今日は今回の旅程においてアメリカで摂る最後の晩餐でした。(とは言っても一時的に日本に帰るだけですが・・・。)
今回の滞在では嫁さんには面と向かっては言わなかったんですが、一家の主としてではなく、一人の男として強く感じ入ったことがありました。それは母親の持つ子供への愛情の深さの限り無さとその無条件ぶり。今回アメリカの家でそれを己の目でしっかり確認して正直「勝てない」と思いました。
やっぱり女が自分の腹を痛めて産んだ子供。無論、私自身も我が子の命が助かるなら自分の体や命なんかは幾らでも切り取って構いませんし、少なくとも子供の代わりに何時でも死ぬ準備はできているつもりですが、今回帰米した時に見た嫁さんの子供に接する姿を見ていてやっぱり男には真似出来ない「子供の包み方」というものが存在しているんだなと感じました。強く。
少なくとも自分は子供を「理屈を持った愛情」(何だかよく表現できていないんですが、申し訳ない。自分でもよく表現できないんです。)で子供達を包んで守っていたつもりなんですが、嫁さんが子供を守っているのはそういった理屈や論理などとは全く関係のないもっと別のタイプのものだという私が感じた「皮膚感覚」。
多分、その子の親で無い人が見たら、いろいろと議論を呼ぶことも有るようなことも含めて母親は「無条件に」子供を愛しているんだなと。理不尽なものも含めて最後の最後まで子供を暖かいものでくるんであげるのは母親しか居ない、というこの片親としての敗北感。
やっぱり男が子供に見せてやれるのは生き様しか無いんだなと感じたこの二週間弱の滞在でした。
やっぱ母ちゃんは強えや。年取ればとるほど良く判るこの気持ちい敗北感。orz
男は二十歳過ぎて一年に一切精神年齢が上がるのかもしれませんが、嫁さんは一年に二、三年分精神年齢が上がっていって結婚して十年もしたら一家の主(あるじ)面(づら)してる男も含めて子供の一人に数えてるみたいです。w
0 件のコメント:
コメントを投稿