2013年5月6日月曜日

暴走三人組w

前回、ブログをぶっ飛ばしてしまう原因になった深酒ですが、始まりは日本人の先生お二方の家族が家に来たことでした。前から御飯を食べましょうということでお話をしていたのですが、結局この土曜日に御飯を食べに家族で集まってもらいました。
夕方六時に15ヶ月のチビちゃんを連れたA先生御家族と若夫婦のB先生の2組みが其々の車に分乗して登場しました。A先生の方は我が家は初めてでしたので暫くお家の説明をしましたが、連れてきた赤ちゃんが可愛らしくて気が散ってしまいました。
A先生の奥様に初めて偶々大学のそばで会った時には赤ちゃんの「あ」の字もなかったのですが今ではすっかり姿も形もあり喃語を話し始めているではありませんか。本当に昔の自分達の子育てを思い出す感じでしたがこの前我が家に来た可愛らしい二人の女の子たちとはまた感じが違います。
さて、料理を次々に出すと同時にビールから始まったお酒も次第に杯を重ね、次には直ぐにワインへと移行。女性陣同士のお話とは別に男性陣同士では大学の頃の話に花が咲き、テンションは最高潮。お互いのクラブ時代のちょっとお下劣な話まで出てきて来る頃には飲み続けたビール以外にワインも既に四本綺麗に空になっていました。更にはウイスキーも継ぎ足して飲み始めた頃には全員が饒舌を通り越して「明日なき疾走」状態。w
そこに私が15年前にアメリカにやってきた頃に初めて日本側で出して取ってきたグラントである「あるタイトル」を見せた所で話は絶頂を迎えました。実はそのタイトルは彼らの今やっていることに密接に繋がっているもので、15年前にすでに今日の研究を見越していたかのようなタイトルだったので皆に大受けとなったのでした。
ところが、、、。ここら辺りまできたところで記憶に霞がかかりはじめ、、、。(ここから後は嫁さんと娘との証言なのですがw)まず先生たち家族を送り出した後、マックの前に座り込んで何かブラウザをいじくっていたらしいのですが、そのうち腕を組んで寝始め、、、最後にはキッチンの床の上で行旅死亡人のように寝てしまったそうです。
その証拠写真が撮られているのですが、さすがにココには上げられません。orz
今度はまた夏に裏庭でBBQか鉄板焼きパーティーをすることにして別れました。また愉しみです!
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2013年5月5日日曜日

アメリカの葬儀・バプティスト

今日は生まれて初めてアメリカで葬儀に参加して来ました。
11時からの開始ということだったので30分前に到着してバプティスト・チャーチに入りました。バプティストであることはバージニア以南では極めて普通で、多くのクリスチャンはバプティストです。下にその分布図がありますが、要するにバージニア以南の「田舎」では極それが標準というわけです。
さて、式の進行はどうだったか記憶するためにそれをスキャンして下に貼ってみました。無論亡くなられた方の御名前や誕生日は消してあります。
式には多くの方が集い400人以上の方々がやって来ましたが、その中で非白人はアジア人男性の私が一人、そして黒人女性が一人というものでした。残りは全員が白人でしたが、全く普段着のような格好で来る人達も結構沢山いました。
牧師の話、教会メンバーによる独唱などがあった後、故人の妹によるユーモアたっぷりの故人の思い出話をしてくれました。見ていて「なるほどこういう感じで進行するんだな」というのがよくわかりました。最後にはもう一度だけ牧師の説教があったのですが、これが長い上に紋切り型のしょうもない説教で、その前にあった妹さんによる素敵なお話の感動を潰しそうになりましたね。
式全体が終わった後は、別室に移って故人の家族、親族に会い、皆が順々にハグをして思い出や言葉を短く交わしていました。
そこには教会のメンバーたちが準備した大量の食べ物や飲み物が有りその横には故人の生前の写真なども飾ってありました。故人とご主人は高校で初めて出会って以来39年間もの間、素晴らしい夫婦としての繋がりを持ち続けたわけです。
憎むべきは乳癌。早く治療法が見つかる「べき」だと強く思います。
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2013年5月3日金曜日

大酩酊によりブログ更新怠りましたw

え~、明後日リポートいたしますが研究仲間の友人達と大変楽しいお酒を飲んでしまい本日のブログ更新怠ってしまいました。w
こんなことは久しぶりですが、娘と嫁さんにおもいっきり翌日からかわれております。 人気ブログランキングへ

葬儀など無いに越したことはない、、、

二年ほど前、同じフロアで働いていたadministrative unitの女性が亡くなりました。
乳癌でした。58歳。亡くなるには若すぎました。
三年ほど前にお孫さんを次々に授かり、お婆ちゃん業をやっと楽しみ始めた矢先の乳癌でした。バスケットボールの大ファンで、その熱狂ぶりから度々大学のバスケットボールのウェブサイトで紹介されるほどの女性でしたが、大学全体の応援も虚しく二年間の闘病の末、癌が彼女を斃してしまいました。
以前話した時は立派にキャンサー・サバイバーとして皆の前で元気に活動していたのですが、放射線治療、抗癌剤療法が加わる度に加速度的に元気が無くなっていきました。医師である自分がこういうことは言いたくないのですが、抗癌剤治療が彼女の命を縮めてしまったのではないかと感じるほどのやつれ具合でした。
外科的治療の後に真菌性肺炎や放射線皮膚炎、脱毛、免疫力の劇的以下、肺水腫による呼吸困難等あらゆる症状と戦って来ましたが、心も身体も疲れきってしまったように見えました。こういった治療が大きな副作用も無く確かに効く方は居るには居ます。しかし、やはり多くの女性にとって乳癌を病として得るということは今の医学では治療は「挑戦」の域を脱していません。
分子生物学的な素因や病態のバックグラウンドも年々歳々詳らかにはなっていますが、「治療」と言う意味ではまだまだ、本当にまだまだ劇的な効果を見せてくれる薬は登場していないのです。
次から次へと試されている治験薬も、出ては消え出ては消えを繰り返していますが、CMLやAMLにおけるイマチニブのような救世主が出てくるのが待たれます。
しかし、固形腫瘍は本当に良い薬がないですね、、、。
この土曜日に彼女のサービスがあります。アメリカに来て初めて出席するお葬式で、バプティストのスタイルがどういったものなのか予め他の秘書さんには聞きましたが、式中の行為は常識の範囲で済むもののようです。
一体何時になったら乳癌など「あらら、じゃあこのお薬出しておきますね~」くらいの感じで治療できる日が来るのでしょうか、、、。
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2013年5月2日木曜日

アメリカの障害児教育と年齢

今回、息子の通う高校で恒例のミーティングが有りましたので、良い機会だと思いアメリカの障害者の公教育の一端を簡単に書いてみたいと思います。息子が自閉症であることは以前にも少しこのブログで書いたことがありますが、その息子もこの夏には17歳になります。
幼稚園というシステムに入る前から色々とこの国の手厚い障害児教育の恩恵を受けてきた息子ですが、実はこの障害児教育、(少なくとも私のカウンティでは)驚くべきことに彼の実年齢が21歳になるまで継続することができるのです。
これはいわゆる、社会人障害「者」のケアが始まる前の障害「児」教育の一環としてサービスが延長されるものでして、通常は四年間である所の高校の教育において最終学年である12にあたる学年で最大一年しか延長が効かない以外はその他の高校に当たる学年である所の9,10,11の各ステップで二年前後の学年を経験させることができるのです。
結局、このシステムが作動することによって通常は障害児に対する公教育は成人を少し超えたくらいの年齢までは継続して行われることになっています。障害児の教育においては通常我々のカウンティではひとつの教室に(障害のタイプにもよりますが)児童が数名、教師は三名ほど、そしてフルタイムのアシスタントがほぼ同数かそれ以上います。要するにこのカウンティーでの障害のある生徒とそのケアテイカーの数は通常一対一では無く、ケアする人間のほうが多くなっているのです。(メリーランドとバージニアでの経験では最も悪くても三対一程度でした。)
更にはこの障害を持った児童たちには通常、学業優秀な模範的生徒の中から選ばれた生徒が「メンター」として指導、監督をするようになっています。
あと、書き忘れましたが通常どこのカウンティーであっても障害児はその児童の家の文字通り「真ん前」までスクールバスがやって来てくれます。かくも様々なアシストシステムがあるのですが、実はもっともこの国にいて「良いな~」と思うのは、こういうソフトウェア、ハードウェアの充実では無く、多くの人々のハンディキャッパーに対する気持ちのあり様でしょうか、、、。
障害があることが障害がないことと同じように人として当たり前の事実であることを皆が大きく受け止めようとする心、態度だと思います。可哀想可哀想という単純な憐憫では無く、その一歩先の世界。勿論、差別がどこにでも、何時の時代でもあるように障害者に対するそれも持つ人はこの国にもいるでしょう。しかし、この国においてそれを表に出すような人間は簡単にいえば「LOSER」というカテゴリーに入れられる人達なんですね、、、。社会的にもまともな公職には付けませんし、政治的には「自殺」と一緒なのです。おまけに、それを表明した瞬間、周りから盛大に叩きまくられ地面と同じレベルまでペチャンコにされてしまうのでした。w
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