その多くは高齢になって食べるという行為の経過の中で誤嚥の繰り返しから肺炎を併発するようになったり、食欲自体を失ってしまったり、食べるという行為をすっかり忘れるほど認知症が進んでしまったりというような事が起きて最終的にお亡くなりになるというパターンが多くあります。
食べることが出来なくなった方々に「どうやって生きて頂くのか」という事を問いかけるのですが、御家族の希望、本人の希望でその先は様々に枝分かれしていきます。
胃瘻を造って何としてでも生かしてくれという御家族は最近は本当に減って来られて、中心静脈栄養も御希望は減り、経鼻栄養も減って来て、末梢点滴でゆっくりと旅立たれる方が増えてきているというのが現場の人間の強い実感です。
私が日本に帰って来て10年経ちましたが、私自身は中心静脈栄養による延命というものには正直真っ向から反対で、御家族に希望されたり特段の状況が出現すれば変えて参りますが、通常は私自身が「自分の家族にしたく無い事は患者さんにもしたくない」そしてその逆も。基本的に家族を診る感じでしか診ることはありませんので、それでよいと私自身は考えているのですが。
実際に患者さんや御家族と話をしてみると、御家族や御親族をそのような姑息的な手段で延命させた挙句、逆にその方々を辛い目に遭わせてしまったという経験をする方々が増えてきており、「延命のための延命」が決して人間にとっては正しく無いという事を実体験として体験、若しくは聞き伝えてきている人達が増えているという事。
私はそのような情報が広まって、結果として口からものを摂れない、若しくは摂らないという病状になってしまった場合の選択肢は「そういう手段をとらない」というものがあってしかるべきだと考える人間です。
無論、食思不振症やその他の精神疾患で摂食の機能というものが失われていないにも関わらず、心の問題で食べることが出来ない方々というのは全力で加療していく方向に力を尽くしますが!
食と人の命。本当に密接に繋がった「深い判断」を必要とする世界です。
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