正直なところ、血液生化学的データには全く問題はなく歩行も普通に可能。会話の中身も全く正常人と変わらないという方です。10年ほど前にもこういうお婆ちゃんが入ってきた事がありましたが、その方は頭はバリバリで何年何月の出来事を昨日の事の様に話し、長谷川式簡易認知テストでも満点という93歳のお婆ちゃんでしたが、その方は足腰が立たなかった。
しかし、今回入院「させられた」お婆ちゃんはご飯を食べる量が極端に減っているという家族の心配での入院。ところが入院してみたらお婆ちゃんは家に帰りたくて帰りたくて頑張って病院食を半分程食べてくれます。
それを見て今度はお婆さんが弱っていくのを家で見守っていたお嫁さんの方の心がかき乱されてしまいました。実はもう精神的に限界だったとのことで、お婆さんがやって来たのはかなり社会的入院というか「家族が崩壊しない為」の入院だったのです。
長生きも90半ばまで来ると、周りの幼馴染に当たる友達は既にほぼ全ていないし、生まれてから慣れ親しんだ景色は大きく変わっているし、これ位の歳になると中には自分の子供さんでも病気や事故などで亡くなってしまっているというパターンが幾らでもあります。
お嫁さんは病室で泣かれるし、お婆さんも帰りたいと言って泣かれるし、ここに集った全員が何も悪い事などしていないのに、超高齢のお婆さんの食べる量が減ってしまった事だけが今回の全家族の悲しみの元なのでした。見ているこっちも何とも言いようがなく、代わりに早く老健などを見つけてあげるからというこちら側からの提案ももちろんお婆さんには全く代案たり得ません。
私は当初、お嫁さんや息子さんには「食べられなくなって眠るように亡くなられていくという事が生物としての人間には如何に自然な事なのか」という事を説明もしたのですが、既にそういう事を受け容れられるような心の余裕は御家族には無く…。
短すぎも悲劇、長すぎも場合によっては悲劇。本当に人の生死というものは難しいもんだなと改めて思う日々です。
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