ここアメリカで試薬や機器の購入で助かることは「安さ」ではないかと思う。
「速さ」、要するにお早いお届けという意味では、日本に在庫を切らさぬように多くのものを置いている海外ベースの会社の場合は日本の会社と変わらないという気がするのですが、そうであっても時には海外に発注をかけなければならないことが多かったので、そういう意味ではやはり少し遅めのものもあるかなとは思います。
一番違うのは値段ですよね。
昔日本のラボに居たとき、もう15年以上前ですが、インターネットというものが研究室で充分普通に使われだしたころのことです。海外の試薬の値段なんかもリアルタイムで解るようになって来た頃その値段の付け方の出鱈目振りには眼を剥いたことがあります。今でも変わってないと思いますが、少なくともプラザ合意前の円安交換レートで、下手するとドルショック以前の値付けだったりしました。(笑)
一昨年もラボの共同研究者が有る抗体を送ってくださったことがあったのですがその値段が一本5万から6万というのだということを知って腰が抜けました。(こちらではその抗体の値段は一本180ドルでした。)二倍、三倍の金を払わないと同じモノが買えないというのであれば、一体日本人って言うのは何のために豊かになったんでしょうか。
そのとき思いました。ボッタクリバーよりひどいことを澄ました顔でして居る、中間搾取糞代理店に死を、と。そのとき代理店の若い兄さんに其の為替差益のことをガンガン言ったら、「楽してるのは社長だけで僕たちは金無くて結婚も出来ません」と、ほんとにショボーーーーんとした顔で言われてそれ以上は文句を言い切れませんでした。
文部科学省って(当時は文部省でしたが)ほんましょうも無い税金無駄遣いの役所やなと心のそこから思いました。高額機器にしても年度末になると教授がやってきて「xx君、何か買うものは無いか?」と得意顔で言ってました。いつも嫌味たっぷりに「使いもしない機械に金を使わんで、人に使ったらどうですか?」と言っていました。この大学では毎年、戦略的云々とかいうお金のおかげで試薬機器類に対する投資は潤沢で、人には一切お金を使えずという馬鹿文部省の典型的箱物行政で大量のマシンと試薬が有りました。車が良ければ早く走ると思っている馬鹿役人。ガソリンがなければ車は前には動かんのです。況や競争する為には高品質のガソリンが勝負の決め手になるなどということは罷り間違っても高級(能力に比べて高給?w)な文官には御理解願えるとは想像だに出来ませんが。
人の能力と個人的犠牲で前に進もうとする発想は三菱ゼロ戦の設計思想と何も変わらず。進歩ゼロです。
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