2010年1月30日土曜日

iPadの使い道

先日発表のiPad。
個人的にはとても気に入っていて、そのうち買うかも知れないとは思っている。


さて、日本からは想像出来ないと思いますが、私個人としてはこのマシンがアメリカの学校で教科書に採用される可能性があるのではないかと密かに考えています。
娘たちの通学用のバックパックを見ていつも驚くのはその重さ。
常にそのカバンはドでかく分厚い教科書が詰まっており、日本の教科書のように学期や進捗レベルごとの分冊とかいうようなものではなくて、一年分そのまんま全てが詰まった数百ページの教科書を持ち歩いている。本当に肩や背骨に悪い影響を及ぼすのではないかと言うレベルのデカさ。
しかも面白いのはこちらの学校では教科書というのは学年を通じて個人で維持され、それを次の年の学生に再び手渡して再利用しているのである。これは日本の教科書等のように無償配布で一生物として使い、保存し、と言うようなモノとは大いに異なるので、年によっては新品だったり、場合によっては既に三年目の(前使ってた人が消しゴムで消した計算の後がチョロッと痕跡に残っているような)教科書を使ったりすることになる。

しかし

もしこれが電子書籍に統合されたらどうなるか、、、。
私はまず間違いなくこの流れは不可避的に起きてくると読んでいる。子どもたちがiPadもしくはその類似のものを持って学校へ(軽い手提げかばんのような)小型のバッグで行き、何年分であろうと読みたい教科書の読みたい部分をササッとretrieveする。数年内にはそういうところが確実に出てくると私は見るのだが、この予想かなりの大金をかけても良いと思っている。

彼らのような初等教育に限らず、医学書なんかの分厚さは本当に辟易するレベルだ。しかも知識の増大に伴って年々歳々百科事典化する一方。高等教育機関でもiPadが標準の教科書閲覧システムになる日は必ず、そしてかなり近い時期にやってくると思う。

競輪で言うところの鉄板予想。

数年後にこの日のブログを自分で見返してどういうふうになったか知りたいところです。

(将来の娘たちの子供には「こんな当然の事、じいちゃん何を偉そうに予想とか書いて」といわれそう、、、。)

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