2025年4月6日日曜日

小動物を殺して快感を覚えるような輩

一言、変質者、変態という言葉しか思い浮かびません。

比較的最近、あるウサギが沢山繁殖している瀬戸内海の島「大久野島」で異様な方法でウサギを虐待したり、殺したりしている若い男が捕まったニュース云うのをテレビでチラと視ました。

カメラマンの御夫婦が、最近島で異様な怪我や死に方をしている沢山のウサギ達を気にされて、怪しい動きをする人間を張っていて捕まえてくださったという話。

足の骨が折れ、鼻血を流して死んでいたウサギもいました。明らかに病死などではない。不自然な死に方に、島内では人間の関与を疑う見方が強くなっていました。そして1月21日の夕方、島で長年ウサギを撮影してきた写真家夫婦が、にんじんでおびき寄せたウサギを蹴り飛ばした男を目撃して取り押さえたんです。ウサギは痙攣した後、死んでしまいました」という捜査関係者の話と云うのがネットにあったのを読んで、こいつは変質者…としか思えませんでした。

更にそれを間違いないと思わせた発言は「去年から何度も来て同じようなことをした。ウサギがかわいいと思う半面、いじめたらどんなリアクションをするのか気になった」というもの。

イヤイヤイヤイヤ、もう変態でしょ。何というか、タダの犯罪者。アメリカでは有名な連続猟奇殺人犯の父親が書いた有名な本がありますが、その子は小さな頃から動物の死体やその骨等に異様な興味を持って接していて、次には小動物、そして普通の愛玩動物を殺し、最後には人を殺し始めたというノン・フィクション。

この連続殺人鬼の場合は小動物を殺すという行為が性的リビドーと結びついてどうにも殺人が止められなくなったというトンデモナイ話だったのですが、この埼玉出身の男の場合の歪み具合はどんなもんだったのか、可愛い小動物の口の中にハサミの刃を差し込んで骨がポキッという音をたて悲鳴を上げたり、毛を抜く、耳を引きちぎる、鼻の穴をはさみで切る、頭を踏みつける等という書いているこっちの具合が悪くなるような悍(おぞ)ましい行為の数々。

もう、頭の中が腐っているとしか思えません。orz

この堀田という若い男、東レの関連会社で生産管理システムを作っていたという事なのですが。親は泣いてるな。

2025年4月5日土曜日

性犯罪マップ

こういうことに個人情報保護法が「悪用」されるのかという感じ。

もともと個人情報を悪用する輩や名簿売り買いをするような組織等を戒めるような目的があったと思っていたんですが、今の時代はそういった情報は容易にネットに拡散されるのに本当に必要な情報は「個人情報保護」の名目のもと本当にアクセスするのが困難になっているという印象があります。

どっちかというと、日常生活において「個人情報」とか言って、何も解っていない人に限って叫んでいるような印象です。

さて、日本で今回のニュースになっている「性犯罪マップ」ですけど、ここは今、閉鎖に追い込まれてしまっています!

アメリカに居た頃は本当に良く見て自分たちの近所に問題のある性犯罪者が居ないことを確認したものでした。特に、我が家にはまだまだ就学中の幼い女の子が居たため、その検索は大真面目でした。

アメリカにおいては実際にFBIがこれを準備しており、犠牲になった女の子の名前をもとに「The Dru Sjodin National Sex Offender Public Website」というのがガッチリと公開されているのです。この発想の差は何か?ということですよね。

要するに性犯罪を犯すような連中は繰り返す輩が殆どで、その性衝動を止められないことで一人の連中が多くの被害者を生み出すわけです。そして近年ではネットで繋がっているこの手の変態達が手を携えあってヤバい情報を交換している訳ですから、我々防御側は手足を縛られるわけにはいかないはず!

ところが個人情報保護委員会なるお役所はそういった行為は日本においては個人情報保護法19条に抵触するというのですがその中身というと、「違法又は不当な行為を助長し、又は誘発するおそれがある方法により個人情報を利用してはならない」という文言。しかし、その条文はよしとしても、それをどう適用するのがお前達の仕事じゃないの?という話。

どちら様を向いて仕事をしているのか解らないような連中が税金喰いながら今日もあらぬ方向を向いて犯罪者の権利擁護に一所懸命です。

2025年4月4日金曜日

複雑性PTSD

「ある患者さん」が幼少期からの長期に亘るDVの結果として酷い精神状態になって今病院で生きています。

精神科の先生が必死に診察・治療を行っているのですが、診ていて気の毒になるくらい精神状態が不安定で、自己嫌悪や感情の波の不安定さ、自傷行為、自殺企図等の教科書に出て来るような様々な「症状」を一気に表出しています。

病名は複雑性PTSD(Complex PTSD)。これは長期間にわたる反復的なトラウマ体験が原因で発症する心的外傷後ストレス障害の一種。例えば卑近な例としては、幼少期の虐待、家庭内暴力、戦時における戦闘体験、監禁などが原因となることがあるのだそうです。

そして、今回の患者さんの場合は家庭内暴力。ほんのこの前までは立派に社会の中で仕事をしていたというのですが、最近になって精神状態が不安定化し命の危険が表に出始めた為に、本人さんの同意を得て精神科に入院となりました。

折角、社会の中で有為の人材として機能していたのに、幼少期からの長きに亘るDVがこの時期になって悪の華を咲かせるような状況になってしまっているのです。虐待を行っていた親には自覚があったのか否か。今頃になって、割いて欲しく無い花がその花弁を満開にして自分の娘を蝕んでいる事実をどれほど理解しているのか?

これはやはり魂に対する殺人であると私は考えます。以前にもこの疾病を患った女性を間接的に傍で診たことがありますが、年齢に比して「魂が枯れている」という強い実感を持ちました。

この女性の場合は今回の患者さんとは別の理由によるものでしたが、それでも魂というのは傷ついたらなかなか修復出来ない、しかも傷つけられた時間が長ければ長いほど、その衝撃が大きければ大きいほど薬では到底治らない人格、性格等への強い影を焼き付けるのだと考えます。

感情の波が大きな間は先ずは命を自ら消してしまうリスクを回避するのに看護側も精一杯です。場合によっては個室に入って貰って24時間カメラの監視下に置き、15-30分に一回の巡回。それが一旦収束しても油断は禁物。医療者側も一時も心が休まる暇は有りません。治療、看護する側も本当に疲れるのです。

何としても「普通の状態・普通の生活」に戻してあげたいのですが、果たして上手くいくか。これから長い戦いが続きます。

2025年4月3日木曜日

退職される若い皆さん

「モームリ」という退職代行サービスの事がネットやその他のメディアで話題になっています。

他にも幾つもそれに類似したサービスが展開されている様で、我々の20台の頃には想像もつかなかったような特殊なサービスというものが今の世の中では普通にある事を解らせてくれる良い例ですね。

「退職代行サービス」という単語は、まさに読んで字の如くという事で」という退職代行サービスの事がネットやその他のメディアで話題になっています。

他にも幾つもそれに類似したサービスが展開されている様で、我々の20台の頃には想像もつかなかったような特殊なサービスというものが今の世の中では普通にある事を解らせてくれる良い例ですね。

「退職代行サービス」という単語はまさに読んで字の如くというもので、一読でその内容は理解できるものの、最初の頃はホンマにそんなもん実在するんかいなと思うくらいでしたが、報道の内容を見てみると「アア成程ね~」というもの。

要するに、自分の就職した企業に馴染めない、ブラックだった、ブラックではなくとも休日の条件などが後付けされて(いわゆる聞いてないよ)いるもの等に対するNO!という拒否反応の最終形態としての退職、離職という行為なんでしょうね。

こういうのって会社・職場に無断で行かなくなれば勝手に首切られるもんなんかと思っていたんですが、そういう会社の一部には鬼の様に電話やメールを送って来るところもあるとの事ですから、気の弱い人や面倒を避けたい方々と言うのはこういった(私から見ると不思議な、しかし時代のニーズを汲んだ?)サービスを利用するのでしょう。

しかし、私思うんですけど…昔からブラック企業やトンデモ企業と言うのはゴロゴロあった訳で、今の時代コンプライアンスとハラスメントが声高に叫ばれてますけど、もしそういった事を言い始めたら墓が立つか家が建つか等と言われる超高給企業ゴールドマン・サックスとかどうなるのよ?という話もチラホラ。w

そういう「上澄み」に近い特別な上の企業で働く挑戦者達の退職は伝説とか語り草とか言っておいて、一般的な(おそらく)下の方の企業というか、そういうレベルの組織でやられたと感じて退職を選ばれる方々というのは、そういう結末に陥ったのは純粋にその企業だけの問題かというのが私の純粋な疑問です。

お前も入って経験してみろ!と言われそうですが、そういった企業を選んだ経緯が先ず知りたいし、そういった組織を選んでしまうまでにどれほど情報を集めきれていたのかという事も知りたいし、そもそもそんな所しか選べなかった程の大学その他の準備段階での成績しかなかったのではないか?等という疑問も大きく膨らんできます。

医者の世界でも、今では新人の研修先のマッチングという事でいろいろな病院が「選ばれる側」になっていますが、一流の病院、人気の病院はあくまで意欲も能力もある良い研修医を選び放題。成績が低かったり人として問題のある人、そして情報収集を怠った研修医候補はそれこそ「評判の悪い、人気の無い」研修先を最後の最後でピックアップせざるを得ないのが新人医師の世界のスタートアップの現実です。

まさに現実の様々な職業選択の世界と一緒なんですが、じゃあだからと言って良いと言われる研修先を選んだ人達が最良の結果を得て、評判の悪かった研修先を選んだ諸君が悲惨な研修後を迎えるのかと言えば然にあらず。漫画の様にそうシンプルではありません。

もう一つ知りたいのは、そういう代行サービスを使って折角の人生のスタートをこけた形でスタートさせてしまった諸君のその後のリカバリー。

果たして上手くいったのかいかなかったのか。二日や三日で自分の選んだシステムを去るというのは何だか…という気もするんですが「人間万事塞翁が馬」というもの。去った人達の中からきっと成功に至る道筋を探し出せる人が出て来るであろうことを遠くから祈っているオジサンです。

2025年4月2日水曜日

親と似ている

病院で診る人達が本当に実の私の親と同じような年齢の方々が増えてきました。

患者さんのお話をするのも自分の親の話をするのも本当に身に積まされる様な状況、どこかで聞いたような話、明日は自分の親かも知れないという様な話ばかりで、目の前に居る患者さんに迫る「もしかして」というその日が自分の親になるかもという感覚。

患者さんの病状に関して説明する相手である患者さんの息子さんや娘さん達も本当に私とほぼ同年代で、会社や組織をリタイアした直後とか、リタイアする直前とか。

そういう方々と話をしていると実は気付く事があるのです。寝たきりになっている患者さんをお見舞いに来た息子さんや娘さんは本当にベッド上の患者さんと瓜二つで、ドラえもんの小道具であるタイム風呂敷を掛けただけの息子さん、娘さんのような印象。

こういうのを見せられると、逆に医師である「私」も患者さんの御家族がもし私の親父が私の真横に立っているのを見たら多分吹き出してしまうのではないかと思うんです。それとも、遺伝子の為す神秘の複製能力に腰を抜かすのか?

親と私の半世紀以上の時間の流れを振り返ってみると、それはまさに親との相克の歴史。親、特に母親が私を認める事はまず無くて、父親は私の勉強には全く不干渉という状態でした。親父の不干渉は私にとっては大変有難く、両親ともワイワイという様な最悪の状況ではありませんでした。

親父に成人になった後でその理由を聞いてみると、「俺はお前の勉強の事はわからん。わからん事には口は出さん」とのシンプルな答え。小学校の頃から私が家でシコシコやっている宿題などにも教えてくれる事も無ければ、余計な口も出すことは有りませんでした。母親は私がやっている勉強の内容は解りませんでしたが、定期テストの点数の余りの悪さにいつも激怒していたのは確かです。w

その点に関して母親は父親に恐らくいろいろと言っていたようです。というのも、極マレに「お前勉強大丈夫か?」とボソッと聞いてきて来たことがありましたので、流石に母親の話から息子の定期テストの点数が酷い事を聞かされていたのだと推測されます。

私は暢気なもので、親父に一言「帳尻は合せるから」と言っていました。親父も親父で、それを聞いて「わかった」と言うだけ。まあ、二人とものんびりしてますな。

そんな両親も今年の誕生日を無事に迎えればもう87歳。ビックリですが、既にそんな高齢者です。親の老いてゆく様を見るといつも思うことは「俺も無事にあと25年生きるとしたらこんな風に老けるんかいな?」という事。

良いところも嫌なところもこの親に遺伝子を分けて貰い、この親達に育てて貰ったからには似てしまうんですよね。^^

お互い100年も無い一生。患者さん達の御家族を診る事で、己の両親も大切にしたいと思う今日この頃でした。

2025年4月1日火曜日

ヤバい事された…

バイト先でヤバい事をされました。

一体全体、それがどういう経緯で為されたのか全く理解に苦しむのですが、事の簡単な解説をさせていただきますと…。

バイト先で長い間診ていた在宅のお爺さんが最終的に超高齢となって殆ど何も記憶することが出来なくなった上に、排尿・排便が自分で出来なくなったことで家族さんが「そろそろ施設入所を」となって、5年ほどにわたった自宅でのケアを遂に今回終了する事になったのです。

その最後の日に自宅に居た御高齢の奥様が私と付き添いで来てくれていた看護師さんに高級な京菓子を下さったのでした。私は恐縮したのですが、こういう食べ物の時には(金品で無い限りは)御厚意を有り難く受け取る事にしていますので、お爺さんとの別れを惜しみながら笑って別れました。

その後、我が家からは長崎のカステラを送らせて頂きましたが、それでメデタシ!という感じだったのです。しかし、そこは折り目正しい御高齢の御婦人。私に対してバイト先の住所宛にお礼の手紙を重ねて返してこられたのでした。

ところが、朝わたしがこの手紙が置いてあるのに気づいて自分の連絡物入れからこの手紙を拾い上げた時に「おや?」と思ったのは手紙が既に開封されていた事…。
思わず「えっ?」と思ったのですが、取り敢えず中身を覗いてみると二枚の便箋に美しい崩し字でぎっちりと御礼の言葉が書き連ねてあったのです。読んでいてこちらの身が引き締まるほど。

しかし、私はこの手紙が「勝手に開封されていた」という事実に強い衝撃を受けました。

憲法では21条2項に、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない、と定めています。この条項は、一般的には国家からのプライバシーの保障であり、また、憲法21条に保障されていることから直接的なプライバシーの保障を通して、国民の知る権利に委縮が及ばないことを狙いとするものだという事は先の大戦で特高警察その他の下種達が国民に何をしたのかという事を思い起こせばその制定理由は容易に理解できる事でしょう。

そして、その文言は我々の日常にも敷衍されていて当然の様に「人の手紙を開けてはいけない」という事になっています。これをcopilotに尋ねてみると以下の通り。

日本では、他人の手紙を勝手に開封して読む行為は「信書開封罪」に該当します。この罪は刑法第133条に規定されており、正当な理由がないのに封をしてある信書を開けた場合に成立します。罰則としては、1年以下の懲役または20万円以下の罰金が科される可能性があります。 さらに、この罪は「親告罪」とされており、被害者が告訴しなければ起訴されない仕組みになっています。

との事。明確に私の宛名向けに送られてきた親書を「病院の事務員等の誰か」が開封したという事はまさにコレ。誰が何の目的でやったかは別として実に薄気味悪い人間若しくは何かの力が働いている事になります。

実はこの手紙を読んでいる時に脇を通った若い先生に「この手紙気付いたら開封されてました」って話したんですが「実は僕の所に来た手紙も二回開けられていた事あるんです…」と即答され、お互いに無言で顔を見合わせてしまいました。

もしかしたらヤバい人が居るのか?まさに薄気味悪いです。エイプリルフールネタと言いたいところですが、ガチでリアルネタでした。