免被りますが!(フランス製品も確か数年前同じ目に遭いましたが、あの打ち壊しデモはどこに行っちゃったのかな?)
全土で10万人のデモって言ってますが、ちょっと荒い計算をすると、驚くことには全人口の1万人に1人がこのようなことをしてもお隣の人口世界最大という国ではすぐに10万人になるという驚愕の事実を忘れてはいけません。パーセンテージに直すとなんと0.001%!でこんなことになるんですねー。見かけに騙さそうですが。 
まあ、数日前にも書きましたけど、こんな事して世界に蛮行を報道されて最終的に大恥かいて顔真っ赤になるのはそれを許し続ける彼の国の政府でしょう。何と言っても三権の上に共産党がそびえ立つような非法治国では民草が完全に本当のことを知るのは期待するだけ無理です。それでも、あの天安門事件の頃とは大違いの情報筒抜け状態ですから、そこに僅かに期待するとすれば、最終的にはこの国の(共産党という組織以外にとっては)意味不明の情報統制もやがてかなりのスピードで消滅する方向、もしくは有名無実なものへと変わっていくはずです。ここは一つ文明国家の日本としては、理性と法の力で何十回でも冷静に対処すべきだと強く思います。
むしろデモの問題の本質は彼の国の内政問題と瞬間的に繋がってしまう可能性を持っていることのほうではないかと思います。このリンクを読んでみると、うちから見たデモの内実と外から見たデモの内実はそうとう風向きが違うなというのが正直な感想。実は物凄く危ない綱渡りをさせられている(せざるを得ない!)お家事情があることが透けて見えます。レッドドラゴンが火を吹くのはいいけれど、その火が自らを灼熱の業火の中に叩き込むことになった日、一体何が起こるのでしょうか。正直、アジアの安定という意味でちょっとかなり不気味です。

最後にちょっと話は変わりますが、数年前、ヤンキースタジアムにやってきた田舎の人種差別主義者の投手が「ニガーや色付きの野郎は大嫌いだ、ぶっ殺してやるっ!」て吠えてた時に、それをNYに迎えたパキスタン人の兄ちゃんがコメンテータに向かって笑顔で一言。「狂犬に噛まれたからといってその狂犬に直接噛み返す奴は居ないよね?」って言ってたことを思い出しました。
狂犬を野に放った後、どう尻を拭くのか国家としての対応に難しい舵取りを迫られているのは我々ではなくて彼らの方です。
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ちょっとした記念品買いました

ウェブである記事が目にとまった。
アンディ・ウォーホルのキャンベルスープ缶に彼のオリジナルのアートを貼り付けたものを、この缶がポップアートの題材になって50周年の記念として発売しているのでした。しかも、ターゲットと言うアメリカの中では少し変わった、おしゃれな品揃えをするストアでしか売っていません。(二年ほど前だったか、あの日本の可愛いドーモくんがハロウィンで大々的に登場したこともありました。よくテーマを絞った商品開発でキャンペーンを打ってます。)
多分、ターゲットとのコラボなんでしょうね。実際売り場を覗いてみると一缶75セントで売っていました。4つの違った色使いがあり四本買うと3ドルですから極めて良心的です。家の飾り用に買いました。
ところがところが、、、ちょっと気になってネットでこれをいくらで売っているか調べてみますと、キャンベル自身がとてつもない値付で売っているではないですか!下にアマゾンでの検索結果を貼っておきますが、オリジナルの売値を知っている私にとってはちょっとベラボーというかアコギです。9掛け!!(笑)
ちょいそれは無しでしょ?というところでしょうが、買う人は買うのでしょう。きっと。
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2012年9月16日日曜日

100円均一!愛国無罪w

「報道を見聞する限りでは」反日デモの激化が中国で起きているようです。
この手の報道というのはメディアの匙加減一つでどうとでもなるのでそれを読んだり見たりする側はごくごく慎重に考えてこの手の報道を見なければならないのはどこの国の人だろうと大人の常識。
(今は正義の味方を標榜する日本の糞新聞の皆様も当時はアメリカ人が血も涙もない鬼畜で、中国は占領されるべき国家で、と散々煽り捲った黒歴史がありますが、今やそれもまるで私達の与り知らぬ他人ごとであるかのように振る舞ってます。今現在は「ひたすら」二国間の摩擦を煽るマッチポンプ役として新たに有能な役割を果たしておりますが。w)
この反日暴動、中国に住んでる日本人の人達にしてみれば大概迷惑だし本当に恐怖そのものだと思います。ちょっと立場を置き換えてみればすぐに想像がつくと思うんですが、例えばアメリカに住んでる我々家族が黒人なりユダヤ人なりのいわゆるマイノリティーだとします。ある日近所でデモが起き始め、そのターゲットが実は黒人だと解りました。買い物に行こうにも肌の色ですぐそれとわかるし、日本語学校にも危なくて通えませんよね。それが全国規模のものだとか恐怖そのもの。
ではこの状況を避けるには、、、となりますが、デモが収まらない限りは安全を確保する手段は当然「他国への脱出」位しか手立ては残ってませんよね。いわんや家族持ちの人にとって見れば、家族を安全に住まわせることのできない地域には、到底それ以上家族を住まわせることは家長として出来ないでしょう。当然です。
言ってみれば外にはゾンビの群れがうろついていて、生きている人間を見れば問答無用で襲ってくるという実生活では普通ありえない映画のような状況ですから、、、。暴力を伴ったこの手の「低能の集い」に衆参したのは中国全土で10万人といいますから、官製のものであろうとなかろうと自発的なものであろうと、10億の人口から換算すると驚くべきことに一万人に一人の馬鹿がデモに参加しただけで全国では十万人という「数字」が出てくるという所が彼の国らしい凄さです。w
ですから、百人に一人の人間が参加するというレベルの「成熟した小規模民主主義国家ならありえる」デモがもし発生したとしてこれを中国の人口規模で再換算すると中国全土で一千万人!!という数のデモに膨らみ上がることになります。こうなると国家としての機能は完全に麻痺し、ありとあらゆる規模の事故や小競り合い、本来の怒りの対象とは無関係の人達の死(当然中国人自身も含む)、破壊、略奪が起きていくでしょう。
無論国家としての評判はガタ落ち(現代どころか近代国家とも評されないでしょう)、この国に投資すること、この国と理性的に交渉することの(困難さではなく)無理さ加減に人が潮が引くように関わらなくなるはずです。
このような伏線は当然、長い時間かけて歴史的に準備されていて、あの江沢民という男が用いてきた外に敵を作ることによって内政問題から目を逸らさせるという昔から為政者が頻繁に用いてきたチープな「愛国主義・民族主義」というやり方です。(最も極端な例は韓国の北の方にあるちいさな王朝ですが。)こういった国家による時間をかけた教育の結果が「愛国教育」を受けてきた世代で見事開花したようです。
しかし、本当にこれ中国人自体の大勢が望んでいることでしょうかね?近親増悪といって、通常隣り合った国家というのはいかなる場合であれ大概酷く嫌いあうもんです。w 英国内の4つの国を始めとしてそれはそれは枚挙に暇がありません。しかし、それでも口で罵り合ったり、ジョークで粉砕すると言うのと実際に家の外に出て行動を起こすことの間には無限の落差がありますよね。
ネットの時代になって、自分は参加しない野次馬の声が「低能」を刺激する声として働き出した21世紀はそういう意味で今までとは違った「愛国無罪」人間達が外を国旗を持ってうろつく時代なのかもしれません。それがどっち側の国かは知りませんが。
今、領土問題に関して日本がしなければいけないことは徹底的に法理と事実に基づいて無法を働く国家を糾弾することでしょう。尖閣諸島界隈での行動も当然海上保安庁の仕事。それを超えたら自衛隊とアメリカとの共同行動。それが出来ないというのは国家として機能を果たすべき中枢が全くは働いていないからでしょう。
ちょっと考えるんですけど、中国からは日本人を救援機で引き上げさせるようなデモンストレーションを国際社会に向けて行えば、効果は絶大でしょう。いかに当事国がこの手のことをコントロール出来ない「野蛮な集団」であるかをダイレクトに訴えることができますし、そういうメンツを最も気にする張子の虎のような国ではダメージは想像する以上のものであるはずです。
デモ自体は隣の家にある腐った卵の取り扱いと一緒で、腐るに任せておけば良いと思います。隣の我が家までは匂って来ませんし。(笑)報道されてますけど、結局この群衆、日本とは無関係のディオールやその他の高級品の店からも収奪を繰り返すという反日と言う名を借りたDQN集団であることを自ら露呈してしまってます。
世界でこの写真でどういう報道が行われようが俺の知ったことか!
パクリじゃない本物のロレックスを貧しき中国人民にもあまねく!w
ホントはかっぱらった後はネットで売りさばきたいんですー。
暴動が収まる前に私にもディオールを頂戴!!!
愛国無罪!その言葉のもとに行き場を失った怒りを持った群集の行動が怒りの向きを腐敗した政府自体に変えた日、その矛先は自らの首筋に突きつけられる日があり得るのを為政者は知らない訳がありますまい。そういう意味では私、このデモは逆に収まらせずに放っておくことが日本のためには最終的には間違いなく最大のプラスに働くと強く思ってます。無論、この国に投資をしてきた企業にとっては悲劇でしょうが、それを昔から「チャイナリスク」と呼んできたではないですか。そう、中国はこの21世紀でも人治国家ではあっても、決して法治国家ではないのですから。
昔から言います。愛国心は悪党の最後の隠れ家と。100円均一のように安売りされる愛国の名のもとに国民の目を為政者から逸らし続ける綱渡り、どこまで持つかなー???
国を愛す気持ちは持って当然。しかし、自分の背景に誇りはもってもそれは露出するものでも無し。(逆に出自が一般的に「卑しい」といわれるものであってもそれは本人には無関係なこと。卑下することをこそ恥じるべき。また、逆に劣等感の裏返しで有りもしないデタラメ話で自分の民族・出自を誇るような無様な真似は!w)日本人はここでうろたえず、粛々と理性的に事に対処すべきでしょう。
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2012年9月15日土曜日

育児とウンチそしてオシッコ

今日は赤ちゃんを見て久しぶりに考えることがありました。
三人の赤ん坊と小さいお子さんをお父さんとお母さんがストアでえっちらおっちら運んでいるのを見て、自分たちの当時の育児に奮闘した頃を思い出したのです。時々レジとかで並んでいるときに育児をしている若い夫婦に「頑張ってね!」と言ってしまうこともあるんですが、あの頃は本当に育児というのは奮闘努力そのものだったなー、って思い出すのに「苦しかったり辛かったという思い出が一切ない」んですよね。文字通り「一所懸命」とか「無我夢中」という世界。
なかでも記憶の中でポンポン飛び出すように戻ってくる部分といえばウンチとオシッコとの格闘でしょうね。まずこれが最初で最後の思い出というのが一番正直なところでしょう。確かに病気した時のこととか旅に行った時とかのこともありますが、我々にとってはやっぱり断トツで思い出されることといえばこのウンチとオシッコとの格闘に尽きるのです。この点は嫁さんとも笑いながらも話が合います。
他のご家庭ではどうなのかという話もあるのですが、まあ、一家に三人の子供、しかも長女を筆頭に二歳離れた長男、そしてその長男から三歳離れた次女という流れを想像していただけば、同時におむつをしていた時期も、少しずつ重なって居ることが育児経験のある方なら御理解いただけると思います。
おむつの種類も布だったり紙だったりしていた時期もあったのですが、次女がアメリカで生まれてからはほぼ紙おむつ一本になりました。どこにいくにもおむつを持って外出。嫁さんと二人で、「早く外出におむつを持ち歩かないで良いような歳にまでなってくれんかなー」というのが日常会話でした。今ではそれも単なる昔語りですが、、、。
おむつが外れても暫くは一、二枚のおむつと下着、ズボン(若者はパンツと呼びますが!パンツは私の世代にとってあくまでも下着です。w)は持ち歩くのが育児をしている親の常識です。失敗の可能性がいつでもありますし、どこに行っても濡れティッシュとティッシュでササッと拭いて何事もなかったかのように振る舞うのがベテラン。
親としては自分の子供のウンチやオシッコなどに綺麗や汚いなどと言うような「些細なこと」を考える余地はこの育児の時期には全くありません。現時点で育児経験がなければそれを「ウ~ム、、、」と言ってしまう方もあるかもしれませんが、育児を始めれば、それが将来当たり前となるでしょうし。育児をされた方であれば「そうそう」の一言で終わりだと思います。
時間はあっという間に飛んで今やオシッコを散らしまくっていた一番下の子でさえ13歳。育児で辛かった思い出など一切無く(有っても忘れるんでしょうね)、ただただ楽しかったことばかりが思い出されます。オマケにどうやって育児してたのかスッカリ忘れてしまいました。(笑)
後はそう遠くない将来に自分が大人用おむつをはめてこの子達の世話にならないでいいように願うばかりです、、、。
今まさに、育児中の若いお父さん、お母さん頑張ってください!!
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2012年9月14日金曜日

アメリカにおける寄付と言う行為

寄付という言葉を聞いて皆さんどういうことを思い浮かべられるでしょうか。
この言葉、私にとって日本にいた時とこちらに住みだして暫く経ってからは全く意味の違うものになってしまいました。以前は寄付という行為で連想する言葉といえば、政治家へのイカガワシイ献金とか、私立の高校や大学での親から学校へのお金の遣り取り、駅前のインチキ団体によるいかがわしい寄付強要、24/27?時間テレビ(出演者に多額の出演料を払う碌でもないインチキ慈善ですが)でペットボトルに沢山入った小銭を持ってくる子供たち、あとは災害発生時に日本赤十字に善意のお金が寄せられるような漠然としたイメージでした。
しかし、こちらにやってきて寄付という行為に関して気づいたことは、何よりも寄付というものが実にどこででも行われ、困窮者の救済から学校の基金立ち上げ、大規模プロジェクトの第一歩、そして全く年間ベースで様々なインスティチュートが、この寄付金をあてにして正常運営を行なっているという事でした。
それを許すのは連邦そして州レベルでの寄付金の税控除システムが整然と解りやすい形で税金申告システムの中に組み込まれていることです。無論、超資産家による信じられない桁のファンドへの資産移譲や寄付も日常的に発生しますが、これも当然控除の対象としてきちんと処理されるし、その資金を使った公的機関、例えば連邦レベルのビルやプロジェクト、私立の大学、公立の大学、高校等でも巨額の寄付をした人、一族の名前がついた部屋やビルがあちこちにあります。
また、それを当然として受け入れるこの国の人達のコンセンサスもこういった寄付を成り立たせる大切な要素です。金持ちは金を稼ぎ、それを社会に還元する事も一つの美徳のようになっているんですね。勿論、信じられない金持ちだろうと、雀の涙ほどの寄付しかしないドケチ大勢もいますが、当然のように何の尊敬も受けないどころか支払った税金を調べあげられた挙句、週刊誌、ネットのゴシップネタに使われたりします(例えばWalmart一族の若手達)。ですから、意味なく税金を持っていかれるくらいなら、きちんと使い道、行き先を指定できる寄付にドッカリ回して名を刻む!ということが起きるわけです。
とにかく信じられないのが一部の「超がつくような」金持ちによる目も眩むばかりの巨額寄付が時々出てくること。遺産相続時の1億、2億円とか言うのならまだしも、200億とか400億とかもう我々のような貧乏人の想像を大きく超えた「超弩級」の寄付を存命中にボコボコするような輩が出てくるんですね。ここでアメリカがシステマティックだなと感じるのは、それを基にファンドが作られ、長きに亘ってファンドが利益を出し続け、人々、組織そして研究を支え続ける。日本もこんな制度が出来ればいいのにといつも思うんですが、無理なのかなー。
しかし、日本ではそういう(潤沢、且つ継続的に利益の出てくる資金に支えられた)大きな組織ををトンと見かけません。やっぱ税制上そういう行いに対する価値が低くなるようになってるんでしょうか。それとも、物凄く手続きが面倒とか。日本の税理士さんに機会があったら伺ってみたいものです。(まあ、基本的に日本の金持ちは、こっちの金持ちに比べたら桁が1つ2つ確実に小さいので、それも無理ないですかね。こっちで医師免許を持ってバリバリ働いてるような人は日本のドクターの数倍稼いでいてもこの国では慈善家、篤志家の仲間には勘定されてませんし、、、。)
今日、たまたま寄付の話をしたのは夜、ブラウジング中にWikipediaに$10寄付したついででした。(チッセー!orz)昼間は、ベトナム戦争傷痍軍人会に対して定期的に行なっている物品寄付のほうはいつもの様に大量に行いました。(貧乏な我が家も、こういったスリフト系に回す寄付は定期的に出せます。)
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